Last Train To Suncheon
順 天 行 き 最 終 列 車


大韓航空に乗るのはいつ以来だろう

2冊目のパスポートの期限も2年を切ってしまった。ご存知の通りパスポートの残存期間が180日以上ないと「ノービザでは通してやんないよ」という国が多い。もちろん早めにパスポートを更新すればいいことだが、ここのところ海外に行くのが億劫になっているところにもってきて、50歳になると例えばJR東日本の「大人の休日倶楽部」の入会資格が得られるので、ますます国内指向が強まりそうである。ということは、今までせっせと海外に行くために貯めてきた、各航空会社のマイレージポイントを大放出すべき時が来ているということである。今年の初めにこのことに気づいて以来、来年4月を目途にマイルを使い切ってしまおうと旅の計画を立てまくった。その第1回が今回の韓国呑みテツ旅行である。

明後日からのサミットを控え、玄関口にあたる中部国際空港は厳戒態勢にあった。それを見越してかなり早めに到着したが、「出国する人はさっさと出て行って」てな感じで、極めてスムーズに搭乗ゲートへ。かえって手持無沙汰で困った。出発時刻の30分ほど前に予定通り機内へ。大韓航空のボーイング737-900という小ぶりな機材だが、すべてのエコノミーの座席にオンデマンドのモニターが付いている最新機材だった。それにしても大韓航空に乗るのはいつ以来だろう。前の会社の社員旅行以来だとしたら15年ぶりぐらいになる。

名古屋から仁川まで2時間もかからないフライトで、しかもデルタスカイマイル15,000マイル分の特典旅行だが、国際線の通例で、しっかりと機内食が出て、ビールが飲めるのは有難い。上映していた唯一の日本映画「あん」を半分も見ないうちに仁川国際空港にに到着した。

たばこを吸おうとターミナルビルの外に出たら、思っていたよりも涼しくて驚いた。日本と同じように梅雨のはしりのような季節だが、大陸からの北風の影響受ける当地と、太平洋からの南風の影響を受ける浜松とでは気候の差が出るということである。KTXの駅がある交通ターミナルに移動し、とりあえず日本でネット予約したKTX等のチケットを引き換えた。これが済んでしまうとほかにやることがなくなり、中部空港の出発前と同様、延々ひまつぶしの時間となる。

15時30分。KTX出発時刻の20分前になったので「そろそろいいだろう」と地下ホームに降りてみたら、堂々20両編成の長大な「KTX山川」が鎮座していた。木浦行きと麗水エキスポ行きの併結列車で、編成の真ん中で「つばさ」や「こまち」のように連結されている。1編成が10両とはいえ、前後の2両は機関車であるので、客室は1編成に8両。そのうち1両は日本のグリーン車にあたる特等室で、今日は奮発してそこを予約している。チケット代は83,200ウォン(約7,800円)で、東京〜名古屋間ほどの距離からすると格安である。それでも韓国民からすると高く感じるらしい。KTXの後に乗り継ぐ光州松汀から順天までと、翌朝順天から釜山金海空港最寄りの沙上までのムグンファ号チケット代合計は20,400ウォン。日本円で1,900円である。仁川〜光州と光州〜釜山はほぼ同距離なので、いかにKTXの特等室は高嶺の花なのかということが分かる。

13号車の特等室に入ってみると1列+2列のアブレスト。韓国のゲージ幅は標準軌で、日本の新幹線と同じだが、車両の幅は日本の在来線並みで、ますますミニ新幹線に乗っているような感じになってくる。さっそく中部空港の免税店で買ったシーバス・リーガルの12年(500mlペットボトル)を取り出し、さきほどコンビニで購入したカップ氷に投入。そしてミネラルウォーターを注いで戦闘準備完了。つまみはイカの類が多く、水割りに合うのかどうか不明だが、とにかく発車前から我慢できずにチビチビやってしまった。そのうち定刻の15時50分になり、列車はしずしずと発車。成田空港と同じで、最初はトンネル区間が続くのである。

