冬から春にかけて、着実に季節は進んでいくのだが、時折順番が逆になることもある。2月にオホーツク沿岸に流氷を観に行った時は、季節外れの暖かさのために流氷が観られず、無念だった。そして今回、季節を先取りしようと思い計画した宮古島と那覇への旅は、季節が逆戻りしたような寒さだった。

2004年3月6日土曜日、エアーニッポン711便は、関西空港出発から2時間半で宮古島上空に差しかかった。奄美群島あたりから足下に雲が広がり始めていたので、いやな予感はしていたが、高度を下げると雨の筋が窓を斜めに横切っていった。毎年恒例のSpring Tourは季節の変わり目の旅であるため、雨に見舞われることが多いが、せっかくの南の島なのに、陰鬱な空の下で過ごすのは、何か損をしたような気分になる。

宮古空港でレンタカーの手続きをして、建物の外に出てみると、風が強く、予想外の寒さだった。7年前のちょうど今頃、沖縄本島を旅したときには、海で泳げるほどの気候だったので、今回も初夏の服装で来たが甘かったようだ。

急いでレンタカー(ダイハツ・ムーヴ)に乗り込み、地図も見ずにクルマを走らせた。特に行き先も決めずに「海に出たら海岸線沿いに一周しよう」と思いながらクルマを走らせていたので、15分も走ると方角も位置もあやふやになり少々焦った。しかし左側に海が見えはじめたので、「このまま海沿いに行けば、どこか岬に出るだろう」と、かなりいい加減なドライヴだった。

やがて「西平安名崎 ○`」という道路標識が出現し始めたので、最初の行き先は西平安名崎に決まった。岬に着くと、空港を出たときよりもずっと風が強く、風速10bは軽く出ている感じである。それでもウインドブレーカーを着ずに、なんとか過ごせるくらいの陽気だったが…。あまりの風の強さに早々に退散し、宮古島と橋でつながっている池間島に向かった。


ANK711便で宮古島上空を飛ぶ


風の強い西平安名崎より池間島を望む


宮古島の北端・池間大橋のたもとにて


迷いながらも島尻マングローブ林に到着


ベトナムのメコンデルタを思わせる風景


マングローブは根に特徴あり

池間大橋を渡って、対岸の池間島を一周したが特に何もなく、池間大橋のたもとの浜辺の美しさが唯一目立ったくらいだった。

次に向かう場所は、島尻のマングローブ林である。島尻集落には5分くらいで着いたが、マングローブ林への案内が皆無で、かなり行ったり来たりを繰り返した。宮古島の観光スポットは、おしなべてこんな感じで、観光で身を立てるのなら、案内板の整備はちゃんとした方がいいのではと感じた。


比嘉ロードパークより太平洋を望む


東平安名崎の入り口にてレンタカーとともに


宮古島の南東の端・東平安名崎灯台


箱庭のようなイムギャーマリンガーデン

マングローブ林は、それこそ本土ではお目にかかれないもので、とくに、枝振りの良い(?)根に感心しながら散策した。それにしても、案内板が整備されてない割には、立派な遊歩道である。なんか、お役所仕事的な匂いを感じとった。かえりしなに、水際まで降りて佇むと、なにかベトナムのメコンデルタにいるような錯覚を覚えた。かなり日本離れしたスポットで、充足感とともにクルマに戻った。

クルマに乗り込み、東海岸沿いを南下した。次の目的地は、宮古島の最東端の東平安名崎である。島尻からは30`ほど離れているが、道路に信号がないので時間が計算しやすい。平均60q/hで走ったとして30分で着く距離である。途中「比嘉ロードパーク」というトイレ付きの休憩所があったので寄ってみた。晴れていて、風がおだやかならば、景色がよく時間も潰せるだろうが、下手をすればすっとばされそうな強風が吹き荒れており、早々に退散した。

イムギャーマリンガーデンの海の色に見とれる


来間大橋のたもとにて筆者


東平安名崎もすごい風だった。16時を少し回ったところで、夕暮れも近づき、さすがに冷え込んできた。宮古島には不似合いのウインドブレーカーを羽織って、灯台までとぼとぼと往復した。もとより観光気分は失せ、なんか特訓を受けているような感じになってきた。滞在20分くらいで、さっさとクルマに逃げ込んだ。

次のポイントは、レンタカーを借りるときに貰った観光パンフレットを見て、一目ぼれをした「イムギャーマリンガーデン」である。例によって、まったく案内板が出ておらず、海岸線を行ったり来たりしたが、なんとかたどり着いた。昨夏の台風で、あずまやなどに損害が出ており、トラロープが張り巡らされていた。どうも旅気分をそがれるようなことが多いが、展望台に登ったら、そんな思いも吹き飛んだ。エメラルドグリーンの海に、箱庭のような風景。晴れていれば感動もひとしおだろうが、曇っていても十分満足だった。

