さ よ な ら 、 M A X
JREポイントを使ってグリーン車に乗車

2019年の台風水害のため引退が延期されていた2階建て新幹線E4系「MAX」も、いよいよ今秋に運用離脱することが発表された。「いつでも乗れる」と思っていた列車だが、「意識しないと乗れない」列車になり、「今後二度と乗れない」列車になりつつある。一部の都府県に緊急事態宣言が発令され、新型コロナの第4波の真っ盛りであるが、いつものように対策を万全にして旅立つことにした。

まずは熱海へ。普通なら新幹線の自由席で三島まで行き、そこからは在来線で熱海へというのがパターンであるが、今回は万全を期して、こだまのグリーン車で行くことに。エクスプレス予約の早得を使えば+1,000円もしないので、この手も十分アリである。おかげで、浜松〜熱海間は10号車1両に私一人の貸切状態で移動できた。

熱海駅のJR東日本みどりの窓口で、帰りのきっぷを購入。株主優待券の4割引で越後湯沢〜小田原の乗車券と、MAXときのグリーン券を購入。座席は希望通り1列+1列の8号車最前列が取れた。このシートはオットマン付きで、シートだけならグランクラスよりも快適だと評される。今から帰りが楽しみである。うまいこときっぷが取れたので意気揚々と在来線ホームに向かう。改札内の売店で、酒のつまみとして駅弁「金目鯛西京焼」を購入。白ワインにぴったりで、相模湾の海の幸を堪能しつつ、県境の海岸線を東上した。


酒のお供に「金目鯛西京焼弁当」

旅のBGMは、全米トップ40をエアチェックしたもの。この3月末でSBSラジオでは放送が終了したが、どうにも離れがたく、今ではラジオ日本で放送中のものをエアチェックしている。今日のお供は1984年4月28日付のもの。1984年4月末から5月は、私の人生で最も調子に乗ってしまっていた時で、きっかけはこの年5月の「県民レガッタ」。インターハイ県予選の前哨戦に位置付けられていたこの大会で、私が乗艇していた対校クルーは、社会人クルーも破って優勝。「ナックルでは佐鳴湖で一番速いクルー」と言われた。結局は本番のインターハイ予選をミスって敗退したが、学校祭でソロコンサートを開くなど、とにかくこの時期は乗りに乗っていたのである。

さてオンエアされたチャートでは、ベストテン圏外にもいわゆるいい並びがたくさんあった。例えば36位から32位には、デュラン・デュラン「リフレックス」〜マドンナ「ボーダー・ライン」〜ボニー・タイラー「ヒーロー」〜シンディ・ローパー「ハイスクールはダンステリア」〜アル・ヤンコビック「イート・イット」ときら星のごとく硬軟取り混ぜたヒットが並んでいた。また、18位から15位には、その時期に相応しい加速感のある曲が並んだ。ユーリズ・ミックス「ヒア・カムズ・レイン・アゲイン」〜スティーヴ・ペリー「オー・シェリー」〜アラン・パーソンズ・プロジェクト「ドント・アンサー・ミー」〜ホール&オーツ「アダルト・エディケイション」。特に「ドント・アンサー・ミー」は、私の中ではこの時期を代表する一曲だった。その頃はザ・スクエア(現T-スクエア)がアルバム「アドヴェンチャー」をリリースした時期で、彼らの「オール・アバウト・ユー」もあわせて思い出深い。そういえば竹内まりやの「ヴァラエティ」もこの時期か。「プラスティック・ラヴ」は衝撃的だった。


湯河原駅に疎開中のE217系スカ色


根府川の海を見るために右側座席へ


間近で見ると圧倒されるE4系MAXの体躯


スキーリゾートホテルのNASPAに宿泊


この旅の総集編的な動画の「さよなら、MAX」

在来線で東京に着くと、いよいよこの旅のキモであるE4系MAXの旅である。動画をここから撮り始めたが、総集編的に編集したものが左の動画である。折り返し運用の時に自動回転した挙句に、勢い余って「バッタン」とするシートの動画や、自由席2階の3列+3列のリクライニングしないシート、あるいは1階指定席からの大宮駅ホームへの目線など、E4系MAXの引退後は二度と見られないシーンも収録している。ぜひご覧あれ。

