The Passenger


373系ホームライナーで在来線をゆっくりと

今年の大寒は1月20日。一年で最も寒い時期に突入である。こんな寒い時期に行かなくてもいいのに、行きたくなってしまうのが北海道。逆に、こんな寒い時期に無理してやらんでもいいのにと思うのがセンター試験。でも、この季節の風物詩的な感じもあり、センター試験と聞くと、今を去ること30ウン年前に一度だけ受けた共通一次のことを思い出す。自分が当事者であった時には、共通一次を皮切りに入試シーズンに入り、「加藤友信 受験ツアー ’85」と題して、それほど面白くもないツアーに出ていたものである。で、その受験ツアーの旅のお供に作ったテープが「The Passenger」というタイトルである。もちろん「旅人」という意味もあるが、試験にパスするという意味を込めて名づけたテープである。あえて単数形にしたのは、「自分以外はみんなライバル」という了見の狭さを含んでおり、大学入学後はライバル同士だった奴と、一生涯の付き合いになる可能性があるということに気づかなかったのだ。

それはさておき、今回の旅のタイトルを押入れの隅から引っ張り出して「The Passenger」としたので、旅のBGMもこのテープ(もちろんmp3に変換済だが)を中心に据えたい。まずは1曲目のトト「ゴールデン・ガン」を聞きながら浜松駅を出発。この曲はトトの3作目のアルバム「ターン・バック」に収録されているが、高校受験のころよく聞いたアルバムなのでテープのトップに置いた。軽快なロックで始まるのが「ターン・バック」らしい。さて、いつもなら新幹線に乗るところだが、コストを考えて373系ホームライナーで静岡に向かう。静岡〜名古屋間の在来線に特急列車が無くなって久しいが、ホームライナーに乗ると新幹線と並行する在来線にも特急列車があってもいいような気がする。日本でいえば小倉〜博多間、外国でいえば台湾のように。まぁここは新幹線も在来線も同じ会社だから、100%実現しないだろうが。


鯵と小鯛の弁当といえば大船軒

静岡で新幹線に乗り換え三島へ。ご存知の方も多いと思うが、特定区間の新幹線自由席特急料金は、かなりお得である。まずは熱海に行きたいのに三島であえて降りるのもそのためである。三島から静岡名物313系ロングシートの激混み3両編成に乗って熱海へ。どうせほとんどトンネルだからロングシートでも少しも困らない。で、ようやくアプローチ区間が終了。ここからは「大人の休日倶楽部パス」を使って好きな列車に乗れる。

熱海で大船軒の押し寿しを買って伊東線ホームへ上がる。ちょうどリゾート21「キンメ電車」が入線してくるところで、運転席かぶりつきのシートを楽々と確保した。リゾート21に乗るのは1988年1月以来ちょうど30年ぶり。その後「一生の友人」となった学友と一緒に行った伊豆旅行で乗って以来である。さてリゾート21が登場したのは1985年だから、もう33年前のことである。それにしては前面展望車や独特のシート配列など、現在でも立派に観光列車として通用し、運賃だけで乗れる列車としては依然としてトップクラスの車両である。学生時代の旅行の途中で、席取りなどで連れを振り回してでも、どうしても乗りたかった気持ちが良く分かる。

伊豆急下田まで、各駅に停まりながらゆっくり走って1時間40分。駅で交換する列車も多彩で、スーパービュー踊り子や185系踊り子はもとより、伊豆クレイルやロイヤル・エクスプレス等の新参者も加わりテンションが上がった。もちろん元東急車の8000系も最大6連で走っており、その一方で僚友の黒船電車ともすれ違い、伊豆急自身の車両も負けてはいない。ふと気が付けば、長いトンネルを抜けて稲梓に停まっており、アッという間に終点に到着した。

