Spring Tour 2016

27 年 ぶ り の 北 緯 31 度 線


浜松を通る寝台列車はこれだけ

国道4号線、道東、山陰西線と続けてきた27年前の旅を辿るシリーズもいよいよ最終回。このシリーズでは、これまでイヤというほど自分の記憶のあやふやさに気づかされてきた。学生時代にあれほど新鮮な印象を残した旅の風景も、時の経過とともに美化されて、再訪してみると自分の心象風景とは異なるばかりだった。今回の旅は、大学の卒業旅行でいった九州の中で、それ以来まったく行っていない本土最南端の佐多岬を目指す。ロードパークの記憶が強く、岬に立った印象はないが、再訪してどのように感じるか。われながら楽しみでもある。

1989年の卒業旅行では、浜松から寝台特急富士号で旅立った。27年の時を経て、浜松を通るブルートレインは全て廃止され、かろうじて残っている寝台特急はサンライズ瀬戸・出雲号のみ。富士の発車時刻は22時前とベストな時間帯であったが、サンライズの方は日付が変わった午前1時12分発。この日は強風のための遅れも加わり、1時25分頃にようやく列車に乗り込んだ。せっかく夜行列車に乗ったので、車内で一杯ひっかけないと収まりがつかない。名古屋の手前まで漆黒の車窓を見ながら水割りを飲んだ。


深夜1時20分の浜松駅4番ホーム


岡山でサンライズ瀬戸からみずほに乗り継ぎ

山口百恵の「いい日旅立ち」が流れる国鉄のディスカバー・ジャパン2のCM(1978年)は今でも秀逸だと思う。朝ぼらけの中を走っていく24系25型のブルートレイン。あのCMに感銘を受けて以来、私はブルートレインに乗るのが夢となった。当時小学生だった自分も、中学、高校、大学と進学し、大学の卒業旅行でようやく憧れのブルートレインに乗れたものだから、興奮するなといっても無理がある。当時の日記にも舞い上がって眠れなかったという記述がなされている。後年、その時の自分を描写するにあたり、「膝小僧をかかえてB寝台で将来の夢を描いていたあの頃」などと当時の情景を美化してしまったため、それがあたかも現実にあったかのように記憶がすり替わってしまったのかもしれない。そして今、サンライズのシングル個室は、膝小僧を抱えて乗るのが自然な形であり、気がつけばやっぱりそうして車窓を見てしまうのだなぁと納得した。27年前も本当にそんな格好で時を過ごしていたのかもしれない。

さて、翌2月15日の朝を迎え、もう少し眠っていたいのもやまやまであったが、岡山でサンライズを下車。鹿児島中央行きの九州新幹線直通列車、みずほ601号に乗り継いだ。大阪から博多への一番列車であるので、2月のど平日のこの日も満席。当然隣席にも乗客がいたが、指定席は2列+2列で余裕があり、睡眠不足で博多まで爆睡したこともあいまって、隣客の存在がまったく気にならなかった。予想通り、博多でほとんどの乗客が下車し、そこから終点までは2席独占で、喫煙ルームにも行き放題となった。

10時前に鹿児島中央駅に到着し、西口から500bほどのところにあるタイムズカーレンタルの営業所で日産マーチを借り出した。レンタカーを予約した時には、まず長崎鼻に行ってから、山川・根占フェリーで大隅半島に渡り、佐多岬を目指す段取りだった。しかし年明けにフェリーのドック入りが発表され、本日2月15日から月末まで欠航となってしまった。したがって大幅な行程の見直しが迫られ、泣く泣く長崎鼻をカットして、単なる佐多岬への往復という行程になってしまった。まぁ長崎鼻は1996年と2003年に再訪を果たしており、卒業旅行以来となる佐多岬だけ行けば、今回の旅の目的は果たせると踏んだわけである。というわけでさっそく九州自動車道のインターを目指す。カーナビに佐多岬灯台を入力すると、直近の鹿児島ICではなく、鹿児島北IC経由が案内されたため、それに従う。市街地を15分ほど走ってようやく九州道へ。まずは桜島SAを目指した。

今月に入ってから桜島の噴火活動が活発になったが、桜島SAから望む桜島は、頂上部分に雲がかかっていて、噴火の様子は確認できなかった。この後、ドライブ中や鹿児島空港を離陸直後など、何度も桜島を見たが、一回も頂上部分を拝むことができなかった。噴煙が撮れなければ桜島に対する興味は薄れ、その後の興味は開聞岳に移っていった。対岸の大隅半島に行っているのに、このページの画像にも3回登場しているので、さもありなんである。

