Spring Tour 2017

再 訪 ! 日 向 沓 掛


伊丹空港からE170機で宮崎に飛ぶ

今年もSpring Tourの季節がやってきた。1987年4月に四国に渡って以来、今年が30周年となる。しかし30周年記念のSpring Tourは4月に行くことにして、今回は例年どおりの旅をすることにした。2月半ばのこの時期になると決まって思い出すのは、大学の卒業旅行で旅した九州の情景。あの時からもう長い時が流れてしまったが、今回28年ぶりに行きたい場所がある。それは日向沓掛駅。宮崎から都城方面に向かって鈍行で20分ほどのところにある無人駅である。

28年前の2月7日、九州ワイド周遊券を懐に入れぐるぐると九州を回っていた私は、博多行き夜行急行「日南」の自由席を確保するため、宮崎から鹿児島方面へ列車を迎えに行った。当時の急行日南は西鹿児島〜宮崎間を普通列車として運行しており、南宮崎や宮崎では座席確保の競争率が上がるので、適当な駅まで迎えに行くのが座席確保のコツであった。ところが、いかんせんカツカツで行程を組んでいたので、迎えに行くことができる範囲は限られていた。行程上迎えに行ける最西端の駅が日向沓掛。22時過ぎの鈍行に乗り、日向沓掛のホームに降り立つと、南国宮崎とはいえ夜風の冷たさが身に染みた。やがて急行日南となる12系+14系寝台車の編成が入線し、私は楽々と一夜の寝床を確保した(ちなみに自由席もグリーン車から転用したフルリクライニングシートだった)。というわけで日向沓掛駅で過ごしたのは15分程度だったが、深閑とした小駅で過ごした思い出だけは消えずに28年の時が経過したのである。


宮崎交通のバス乗り放題


日向沓掛駅の『鳥居』

2月半ばとなると天気が崩れる前に春のような陽気の日が現われる。過去、2月に行ったSpring Tourでは、そんな春のような日にはとんと当たらず、いつも寒い思いをしていたが今年は違った。伊丹空港から1時間のフライトの後、宮崎空港に降り立った時から春の陽気だった。空港のバス停にある宮崎交通の案内所で、さっそく「1日乗り放題乗車券」を購入し、まずはターミナルである宮交シティに向かった。この1日乗り放題乗車券はかなりのすぐれもので、宮崎と都城を高速バスで往復するだけで元が取れてしまう。宮交シティまで乗車したバスが、まさに宮崎〜都城を結ぶ特急バスで、車内がガラガラなのをいいことにリクライニングシートを深々と倒し、優雅な気分で宮崎市内に向かった。

広大な宮交シティの中で、次に乗車するバスの乗り場が分からず右往左往したが、無事青井岳温泉行きの路線バスに乗車した。あまりにも好接続であったため、バスに乗り遅れるかもと焦りまくっただけに、シートに腰を下ろすとホッとした。地元の乗客が頻繁に乗り降りし、平日の昼間のローカルバスとしては活気があった。ぽかぽかした車内でうとうとしかけた頃、宮交シティから20分ちょっとの乗車で沓掛駅入口バス停に到着した。

さぁいよいよ28年ぶりの日向沓掛駅である。14時02分に上下列車が交換するということで、バスの車内でやきもきしたが、どうにか14時前に駅に着いた。畑の中に家が点在するという、典型的な農村風景の中にある駅だが、駅自体は坂を下ったところにあり、駅に近づかなければ駅舎は見えない。左にカーブした小道を降りていくと、覚えのあるようなないような小さな駅舎が現われた。とりあえず記念撮影は後にしてホームへ急いだ。まだ列車はホームに入っておらず、この駅の特徴である細いホームと跨線橋が撮影できる場所をロケハンした。やがて上り列車が入線し、続いて下り列車が入線。いずれも2両編成の817系ワンマン列車だった。わずかな停車時間の後、宮崎と鹿児島に向けて発車。そしてまた静寂に戻った。

列車交換が日向沓掛駅での最大のイベントだったので、次のバスが来るまで時間を持たせねばならない。秘境駅めぐりをする気分で、駅舎やらホームやらをまじまじと見て過ごした。1面2線というには幅が狭すぎるホームは、私がいつも利用する浜北駅を連想させる。こちらは通過列車がたくさんあるので、命がけで列車を待たないといけない感じである。駅舎とホームをつなぐ跨線橋には覚えがあり、28年前も階段を上り下りしたような気がする。最後に駅舎をバックにアリバイ作りの記念撮影をして、28年ぶりの再訪は終わった。

再びバス停に戻り、14時31分の田野方面行きの路線バスに乗車。5つ先の石久保入口バス停で下車した。ここから歩いて500メートルほどの高速バスの停留所を目指すという目論みである。宮崎入りした時よりもさらに気温が上がり、西に傾きかけた日差しがやさしい。豊沃な田畑と霞んだ山影が春の旅っぽくて好ましい。旅に出る前に「こうなったらいいな」というSpring Tourのイメージを結集したような風景だった。てくてくと軽やかに歩きながら、高速のバス停への道中に口ずさんだ曲は久保田利伸の「インディゴ・ワルツ」。28年前の卒業旅行の時に、特別に編集したカセットテープに入れた中の一曲である。その当時、金曜夜に必ず観ていたTV番組「噂的達人」のエンディングテーマだった曲である。この番組で小堺一機さんと司会を務めていたのは今は亡き山口美江さん。バブル真っ只中の番組らしいお洒落なセットだったが、時に硬派な達人が出演すると、「自分は何の達人だろうか」と考えさせる番組でもあった。

