Rail Trip『その先の日本へ』A松江・出雲
まつりラッパが鳴り響く浜松から脱出


♪初日〜こだまは自由の象徴
浜松まつりの喧騒が遠くで聞こえる2007年5月3日の夕刻、私は缶ビールとつまみの袋を持って下りのひかりを待っていた。仕事の後ゆえ、こんな時間の旅立ちとなったが、天下のゴールデンウィーク真っ盛りということで混雑が心配だった。ひかり421号の喫煙指定席に座ってみたら予想に反してガラガラの状態。終点の新大阪まで隣は空席のままで、快適に過ごすことができた。浜松を出発してしまえば、あとはのぞみと同じスピードで突っ走る。「ちょっと飲み足りないなぁ」と思えるほど、1時間23分の乗車時間は短かった。

新大阪からは、こだま681号自由席で岡山へと移動。100系6両編成と、東海道新幹線に比べぐっと短くなるが、ここまで乗ってきたひかりに輪をかけて空いている。「本当にゴールデンウィーク中なの?」と思いつつ、2列&2列シートに腰を落ち着けた。前の席をひっくり返して足を投げ出すという極楽ポジションは、よほど空いている車両でないとできない芸当であるが、今夜のこだまはこれが可能だった。原田芳雄ではないが「新幹線はこだまの自由席に限る」という思いを強くしたひとときだった。

新大阪から岡山までは1時間17分。できることなら終点の新山口まで乗っていきたいところだが、やくも29号に乗り換えた。こちらは万が一のことを考えて指定席を確保していたが、自由席でも十分なくらい空席が目立った。これじゃ普段の土日の方がよっぽど混んでいる。大型連休の初日でも、夕方に出発すれば快適に移動できることを学んだ。

岡山21時50分発のやくも29号は、松江への終列車である。浜松を出発して以来、3時間以上も飲み続けてはいるが、松江までもう乗り換えはないという気安さから、ビールを水割りに替えて飲み続けた。381系という振り子電車のやくもは、高速でカーブを走るため、乗り物酔いをしやすい。まぁ、さんざんアルコールで酔っ払っていたためもあるが、強烈な睡魔に襲われた。新見を発車したところまでは覚えているが、「あと5分ほどで松江に到着します」という車内放送で目が覚めた。危ういところで乗り過ごすところだった。二度寝しないよう松江到着まではカラダのあちこちをつねり上げた。松江到着は日付が変わって5月4日0時16分だった。

♪中日〜出雲・日御碕へ小旅行
連泊した松江シティホテルは朝食付きで1泊5,400円と格安。しかし部屋からは宍道湖が見渡せ、ちょっとしたリゾート感覚である。中日は、ここを起点に出雲大社と日御碕を目指す。まずは歩いて一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅に向かった。9時20分発の電車は、一畑電鉄ご自慢の車両・5000系2両編成の急行「出雲大社号」である。さすがに連休中で満席だったが、幸運にも1人がけシートに腰を下ろすことができた。座ってしまえば、転換クロスシートの両ひじ掛けシートで快適に出雲大社に運ばれた。宍道湖とは逆側の北側のシートだったため、車窓には恵まれなかったが、一畑口でスイッチバックし、晴れて宍道湖側の座席となった。しかし一畑口を出ると、すぐに車窓から宍道湖が離れていき「あちゃー」な感じである。あとは田園地帯を淡々と走り、終点の出雲大社前に到着した。

出雲大社への鉄道アクセスは、この一畑電鉄の他にも、大社線があったことはよく知られている。JR転換後まもなく廃止されてしまったが、旧大社駅はそのまま保存されている。洋館風の一畑電鉄の駅と、純和風の旧大社駅を見比べるのもおもしろいと思い、出雲大社とは反対方向に歩を進めた。大社線の廃止は1990年。それから17年の歳月が過ぎたとは思えぬほど、駅舎とホームまわりは整備されている。レールも現役時代そのままに残されており、ホームのベンチに腰掛ければ今にも出雲市方面から列車がやってきそうである。初夏の柔らかな日差しの中たたずんでいると「青いスタスィオン」の一節が思い浮かんだ。そんな駅だった。

2列&2列シートで夜の山陽路をくつろぐ筆者


振り子特急やくもで一路松江へ


一畑電鉄松江しんじ湖温泉駅を起点に小旅行


転換クロスシートで快適な出雲大社号


旧大社駅から再び一畑電鉄の駅前を通り、雑踏をかきわけ出雲大社の参道を歩いた。正門から拝殿まではかなりの距離だったが、その参道を埋め尽くすほどの混雑ぶりだった。10年ちょっと前に出雲大社を参拝し、その時に必死に「いい人ができますように」と願ったが、結局まだ独身のまま。天下の「縁結びの神」の力をもってしても叶えられない願いを持つわが身の不幸を呪いつつ、拝殿で10年前と同じセリフを呟いた。お守りも土産も買わぬまま、足早に出雲大社から立ち去った。