さて伊豆急下田駅だが、伊豆急に乗ってここに来たのは、小学生の時以来記憶がない。クルマではこの駅前を何度も通ったことがあるが、それほど伊豆急に縁遠かったということである。それはさておき、もともと旅程の中に下田往復の予定がなく、今月になってから出発日も休みという交番になったので、急遽組み入れた伊豆急の旅。下田に来てもなんの予定もない。帰りは185系に乗りたいので、空いていそうな季節列車に狙いを定ており、下田での滞在は51分という中途半端な時間となった。駅前のロープウェイ乗り場に行ってみたが、往復して終わりになりそうなので断念。稲生沢川のほとりの桜並木で時間をつぶした。川の広さは違えど、地元で「冬の散歩道」と呼んでいる場所にそっくりである。そういえばバングルスの「冬の散歩道」が流行ったのは30年前のちょうど今頃だった。今月の「30 Years Ago Now And Then」でも触れているので、そちらもぜひ…。

伊豆急下田駅に戻り、185系特急の踊り子110号に乗車した。昨年185系が数年以内に引退するというニュースがリリースされたが、この車両の登場は1981年。急行伊豆などに使用されていた153系の置き換えとしてデビューした。アコモデーションは、2扉デッキ付き転換クロスシートだったので、急行として使用するにはいいが、特急として使用するのは見劣りするということで「遜色特急」とも言われていた。一方で内装とは裏腹に、ボディーの塗り分けは当時斬新だった斜めの緑の三本線。近年ではその塗色も復活しているが、長い編成で走っていると相変わらず美しいなと感じる。いずれにせよ、鉄道趣味を始めてからデビューした車両が引退することが多くなってきた。惜別の思いをこめて「これで185系に乗るのは最後!」という気概で乗車した。車内に入れば、登場時の転クロシートは、リニューアル時にリクライニングシートに交換されており、まぁまぁ快適になった。一方で窓枠には開閉金具が付いていたりして、デビュー時のお里が知れる。始発から終点まで自由席で過ごしたが、かえって指定席より空いており、心地よい時間を過ごせた。

冬の日差しを浴びて、伊豆の東海岸を北上する。既に往路よりアルコールを解禁しており、伊東を出るころにはすっかり酔っぱらっていた。「The Passenger」もB面に入っており、アバの1980年リリースのアルバム「スーパー・トゥルーパー」に収録されていた「ザ・ウィナー」が流れてきた。185系が登場したころとほぼ同時期のヒット曲で、アバとしてはピークを過ぎた後の曲である。「肉は腐りかけが旨い」というけど、私にとってはアバの曲の中で最も好きな曲である。私が洋楽を聞き始めたころは、日本でもアバの絶頂期で、ラジオのカウントダウン番組ではいつもアバが最後の方にかかっていた。それを聞いて「またアバかよ〜」と感じたものである。しかしディスコブームが終わり、アバの人気に陰りが見えた頃に聞いた、この抒情的なバラードに心を打たれた。失恋の歌詞のようでいて、アバのこの先を暗示しているかのような歌詞がいい。結局、アバはこの後アルバムを1枚リリースして解散した。この曲の背景と185系の引退が重なり、私は目頭が熱くなった。

下田を出発して2時間50分。始発から終点まで乗り通し、185系にはいい供養になった。夕刻の都会の雑踏に揉まれながら東北新幹線ホームに向かった。あとは仙台に行って泊まるだけなので急ぐ必要はない。大宮〜仙台ノンストップのはやぶさは1時間半で仙台に着くけれど、この時間帯は1時間に1本しか走らないから満席必至である。それなら2時間ちょっとかかるけど、少しでも空いている仙台行きのやまびこに乗ろうと指定席を取っていた。しかし日曜夕方の東北新幹線を甘く見てはいけない。東京発車時点で既にほぼ満席となってしまった。まぁやまびこという列車は福島県民特急のようなものなので、ほとんどの乗客は郡山か福島で降りてしまうのだが…。


