南 大 東 島 〜 絶 海 の 孤 島 |
沖縄ハーバービュー連泊で島へ |
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台風シーズンには、天気予報にたびたび登場する南大東島。沖縄県に属するが、沖縄本島から360`東方の太平洋上にある。那覇を飛び立ったRAC861便は、一度も島影を見ることもなく南大東島に着陸した。この島のすぐ北側にある北大東島、南へ150`にある沖大東島(無人島)を除くと、ここから最も近い島は沖縄本島で、逆に東に向かうと1,000`先に硫黄島があるという位置関係である。まさに絶海の孤島。そんなわけで、他の沖縄の離島とは、まったく違う風情だということを耳にし、今回の旅行先に選んだ。定員50人名のプロペラ機DHC-8-Q300(DH3)から降りた乗客は20人少々。作業着姿の男性が目立ち、観光客然としているのは自分を含めてわずかだった。 今回の旅は那覇に連泊し、朝の飛行機で南大東島に向かい、夕方に那覇に戻ってくるという日帰りパターン。かつて19人乗りのDHC-6が就航していたころは予約が難しく、日帰りしようとは誰も思わなかっただろうが、新空港ができて機材が大型化したおかげで、このような旅も可能となった。しかし功罪があるもので、島の集落から遠くなった新空港のおかげで、これから存分に歩かされることになる。島には路線バスはおろかタクシーもなく、レンタカーや貸し自転車の類は、空港から4`離れた集落の宿などでしか借りられない。宿泊客でない日帰り客は敬遠されるだろうから、島の周遊を自分の足でやってしまおうという目論見である。午前11時ころ、空港をバックに記念撮影をした後、はりきって出発した。 上着を羽織らずにシャツ1枚着ているだけの春秋のハイキングスタイル。明日は大寒ということで、本土では一番寒い時期。しかし当地では、こんな軽装でも少し歩けば汗ばむほどの陽気。とても真冬とは思えない。最初の目的地は、砂糖運搬専用軌道(いわゆるシュガートレイン)の廃線跡に残るレール見学。非常に大雑把な地図を頼りに「この辺で曲がってみるか…」など、かなり適当に目的のレール跡を探してみた。が、歩いても歩いてもそんなレールなど見つからない。だいたいが、360度どこを見回してもサトウキビ畑。目印になるようなものはひとつもなく、これでは見つかりっこない。そのうち長幕と言われる防風林を越え、次の目的地を目指すほかなかった… |
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まるで夏空〜南大東空港に到着したDH3 |
作業着姿の人が目立つのが南大東らしい |
延々と続くサトウキビ畑を横目に農道を歩いていると、大量のイナゴが飛び立って行く。それらのイナゴは、不意の侵入者である私に驚いて逃げているようだ。ただ、私の進行方向に逃げていくため、追いつかれるたびに慌てて飛び立つ。かくして、私は乱舞状態のイナゴを引き連れて農道を歩くという、はたから見ると「イナゴの飼い主?」みたいな状態だった。 空港を出発して1時間をとうに超えたが、一息入れられるような場所は見当たらず、そろそろ疲れてきた。サトウキビ畑はなだらかな丘になっており、途中で「ウィンドウズXP」の壁紙のような景色もあった。そのウィンドウズの丘を過ぎたあたりで、長幕の林の中にチラリとコンクリート建造物が見えた。「もしや、あれが展望台では?」確認のため、サトウキビをかき分けながら、その白い塔の方向に向かった。「日の丸山展望台⇒」の看板。ようやく探し当てた。 南大東島の地形は、海岸が高い崖になっており、外周部の長幕が最も標高が高い。そして中央部に行くにしたがって土地が低くなり、島の真ん中には池が点在する特異な地形。ミクロネシアには環礁と呼ばれる円形の島がたくさんあるが、この南大東島もそんな環礁が隆起して形成されたと言われている。ゆえに、元の陸地だった長幕の頂上に立てば、島全体を見渡せる。この「日の丸山展望台」からは、南大東島の70%の部分を見渡せるらしい。展望台からの眺めは、学生時代の憧れの場所だった北海道の開陽台の眺めとよく似ていた。考えてみれば、どちらも荒野を開拓して大規模な農畜産を始めた土地柄。似ているのも頷ける。 さて、廃線跡と日の丸山展望台を探すのに手間取ってしまったため、島を周遊できる時間は3時間少々になってしまった。集落から空港まで歩いて1時間ほどかかることを考えると、これではとても西港には行けない。それでも「絶海の孤島」に来たからには、一目でも海が見たい。というわけで、日の丸山展望台からそんなに遠くない亀池港を訪れることにした。再び農道を西に向かい、1`ほど先の交差道路が沖縄県道182号線。島を南北に貫く県道である。ちなみに島には県道が2本走っており、この県道の他に、空港と集落を結んで東西に走る県道183号線がある。 |
