カリフォルニアの青い空

I t N e v e r R a i n s I n S o u t h e r n C a l i f o r n i a

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高校時代のボート部の友人にイクマという男がいる。ボート部では対校クルーのコックス(舵手)だった。同じクルーの舵手だった私達が何かと理由をつけてサボろうとするところを、なんとか練習させようとする役割で、今ではいい思い出である。まぁそんなこんなで付き合いは20年以上になるが、昨年の初秋、社命で彼は海外赴任することになった。ボート部の仲間に彼から連絡メールが届いたが、そのメールのタイトルは「カリフォルニア・ドリーミング」だった。そう、彼は南カリフォルニアのサンディエゴに赴任することになったのである。メールの中で彼は「来られるものなら遊びに来てみろ!」的な、えらく挑戦的な文章で来訪を促していた。すぐに私は「RE:カリフォルニアの青い空」というタイトルで彼に返事を出した。そのタイトルは、アルバート・ハモンドの全米ナンバーワンヒットからいただいたのだが、「必ずそっちに行くから、それまでこの曲の歌詞を噛み締めとけ…」という内容をしたためた。「カリフォルニアは雨が降らないって?そんな訳ないよ」という内容の歌詞は「人生いい時もあれば、うまくいかない時もあるよね」ということを教えてくれる。私の好きな曲のひとつである。それから約1年後、私は渡米することになった。

今回の旅は、昨年10月・11月に大枚を投じて行った「SFC修行の旅」の資金回収も兼ねている。ANAのプラチナ会員の資格を得てSFC会員になったため、国際線2往復分のアップグレード券が送られてきた。その1往復分を今回の旅で使用する算段である。7月15日の成田→ロサンゼルスと7月18日のロサンゼルス→成田を「GET早割り28コンポ」で予約し、アップグレード券を使用することによってエコノミーからビジネスに座席クラスが上がる。「GET」が運賃88,000円に対し、ビジネスクラスは「ビジ割」で購入しても350,000円である。差し引き262,000円が今回回収できることになる。空席がなくてアップグレードできないとよく言われるが、海の日がらみの3連休を含んだ日程でもアッサリOKだった。4月に夏休みの座席を押さえる人はそう多くないということだろうか・・・


空港より無料バスでメトロに連絡

とりあえず航空券を押さえたところでイクマにメールを送った。その時の返事は「ホテルとか行動予定が決まったら、あらためてメールくれ」という感じだった。ホテルは5月の終わりころ全て予約してしまったが、あんまり早くメールしても忘れられると思い、旅行1ヶ月前の6月半ばにあらためて彼にメールした。しかし、その後、全く音沙汰がない。時差の関係で7月13日には返事をくれとメールしたが、結局自宅を出発するまでに彼からメールは届かなかった。

一応、海外で使える携帯電話を借り、その電話番号をイクマ宛にメールをしておいたが、最悪サンディエゴで彼と会えないかもしれない。「まぁ、それならそれでいいや」と思い直して、7月15日17時10分、成田発ロサンゼルス行きのNH006便に搭乗した。ビジネスクラスは初めてだが、「国内線のスーパーシートとどこが違うの?」と搭乗してすぐに感じた。確かにエコノミーと比べてサービスが行き届き、夜もぐっすり眠れたが、アップグレード券がなければエコノミーに乗っていただろうなと思った。

メトロのグリーンラインはI-105に沿って進む


最も路面電車に近いメトロ・ブルーライン


ロサンゼルスには同じ7月15日の11時10分に到着した。ビジネスの利点で、トップで飛行機を降り、真っ先に入国手続きを済ませ、プライオリティタグが付いた預け入れ荷物もあっという間に出てきた。さて、まずはホテルに行かねばと思い、空港の送迎レーンに出てみたら予想外に涼しい。日本では猛暑続きで大変だったので、この気候は爽やかに感じた。「さすがカリフォルニアだね」と感じた。

送迎レーンのシャトルバス乗り場で、次々に到着するバスのホテル名を片っ端から読んでいたら、目が回ってきた。さんざん待たされた挙句、ようやく「Four Points」とボディーに書かれたバスが目の前に停車した。ホテルは空港と目と鼻の先だが、歩道が見当たらず、どんなに近くてもクルマの移動を強いられる。今宵の宿の「Four Points by Sheraton Los Angeles International Airport」には12時過ぎに到着した。