緑が眩しい出雲大社参道


雑踏を抜け拝殿に到着


優美なステンドグラスを持つ出雲大社前駅


こちらは厳かな宮殿様式の旧大社駅


当時のレールがそのまま残る旧大社駅にて


ゴールデンウィークの雑踏〜出雲大社正門


出雲そばの昼食…この旅で唯一のグルメ


GWとはいえ日御碕神社は普段着の趣き


大鳥居をくぐる一畑バス


のびやかな日御碕灯台

出雲大社から日御碕へ向かう路線バスにタッチの差で乗り遅れ、1時間の待ち時間ができてしまった。おざなりに参拝した出雲大社の雑踏に、もう一度踏み込むのはぞっとしないので、名物の出雲そばを食べることにした。一畑の駅にほど近い、とあるそば屋でビールと三種そばを注文。そばはともかく、ここまで歩き詰めだったのでビールが美味かった。しめて1,350円也のこの昼食が、この旅唯一のグルメだった。

お昼前の日御碕行きのバスをつかまえると、ここからは未踏の地。出雲大社からものの5分も行かないうちに、車窓に日本海が広がったのにはびっくりした。バスは海岸線に沿って走り、車窓風景は、この旅随一のものだったが、眠気には勝てず舟をこいでしまった。ハッと気がつくと日御碕バス停に止まっていた。


うみねこの繁殖地・経島(ふみしま)


日本海の青さが目にしみる日御碕


日御碕灯台の展望台から出雲松島を望む


出雲市駅からJR電車で松江に戻る


ホテルの部屋から朝の宍道湖を望む


こちらは夕暮れの宍道湖大橋ライトアップ


日御碕は一度は訪れてみたかった場所である。空は青く澄みわたり、日本海の青さが眩しく、また日御碕神社の赤い社殿がよく映えていた。日御碕の神様は夕日の神ということで、できれば日没の時間に訪ねたいところだが、まぁ次回にとっておこう。遊歩道を岬に向かって歩いていると、左手に経島(ふみしま)がぽっかりと浮かんでいる。うみねこの繁殖地として天然記念物に指定されているそうだ。望遠レンズ越しにうみねこの遊ぶさまが見てとれた。

バス停から10分ほど歩くと、それまで静かだった遊歩道が、土産屋の立ち並ぶ雑踏に変わった。クルマで来た人の流れにぶつかったためである。ここからはゴールデンウィークの観光地らしい様相を呈し、ひとり旅の自分にとっては、いたたまれない感じである。「それでも、せっかくここまで来たのだから」と日御碕灯台には登ってみた。日本に灯台は数あれど、灯台の中に入れるところは15箇所しかない。子どもの頃よく親に連れて行ってもらった御前崎灯台がそのタイプなので、灯台=登れるものというイメージがあったが、日本中を旅してみると「登れる灯台」はレアケースであることを思い知った。だから登れる灯台だけは、どんなに混んでいようが登っておきたい。案の定、入場制限で入口に行列ができ、中に入ったら降りる人と登る人が交錯し大渋滞。灯台参観に40分ほどかけて、展望台にいたのは1〜2分だけという散々なものだったが、展望台からの景色は素晴らしかった。太陽を背にして見た、出雲松島の木々の緑と海の青さのコントラストは息を飲むほどだった。日御碕での滞在時間は約80分。もう少しゆっくりしても良かったなというのが正直なところだった。

日御碕から出雲市駅へ向かう帰りのバスの中は爆睡した。万歩計はこの時点で2万歩を超え、さすがに疲れたようだ。出雲市駅からは鈍行電車で松江に戻る。出雲市駅や松江駅付近は高架線となっており、特急電車も行きかっているため、山陰線という長大なローカル線のイメージからはほど遠い。この鈍行電車も出雲市・松江間33`を36分で結ぶ俊足ぶりである。15時29分に松江に到着して小旅行はひとまず終了。駅南のマイカルで食材と焼酎のボトルを仕入れ、ホテルに戻った。