加治木JCTから東九州自動車道に入り、ここからは対面通行となる。延々と制限速度70`の区間が続き、車窓も変化のない山間なので眠くなってしまう。開通区間の末端である鹿屋串良ICで、この状態も終わるかと思いきや、大隅縦貫道という自動車専用道路がつながっており、鹿屋バイパスまで運ばれてしまった。


これでもかというばかりに欠航の案内がある根占港。ドック入りでなくても強風で欠航だったかも


凄まじい強風。道の駅錦江にしきの里にて


記憶の彼方に消えていたガジュマルの木


27年ぶりの北緯31度線の碑

鹿児島市内から見た鹿屋は「遠いところ」という印象だが、まだ大隅半島の付け根を少し進んだあたり。佐多岬までは60`もある。鹿屋市内から錦江湾まで出るのに結構な距離があり、そこから海岸線に沿って南下する。冬型の気圧配置となり、空には雪雲がかかるような天候。当然、季節風も強く、湾内といえども波しぶきが道路にかかるほどであった。道の駅「錦江にしきの里」に立ち寄ったが、道路沿いに植えられたヤシの木が、吹き飛ばされそうになっているのが印象的だった。その後、山川から海路で上陸する予定だった根占港にも立ち寄った。当然、欠航の表示だったが、もしドック入りしていなくても、この強風波浪下ではフェリーが運航していたか疑わしい状態だった。

再び国道269号線を南下。信号は少ないが、ところどころで片側通行の工事があり、そのたびに長時間の停車を迫られペースが上がらない。錦江湾と別れ、県道68号線に入り、いよいよ佐多岬が近づいてきた。そして待望の旧佐多岬ロードパークへと右折する。確か入り口に大きなゲートがあったはずだが、岩崎産業が撤退後、無料の町道となってしまったため、ゲートは撤去されたようだ。しばらくワインディングロードを走っていくと、今度は料金所の跡を通過する。料金所のボックスは撤去されており、センターラインの幅が広がっていることだけが、そこに料金所があったことを物語っている。そのままクルマを進めていくと、左手に北緯31度線のモニュメントが建っていた。

27年前、都井岬から乗った定期観光バスは、私ともう一人の初老の男性の2人の乗客を乗せて、このモニュメントの脇を通った。その当時、このような北緯○○度線を意識して通過するのは初めてだったので、地球の大きさに触れたようで、いたく感動したことを覚えている。さて31度線を越えれば佐多岬はもうすぐ。工事車両が目立つ駐車場に到着し、クルマを停めた。記念撮影用の日付の入った看板を従えた、大きなカジュマルの木があったが、この木に見覚えはなく、本当に27年前にここを訪れたのだろうかと半信半疑だった。

駐車場からトンネルをくぐって遊歩道へと歩を進めた。岩崎隧道という銘板を掲げたトンネルは、おそらく本土最南端のトンネルで、「岩崎」の名前はおそらく佐多岬を観光開発した岩崎産業からとったものだろう。


本土最南端のトンネル〜岩崎隧道


鬱蒼とした森の中に立つ御崎神社の鳥居


御崎神社の本殿は建て替えられたものか?


遊歩道からの景色に春を感じる


本土から50b沖の大輪島に建つ佐多岬灯台


開聞岳を背景に筆者〜佐多岬展望台にて


強風のため荒れ狂う海

アップダウンの激しい遊歩道を奥へ奥へと分け入っていくと、鬱蒼とした森の中に鳥居が建っていた。カジュマルとビロウジュの枝を掻き分けて階段を上っていくと、真新しい神社が建っていた。ここが御崎神社で、708年の創立というので1300年以上昔からある由緒ある神社である。27年前にもこの神社を見ているはずだが、全く覚えがない。本殿の屋根はピカピカで27年も経っている感じがしないので、あるいは近年建てかえられたのかもしれない。

神社から遊歩道をさらに登っていくと展望台があった。「工事中」という看板は遊歩道沿いにも何枚かあったが、「立入禁止」という表示はなく、展望台への階段にもトラロープの類はなかったので、構わずにずんずん入ってしまった。佐多岬の灯台は断崖絶壁の岬の沖にあり、大輪島という小さな島に建っていた。もちろん展望台から見下ろす形で一望できる。灯台の逆側には、洋上に浮かぶ開聞岳が遠くに見える。錦江町の道の駅や根占港では湾の対岸に見えていた開聞岳も、佐多岬まで来ると北西側の東シナ海上に見える。あらためて北緯31度線を越えて、本土最南端まで来たという実感が湧いた。