ハリウッドの玄関口Hollywood/Vine駅


映像でしか見たことのない風景が目の前に

しばらくホテルでだらだらしていたが、メトロ(市街電車)に乗るにしても、アムトラックに乗るにしても、今日しかないと思い直しホテルを出た。メトロの駅に行くには、いったんロサンゼルス国際空港(LAX)までホテルのシャトルバスに乗り、空港でメトロ連絡のシャトルバスに乗り換えるのが分かりやすい。しかも無料である。

メトロの方も全線均一料金($1.25)で乗りやすい。自動販売機でキップを購入して乗車するのだが、改札がないので無札でも乗れてしまう。ただ、時々車内で検札があるので、無札で乗ってバレたら、きっと相当な罰金を払わされるのだろう。

LAX最寄りのAviation駅からメトロ・レッドラインに乗車した。この路線はフリーウェイI-105沿いの高架を走っている。日本では用地の関係で、都市高速道路やモノレールなどが、幹線道路の中央分離帯の上に高架で走っているが、ここもそんな感じなんだろう。殺風景な景色の中を淡々と走りブルーラインとの乗り換え駅に到着した。

ベティ・デイビスの名を見つけた


メトロ・レッドラインは本格的な地下鉄


ブルー・ラインとの乗り換え駅Imperial/Wilmington駅は立体交差である。秋葉原を小ぶりにした感じでスムーズに乗り換えできた。メトロ・ブルー・ラインはロサンゼルスのダウンタウン地区とロング・ビーチを結ぶ路線で、路面区間もあってなかなか楽しかった。ただ、クルマと同じように交通信号にひっかかりながら走るので、急いでいる時には、まだるっこしいかもしれない。3〜40分かかってようやくレッド・ラインとの乗換駅7th/Metroに着いた。

続いてユニオン・ステーションとハリウッドを結ぶ地下鉄であるレッド・ラインに乗り換えた。景色が見えないのはいただけないが、ブルー・ラインと比べるとスピードの点では申し分ない。あっという間にハリウッドの中心であるHollywood/Vine駅に到着した。地下鉄の駅であるが、観光地らしく50年代風の駅舎までしつらえてあるのはご愛嬌である。


ユニオン・ステーション前で記念撮影


ユニオン・ステーションの重厚なコンコース

私が一人旅をする時はガイドブックを持たず、行き当たりばったりである。だから、「多分ハリウッドの中心じゃなかろうか」と当たりをつけたHollywood/Vine駅前に「ウォーク・オブ・フェイム」が連なっていたのは正直嬉しかった。まだまだ自分の「経験に基づくカン」は衰えていないようである。その「ウォーク・オブ・フェイム」はなんだか知らない人の名前ばかりだったが、ようやく「ベティ・デービス」の名前を見つけた。ま、そのベティ・デービスすら映画とかで名前を知ったわけでなく、1981年にキム・カーンズが歌って大ヒットした全米ナンバーワン・ソングの「ベティ・デービスの瞳」で知っているだけなんだけどね・・・。

本当なら、ハリウッドでもう少しゆっくりできれば良かったのだけど、ここなら誰かと来た時でも立寄れるポイントであるので、丘の上に掲げられている「Hollywood」の文字に後ろ髪を引かれながら、再びレッド・ラインに乗車した。終点のユニオン・ステーションに行くためである。

サンディエゴ行きのアムトラック機関車


愛称サーフライナーはオール2階建て


海外の鉄道に乗るのも、もう5度目くらいだが、初めて来たターミナル駅でキップを買おうとするといつもマゴつく。特に今回は地下鉄の駅から延々と地下通路が続き、行けども行けども出札所らしきものが見えない。ハリウッドを消化不良のまま出てきたのは、16時10分発のサンディエゴ行きの列車に乗るためだったが、巨大な構内を逡巡しているうちに、発車時間を過ぎてしまった。ようやく出札所や待合室らしきものを見つけたのは、地下鉄を降りて20分以上経ってからだった。