おそらく30年ぶりのリゾート21は「キンメ電車」


運転席かぶりつきで伊豆急下田に向かう


リゾート21と185系の並びもいつまで続くか


もしかしたら小学生以来の伊豆急下田駅


稲生沢川のほとり桜並木の散歩道で筆者


これが乗り納めとなりそうな185系「踊り子」


かつては転換クロスシートだった車内


日曜日の夕方17時発のやまびこ149号


早暁の仙台駅ビル。当然氷点下

仙台の宿は、もはや定宿となっているANAホリデイ・イン仙台。昨年も同じ時期にアワード宿泊したが、今年もポイントを利用しタダで泊まった。仙台駅から徒歩圏内であり、部屋もまぁまぁ広いのにアジアのホテル並みに低いポイント数で泊まれるので、仙台に来るといつもここに泊まってしまう。今後、大人の休日倶楽部パス利用で東北にちょくちょく来ると思うので、継続的に利用することになると思う。

翌朝は新幹線の下り始発に乗車するため、6時15分ころにチェックアウト。夜明け前の真っ暗な仙台駅東口の通りを、寒さに凍えながら駅に向かった。さすがに浜松に比べて冷え込みがきつく、外を歩いたのは10分にも満たなかったが、身体の中まで冷え切った。仙台駅の新幹線ホームに上がると、ちょうど乗車予定のはやぶさ・こまち95号が入線してきた。紫色のラインをまとった希少種H7系で「さぁこれから北海道だ!」という気になる。しかし意気込んでも乗車する列車は最鈍足の「はやぶさ」で、新青森までは各駅停車するうえに、北海道新幹線区間の2駅は通過するものの、半分は160キロ運転である。というわけで仙台〜新函館北斗間は3時間26分もかかってしまう鈍足ぶりである。

仙台を出発してしばらくすると、進行方向右側の窓にようやく太陽が昇ってきた。どこかで見た風景だなと思ったら、1か月前の大宮発車直後のシチュエーションと同じことに気が付いた。その後、列車は丁寧に駅に停まっていくが、私は朝早かったので居眠りモード。気付いたら盛岡駅手前だった。盛岡を出てしまうと整備新幹線区間なので制限速度260キロにダウンしてしまい、余計にトロく感じてしまう。長いトンネルの後に来る雪原の照り返しに四苦八苦しながら新青森に到着。そして青函トンネルをゆっくりくぐり北海道に上陸。下田から地べたを走ってここまで到達したかと思うと、普通に飛行機に乗って来たのとは違って感慨深い。そうこういっている間に列車は終点の新函館北斗に到着した。

新函館北斗でキハ281系のスーパー北斗7号に乗り継ぐ。都市間速達を目指して導入されたキハ281系も、登場以来四半世紀になる。国鉄時代に導入されたキハ183系はようやく退役が決まったが、こちらの車両はまだまだ使いそうである。とはいえ、北海道の厳しい環境下で酷使された車両をメンテナンスをしながら使おうとすると、コストのかかり方が半端ではない。経営環境が厳しい中で、高速列車を維持するために保線をし、車両を維持しないといけないので、ここ数年の間に起きたJR北海道の事故に多少同情したい気持ちになる。それでも鉄道という商売は、安全に運ぶことが第一なので、上下分離とかJR東日本の子会社化とかを検討し、経営面での不安を一掃できないものか。まぁ仮にそんなことになったらJR東日本の株主はだまっていないと思うが。

どうもJR北海道の使い古された車両に乗ると、そんなことばかり考えてしまうが、冬景色の北海道はそんな暗い話を吹き飛ばすほど美しい。特に函館からすぐの場所にある大沼公園と駒ヶ岳は、北海道を訪れた旅行者を歓迎するように車窓に現れ、私の好きな北海道の風景のひとつである。思い出深い森駅で駒ヶ岳に別れを告げると、次は噴火湾が車窓の友になる。遠く室蘭の地球岬が対岸に見え、噴火湾の広大さを知ることになる。線路が海沿いから離れると長万部。ここでいったん下車し、お昼休みを兼ねて山線の鈍行列車を待つことにする。


