R u n n i n ' O n E m p t y

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ジャクソン・ブラウンの1977年リリースの曲に「孤独のランナー(原題 Runnin' On Empty)」という曲がある。私が前回、2001年にラスベガスを訪れたとき、初めてアメリカのフリー・ウェイというものを走ったのだが(ツアーバスでだけど…)、その時持ち込んだテープの曲の中で最も印象に残ったものがこの曲である。今回のラスベガス旅行ではレンタカーを借りて、自分の運転でアメリカのフリーウェイを堪能しようと思う。もちろん「Runnin' On Empty」を口ずさみながら…
さて、2年しか経っていないのに私が再度ラスベガスを訪れることになったのはちょっとした訳がある。というのもTBS系のBSデジタル放送であるBS-iの双方向ゲーム番組で月間チャンピオンになり、商品のラスベガスペア旅行をゲットしたためである。旅のパートナーは今年入社したての同僚であるY君で、ラスベガス到着の翌日から2日間レンタカーで走り回る予定である。

I-40のとあるインターチェンジにて筆者

東海岸と西海岸を結ぶ大陸横断道I-40

運転中の筆者(この後悲劇が)
一日目:グランドキャニオン往復
2003年7月24日(木)朝8時30分、滞在中のサハラ・ホテルを出発し、レンタカーの予約を入れているハラーズ・ホテルに路線バスで向かった。ハーツ・レンタカーのカウンターはハラーズのコンシェルジュの隣にあったのだが(結構探したが)、肝心の店員がまだ来ていないらしい。9時の予約だったが15分の遅刻で店員が到着した。私がカタコトの英語で契約内容を尋ねていると、店員氏は各国語で説明がされている紙芝居のようなものを取出し、「この保険はどうする?」「ガソリンは満タン返しか否か?」など紙芝居の日本語を指しながらベラベラしゃべっていた。海外でレンタカーを借りるのは初めてで、どうなることかと思ったが案外スムーズに事が運び、9時半には指定されたクルマの前にいた。
日本で「ムスタング・クーペか同等クラス」のクルマを予約しておりワクワクしていたが、実際のクルマは「トーラス」というファミリーカーでガッカリした。このトーラスがクセモノで、運転席のシートの前後調整の仕方がさっぱり分からない。シートの下を見るとモーターらしきものがついており、パワーシートのようだが、やっぱり動かし方が分からない。助手席に座っていたY君と代わり、彼がガチャガチャいじくり回って15分後ようやくシートが動いた。
とりあえず私の運転で、遥か275マイル(440`)先のグランドキャニオンに向けてスタート。なにせ事前の下調べを全くしないまま公道に飛び出してしまったため、相当あたふたしまくった。インターステート(高速道路)15号(以下I-15と表記)からI-515のジャンクションで、奇跡的に正しい方向に曲がれたため、最短距離で目指す南に向かうことができた。
やがて高速道路が途切れ、国道95号へと入っていく。少し運転に慣れたところでコンビニに立ち寄り、ようやく水分を補給することができた。そこまでの1時間足らずは慣れない左ハンドルと右側通行で、口がカラカラに乾いていたので生き返る思いだった。
国道93号との分岐点で、ナビを務めるY君のミス・リードのため何回か行きつ戻りつをしたものの、無事フーバーダムを越えてアリゾナ州に入った。このダムの上流にグランドキャニオンがあると思うと気がはやる。しかし到着はまだ4時間以上先である。
通称ネバダ・ハイウェイと呼ばれる国道93号の沿線には、この旅初めての本格的な荒野が広がる。そこで私は「Runnin' On Empty」など、アメリカのフリーウェイをかっ飛ばすのにぴったりな曲を編集した自作テープを流すことにした。しかし、このトーラス君にはCDプレーヤーはついているものの、テープデッキは存在しない。仕方なく私は持参のミニラジカセのモノラルスピーカーで我慢することにした。イーグルスの「テイク・イット・イージー」やブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」などは広大な荒野を走るのにぴったりで、チープな音でも満足できた。