出札所の向かいにあった自動券売機でキップを買った。ようやく日本でも自動券売機がクレジットカードを受け付けるようになったが(新幹線用だけど)、こちらの券売機は、ずっと以前からカード対応をしているようだった。さすがにカード大国である。次の列車は1時間後の17時10分。日付と列車番号、そして下車駅を指定したら簡単にキップが買えた。つたない英語を喋らなくて済んでホッとした。隣のFullerton駅まで値段は9ドル50セントだった。

サンディエゴ行きサーフライナーの車内


逆光が眩しいFullerton駅にて


列車の待ち時間を利用して、ユニオン・ステーションの構内をくまなく歩いてみた。駅の正面は地下鉄の駅とは反対の側で、こちらには立派な駅舎が建っていた。ここから入ればすぐに重厚なコンコースがあり、その両側に待合所やカフェ・売店が並んでいて、そのまま進めば正面に改札口(通り抜けは自由)、改札の右側には出札所が並び、日本とソックリ。こちら側から来ればキップの件でマゴつくことは無かったと思う。再び正面玄関から外に出て小さな公園のようなところで小鳥とたわむれながらタバコをくゆらせた。今まで先を急ぐ旅だったので、こういう時間があってもいいなと感じた。

発車時間が迫り、改札口の上に「サンディエゴ行きサーフライナー17時10分」の看板が掲げられていた。10数人が大きな荷物を持って並んでいた。ほどなくアムトラックの職員らしき人が現れて、その列を先導して列車に案内を始めた。私はその列の後ろに続いて、さきほど行ったり来たりした地下鉄との連絡通路を歩き、とある階段からホームに上がった。

ディーゼル機関車が煙を立てて走り去る


Fullerton駅を背景に記念撮影


ホームには既に2階建ての巨大な列車が停まっていた。この列車はロサンゼルスから北に列車で3時間行った所にあるサンタバーバラ始発なので、既に座席はあらかた埋まっていた。南へ一駅だけ乗車するだけなので最悪立って行っても構わない。それよりも列車をじっくり観察しようと思い、先頭の機関車の方に向かった。客車とお揃いの塗装で流線型の巨大なディーゼル機関車だった。

改札でキップを見るでもなく、車内に入る時にも検札はなく、メトロ同様こちらも信用方式かな?と思った。車内の階段を上がると2列+2列のリクライニングシートがずらっと並んでいた。日本の在来線よりも車幅が広いので、普通車といえどもかなりゆったりしたシートに座れる。パソコンをいじっていた若いビジネスマンの隣が空いていたので、私は一声かけてそのゆったりとしたシートに座った。ほどなく車掌が現れ検札していった。さすがに長距離列車で信用方式では誰もキップを買わないか…

歴史のある街の玄関口らしい


ずいぶん遅れてサンタバーバラ行きが到着


アメリカの列車なので、少し発車時間が遅れるだろうと思っていたが意外にも定刻どおりに発車した。列車は機関車とは逆方面に走り出し(いわゆる推進運転)、「ははぁ、どこかでスイッチバックするな」と思っていたが、行けども行けども逆向きで走り続ける。ロサンゼルス郊外の工業地帯みたいなところを走り、工場が途切れると次は地肌剥き出しの荒野を走る。日本の車窓とはまったく異なり最初は新鮮だったが、だんだんと飽きてきた。ロサンゼルスの隣の駅Fullertonまで32分。おそらく時速100`以上は出しているはずで、30マイル(48`)くらい距離があるはずである。隣の駅まで50`!日本では考えられないスケールではある。結局、逆向きのままFullerton駅に到着。列車を降りて急いで先頭車を見に行く。やっぱり客車に運転室が付いていた。ホームで列車を撮影した後、サンディエゴに向け発車していく「サーフライナー」号を見送った。明日はクルマでそのサンディエゴに向かう・・・


日本で言うビュッフェが階下にあった


サンタモニカにて地図を広げる筆者

Fullertonには特に用事もなく来たので、帰りの列車は27分後の次の列車にする。小さな駅で自動券売機などないため、苦手な英語を駆使して窓口でキップを買うハメになった。黒人の窓口氏に「ロサンゼルスまで次の列車」と告げたが、何やら難しい事をベラベラまくし立てられた。何回か訊きなおすと、どうやら「IDカードを見せてくれ」と言っているらしかった。キップを買うのにIDカードが欲しいとは思わなかったが、仕方なくパスポートを出すと、窓口氏がパソコンを叩いてキップが発券された。どうやら名前を入力するためにIDカードの提示を求めているようだった。

駅舎の外にあった町の案内板を見ると、ここFullertonは歴史的な町並みを保存しているようだった。駅舎も歴史的な建造物のひとつで、さっそく記念撮影をした。駅の周辺をちょっと歩いてみたが、わずかな列車待ちの時間だったので、ゆっくり町並みを見る間もなく駅に戻った。ところが列車は20分も遅れて入線してきたので、結果論だったが、もっとゆっくり散策しとけばよかったと後悔した。

浜松もサンタモニカも前浜は太平洋?