来間島・竜宮城展望台より来間大橋を望む


来間大橋は快調なドライブコースだった


宮古島での時間も残り少なくなってきた。続いてのポイントは、宮古島の南西部から橋でつながっている来間島である。立派な来間大橋への宮古島側の取り付け道路が貧弱で、「ホントにこの道でいいの?」と半信半疑でクルマを走らせた。

来間大橋は海の上を渡り、フロリダのセブンマイルブリッジを思わせる(行ったことはないけど…)。来間島は、さしずめキーウエストといったところだが、もちろんそんなハイカラなところではない。道幅の狭い島内一周道路を、軽自動車の利点を生かして、10分そこそこで走り抜けた。来間島に来て、クルマから一歩も降りませんでした…ではシャレにならない。私は、島の入り口に近い竜宮城展望台で、来間大橋や対岸の前浜ビーチなどを遠望した。珊瑚礁の海は曇り空を映していて、これが晴れていたら、どんなに綺麗だったろうと天気を恨んだ。


前浜ビーチにレンタカー「ムーヴ」を停めた


これで天気が良ければ最高のビーチなのに

宮古島に戻り、夕暮れ迫る18時少し前に、有名な前浜ビーチに到着した。あいかわらずの曇り空であったが、浜辺に出てみると「青い海、白い砂」の世界で、あまりの景観に言葉を失った。飛行機の時間が迫る中、ホームページ掲載用の画像を、セルフタイマーで苦労しながら撮ったりしていた。

宮古島での時間はこれで終了。レンタカーは、わずか5時間使用しただけで返却した。宮古島は、それほど広くない島なので、2〜3人までの旅行だったら、軽自動車で十分だと感じた。空港に戻り、エアーニッポン178便で那覇へ移動。初乗りとなる「ゆいレール」で、今夜の宿に向かった。



世界遺産に腰掛けていた!?


早朝の守礼門の前で悠々と記念撮影


首里城開門までここで競馬の予想を


中国の影響を感じる首里城の建物群


分かりにくいが奉神門の前に「首里」の花文字

翌3月7日は、えらく早く目が覚めてしまった。1泊5,100円の安ホテルの部屋で、うだうだしているのも勿体ないので、6時半ころチェックアウトした。最寄のゆいレール・牧志駅へは徒歩3分。800円の一日乗車券を購入し、那覇でのミニトリップがスタートした。初乗り区間が200円なので、1日4回乗り降りすればモトがとれる計算である。

日本の西の端の沖縄は日の出が遅く、まだ明けきっていない。まずは首里方面の下り電車に乗車し、首里駅到着と同時に昨夜の分とあわせて「ゆいレール完全乗車」となった。



きらびやかな正殿の御差床


洗面所の蛇口も龍をかたどっているとは!!


開門時刻には口上を述べ鐘を叩く


沖縄サミットの宴が開かれた北殿


御庭のボーダー模様は整列の目印

駅から徒歩10分ほどで首里城エリアに到着した。朝7時を回ったばかりで、観光客は皆無。歩いているのは職員の人か近所の人くらいだった。昼間では考えられないガラガラな状態なのをいいことに、ゆうゆうと守礼門の前でセルフタイマーを使って記念撮影ができた。

さぁ城内に…と思ったが開門時間は8時半。まだ1時間以上もある。駅に戻るのもかったるかったので、道路わきの階段に腰掛けて競馬新聞を広げた。まさか、私の背中にある古びた門が「世界遺産」(園比屋武御嶽石門)だとは夢にも思わなかった…。



たくさんの龍がいる正殿の装飾

8時半前に城門が開き、とりあえず“無料観覧エリア”に入ることができた。まだまだ数えるほどしか観光客がおらず、オリエンタルな雰囲気の建造物を落ち着いて眺めることが出来た。中国の影響が色濃い建物が立ち並んでいた。やはり龍が縁起物だったらしく、建物の至る所に龍の装飾が施されている。トイレの洗面所の蛇口でさえ龍の口という徹底ぶりである。

やがて観光バスが続々と到着し、奉神門前の広場には“有料観覧エリア”の開場を待つ人並みでいっぱいになった。開門時間の9時には、琉球王朝時代の官吏の衣装をまとった人達が奉神門に並び、口上を述べた後、鐘を打ち鳴らして観光客を受け入れた。

人並みにもまれながら中に入ると、赤と白の縞模様の敷石が目に飛び込んできた。奉神門、南殿・番所、正殿、北殿と四方を建物に囲まれた御庭の広場は、琉球王朝時代の儀式の時に官吏たちが位の高い順に並ぶ場所だった。並ぶ目印のために、このように縞模様に石を敷いたようである。


