Epilogue Of The Summer
名阪特急の新鋭「ひのとり」

今年の夏はヘンな夏だった。梅雨明けが8月にずれ込み、その後は記録的な猛暑。ついには浜松で史上最高タイの41.1℃を記録した。もちろんコロナ禍ということもあって、例年の夏とは全く違う夏を過ごしている。一方で、恒例となっている夏の終わりの旅に出たいなぁと思い、日々発表される感染者数の報道に一喜一憂。特に大阪での感染拡大には「こりゃ旅に行けないかも…」と悲観的になったりした。結局、感染第2波は8月初めがピークで、徐々に感染者数も減り、政府で推し進めている「GoToトラベルキャンペーン」にお墨付きをもらう格好で、今年も夏の終わりの旅に出ることにした。もちろん感染対策には細心の注意を払ってではあるが…。

それにしても今年初めまでは、ありがたみをさほど感じていなかったことが、このごろは新鮮に感じる。たとえば豊橋から名古屋まで、名鉄のミューシートに座って移動するだけでも「旅をしているなぁ」って感じがする。ましてや近鉄の名阪特急車両としてこの春デビューした80000系電車「ひのとり」に初めて乗るとなれば、嬉しすぎて前の晩も眠れなかったくらいである。近鉄名古屋駅の地下ホームで入線前から待ち構え、その深紅の車体がホームに据え付けられる様子を撮影。まぁ写真を撮っているのは私だけではなく、おおよそ鉄道ファンでなさそうな若い女性ですら入線の模様を撮影していたが…。


深紅の車体が佇む名古屋駅地下ホーム


プレミアムシート最前列からの前面展望

先頭車のプレミアムシートの最前列を予約しており、前面展望を難波までの2時間にわたって心ゆくまで楽しんだ。自粛ムードがなければプラチナチケットだろうが、コロナ禍のため先頭車には私も含めて3〜4人しか座っておらずガラガラである。列車は空いていれば空いているほどありがたいと思う性質だが、これほど空いていると近鉄の経営は大丈夫かと思う。鳴り物入りでデビューした「ひのとり」だが、名阪の移動の時間が「くつろぎの時間」として評価されるのは、この感染症の騒ぎが収まった後になるだろう。

終点の大阪難波まで乗り通し、地下道を通って南海の難波駅へ。ひのとりの到着時間が12時08分、南海特急サザンの出発が12時20分で、難波の地下道を12分で歩くのはしんどいだろうと思い、その後の12時50分発を予約していたが、12時20分発に間に合ってしまった。とりあえず普通車に乗り込み、車内で予約を変更。天下茶屋12時24分発で予約を取り直し、指定席車に移動した。南海のサザン号は新しい車両と従来の車両が混在していて、この列車は新しい方。車体の横に「Southern Premium」と書かれており、従来車よりシートの掛け心地が改良されている。予約変更でわちゃわちゃしたが、堺を発車する頃にはプレミアムなシートの座り心地を存分に堪能していた。

尾崎を出ると車窓右手に海が見え始め、ほどなくみさき公園に停車。ここで多奈川線に乗り換えるために下車。多奈川線は2.6Kmとごく短い路線だが、一応初めて乗車する線区なのでわき見厳禁である。2つめの深日港駅ホームの上屋が年代物で雰囲気がいいので、いったん終点の多奈川まで乗り通した後、歩いて深日港駅に戻った。かつて淡路島や徳島へのフェリー連絡でにぎわった駅らしいたたずまいで、臨時改札口は駐輪場になっていたが、往時の雰囲気を残していた。駅から港へは100mほどで、真っ青な大阪湾を眺めながら、しばし時を忘れた。

深日港からみさき公園に戻り、特急サザンを捕まえた。今度は従来車で、シートは昔の国鉄特急っぽいやつだが、例にもれずガラガラで、感染予防料金として520円を追加したと思えば痛いとも思わない。難波に到着し、再び地下道を通って近鉄・阪神の大阪難波駅へ徒歩連絡。阪神なんば線で尼崎に出て、本線を走る直通特急に乗車。阪神伝統の赤胴車で神戸三宮へ移動。夕方のラッシュ時間にはまだ早い時間帯だが、割と車内は混んでいた。

三宮から地下鉄で一駅移動し、神戸の常宿(?)となっているANAクラウンプラザホテル神戸にチェックインした。今回は株主優待割引にプラスしてGoToトラベルキャンペーンの補助を受けて、1泊ルームチャージが5,668円と格安で泊まれた。そのためなのかどうなのか、部屋の方もそれなりの内容で、神戸の夜景が一切見えない六甲山側。新神戸に停車する新幹線が小さく見えるトレインビューだったのが救いだった。

翌朝は朝5時半にチェックアウト。本来なら朝9時頃ゆうゆうチェックアウトすれば良かったが、神戸→松本のFDA便がコロナ流行拡大のため欠航となり、伊丹7時45分発のJ-AIR便に振り替えとなったのである。神戸三宮を6時に発車する快速急行に乗車し、十三で宝塚線に乗り換え。通勤ラッシュにはまだ早いらしく、いずれもシートに座って移動できた。この旅の一番の難関を突破し蛍池に到着。大阪モノレールに乗り換え、7時過ぎに伊丹空港に到着した。