いかにもカリフォルニアっぽいルート66の終点


帰りの列車は、ビュッフェで過ごすことにした。階段を下りると、私と同じ事を考えていた乗客が売店に列を作っていた。売店でサンドイッチとバドワイザーを買い、夕暮れの車窓を見ながら至福の時を過ごした。考えてみれば朝の機内食以来なにも食べていなかった。空きっ腹にアルコールが入って少し眠くなってきた。ちょっとウトウトしたかと思ったら、列車はロサンゼルスのユニオン・ステーションのポイントを渡っていた。

レッド〜ブルー〜グリーンとメトロを乗り継ぎ、LAX経由でホテルに戻ったら、サマータイムで日没の遅いロサンゼルスでもさすがに日が暮れた。メトロでもバスでも、とにかく乗り物に乗ると睡魔が襲ってくる状態だったので、何も食べずにベッドに倒れこんだ・・・爆睡中の真夜中過ぎ、携帯が鳴った。びっくりして飛び起きるとイクマだった。なんでも仕事が忙しくて、今日もたった今、家に帰ってきたらしい。明日泊まるサンディエゴのホテルで19時に待ち合わせをして電話を切った。私は再び眠りに落ちた・・・。

サンタモニカ・ブールバードの尽きるところに→


ウィル・ロジャースの顕彰碑があった


通行人も風景の一部なんだなぁ

日付が変わって7月16日金曜日の8時前、Four Pointsをチェックアウトして、隣のマリオット・ホテルに向かった。ここでレンタカーを借りて、ロサンゼルス近郊を走り回り最終的にサンディエゴに向かう算段である。日本で予約したのは「スペシャル・スポーティー」というランクでムスタング・クーペを希望していたが、マリオットのHertzレンタカーの窓口氏は「ムスタングはないのでニッサン・アルティマかミツビシ・ギャランにしてあげる」という。アメリカまで来て日本車に乗るのはなんだかなぁって感じだし、それにムスタングよりもアルティマやギャランが上位のクラスかどうかも疑問だったが、到底私の英語力では交渉する気にもならなかった。三菱車はいろいろと問題がありそうだったので「それじゃニッサンを」と答えキーを受け取った。去年のラスベガスの時もムスタングの希望がトーラスになってしまったし、レンタカーはホテルのカウンターでなく空港で借りた方がいいかもしれない。

気をとりなして駐車場に向かう。レンタカーが何台か並べてあったが、その中にムスタング・クーペもあって納得いかない。でも英語が喋れないから仕方ないかと思い、ゴールドメタリックのアルティマに乗り込む。しかし、このアルティマというクルマは得体が知れない。昔はマキシマという名前で日本に来ていたが、現在では米国ニッサンの専用車種で日本には輸入されていない。スタイルは日本のスカイライン・セダンに似ているが、こちらは前輪駆動でスカイラインは後輪駆動。メカニズムは日本のティアナと同様、FFでV6の3.5リッターを載せるが、ホイールベースが微妙に違う。プラットフォームから米国で設計しているんだろうか?まぁ乗り込んでしまえば純然たる日本車で、左ハンドルのためワイパーとウインカーのレバーが逆にあることを除けば違和感は無い。ホテルのはす向かいのハンバーガー屋で朝食を兼ねて作戦を練り、まずはサンタモニカに向かうことにした。