宮崎自動車道にある田野東バス停には14時40分すぎに到着。高速道路を行き交うバスはほとんどが路線バスで、貸切バスは稀な存在。こういうところに高速バスが発達した九州という土地柄を感じ、一方でJR九州の苦戦を思ったりする。かくいう私も今日は高速バスで宮崎と都城の間を往復している。先月株主になったばかりのJR九州には心苦しい思いである。そうこうしているうちに都城行きの高速バスが到着した。車内がガラガラなのをいいことに酒盛りを開始。昨日はバレンタインだったので、大量の義理チョコを旅に持ち出し、ウイスキーの水割りのつまみとして片っ端から口に放り込んでいった。チョコと水割りの相性はぴったりだが、あまり大量にやりすぎると気分が悪くなってくるから注意が必要である。

都城駅を通り過ぎ、その次のバス停の北原町で下車した。時刻は15時半を回ったところ。都城に特に目的があって来たわけではないが、市街地にある神柱宮とその周辺の神柱公園を散歩しようと思い、街中のバス停で降りたわけである。神柱宮はその昔薩摩、大隅、日向にまたがる島津荘の総鎮守と崇められていたようなので、南九州でもかなり名の知られた神社である。そういう神社がアクセスのいい場所に鎮座しているので、例によってここでこの先の旅の無事を祈念した。神柱神社を囲むように整備されている神柱公園には、宮崎市で太平洋に注ぐ大河・大淀川が流れていて、そのほとりで旅のひとときを過ごした。上流である都城市街地まで来ると、あんな大河が一息で飛び越せそうな小川になっていて、春の日差しにきらめいていた。対岸には親子連れが同じように川面を見つめて歓声をあげており、今にも水遊びができそうな雰囲気だった。

都城でのひとときは終わり、宮崎に帰る時間となった。とはいっても帰りのバスの時刻はろくに調べておらず、まずは宮崎行高速バスの始発である西都城に向かおうと思い、バス停で時刻を見るとまだ20分もある。「それじゃ西都城に向かって歩きながらバスが来るのを待とう」と思い、てくてくと歩いているうちに、はたと気付いた。「ここからでも宮崎行バスに乗れるのでは?」調べてみると、さっき時刻を調べた前田3丁目バス停を16時15分に発車するバスがある。時計を見ると16時10分を過ぎたところ。慌てて道を引き返し、小走りで上りのバス停を探した。そうしている間に目標のバスに追いつかれたが、バスが信号待ちをしている間にタッチの差でバス停にたどり着いた。ゼーゼーハーハー言っているが、努めて冷静にバスに向かって手を上げて、無事に乗車。席に着いてからも息は落ち着かず、変な咳は宮崎空港に着くまで続いた。

宮崎行きの高速バスでも酒盛りの続きをしたが、チョコの食べ過ぎと先ほどのダッシュのおかげでどうにも盛り上がらなかった。それでも無理してバスに乗ったおかげで宿には明るいうちに着きそうである。今日2度目の宮崎空港バス停で大量の乗車があり、ここからは通勤バスとなって宮崎市街に向かう。帰宅ラッシュの渋滞に巻き込まれながら、橘橋で大淀川を渡った。都城では小川のようだったが、ちょうど日没に当たったためか、中国の大河のような感じに見えた。そのままバスは橘通りを北進し、カリーノ前バス停で下車。今宵の宿であるルートイン宮崎は目と鼻の先である。


宮崎空港から市内まで高速車両で移動


宮交シティから日向沓掛へもバスで移動


28年ぶりに日向沓掛の駅舎前に立つ


跨線橋の階段の先に細いホームが続く


鈍行列車どうしの行き違いに間に合った


1番線は宮崎・延岡、2番線は都城・鹿児島


日向沓掛の駅名標を差す筆者


Spring Tourのイメージ通りの風景


宮崎自動車道上にある田野東バス停


都城行き特急バスに乗車し、車内で酒盛り


神柱公園内を流れる大淀川がきらめく午後


この旅の折返点・都城市街地にある神柱宮


この夜の宿・ルートイン宮崎

翌朝は7時50分発のJAL2430便で宮崎を離れる。もっと遅い電車で空港に向かってもよかったが、宮崎駅と宮崎空港の間は、特急列車自由席なら特急券なしで乗車可能という特例につられて、宮崎6時24分発の特急ひゅうが1号に乗車した。わずか10分の乗車だったが、デッキが車両中央にある783系に乗ると九州に来たという気がすると同時に、28年前の卒業旅行のことも思い出す。

今では九州の片田舎で細々と運転されているイメージが強い783系だが、1989年2月にはまだデビューして1年も経たない、JR九州の将来を背負って立つ期待の星だった。初めて乗車したのは八代→博多の「ハイパー有明」だが、それよりも印象に残っているのは、当時非電化だった豊肥本線の水前寺への乗り入れである。熊本〜水前寺は普通列車になることをいいことに、開放されたグリーン車のパノラマ席で過ごした。前面ガラスから見えるのは、電源車として連結された白地に赤ラインの厚化粧の車掌車。その前には同じ色のDE10が編成を引っ張っており、JR発足直後の「なんでもあり」の意気込みを感じた。あの頃は自分もJR各社も若かった。そんなことを思いながら老兵の783系のシートに身を沈めた。


大淀川の向うに夕日が落ちる。橘橋にて


早暁の宮崎駅より宮崎空港に向かう


783系ひゅうが1号に特急券なしで乗車


朝日を浴びてフライトを待つCRJ機

<終>

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