西の横綱に挑む〜こんぴら
日付が変わってからチェックイン

今年の春に、山形の山寺に登っている時に、ふと考えた。「こうして険しい階段を登るような旅ができるのも、体力があるうちまでだな…」と。そこで、ゼェゼェハァハァいいながら階段を登るうちに、山寺級の階段がある場所を思い出した。旅から戻ってからすぐ、そこに行く旅を計画し、そして旅立ちの日を迎えた。山寺を東の横綱に例えるなら、そこは文句なく西の横綱である。挑み甲斐のある相手、それが今回訪問する、香川県の金刀比羅宮〜通称こんぴらさんである。

ところで、東国から四国へは、近代まで淡路島経由で入るのが一般的だった。四国八十八ヶ所の一番札所霊山寺は、徳島の鳴門にあり、そこは淡路島を渡ってすぐの場所である。明治以降、鉄道が発達し、唯一の高速大量輸送手段の地位を確立すると、四国の玄関口は鳴門から高松に代わった。それはもちろん、国鉄の宇高連絡船が運航していたからである。この時代が長かったので、私は今でも四国の玄関口は高松というイメージがある。次に瀬戸大橋が開通し、本州と四国が、鉄道と高速道路でつながると、四国の玄関口は坂出となった。しかしこの時代も長く続かず、明石海峡に橋が架かると、四国の玄関口は再び鳴門に戻った。現状では、本州と四国を結ぶ高速バスの多くが、淡路島を経由している。

一方で、本州と四国を結ぶルートのうち、メインルートでないが伝統のある航路に、和歌山と徳島を結ぶ南海フェリーがある。今回の旅では、例によって株主優待券を有効利用するべく、和歌山から南海フェリーに乗船した。すなわち、豊橋→名古屋間を名鉄、名古屋→大阪難波を近鉄、難波→和歌山を南海に乗車し、和歌山入りした。それぞれで特急を利用したが、18時まで勤務した後、浜松を出発しているので、和歌山到着は日付が変わった10月8日0時半となってしまった。夜の移動となるので、アルコールが入り、それほど長くは感じなかったが…。

和歌山市駅から徒歩10分の市街地にある、アパホテル和歌山に宿泊したが、翌朝も朝7時半すぎにチェックアウトしたので、滞在時間はわずかだった。こんな感じだとマン喫という選択肢も浮上するが、今までに一度も宿泊で利用したことがない。夜行列車に例えるなら、マン喫はムーンライトながらの座席で、ホテルはサンライズ瀬戸・出雲の個室寝台くらいの差を感じるからである。まぁとにかく、8時30分出航の徳島行き南海フェリーに乗船すべく、和歌山市駅から和歌山港まで一駅区間を結ぶ南海電車に乗車した。


和歌山市と和歌山港の一駅間を往復する電車


5年半ぶりの南海フェリー。今回は往復利用

和歌山港から徳島港へは約2時間の旅路。2014年春以来の乗船だったが、居眠りするにはちょうどいい時間である。徳島港で接続するバスに乗り、11時ころ徳島駅に到着した。今日の宿は、駅舎の上にあるホテルクレメント徳島を予約しており、夕刻にはまた戻ってくる予定である。というわけで徳島発徳島行きのきっぷを持っているが、隣りの駅の佐古で一筆書きが終わるので、きっぷ2枚の「連続きっぷ」となっている。では、まず最初の列車、高徳線特急のうずしお12号に乗車する。高松方面のホームには、初めて見る車両が鎮座していた。「あぁこれが振子の新しいやつか…」。JR四国では、特急型振子気動車の置き換えのため、振子ではなく空気バネで車体を傾斜させる気動車を開発した。それが2600系というヤツで、さっそく試運転に入った。ところがカーブの連続する土讃線で、傾斜装置が音を上げてしまった。「やっぱ振子じゃねぇとダメじゃん」ということで、コストの高い振子式を泣く泣く再導入し、営業運転にこぎつけたのが、この2700系である。

今春、営業運転に就いたピカピカの新車なので、乗っていて気持ちが良い。やがて列車は県境を越え、香川県に入ると車窓に海が見え隠れする。ヘッドホンから流れる曲は、ジャーニーの「デキシー・ハイウェイ」。この時期になると聞きたくなるライヴテイクである。