修学旅行の学生などでごったがえす正殿


ゆいレールはワンマン運転だった

南殿は所蔵品の展示がなされているだけだったので、足早に通り過ぎ、順路にしたがって正殿に上がった。まず目に飛び込んできたのは、きらびやかな御座床(国王の玉座)だった。私のデジカメは暗所に弱く、右上の画像では十分に表現しきれていないが、金箔やら漆やらをふんだんに使った豪勢なつくりだった。首里城に行って、見学時間が十分にとれなかったとしても、これだけはじっくり見るべきだと感じた。

北殿は、中国からの使者を接待する場所でもあったようだが、沖縄サミットが開催された時にレセプションが開かれた場所でもある。北殿が、時を超えて同じ目的で使われたことに少なからず驚いた。もっとも今現在は、お土産屋などに使われていて、当時の面影は薄くなってはいるが…。

見学コースを順に回り終えて、御庭で一息いれた。修学旅行生たちが思い思いに記念撮影をしている。私も正殿を背景に、自分をデジカメに撮りこんだ。あらためて首里城正殿を振り返る。距離的に琉球が、日本よりも中国に近いということが実感できる文化遺産だと思った。


首里駅よりミニトリップ再開


運転台の直後は格好の展望席だった


牧志駅を後にするモノレール


牧志駅は3回目の乗降


アジアンテイストを楽しめる国際通り


牧志駅から徒歩でつないで県庁前駅へ


国際通りの入口に鎮座


首里駅に戻り、ゆいレールを使ったミニトリップを再開した。始発駅からの乗車ということで、難なく運転席直後の「展望席」を確保できた。ゆいレールの車内は、基本的にロングシートだが、前後の車端部だけ枕木方向のシートがある。進行方向順向きのシートは2人掛け×2の4席だけで、今まで鉄道に縁遠かった子供たちに大人気である。

国際通り散策のため、私はふたたび牧志駅で降りたが、牧志のひとつ前の駅で子供らに「特等席」を譲った。この子らの中で、少しでも将来鉄道好きになる子がいたらいいなと思いながら…。


県庁前駅に下り首里行き電車が進入


沖縄悲願の鉄道である「ゆいレール」

国際通りは英語放送のAFN(American Forces Network=米軍放送=旧FEN)が良く似合う。特に那覇は日本で唯一のFM放送であり、私は89.1MHzにダイヤルを合わせた。最新の「50セント」のラップから、懐かしい70年代・80年代のクラシックロックまでジャンル関係なしでバンバンかかる。その昔、私が洋楽に興味を持ちはじめた頃、FM愛知で「USAラヴ・ミラージュ」という番組を聴いていたが、ネット局クレジットの最後に「…そして極東放送をネットしてお送りしました」とやっていた。その頃から沖縄のFENに興味を抱いていて、那覇訪問の際には必ずエアチェックする次第である。

国際通りでホワイトデー対策のお土産を買い終わり、今回の旅でしなければならないことをあらかた片付け、肩の荷が降りた。ホテルでもらった散策マップによると、国際通りを南に入ったところに「牧志公設市場」という施設があり、興味をそそられた。実際に訪れてみると、台湾か香港あたりの猥雑な市場そのもので、日本に居ながらにしてアジアンテーストを楽しめるスポットだった。ラジオは英語、街並みはアジアと、ごった煮のエキゾチックな感じが、沖縄ファンにはたまらない魅力だろう…。


レールの向こうには空港と海が見えた


日本最南端の駅・赤嶺駅








琉 球 早 春 賦

The End

日本最西端の駅・那覇空港駅がこの旅の終焉

国際通りを端から端まで歩いて、県庁前駅から再びゆいレールに乗車した。旅は終わりに近づいてきた。一日きっぷの利点を生かして、もう一駅途中下車したい駅がある。それは日本最南端の駅となった赤嶺駅である。沖縄に鉄道がなかった去年までは、日本最南端の駅といえば鹿児島県の指宿枕崎線・西大山駅で、私もたびたび訪れている。しかし新しく王座に就いた赤嶺駅には初訪問である。私は、何か最南端を示すものを入れて記念撮影をしたいと思い、ホームやら改札口やら窓口やらをくまなく探したが、まったくもってそういった表示は一切なかった。ゆいレール自身は、自分を「鉄道」とはみなしてないのかもしれない。私は仕方なく、駅名表を背景に記念写真を撮った。

赤嶺駅からゆいレールに乗れば、終着・那覇空港までは一駅・4分の距離である。カーブの向こうには、那覇空港を離陸する旅客機が見える。そしてその背後には青い海が広がっている。皮肉にも旅の終わりになってはじめて日が差してきた。つくづく今回の旅は、天候運がなかったと思った。やがて電車は日本最西端の駅・那覇空港駅に到着した。ここが、短くも内容の濃い旅の終焉の地である。春は名のみの、寒さに震えた旅だった。


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