越後湯沢まで1時間20分ほどで到着し、温泉街をぶらつくこともなく、送迎車でホテルに向かった。NASPAニューオータニの中にある「越後湯沢温泉ガーデンタワーホテルYRAXリゾート」を素泊まり8,000円で予約している。チェックイン/チェックアウトのカウンターや大浴場はNASPAの方にあるので、ニューオータニに泊まっているような感覚である。部屋に入るとリゾートマンションっぽい一面もあったが、温泉付きのリゾートホテルにオフシーズンだとはいえ、この値段で泊まれるのだから御の字だった。

とはいえ15時に温泉に入り、30分ほどで部屋に戻ってくると、あとは飲むくらいしかやることがない。とても人には言えない時間にベッドに入り、目覚めるとまだ日付は昨日のままだった。二度寝、三度寝を繰り返し、ようやく山の端が白み始めた4時半ころにベッドを出た。どうもこれから乗るE4系のオットマン付きグリーン車のシートが気になって眠れなかったようである。


引退間近でサンキューステッカー

朝7時半にチェックアウトし、徒歩で越後湯沢駅へ。朝の冷気が清々しい。新幹線のホームに上がると、さっそくカメラを回し始めた。おそらくE4系MAXに乗るのはこれが最後なので、掉尾を飾るに相応しい豪華シートへの乗車である。乗ってみると、レッグレストとオットマン(足置き)の位置関係が絶妙で、昼寝にもってこいだと感じた。もちろん眠るのはもったいなさすぎるので、明かり区間はカメラを回し続けた。とにかく「グランクラスより快適なシート」と評されるのは大げさではない。1人掛けで台湾風に言うと「総統座椅」と呼ばれてもおかしくないこのシートの具合は、先に紹介した動画でしっかりとご覧あれ。

さて、E4系MAXの美点は防音壁に邪魔されない2階からの眺望であるが、これは大宮から都内の区間で真価を発揮する。どことなく牧歌的な埼玉県北部の車窓が一転、高層マンションが立ち並ぶ景色へと変わる。尾久の車両区に所在なさげな185系の姿を見かけると、間もなく上野に向かって地下トンネルへと突入。上野発車後、再び地上に出ると秋葉原駅が横をかすめ、神田のビル街を通過。日本橋が車窓をよぎると東海道新幹線が見えはじめ、終点東京に到着である。越後湯沢から1時間半。もっと乗っていたい車両だった。

東京からは往路同様に在来線乗車。このグリーン車がこの旅で最も乗車率が高かったが、それでも25〜30%程度。エアコンの送風が平常よりきつめで、上着が欲しいほどであった。これもコロナ対策なのか?横浜あたりで1車両で私を含めて3〜4人となってひと安心。小田原まで快適な旅だった。

小田原からは趣向を変えて山線に挑む。実は富士急の株主優待券の残りを使いたかったためだが、まずは小田急に乗車。10分ほどで新松田に到着し、駅前に停まっていたレトロ風バスで山北へ。これが富士急のバスで、国道246号を出入りしながら山北駅に到着。前年度末の前に富士急の株を売っぱらってしまったので、これが株主優待券で乗車する最後の富士急バスとなった。

山北からは御殿場線に乗り換え、静岡県に戻ってきて足柄駅で下車。小山町の富士スピードウェイが、東京オリンピックの自転車競技(ロードレース)のゴール会場となるので、小山町内にある足柄駅舎はオリンピックの装飾で一色だった。このコロナ禍で本当に東京オリンピックが開催されるのか、残り100日を切ってもまだ分からないのがもどかしい。まぁギリギリまで決まらないのだろうな・・・。

足柄駅から東名足柄バス停まで徒歩移動。近道して1.3キロほどだが、その間に78m登らないといけないので、碓氷峠なみの勾配である。ゆっくり歩いて20分弱、無事東名足柄に到着。東名バスの車内で飲んだビールが美味かった。


オフシーズンのコロナ禍で素泊まり8千円


標高400m。高原の清々しい夜明け


かつて首都圏と北陸の接点だった越後湯沢


オットマンが付いたE4系グリーン車シート


レトロな山北駅にレトロ路線バスで到着


東京オリンピック一色の足柄駅で下車

<終>

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