1日目の深夜にホテルに到着。2日目に小旅行をして、ホテルに戻って部屋で酒盛り。3日目の朝に列車で帰途につく。場所こそニースと松江で全然違うが、パターンは2月のフランス行とまんま一緒である。ニースのホテルでは、缶詰をつまみに、ドラッグストアで買った安いワインで酔っ払ったが、今回はそれに比べればかなり豪勢である。ふぐの刺身に、オードブルの盛り合わせ。酒は、そば焼酎「那由多の刻」のボトルで、とことんまで飲むことができる。ゆっくりと暮れていく宍道湖を眺めながら至極の時を過ごした。日没は18時57分。日が暮れると食い気より眠気の方が勝って、そのままベッドで眠ってしまった。


松江城のお堀端に連なる武家屋敷


19年ぶりに小泉八雲記念館前に立つ


帰り道のトップランナー「スーパーまつかぜ」


ほんとに何も無かった浜坂駅前


浜坂サンビーチから但馬御火浦を望む


今回の旅の目的のひとつ「はまかぜ4号」に乗車

♪最終日〜長い一日
5月5日。旅の最終日。昨夜は早くに寝てしまったため、夜明けとともに目覚めた。心配された天気の崩れは、朝のうちは大丈夫そうなので、松江を発つ前に小泉八雲記念館までバスで往復した。大学4年の夏にここを訪れて、松江の街のたたずまいに、いたく感動したが、その割には今まで再訪することがなかった。松江城のお堀端に連なる武家屋敷。その一角に小泉八雲記念館が建っている。時間がなくて入館できなかったのは残念だが、松江の良さを改めて確認できて良かった。

9時29分発のスーパーまつかぜ6号で松江を後にした。2両のミニ編成ゆえ、指定席を押さえていたが、松江発車時点では自由席にも空席があるくらいの乗車率で、山陰地区の人の流れを象徴しているようだ。倉吉の手前で踏み切りの非常ボタンが押された影響で、鳥取の到着時間は20分ほど遅れたが、浜坂行きの鈍行が接続待ちをしており、浜坂にはほぼ予定通りに到着した。

浜坂では1時間半の待ち合わせがあるので、ゆっくり昼飯でも食べようと思っていたが、駅前に出てみて驚いた。土産物屋とコンビニが1軒ずつあるだけで、駅前旅館はおろか食堂すらない。特急の始発駅としては、日本一何も無い駅前といっても過言ではない。重い荷物を背負って線路沿いに歩き、やっとのことで見つけたラーメン屋で昼食とした。ラーメンを食べ終え一服して時計を見ると、「はまかぜ4号」の発車まで、まだ1時間もあった。駅前の地図に海が描かれていたことを思い出し、海まで歩いてみることにした。海岸までの約1`の道のりは、背中の荷物のこともあってかなり長く感じた。こうなってくると、「はまかぜ」でゆっくり飲もうと思って荷物に入れた、ゆうべの残りの焼酎ボトルが恨めしい。最後は汗まみれになって、ようやく浜坂サンビーチに到着した。

海水浴にはまだ早い時期だが、それにしても、ここ浜坂サンビーチには数えるほどの人しかいなかった。海岸に立つ案内板には「山陰海岸国立公園・名勝・天然記念物・但馬御火浦」と書かれている。もし大都市近郊にこんな海岸があったら、ゴールデンウィークともなれば大混雑だったろう。ある意味、日本は奥が深い。このページのタイトル『その先の日本へ』を実感した一幕だった。連休中にも関わらず、プライベートビーチと化した国立公園で、私はのびやかな時を過ごした。

浜坂発13時30分。終点大阪には17時24分着。車両は国鉄型のキハ181の7両編成。約4時間じっくり腰を落ち着けて過ごせ、おまけにタバコも吸える在来線の昼行特急は、数えるほどしかなくなってしまった。特急「はまかぜ」は国鉄の匂いを持つ稀有な列車である。極上の時間を過ごすため、重いのを覚悟で焼酎のボトルを運び、駅前のコンビニでしっかりつまみも確保した。発車すれば、ほどなく余部鉄橋を渡る。見下ろすと鉄橋見物の人々が豆粒のように見えた。架け替え工事が始まっており、すっきりとした余部鉄橋が見られるのもあと僅か。わが「はまかぜ4号」は格好の被写体だった。

山陰線内で発生した15分の遅れも、姫路からの山陽線の爆走で取り戻し、大阪駅には定刻に到着した。空いていた「はまかぜ」の車内から、大阪駅の新快速のホームへ行くと隔世の感がある。ここからはゴールデンウィークの雑踏とともに家に帰るしか手はない。浜松へは、これから5時間かけて鈍行で戻る予定だ。まだまだ長い一日は続く…

日本海を眺めながらご存知余部鉄橋を通過


大型バス2台に自家用車…鉄橋見物の人々

<第2回 おわり>

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