サンタモニカへはフリーウェイを乗り継げばすぐである。まずはサンディエゴ・フリーウェイと呼ばれるI-405を北上し、Culver CityでI-10に入れば終点がサンタモニカである。サンタモニカ・フリーウェイと呼ばれるI-10から州道1号線に入ったが、お目当てのルート66の終点が見つからない。サンタモニカBlvd.の終点であるということは知っているが、そのサンタモニカBlvd.が見つからないのである。グルグル回っていても埒が明かないので、ビーチの駐車場にクルマを停め地図を広げた。思えばサンタモニカも地元浜松も太平洋でつながっている。海辺まで行って海水を舐めてみた。やっぱりしょっぱかった。
サンタモニカ・ビーチで作戦を練りなおした事もあって、サンタモニカBlvd.の終点=ルート66の終点が見つかった。数々の歌手に歌われたルート66は、シカゴを起点にアメリカ中西部の町を通り抜け、カリフォルニアのロサンゼルスを終点とするハイウェイだった。車社会のアメリカでは道路が生命線であるが、そのアメリカでルート66は「マザーロード」と呼ばれている。いわばアメリカ人にもっとも愛されていた道路だが、インターステート網の整備によってその役割を終えた。現在は「ヒストリック・ロード」として沿線の随所に細切れに残っているだけである。昨年のラスベガス〜グランドキャニオン往復ドライブの時に、アリゾナ州セリグマンで「ヒストリック・ロード・ルート66」という看板を見つけて、それまで度々耳にしていたルート66が急に現実のものとなり興味が沸いた。そして今日、ルート66の終点を訪ねたわけである。終点には俳優のウィル・ロジャース・ハイウェイの顕彰碑があった。ルート66は別名「ウィル・ロジャース・ハイウェイ」と呼ばれている。
ヴェンチュラ・ハイウェイに憧れてここまで来た


サンディエゴのFour Pointsの玄関前にて


イクマと差し向かいで飲んだ

ルート66の終点を見たことで満足し、今度は州道1号線をヴェンチュラに向かう。アメリカの1972年のヒット「Ventura Highway」をヴェンチュラ・ハイウェイ(本当はヴェンチュラ・フリーウェイ)を走りながら聴きたいがためだけに向かっている。この曲は近年ジャネット・ジャクソンが「Someone To Call My Lover」という曲でサンプリングしたことで再び脚光を浴びた。パシフィック・コースト・フリーウェイと呼ばれる州道1号線は、その名のとおり太平洋の海岸線をトレースし、快適なドライブコースだった。11時過ぎにヴェンチュラに到着し、「Ventura Fwy」の道路標識を撮影して、すぐさま国道101号線に折り返す。この道がベンチュラ・ハイウェイであると思うと、爽快なギターのイントロもよりさわやかに聞こえた。

ルート101といえばハーブ・アルパートの曲もあったなと思いながら、ロサンゼルスに向かって1時間ほど快適なドライブをしていたが、ユニバーサル・スタジオの手前くらいから渋滞にひっかかってしまった。ロサンゼルスのダウンタウンにも近く、渋滞も仕方ないなと思っていたが、中心部を過ぎて道路の名前がI-5に変わっても渋滞は無くならず、かえってひどくなってしまった。走ったり停まったりを繰り返しながらアナハイムも通り過ぎ、I-5の別名であるサンタアナあたりでようやく流れだした。結局30マイルくらいの距離に1時間半を費やしてしまった。この後もずーっと順調に流れた訳でもなく、なんでもないところで急に渋滞が始まるため、たびたびパニックブレーキを踏むハメになり、神経をすり減らした。

朝から何も食べていないし、3時間以上もハンドルを握りっぱなしだったので、海岸線に出る前のSan Juan Capistranoというインターで降りて休憩することにした。インターステートは日本のようにサービスエリアが無いので、休憩するにはインターを降りる必要がある。その代わり主要なインター周辺にはレストランやらガソリンスタンドやら土産物屋が揃っている。とあるファーストフード・レストランでハンバーガーのセットを頼んだら食べきれないほどの量が出てきた。わずか4ドル足らずの値段である。アメリカ人の食の太さにはいつものことながら驚かされる。
小1時間ほど休憩し、15時半ころ再びハイウェイに戻る。あいかわらずスムーズだったり、渋滞したりで運転するのがいやになってくる。そうこうするうちにサンディエゴ近郊に入り、I-5から分かれてI-805に入る。サンディエゴ市内に入ってますます渋滞がひどくなり、インターの標識を見落としそうでヒヤヒヤした。