出発してかなり経ってからトンネルを抜け出し、ようやく空港のある永宗島から鉄橋で本土に渡った。しばらく明かり区間が続き、空港鉄道の駅を次々と通過していく。そのうちにまたトンネルに入り、外に出て川を渡ると、いきなりソウルの市街地に出た。経路上には金浦空港もあり、通過しているはずだが全く分からなかった。こちらとしては新幹線に乗っているつもりが、錦糸町か青砥あたりを通過しているようなもので、新鮮な風景だった。そうこうしているうちにソウル駅を傲然と通過。この列車がソウル近郊で停車する駅は、ソウル駅から3.2キロの距離にある龍山駅。中央駅であるソウルを通過して、別のターミナルに停車するのは、日本の新幹線では考えられない。東京駅を通過して「品川や上野をご利用ください」といっているようなものである。そんなことをあーだこーだ考えているうちにソウルの南の玄関口である龍山駅に到着した。

龍山駅停車中にかなりの乗客を受け入れて、わが特等室もほぼ満席となった。しばらくすると専用線区間に入ったようで、速度が上昇。CMを流しているモニターの左上隅に速度が表示される。だいたい280〜290`くらいを表示していたが、時折、思い出したように最高速チャレンジを始め、299Km/hまではいくものの大台達成にはならずイライラする。結局、私が乗車している間には300Km/hの表示は出なかった。


KTXの仁川空港駅でもある交通センター


KTXの出札所。ネット予約をチケットに変える


「つばさ」や「こまち」のように2編成連結で走行


KTXの特等室にて筆者。1+2のアブレスト


免税店で買った酒をお供に


ソウル駅は大人の事情で通過。龍山に停車


初夏の水田が広がる風景は日本と変わらない

車窓の方は日本と変わらず、田植え前後の水田が広がっている。夕暮れ時が迫り、酔いも回ってくると、思い出の音楽を聞きたくなる。1988年4月〜5月に、FMラジオ番組「サントリー・サウンドマーケット」をそのまま録音したテープを、mp3プレイヤーに入れているのを思い出した。当時その番組では、約2か月にわたって70年代の全英チャートを特集していた。そして当時の私は、その番組をまるまる録音しては、翌日の通学時にヘッドホンで聞く生活をしていた。つまり、この音源を聞くと、28年前の東海道線沿線風景が甦るのである。ビージーズの「ナイトフィーヴァー」から始まり、定番の「ボヘミアン・ラプソディー」(クィーン)や「アイム・ノット・イン・ラヴ」(10cc)と続き、リフのカッコいいフリーの「オール・ライト・ナウ」なんかもその時に知った曲である。そして当時は軟弱な曲だと思ったが、今となっては好きな曲となってしまったルーベッツの「シュガー・ベイビー・ラヴ」を聴くと、若かりしころの自分の立ち居振る舞いが思い浮かんでくる。アルコールと上質なシートと流れる車窓があれば、日本でも韓国でも同じような「走る居酒屋」を堪能できるということを実感した。

18時10分すぎ益山に停車。ここで後ろ寄りの麗水エキスポ行きを切り離し、10両の身軽な編成で光州を目指す。駅を出てすぐに川を渡り、そして車窓は麦秋に変わった。西日を浴びて秋のような風景だった。そのまま短いトンネルをいくつか抜けて、18時46分に光州松汀に到着した。


KTX-山川 120000形のロゴ


上から2番目19:31発1974レに乗車


順天行きムグンファ号のサボ

光州松汀駅は現在光州広域市の玄関口の駅である。もともとは松汀里駅という小駅だったが、KTXの乗り入れや2015年の専用線開通などで、徐々に光州駅との立場が逆転し、今やKTXは全便光州松汀駅に停車し、光州駅は盲腸線の終点になり果ててしまった。光州駅にも大いに興味があったが、今日中に順天に行くためには寄っている時間がなかった。駅前のコンビニで再度氷と水を買い込み、今度は弁当も買ってホームに舞い戻った。既に順天行きのムグンファ号1974列車は入線していた。