フリーウェイは続くよどこまでも…

ご存知グランドキャニオンにて

午後の遅い時間で陰影がくっきり

続いて写真撮影。クルーズコントロール(アクセルを踏んでいなくても車速を一定にする機能)を70マイルにセットして、スピードメーターを写したり、Y君に私が運転している姿を撮ってもらったりした。カメラを再び後部座席に置こうと後ろを振り向いた瞬間、悲劇が襲った。右側の砂利の路肩にタイヤを落とし、慌てた私は左に急ハンドルを切った。するとクルマは安定を失いスピン。急ブレーキの音とタイヤの焦げる匂いが恐怖心をあおる。ちょうど一回転して左側(中央寄り)の路肩に停止した。後ろを振り返ると、道路に黒々とタイヤの軌跡がまぁるく残っていた。幸い人車ともにキズひとつなかったが、時速112`でスピンしているだけに、ひとつ間違えれば大惨事であった。この後、運転中わき見をしないように誓ったのはもちろん、クルーズコントロールのスイッチにも一切手を触れないようにした。
国道93号とI-40とのジャンクションであるキングマンという町が、ラスベガスからちょうど100マイルの地点である。ここからフリーウェイを東に向かう。アメリカの高速道路は料金不要でうらやましい限りだが、反面、日本のようなサービスエリアが整備されていない。人車とも食いっぱぐれると次の給油エリアまで50〜60マイルはザラである。人間なら我慢もできようが、クルマではそうもいかず早め早めの給油が肝要である。
キングマンを出て20マイルくらい東に向かったところにあるインターチェンジでドライバーを交代した。Y君は海外で運転するのも、右側通行も左ハンドルもすべて初体験である。運転から解放された私は、雄大なフリーウェイの景色を次々とカメラに収めた。I-40を走ること1時間半。ようやくグランドキャニオンへの玄関の町ウィリアムズを通過した。ここで再度ドライバーを交代。ウィリアムズは玄関の町といっても、ここからグランドキャニオンまでは、片側1車線の州道64号と国道180号を経由して55マイルもある。ウィリアムズから少し北上したキャンプ場で遅めの昼食(フライフィッシュ&ポテト)を摂る。14時を回っていた。
グランドキャニオンに到着したのは15時過ぎ。前回ここに来た時にはラスベガスから飛行機で45分だった。今回は陸路を延々5時間以上も走っての到着なので感慨ひとしおである。特にグランドキャニオンが初めてだったY君は、しばらく感嘆の言葉しか発しなかった。午後の遅い時間に到着したおかげで、太陽が真上にある時間よりも峡谷の陰影がくっきりとしている。私も改めて「来てよかった」と感じた。
山の天気は変わりやすく、1時間くらい滞在している間に、空はにわかに暗くなり、雷鳴が轟き始めた。そのうち稲光がはっきりと見られるようになり、それをしおにグランドキャニオンを後にすることにした。クルマに戻ってから5分経つか経たないかのうちに土砂降りになった。
ワイパーも利かないほどの激しい雨の中、もと来た道を戻る。ウィリアムズに着くころには雨も上がったが、相変わらず空は暗く、日没後のようである。ところがI-40に入ると今度は快晴で、西に向かっているため、まともに西日を受けた。そろそろ二人とも疲れが出始め、フリ−ウェイ担当ドライバーのY君はキングマン直前でギブアップした。
キングマンから再び国道93号を北上する。20時近くになり、ようやく暗くなってきた。眠い目をこすりながら運転をしていると、助手席のY君はスヤスヤと眠っている。突然窓を開けたりして驚かしたりしながら夜のネバダハイウェイを突っ走った。
往路では大勢の観光客で渋滞していたフーバーダム周辺も、夜は交通量も少なくなり、休憩するにはちょうどいい。ライトアップが幻想的だった。
ボルダーシティを通過して数分後、坂の上から高速を下ってくるとラスベガスの夜景が広がる。明日の夜はヘリコプターで夜景を見下ろす予定だが、予期せぬ状態でパッと見せられると感動は大きいものである。徐々にホテル街が近づき、22時少し前にラスベガスに戻ってきた。

雨上がりの州道64号を行く

夕方のフリーウェイは西日が眩しい


二日目:デスバレー周遊
昨夜ホテルに到着したのは23時前後だったが、よせばいいのにカジノで散財してしまい、睡眠時間は2時間くらいしかとれなかった。それでも今日は、前回行きたくて行けなかったデスバレーを目指すということで、ばっちり予定時刻に目覚めた。
朝7時半にホテルをスタート。まずはI-15に乗り、アメリカらしい大ジャンクションを左にとってI-515に入る。当地でも朝のラッシュアワーは厳しく、首都高なみの交通量があり、慎重にクルマを走らせた。やがて高速道路はそのまま一般道に変わり国道93号となった。この辺まで来ると交通量も減って、昨日同様の快適な一本道のドライブとなる。70〜80マイルで飛ばすが、車線にタイヤの破片が落ちていたかと思うと、路肩にバーストしたてのトラックが止まっていたりしている。緊張感を持って運転しないといけない。

夜のフーバーダムを通過しネバダ州へ

デスバレー・ミュージアムにて筆者
ホテルを出てから1時間半ほど、およそ90マイル走って、国道95号から州道373号へと左折する。今までの国道とは路面状況ががらりと変わり、日本でいうところの簡易舗装のようになっている。それでも制限速度は65マイルなので、日本では考えられないが時速100`超で突っ走る。あたりは原野のように見えるが、○○farmとかいう看板が建っており、農場かと思われる。それにしても、点在する農家はどこに買い物に行っているんだろうと、素朴な疑問を持ってしまうほど何も無いところだった。
やがてカリフォルニア州に入り、一本道は州道127号線へと名前を変えた。国道から南下して30分「デスバレー・ジャンクション」というひねりも何も無い所で右折し州道190号に入る。いよいよデスバレーが近づいてきた感じだが、国立公園エリアを示す看板を過ぎても、まわりは岩山ばかりで「イメージと違うな」と思いながらクルマを走らせた。
10時ごろ「デスバレー・ミュージアム」に到着した。ここのシアターで10分ほどの紹介ビデオを見た後、初老の館員の方が、聞いてもいないのに「こことここを回りなさい」とアドバイスをくれたので、多少の予備知識を仕入れることが出来た。