空港を起点に自らの足で周遊に出発 |
さとうきび畑の脇を通ると大量のイナゴが乱舞 |
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思わず「ウインドウズの壁紙」を連想したさとうきび畑の風景。富良野でも美瑛でもなく絶海の孤島に存在した… |
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1時間半かかって探し当てた日の丸山展望台 |
島の70%が見渡せるという展望台からの眺め |
森林の中に立つ展望台の建物 県道182号線を南下し、しばらく行くと急な下り坂になる。先ほど述べたとおり、島の海岸線は崖になっているので、海に下りるためには崖の部分を下らないといけない。行きはラクだが、帰りのことを考えると憂鬱になる。坂を下ると防波堤2つの漁港というにもおこがましい小さな港があった。水がきれいで、海底まで見渡せるので、まるでプールのようだった。防波堤には2,3人の釣り人。海流のど真ん中に位置するから、港からも大物も狙えるのだろう。防波堤に打ち寄せる波は強く、しぶきが逆光に光っている。私も午後の水平線を見ながら、ゆったりとした時間を過ごした。 |
南大東村役場方向を望む。島随一の集落 |
西港を早々にあきらめ代わりに亀池港へ |
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島の南端にある亀池港。台風時はすごいことに |
かつてサトウキビ運搬の先頭に立った蒸機 |
蒸機に連結されていた客車の内部 昼下がりのフロンティアロード 廃線レールが残る2号ポイント 旅の最後に見つけた廃線跡 大東製糖の砂糖運搬専用軌道(いわゆるシュガートレイン)は、サトウキビの運搬を目的に、南大東島全域に約27`の路線網を持っていた。軌間は762_で、いわゆる軽便規格。貨物輸送がほとんどだが、客車も所有しており、島民も運んでいた。その列車の先頭に立っていたのが、ここに保存されている蒸気機関車(1917年製の2号機)とディーゼル機関車(1975年製の8号機)である。蒸機の後ろには、希少な存在である客車が連結されていて、私は機関車そっちのけで、まず客車の内部を覗いた。木製のベンチシートが窓際にあり、大きさといい木製の内装といい、日本の鉄道が開業したころの客車を思わせた。どんなに乗り心地が悪かろうと、歩くよりはラクで(今回の旅の体験でつくづく思った)、当時の島民には重宝がられただろう。 <おわり> <おまけ> |
最も新しい機関車は1975年製で実働8年 |
レンガ造りの旧機関庫。現在は倉庫として使用 |
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島唯一の信号機。赤になることは滅多にない |
繁華街と呼ばれる通り。夜は違う雰囲気かも |
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島随一の橋梁「月見橋」のシーサー風飾り |
瓢箪池のほとりにあるミニパークと浮御堂 |
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使われなくなったレールの上で休憩する筆者 |
那覇行きとなるDH1がスポットに誘導される |
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ゆいレールの車窓を過ぎる夕暮れの那覇空港 |
200系新幹線のお別れ乗車のため大宮駅へ |
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3列席は背摺りが垂直の状態から倒れる |
0系の流れを汲む列車に乗るには最後の機会 |
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