光州発順天行きのムグンファ号は、ここ光州松汀駅でスイッチバックする。日本のように電車の運転なら、運転手が反対側の運転席に移動するだけで事足りるが、韓国は機関車が牽引する客車列車であるため、機回しが必要となる。ちょうど反対側に機関車を連結する時にホームに降り立ったので、とりあえず連結シーンを撮影。函館駅や青森駅など、こんな状況だと日本なら機関車と客車の間に撮りテツさんが群がるが、当然ここでは私一人が作業を見守った。機関車の連結が終わったのをしおに、私は指定された座席に向かうため車内に入った。


KTXは車窓がめまぐるしい。麦秋が広がる


益山で身軽になり光州松汀駅に到着


KTX乗り入れで光州の新しい玄関となった駅


光州始発の1974レはここでスイッチバック


光州発順天行きの最終列車がまもなく出発


14系座席車のようなアコモデーション

光州松汀駅を19時31分に発車。まだ夕暮れ時だが、この列車は順天行きの最終列車である。ディーゼル機関車のあとに電源車1両と客車3両を連結したミニ編成である。リクライニングシートが並ぶ車内は14系客車のようだが、2号車の乗客は私1人だけで寂しい。平日の19時台といえば帰宅ラッシュの時間帯だが、光州という大都市を発車直後にこんな状況では、当地では鉄道が地域の足として、いかに浸透していないかが窺い知れる。まぁそれはそれとして、日本でこんな列車には簡単に乗れないので、ありがたくこの状況を受け入れた。

発車してしばらく経つと車窓が暗くなり、どこを走っているのか全く分からなくなる。ときおり駅に停車して、駅名標を確認するが、馴染みのない地名ばかりで、やっぱりどこを走っているのか分からない。そのうち酔いも手伝って、食べかけの弁当を隣の座席に避難させて居眠りを始めた。30〜40分も眠っただろうか、人の気配がして目覚めた。駅名標を見ると「Boseong」(宝城)だった。駅前は、今までよりも都会のようで、幾つかビルが確認できた。会社帰りのOLと思しき人や、学生さんなどが十数人乗車してきて、ようやく最終列車らしくなってきた。そのまま列車は40〜50分ほど走り、ラブホっぽいネオンサインが目立つようになると終点の順天。定刻21時43分の到着だった。


呑みテツ列車が順天に到着


順天の宿はホテルブラウン


順天発釜田行長距離鈍行のサボ

さて今宵の宿は、そのラブホっぽいネオンサインが輝く「ブラウン・ホテル」である。確かにラブホ街にあったが、当のホテルは一般向けに業態変更したらしく、ホテルの前には大型バスすら駐車していた。変換プラグを忘れて、マイPCのバッテリー残量を気にする中で、XP仕様ながらネットにつながるデスクトップ機があったのはありがたかった。おかげで日本の旅先とさほど変わりなく宿泊ができた。

翌朝、気のいいフロント係のお兄さんに「駅までクルマで送る」という申し出があったが、固辞してホテルを出た。歩いてすぐのところに、わりと広い川が流れており、河畔を散歩したかったからである。歩いてすぐに鉄道の橋を見つけた。最初は貨物の引込線かと思ったが、よくよく考えてみると昨夜ここを列車で通っていたようだ。対岸に渡ると、この慶全線が敷地の中を突っ切っている公園があったので、しばしそこで佇んだ。今日の列車の発車時間が迫り、公園を後にして駅に向かう。昨夜と違う経路で駅に向かったら、ずいぶんと遠回りしてしまったようだ。

ソウルはずいぶんと涼しく感じたが、韓国南部のここ順天は朝から快晴で、気温が上昇しているようだ。汗を拭きながらプラットホームに降りると、すでに釜田行きムグンファ号1952列車が入線していた。車内に入ると既に先客が座っており、昨日の光州松汀駅の再現を目論んでいた私には当てが外れた感じである。発車間際に通路側の隣席に女の子が座り、思わずチケットの席番を見せてもらったが、私の隣に間違いない。車内は定員の2割ほどしか座っていないのに、私の座る車両の真ん中あたりに固まっている。昔のマルスのように機械的に席を割り振っているとしか思えない。新幹線の指定席なら勝手に違う席に逃げるところだが、異国のこの列車ではどんなトラブルに巻き込まれるか分からず、狭苦しいこの席で我慢することにした。まぁ14系座席車の簡易リクライニングシートよりは少しは横幅が広く感じるし。。。