デスバレーのイメージ通りの砂漠

無人の荒野を行く(孤独のランナー気取り)
当初の予定では、このミュージアムから南に下り、有名な「悪魔のゴルフコース」や「バッドウォーター」を観て帰るつもりだった。しかしデスバレーらしい砂漠は、ここより北に広がっていることが分かり、針路を北にとった。15分ほどクルマを走らせると、西側に干上がった塩湖が白く広がり、一帯は砂漠に変わった。私は「孤独のランナー」気取りでクルマを走らせた。そういえばカーラジオで「孤独のランナー」は昨日1回、今日1回オンエアされた。こういう何も無い道路を走っていると「孤独のランナー」を聴きたくなる気持ちは良く分かる。おそらく放送局でも、20年以上も昔の古い曲だけど、マストアイテムっぽくなっているんだろう。
さらに15分ほど北上して、グレープヴァインというポイント手前で砂丘を見つけ、クルマを降りた。クルマから降りると、サウナの中のような熱気が襲う。おそらく気温40℃は優に超えているじゃなかろうか。早々に記念撮影を済ませて、灼熱の地獄からクルマに逃げ込んだ。
ゴーストタウンのような休憩場所・グレープヴァインでUターンし、もと来た州道190号線を引き返す。さきほどのミュージアムを通り過ぎて、「デビルズ・ゴルフコース」という看板で右折して州道178号線に入る。先ほどのグレープヴァインから45分後、ようやく『悪魔のゴルフコース」に到着した。このようにデスバレーでは、ポイント間の距離が異様に長い。

『悪魔のゴルフコース』に広がる岩塩

海面下85bに広がる水面
あたりはクルマのタイヤ大の岩塩がゴロゴロしており、舐めてみると少し塩辛い。この風景を見て「悪魔のゴルフコース」と名付けたアメリカ人の発想力に感心した。
再び南下して5分、今度は「西半球で最も低い場所」という宣伝文句がある「バッド・ウォーター」に到着した。デスバレーでも最も低地であるためかそうでないのか、水溜りのような池があり、久々に水のある風景を見た思いである。池の西側には白い道のように見える干上がった塩湖が延びており、少し歩いてみたが暑いので早々にクルマに引き上げた。

西半球で最も低い場所『バッド・ウォーター』

地平線まで歩いたら喉が渇くだろうなぁ
猛烈な砂嵐が州道127号線を襲う。最後は濃霧の中のようだった(右の画像)
バッド・ウォーターを出ると、あとはラスベガスに帰るだけである。州道178号線を南下し、峠を越えてシューショーンという町に出るわけだが、バッドウォーターから南は極端に交通量が少なく、1時間の間にすれ違ったクルマは10台に満たなかった。
シューショーンからは州道127号線である。途中の砂漠地帯では、猛烈な砂嵐に巻き込まれ前がまったく見えなくなった。また、その後は突然の豪雨で、道が川のようになっていたりしていた。後から振り返れば、この旅の間に走った道路の中で、一番退屈させない道路だった。
紆余曲折がありながらベーカーという町に到着して、14時半ころ遅めの昼ご飯を食べる。昼ご飯といっても、またもファーストフード。牛肉が挟まったハンバーガーみたいなものだったが、見た目に反してけっこう美味かった。


延々と直線が続くI-15でラスベガスに戻る

左の画像の反対方向。地平線が霞む

初体験のヘリコプターで夜景見物
ベーカーからはI-15を北上する。高速走路に入って暫くは順調に走っていたが、突然の渋滞。15分経っても20分経っても解消する様子はなく、私はイライラして禁煙車にもかかわらずタバコに火をつけてしまった。タバコを吸い出して間もなく、右側の路肩に事故車がずらりと並んでいて、ここからようやく流れるようになった。
日本を出る前にいろいろと研究させてもらった「ラスベガス大全」というHPに掲載されていた「テン・マイル・ドライブ」(砂漠の中を10マイルにわたって直線の高速が続く名所)の写真を撮ろうと、いったん高速を降りる。そして高速をまたぐ陸橋の上から、延々と直線が続く道路を撮影したが、どうやらこれは「テン・マイル・ドライブ」ではなかったようだ。しかし、いかにも「アメリカ」という画像が撮れたのでよしとしよう。
本物のテン・マイル・ドライブを走りきった所が「ファッション・アウトレット」で、ここで休憩とショッピングを楽しんだ。そこから40分ほど走ってラスベガスに到着。セルフ給油のガソリンスタンドで、クレジットカードを入れた後の操作がどうしても分からず(PINって暗証番号のことじゃなかったっけ?)、何件もハシゴをしてしまったが、なんとかガソリンを満タンにして、ハラーズ・ホテルに到着。レンタカーを駐車場停め、無人のカウンターのボックスにカギを返して、我々は急いでバスに飛び乗った。次の予定の「夜景ヘリツアー」が30分後に迫っていたからである。
<The End>

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