駐車場まで戻ってドライブを再開。鹿屋からここまでの道程は、気が遠くなるような距離だった。さすがに27年間も再訪せずに放っておかれた場所だなぁと感心したが、とにかく同じ道を鹿屋まで戻ることは避けたい。というわけで、旧佐多岬ロードパークの入り口である大泊の丁字路で左折せずに、来た方向と逆側の右にハンドルを切った。この道も県道68号線の続きだが、カーナビでは県道は途切れている。再び開通区間に出るには、林道か町道か分からない細い道で繋ぐしかないが、この道をクルマで通れるかどうかは行ってみなければ分からない。その後の開通区間も山越えの道で、場合によっては離合不可能な「険道」かもしれず、非常にリスキーな選択だった。

恐る恐る走ってみると、漁村どうしを繋ぐ海辺の景観が素晴らしい道だった。峠道ではセンターラインのない区間もあったが、そこは天竜区の山道で鍛えているのでどうということはなかった。バイパスのような道が、いきなり途切れたのには面食らったが、再び開通区間に戻るまでの道も、ちゃんとした舗装道路で、カーブミラーなども整備されていて、案ずることもなかった。で、県道に戻れば、またまたバイパスのような整備の行き届いた道路で、「スーパーハイウェイだ」と感じるほど快適に走れた。結局、信号も交互通行もないのでスイスイと鹿屋まで走り、佐多岬からの所要時間は1時間ちょっと。当然、国道269号を走るよりも時間がかからなかった。


旧ロードパーク沿いで見かけた野生のサル


小雪舞うかごしま空港ホテルにチェックイン


目覚めたら一面の雪景色〜ホテルの部屋より


新千歳空港と見紛う雪原とボーイング738


大阪からはプレミアム昼特急でゆったり帰る

鹿屋には15時半ころ到着したが、ここでようやく昼食タイム。実は食べるタイミングを探しているうちに外食産業のない辺地に突入してしまい、つまみとして持って行った魚肉ソーセージやらチーカマなどを運転しながら食べて、空腹感を満たしていたのである。ちなみに入った店はココイチ。鹿児島県の奥まったところまで来ておいて、この選択はないのかもしれないが、その時は単純にロースカツカレーが食べたかったのである。遅い昼食の後は、笠之原ICより大隅縦貫道に入り、往路と同じルートを加治木JCTまで戻った。そこから北上し、鹿児島空港ICで高速を下りたが、ここでそれまでの青空が一転して曇り空に変わり、雪が舞い始めた。レンタカーを空港の営業所に返した後、その日の宿であるかごしま空港ホテルまで歩いたが、まるで1か月前の秋田県湯沢市と見紛うような吹雪の中の行軍だった。なにはともあれ17時すぎにチェックイン。クルマの運転でアルコールが飲めなかった分、ホテルの部屋で痛飲した。

翌朝、6時過ぎに目覚めると一面の銀世界が広がっていた。一応「春のツアー」として南国鹿児島に出掛けてきたのに、また雪見の旅となってしまった。幸いなことに飛行機が飛べなくなるような積雪には至らず、1か月前に山形空港で遭遇した出来事の二の舞は避けられた。ANAのアップグレードポイントを使ってプレミアムクラスに変更し、伊丹までの1時間ちょっとのフライトは極上の時間を過ごすことができた。

伊丹空港に到着し、ほとんど旅は終わったようなものだが、今回はここからもうひとつ楽しみがある。大阪と東京を結ぶ東海道昼特急号という高速バスに乗車するが、予約便はプレミアム昼特急12号のプレミアムシート。1列+1列のアブレストでリクライニング角度は156度。どんなにリクライニングさせても後ろの席の人に文句を言われない余裕のシートピッチで、伊丹まで利用したプレミアムクラスをも上回る快適なシートである。大阪から浜松まで4時間ちょっとかかるので、忙しい人には向かないが、逆に6,000円を切る値段ながら豪勢なシートで浜松まで帰ってこれるので、時間がかかった方がお得ともいえる。備え付けのテレビを観ながら、優雅に高速道路を東上し、今年のSpring Tourの余韻に浸った。
<終>

旅と音楽のこころへもどる