徳島港に入港したフェリーかつらぎ


徒歩客が待つ徳島港ターミナル前のバス停


徳島市営バスで徳島駅へ向かう

この曲に初めて出会った時のことは鮮明に覚えている。中学3年生の秋、1981年10月20日火曜日の午後4時。山本さゆりさんの「軽音楽をあなたに」のオンエア中である。日付まで正確に覚えている理由は、当時録音したテープに日付を記載していたから。この日のタイトルは「We Love Live!」ということで、初っ端はジャーニーのアルバム「Captured」(邦題は「ライブ・エナジー」)から何曲かかかった。そのころはシステムコンポを買ってもらう前で、ダビングができず、曲の始まりに合わせて、ラジカセのRECボタンをタイミングよく押すという作業が必要だった。「軽音楽をあなたに」は、FMレコパルなどで、事前に曲順が分かるうえに、曲が始まる前に「〇曲続けてどうぞ」とアナウンスされるので、エアチェックがきれいにできる番組だった。

その日はジャーニーの後に、ビリー・ジョエルのニューアルバム「Songs In The Attic」もかかるので、帰りのホームルームが終わると速攻で家に帰った。既に部活を引退していて、受験生だったが、時間ができた分、洋楽にのめりこむ日々であった。4時少し前に家に戻り、自分の部屋に駆け上がって、すぐさまラジカセのスイッチを入れた。秋晴れの優しい西日が部屋に差し込んでいた。1曲目はライブ特集なのに「ブルースカイ・パーティー」。このアルバム唯一のスタジオテイクで、シングルカットされていたので(ちなみにアルバムのリリースも、この年の1月だった)、よく知っている。続いてライブの歓声が入り、スティーヴ・ペリーのMCの後、イントロが始まる。この曲が「デキシー・ハイウェイ」。ゴリゴリのロックだが、シンセのバイオリン音が「ニーニキニーニキ」のカントリーを思わせる。曲の中盤で、オフビートとなり、スティーヴ・ペリーが「フリーウェイ」を連呼するのが、またいい。6分超の曲が終わるころには、この曲が大好きになっていた。


今夜の宿のホテルクレメント徳島と徳島駅


今春登場したてのキハ2700系うずしお乗車


香川県に入ると車窓に瀬戸内海が見え隠れ


岡山行きの快速マリンライナーが並ぶ高松駅


琴平駅の行き止まりホームにて


ナカノヤ別館で讃岐うどんを賞味


本宮への胸突き八丁にて筆者

いい曲と悪い曲をより分けるセンスは、この頃も今もそれほど変わっておらず、この頃にいい曲だと思った曲は、未だにいい曲だと思う。そんなわけで、旅から戻ってから、改めてネットで調べたところ、「デキシー・ハイウェイ」にスタジオ・テイクは存在せず、このアルバムに初めて収録された曲とのこと。このことを38年ぶりに知るとは思ってもいなかった。ちなみにYOU TUBEで、この曲のライヴ映像もタダで見ることができる。つくづくいい時代になったと感じた。

てなことを思い出しながら旅を進めていると、窓ガラスに雨粒が流れるようになった。高松でマリンライナーに乗り換えるころには、本格的な雨。やばいなぁと思ったが、坂出で鈍行に乗り継いだあたりで、西の空が明るくなってきた。琴平駅では完全に雨が上がっていて、薄日も差していたのに、金刀比羅宮の参道入口のナカノヤ別館(中野うどん学校A館)で讃岐うどんを食べているうちに雲行きが怪しくなってきた。目まぐるしい天候に一喜一憂である。

さて、西の横綱こんぴらさんの階段の1段目に踏み出そうという時に、本格的な雨となり、仕方なく折り畳み傘を開いた。そこから本宮までは、ほぼほぼ雨で、一気に気分が萎えた。事前に「天気が良ければ奥社まで行くが、雨が降っていたら本宮まで」と決めていたので、本宮に着いた時には「これで帰ろう」と思っていた。しかし時計を見ると、まだ14時20分過ぎで、琴平から次の列車に乗るまで1時間半以上ある。さんざん逡巡した挙句、「時間もあるし、ここまで来たから奥社まで行こう」と決めた。

事前の調査では、本宮から奥社までは、階段で600段ほど、ゆっくり歩いて30分もあれば到達可能となっていた。帰り道は下りなので、参道入口まで30分くらいと計算し、時間的には余裕がありそうだ。で、確かに途中の白峰神社までは、労せずたどり着くことができた。しかし、ここから奥社までが大変だった。つづら折りの階段が続き、それも1段1段が高いので、息が続かず何度も足を止めた。座り込んでしまうと、立てなくなってしまうので、膝に手を置き、息が整うのを待ってアタックをかける。そうして、ハァハァゼェゼェいいながら、胸突き八丁の長い階段を登り切ると、ようやくゴール。標高421mの厳魂神社に到着した。