Balboa Avenueというインターで降り、例によって経験に基づくカンでクルマを走らせたら今夜の宿の「Four Points by Sheraton San Diego」に一発で到着してしまった。時間は17時。ロサンゼルスの中心から4時間以上もかかった。チェックインして部屋で荷物の整理をしていたらイクマから電話がかかってきた。仕事の具合を見て19時ころにもう一度電話をくれるということだった。

その後何度かイクマから電話をもらい、結局ホテルで落ち合ったのは21時ころだった。再会を喜ぶのもそこそこに、イクマの行きつけの日本風の居酒屋に連れて行ってもらった。なんでも、このホテルの周辺は日本人向けの店が揃っているということで、偶然といえば偶然である。

Sheraton Gateway Hotel LAXのプールで佇む


空港地区ホテルでは唯一のスシ・バーだそうな


店はサンディエゴにいることを忘れるくらい日本的で、品書きも漢字で書いてあった。ビールはスーパードライを!といきたいところだが、日本と違ってマズイということで、サッポロのグリーンラベルという日本には無い銘柄を頼んだ。イクマはかなり多忙らしく、いつも帰りは11時過ぎ、休日も電話で会社に呼び出されるということだった。海外赴任も聞こえはいいが楽じゃないなと感じた。

その後、日本から出張で来た人を必ず連れて行くというストリップ・ショーを見て、ホテルには1時ころ送ってもらった。当分日本には帰れそうもないということで、次はいつ会えるか分からないが、あんまり無理せずに仕事をして欲しいものである。


ホテルの部屋からLAX到着機が見える


トム・ブラッドレイってこんな顔なんだ!!

翌日17日土曜日も快晴。カリフォルニアは雨が降らないようである。ホテルを10時に出発し、来た道を戻る。土曜日の朝といこともあり、南向きの反対車線はサンディエゴで週末を過ごすクルマで渋滞していたが、北向きのロサンゼルス行き車線はスムーズだった。途中I-5からI-405に入ってもそれは変わらず、サンディエゴから1時間40分くらいでLAXインターに着いてしまった。マリオットホテルのHertzカウンターにクルマのキーを返し、1ブロック先の「Sheraton Gateway Hotel Los Angeles Airport」にチェックインした。

今日の午後は特に何も予定がないので、ホテルでのんびり過ごすことにした。ホテルの部屋からはLAXに着陸する飛行機がよく見え、けっこう楽しめた。せっかく水着も持ってきたのでホテルのプールサイドで本を読んだり泳いだりした。少し泳いだら、長時間の運転による腰の痛みもかなり和らいだ。

夕食もホテルの中で済ますことに決め、LAX地区では唯一のスシ・バーという触れ込みの「Daimon Sushi Bar」で食べた。昭和30年代に日本からこちらに来たという大将が店をひとりで仕切っていたが、なかなか繁盛していた。味もまぁまぁだったが、チップを含めて65ドルの値段はちょっと高いかなぁ?特に永谷園のお吸い物の素に味噌を溶かした感のある味噌汁に5ドルはいただけないかなぁ・・・と感じた。

最終日の18日(日)はロサンゼルスを12時55分出発のNH005便で帰るため、ホテルでゆっくりしていられる。10時ころシャトルバスでトム・ブラッドレイ・ターミナルに向かった。今まで気付きもしなかったが、ターミナルの入り口にトム・ブラッドレイの石像が立っていた。こんな顔をしてるんだねぇ。ベルトを外し靴まで脱いだ甲斐もあってセキュリティ・チェックを一発で通過し、signet経由で搭乗ゲートに向かった。往路同様ビジネスクラスにアップグレードしたが、AVODが不調で映画の声が聞こえない。CAさんに「空いている席があったら代わりますよ」と聞いたら、あいにく満席だという。まぁ仕方ないなと思い、音なしでゲームを楽しんでいたら、CAさんが「加藤様、機械の故障のお詫びに1万円の商品券か7,500マイルをご用意しました。いかがされますか?」と尋ねてきた。私はかえって申し訳ないなと思いつつ7,500マイルを選んだ。1回の旅でショッピングマイル、ホテルマイルも含めて合計30,000マイル以上も稼ぐことができた。「無料航空券でいうと国内線2往復分になった!」と機内のバーカウンター(左上の画像)で、ひとり喜びを噛み締めていた…。
<おしまい>

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