このコロナ禍の下、空路で大阪から松本へ移動する人なんてほとんどいないんじゃないかと思っていたが、想像したよりもずっと多くの人が搭乗して驚いた。まぁジェット機とはいえボンバルディアの小型機なので、観光バスに毛が生えたような定員しか乗せられないが、席の6〜7割は埋まっていたようだ。それでも2人掛けの自分の隣のシートは空いていたのでよしとしよう。松本までの飛行時間は50分ほど。雲海の上に富士山が見えたりして飽きないフライトだった。

信州まつもと空港には初めて降り立った。日本の空港全制覇までの道のりは遠いが、松本のような近くて遠い空港は利用する機会が皆無なので、面倒な空港をひとつ潰した感じもする。感慨に浸る暇もなくアルピコ交通のエアポートシャトルに乗り込み、松本バスターミナルへ。空港に着いた時には曇っていたが、駅前では快晴となっていた。今日も暑くなりそうである。

バスターミナルでの接続時間は5分もなく、好接続で美ケ原温泉行きの路線バスに乗り換え。城下町独特のクランクを通り抜け、松本城の東側にある松本城・市役所前バス停で下車。目の前が太鼓門でアクセス抜群である。


スナックコーナーの再来「カフェスポット」


地下区間で気付いた青い間接照明


南海多奈川線の終点・多奈川駅


終点より風情のある深日港駅の駅舎


深日港より大阪湾(和泉灘)を望む


深日港駅のホームの上屋は年代物


南海特急サザン号は海沿いを快走


“赤胴車”の直通特急で神戸三宮へ


今回も神戸の定宿へ宿泊


雲海の上を行くJ-AIR便

これまでに松本を通っても、松本を訪れたことがなかった。ゆえに松本城にも来たことがなかった。駅から歩くには少し遠いということも未訪問の理由である。今回はわざわざ大阪から空路で来たので、松本城を訪問しないわけにはいかない。でも、いつものごとく駆け足で天守を登ってしまうので、あまり来た甲斐がないのかもしれぬ。感染予防のため城内のところどころで足止めを食らったが、それでも予定していた時間よりもかなり早く松本城を片付けた。このまま駅に戻れば1本前の特急に乗車できそうだが、せっかく松本まで来たからには、10時台の列車で帰ってしまうのも気がひける。旧開智学校が城のすぐそばにあるということなので、そちらにも立ち寄ることにした。

旧開智学校は昨年、近代の学校建築としては初めて国宝に指定された擬洋風建築の校舎である。内部は博物館として整備され、一部は戦前の教室や講堂が再現されている。でありながら、ここでも駆け足見学を敢行し、結局松本城と開智学校を合わせて滞在1時間弱で、松本での夏休みは終わった。あまりに早く駅に戻って来たため、駅正面の手打ちそば屋「榑木野」で合鴨と焼きねぎセイロを味わう時間も持てた。それまでの散策で汗をかいたので、生ビールが美味かった。


早朝の快速急行で三宮から十三へ


J-AIRのボンバルディア機で松本へ


信州まつもと空港には初見参


現存12天守のひとつ 国宝松本城


天守より松本市街地を望む


この角度が一番お城っぽい


榑木野「合鴨と焼きねぎセイロ」

キオスクでレモンサワーを買い込み、11時53分発の特急しなの10号に乗車。いつもの夏休みなら、長野で過ごした観光客で、自由席はおろか指定席も満員になりそうな列車だが、2〜3割の乗車率だった。まぁそんな寂しい車内も、昼間から車窓をつまみに酒を飲めば、全然気にならなくなる。

夏の終わりに似合う曲を、夏と秋が同居する木曽路の車窓を見ながら聴いた。この時期に似合う曲をひとつ挙げるなら断然スイング・アウト・シスターの「あなたにいてほしい」である。入道雲が浮かぶ青空を見上げながら、往く夏を惜しんでセンチメンタルな気分になった。

そして、例によって大瀧詠一のロングバケーションを聴く。4年前のちょうど今頃、リオ・オリンピックの話題で持ち切りの時期に、新日本海フェリーで小樽に行った。その帰りの快速エアポートのμシートで、同じようにロングバケーションを聴いた。通して聴くと、最後の「さらばシベリア鉄道」だけ冬の歌で違和感がある。でも北海道で夏の終わりに聴くと、このシベリア鉄道もしっくりきたと記憶に残っている。そしてこの夏。東京オリンピックは延期となってしまったが、4年に1度のオリンピックイヤー。ロングバケーションを聴くと、中央西線がまるで千歳線のように見えてくる。名古屋の街並みが札幌のように見えてくる。「次は千歳」との車内放送、いや「次は千種」だった…。


もうひとつの国宝「旧開智学校」


戦前の教室の様子が再現されている

<終>

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