仙台駅下り一番列車のはやぶさ・こまち95号


1ヶ月前の旅と同様、新幹線車内で日の出


陸路北海道に入ればいつも駒ケ岳がお出迎え


スーパー北斗で噴火湾沿いに長万部に向かう


登場後かれこれ四半世紀のキハ281系


長万部駅前にはH7系のモニュメントが鎮座


味噌ラーメンがなく醤油で妥協


雪深い山線を象徴するニセコ駅

冬の北海道は何度も来ているが、必ず出不精になってしまう。暖かい車内で雪景色を見ている分にはいいが、いざ駅に降り立ち周辺を散歩しようと思っても、なかなか歩が進まない。寒いということに加えて、雪道が歩きにくいということが原因かと思う。今回、長万部でも1時間45分の接続待ちがあり、街歩きするには十分すぎるほどの時間であったが、結局はラーメン屋の往復に終わった。その距離わずか片道400メートル。「北海道の味噌ラーメンはどの店も旨い」という信念でラーメン屋に入ったが、味噌はメニューになかった。仕方なく醤油で妥協したが、有楽街の「みやひろ」みたいな味だった。

ラーメンを食べ終わり、店を出たところでちょうど正午。まだ発車時刻まで1時間以上ある。駅の裏側に「長万部温泉」の文字を見つけたが、近道とされる歩道には雪がこんもりと積もっていた。これでは遭難しかねないと思い断念。おとなしく来た道を駅に戻った。結局、長万部の街歩きを1キロもしないまま駅の待合室に戻り、スマホをいじりだす。北海道に旅に来たのか、スマホをいじりにきたのか分かんなくなってしまった。

そんなこんなで時は過ぎ、ようやく倶知安行きの改札が始まった。久々の山線ということで心が躍るが、列車の方はキハ150。北海道のキハ40なら急行型車両の面影があり、この旅に相応しい列車だと思ったが、軽快気動車のキハ150では旅情が薄くなる。まぁ新しい車両の方が(とはいえ25年選手であるが)地元の人たちにとっては有難いだろうが、今日に限っては旅行者ばかりが席を埋めている。列車は定刻に発車。右側に室蘭本線が遠ざかり、いきなりローカル線然とした貧弱な鉄路に変わる。その昔はC62三重連の急行ニセコなど、東海道線に匹敵する軸重に対応した線路も、ワンマン気動車ばかり通う路線となったからには、保線もそれなりである。

さて山線といえば楽しみなのが車窓の山々。進行方向右手には羊蹄山があり、左手にはニセコアンヌプリを望めるというロケーションで、これは今も昔も山線のハイライトとなっている。しかし長万部を出た頃から空を雲が覆いだし、見通しがきかなくなってきた。昆布あたりでニセコアンヌプリの裾野が見え、倶知安手前で羊蹄山の裾野がかろうじて見えたが、こんなんじゃ山線を半分も堪能できていない。「旅の宿ひらふ」の宿泊客見送りの様子が見られたのが救いだった。

倶知安で列車が変わり、待ち合わせ時間は21分。改札を抜けて喫煙所で一服し、すぐにホームに戻り次の列車の列に並んだ。長万部〜札幌間の山線区間で、唯一の余裕時間がある駅だけに、こちらも必死である。目論見どおり、進行方向左手の1人掛けシートを押さえることができて一安心。先ほどまで乗車したキハ150とは違い、こちらは固定窓で窓が大きく気分がいい。後で調べてみると固定窓は冷房付きで苗穂運転所所属。一方、窓が開く車両は非冷房で苫小牧運転所所属ということで、冬季のみキハ40に代わって走るらしい。倶知安で乗り換えを強いられるのは、日本海側と太平洋側の車両をそれぞれ持ってきているからである。

さすがに札幌都市圏の小樽行きということで、駅ごとに乗車があり車内が混んできた。余市を過ぎると日本海沿いの防風林が見えるものの、実際に海が見えたのは小樽到着直前だった。小樽で快速エアポートに乗り換え札幌へ。あらかじめ指定席uシートを確保していたため、横座りロングシートが基本である733系でもしっかりと旅情を楽しめた。札幌では1時間52分の空き時間。ご存知のとおり札幌駅周辺は、外に出なくても十分に楽しめるようになっており、ここでは長万部のように出不精になることはなかった。