神社の脇からは、ここと標高がほぼ一緒の讃岐富士の頂上が見えた。そしてその奥にはうっすらと瀬戸内海が。ここに来るまでには、既に雨も上がっており、しばし気持ちのいい達成感に浸ったものである。そして今後の人生で、もうここに来ることもなかろうと思い、社務所で「天狗御守(赤)」を購入した。このお守りは、ここに登った者だけ買えるというフレーズに、ついつい乗せられてしまったのである。さて、そうこうしているうちに時計は15時になろうとしている。列車の時刻まで1時間となったので、下山することにしよう。ちなみに帰りは、快速を飛ばして30分で参道入口に戻ってきた。だが、降り切ったころには膝がガクガクで、2〜3日後の筋肉痛が恐ろしい…。

駅に向かう途中のコンビニで、トマトプリッツと氷を仕入れ、16時02分発の南風15号に乗り込んだ。トマトプリッツは、遠い昔の四国旅での思い出の味である。社会人3年生の初秋に、四国ワイド周遊券を利用して、四国の基幹路線を特急で乗りつぶした。その時に特急の自由席で、ビールのツマミにしたのが、トマトプリッツ。それ以来、トマトプリッツを食べるたびに、四国の特急(特に南風)を思い出す。当時の南風は2000系で、今日の南風は代替わりした2700系だが、スイッチバックの坪尻駅を見下ろしながら酒を飲むと、28年前の車内にタイムスリップしたかのような気分になる。


近代化産業遺産の琴平駅舎を背景に筆者


本宮まで785段、奥社まで1368段への1段目


本宮へのほぼ中間点にある大門(365段目)


しばらく平坦な参道が続く桜馬場の鳥居


雨に濡れる金刀比羅宮御本宮の広場で思案


本宮から城峰神社へは坂が緩く楽に行ける


海抜421m、1368段登った末の厳魂神社


厳魂神社から見た讃岐富士。両者は同標高


大鳥居の左手には琴電、奥にはJRの琴平駅


琴平から再び乗りテツの旅。まずは特急南風


JR後を見据え国鉄時代に登場したキハ185系


「四国三郎」吉野川の車窓を肴に酒を飲む


「指定席」の札はもはや希少価値

阿波池田で、特急南風15号を下車。3分の待ち合わせで、徳島行きの特急剣山10号に乗り継いだ。南風は今年デビューのキハ2700系だが、剣山の方は、国鉄時代にデビューした、四国の特急車両の中で最も古いキハ185系だった。余命幾ばくも無い車両だが、それゆえ味わいがある。デッキ扉の上部には、今では珍しい差し込み式の「指定席」の案内板がかかっている。もっと珍しいのはその上で、「自由席・1〜11番 指定席・12〜15番」の横長の板が差し込まれている。半室指定席ゆえの説明板だが、指定席が圧倒的に少なく、「半室」では看板に偽りありである。

古い車両なので、シートバックが低く、お世辞にも快適とはいえないが、一方で窓框が広く、テーブルを使わずとも、ビールの缶やちょっとしたツマミが並べられるので、酒呑みには都合がいい。阿波池田を出ると、列車はすぐに吉野川と並走し、次の佃駅で土讃線は川を渡り、徳島線が川に寄り添う形で下流に向かう。吉野川は別名「四国三郎」。あまり知られていないが、四万十川に勝るとも劣らない清流が特徴である。

うだつの町並みの玄関口である穴吹まで来ると、河岸段丘の間に平野が広がっていて、地元浜北の風景にどことなく似ている。さらに下って沖積平野が車窓をよぎると、いよいよ乗客がそわそわし始め、短い徳島線の旅は終わる。わずか1時間13分の旅路だったが、変化に富んだ車窓を肴に、いい感じに酔っぱらった。今年の「走る居酒屋」のうちでも、トップクラスの列車で、至極の時間を過ごすことができた。今日一日を振り返ると、雨に苦しんだ旅路ではあったが、車窓を彩る茜色に染まる雲が、明日の秋晴れを保証しているようだった。


河岸段丘と河川の間の平野が地元に似ている


ホテルクレメント徳島の部屋から見た夕暮れ

<終>

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