順天を定刻の9時28分に発車。次の光陽まではKTXも走るので複線電化であるが、光陽からは再び単線非電化のローカル線となる。山あいのひなびた車窓が続き、9時51分着の玉谷駅で木浦行のムグンファ号と交換。あちらは慶全線を全線走破する長距離列車。こちらも215キロを4時間弱かけて走る長距離列車だが、あちらの前では霞んでしまう。


時差がない韓国では20時ころ日が暮れる


昨夜酔っ払いながら通過した順天の鉄橋


河畔にある公園は慶全線が突っ切っていた


龍山からKTXが直接乗り入れる順天駅


玉谷駅にてムグンファ号どうしの離合


慶全線を踏破していよいよ列車は京釜線へ


韓国最長の洛東江の河畔を釜山に向かう


機関車+客車3両+電源車の編成


沙上駅に到着。韓国乗りテツ旅の終焉


KORAILの駅から金海軽電鉄に乗り継ぎ

列車は淡々と走り、始発から1時間経過した北川駅では宝城行きのSトレインと交換した。外観はちょっと派手目なセマウル号だが、別名「南道海洋観光列車」というだけあって、首都近郊からの浮かれた乗客が何人もホームで記念撮影をしていた。そんな光景を尻目にこちらの列車はさっさと発車。停車する各駅で数人ずつ乗客を拾い、いつの間にか定員半分ほどの乗車率となっていた。そして沿線第2の都市晋州へと進んでいった。

予想に反して晋州で降りる人はわずかで、乗ってくる人の方が圧倒的に多く、車内はますます混み合ってきた。こうして考えると、隣席にも乗客がいるのも納得がいく。この駅まではソウルからKTXが直通しており、複線電化の新線付け替え区間となる。というわけで新幹線の路盤に、機関車+4両編成の客車が走るという図になり、どことなく青函トンネル前後の津軽海峡線を走っているような感じになる。馬山、昌原と沿線随一の大都市にあるKTX停車駅に停まっていき、ときおり猛スピードのKTXとすれ違ったりして飽きさせない。これもKTXの停車駅である昌原中央で隣人の彼女が降りていったが、一帯は安中榛名のような何もないところ。彼女は順天から2時間半もかけて来たこの地に、いったい何の目的で来たのか想像もつかない。

その後、新線区間を30分ほど走ってようやく慶全線と別れを告げる。京釜線とのジャンクション三浪津に12時27分に到着。ここからは伝統と実績の路線である。進行方向右手には韓国一の大河・洛東江が寄り添い南下していく。さきほど昌原中央で空いた隣席は、三浪津駅でキムチ臭いお父さんが座り、つくづく乗車効率のいい列車だと感心する。まぁ京釜線に乗車するのはわずか36.2キロ、37分間と浜松〜豊橋間並み。もうすぐ長時間の鈍行列車の旅も終わる。

沙上駅は思ったよりも小さな駅だった。駅前広場もほとんどないような状態で、沙上の玄関口は釜山-金海軽電鉄の駅だというのが実情である。軽電鉄の駅前にコンビニがあり、弁当を買ってイートインで食べた。家を出発する時に前回の韓国旅行で残った40,000ウォンをそのまま持ってきたが、旅の間ずっとこんな食生活なので半分くらい残ってしまった。2両編成の列車に乗って3駅目、釜山金海空港に到着。一応、韓国はこれが最後のつもりで出てきているので、残りのウォンは使い切ってしまわないといけないな・・・そんなことを考えながら空港ターミナルへと足を踏み入れた。

軽電鉄の線路の向こうに金海国際空港

<終>

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