ミラーが正面にかぶり撮影失敗の典型例


かろうじてニセコアンヌプリの裾野が見えた


今や「旅の宿ひらふ」の方が有名な比羅夫駅


倶知安到着前に羊蹄山が裾野だけ見えた


今も昔も山線の要衝である倶知安駅


小樽行きもキハ150だが、こちらは固定窓


余市と小樽の間で日本海が車窓をよぎる


横座り主体の733系だがuシートを押さえた


室蘭の宿はホテルベイサイド室蘭


ホームライナー的位置づけのすずらん10号だが


最終日、室蘭を出発したのも夜明け前

さて今回の旅で最も楽しみにしていた列車が、これから乗車する室蘭行き特急すずらん10号である。東室蘭まで特急電車として走り、末端部はそのまま普通列車になって室蘭まで行く。札幌〜東室蘭間はスーパー北斗もひっきりなしに走る中で、このマイナーな特急列車の存在意義を確かめたかったのである。札幌発車時点で指定席の乗車は数えるほど。5両編成のうち自由席が4両もつないでいるので、私もおときゅうパスを買っていなければ自由席を選んだだろう。札幌を18時54分に発車するので、ホームライナー的な利用のされ方をするのかなと思ったが、南千歳までの乗客は快速エアポートのuシートの方が安くて頻発するので、そっちを選ぶだろう。というわけで客層は、苫小牧、登別、室蘭に会社のある札幌出張のビジネスマンか、札幌への用務客ということになる。これでは空いているのも無理はない。

札幌を発車したところから、私は空いているのをいいことに「走る居酒屋」を開店させた。札幌〜室蘭間の所要時間は1時間43分と、「居酒屋」を開くには手頃な時間である。満員の通勤電車を横目に、ゆうゆうと水割りを飲んでいるとちょっとした優越感を味わえる。これこそが旅の醍醐味だなぁと感じた。その後、苫小牧で大量の下車があり、車内は閑散とする。苫小牧を出発後は、白老、登別と停車し、東室蘭の2つ手前の幌別からは各駅に停車していく。東室蘭の直前では、まるでここが終着駅かのようにハイケンスのセレナーデのチャイムが鳴り、車掌による放送があり「本日はご乗車いただきありがとうございました」と結ぶ。この列車の終着駅は室蘭なのに…。東室蘭を出ると自動放送だけとなり、本当の終点の室蘭へ向かう。室蘭まで乗り通したのは数えるほどの人数だった。


昨夜同様785系の普通列車で室蘭を出発


朝一番に札幌を出るスーパー北斗はガラガラ


新函館北斗駅でかにめしをゲット

翌朝は風の音で目覚めた。昨日の夕方、首都圏に大雪を降らせた低気圧が、北海道に接近しているらしい。予定通り6時56分の札幌行き普通列車で室蘭を出発。昨夜と同じ785系で、東室蘭より特急すずらん3号になる列車である。東室蘭で函館行きのスーパー北斗2号に乗り継ぐ。お楽しみは日本一の秘境駅といわれる小幌駅を見ることだったが、隣駅の礼文以降トンネルを出るたびに注目するも、結局みつからないままだった。次回北海道に来るときには、列車に乗りまくるだけの旅をやめて、未訪の秘境駅を訪ね歩く旅にしてもいいかなと思った。

さて天気の方は南に下るほど風雪が激しくなり、5分遅れで新函館北斗に到着。急いでかにめしを買い込み、はやぶさ16号に乗車した。しかしこの列車、遅れなくても東京まで4時間33分もかかるのだが、雪の影響で信号設備が故障し、最終的に40分遅れで東京に到着。満席の普通車で5時間以上も缶詰になるのは、まさに地獄。おときゅうパスの東日本・北海道版は、はやぶさ往復が必須となるだけに、今後は北海道だけにするとか、ちょっと考えないといけないなと思いつつ、700系こだまの車内で反省会を開いた。


東京を困らせた低気圧が道南付近を通過中


森駅は雪の中。吹雪で駒ケ岳も見えない

<終>

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