韓 国 鉄 道 事 情
@社員旅行で行く韓国旅行
日韓共催ワールドカップで「近くて遠い国」から「近くて近い国」のイメージに変わりつつある韓国を旅行した。といっても社員旅行で行ったので、自由になる時間は限られている。3日間の日程の中日が完全なフリータイムなので、ひとつそれを利用して日帰りの鉄道の旅を試みることにした。
朝、名古屋空港を発って2時間弱、午前中のうちに仁川空港に到着した。1日目の午後は同僚と一緒にホテル近くの南大門市場を訪ねた。猥雑な雰囲気で、いかにも「アジア」を旅行している感じであった(右の画像参照)。焼肉の夕食の後、カジノに向かい散財。まずはソウル社員旅行のよくあるパターンを地でいった感じである。

アジアの雰囲気が楽しめる南大門

↑乙支路入口駅から小旅行がスタート

↓国鉄電車が地下鉄ソウル駅に乗入れ

東京駅に似ているソウル駅
Aソウル地下鉄事情
ホテルから歩いて行ける地下鉄の駅は2つある。南へ向かえば明洞駅、北西に向かえば乙支路駅である。いずれも5分程の距離で便利である。2日目の朝、その乙支路駅からソウル駅に向かった。
ソウル市内の地下鉄は東京並みに複雑な路線網である。そのため旅行中、路線図は手離せなかった。キップは自動販売機で買えるのだが、日本とは違って最初に料金ボタンを押してから小銭を投入する。最初はこれに戸惑い、いくらお金を入れても戻ってしまい「?」の嵐であった。市内はほとんど600ウォン(約60円)で行けるが、1000ウォン紙幣すら自販機は受け付けない。細かいお金がない場合は窓口でキップを買わねばならず、外国人には煩わしい。

ひまつぶしに鉄道博物館へ
自動改札機を抜けて、いよいよ韓国の鉄道の初体験。ハングル文字がホームや車内に氾濫し異国情緒があるが、乗ってしまえば日本の地下鉄と変わらない。一駅乗って市庁駅で乗り換え。今度は国鉄電車に乗車する。国鉄が地下鉄に乗り入れており、郊外の水原まで乗り換えなしに行ける。また一駅乗って、ソウル駅で下車した。

Bソウル駅
ソウル駅は外装が赤レンガで東京駅に似ている。それもそのはず、韓国が日本の植民地時代に日本の設計によって建てられ、その時期は東京駅と同じ大正時代である。こういうところにも日本と韓国の不幸な歴史が垣間見られ胸が痛む。
さて、ソウル駅の窓口で筆談を使って大田までのキップを買うことに挑戦した。しかしお目当ての「セマウル号」(日本の特急に相当)は16時台の列車まで全て満席。しかたなく12時45分の「ムグンファ号」(日本の急行に相当)の指定席を取ってもらった。しかし、それでも2時間半以上も後の列車である。夏休みということで平日でも軒並み満席なのである。それにしてもキップ代は安い。167`離れた大田まで(東京〜清水間に相当)指定席料金込みで7500ウォン(750円)である。
思わぬ時間ができてしまったため、ソウル駅の中にある「鉄道博物館」に入ってみた。鉄道博物館といっても、東京の万世橋にあるような立派なものではなく、ソウル駅舎の空き部屋を利用したようなかわいいものである。中に入ると韓国の鉄道の歴史を写真で辿れるようになっていて、日本人と韓国人が協力して鉄道を造っていった様子がわかる。また近い将来には新幹線が開通し、夏休みの子供たちが目を輝かせながら新幹線のビデオを見ていた。ここでひとつ気が付いたのだが、韓国全土の地図は必ず北朝鮮まで描かれている。現在は同じ民族でありながら分断国家となっているが、いつかは統一したいという国民の願いが込められているのだろうか・・・
時間を持て余して、改札口に行ってみると、発車30分前だというのに長い列ができていた。韓国はたとえ始発駅でも発車ギリギリまで乗客をホームに入れず、まるで列車別改札をしている北陸の駅のようである。指定券を持っているので駅のデパートなどで時間をつぶし、5分前に顔を出してみると列は無くなっていた。私も改札口を抜けてホームに降りていった。

Cムグンファ号
韓国の優等列車は機関車が引っ張る客車列車である。そのため停車中はモーターやエンジンの音がなく静かである。ソウル駅を若干の空席を残して発車した列車は、次の永登浦で満員立ち席となった。ここはソウルの副都心のようなもので、東京を発車した列車が新宿で乗客を拾う感じである。次の水原を出るとようやく車内は落ち着いた。

上から3番目が私の乗るムグンファの表示
水原からは家並みも途切れ、車窓に水田地帯が広がる。車内に飛び交う韓国語を除けば日本を旅しているような錯覚に陥る。天安を抜けると次第に山深くなり峠越えをする。強力な機関車が牽引しているのでスピードは衰えなかった。
いくつかのトンネルを抜けると鳥致院に到着する。山間の小駅のようなここでも大勢の乗客を受け入れて出発。ここで私を驚かせた小さな事件が起きた。50歳くらいのオバさんが、私の右の足元に新聞を敷き地べたに座ったのである。私は進行方向左側の一番前の座席に座っていたのだが、そのオバさんは、私と右隣の乗客との間の足元に壁を背にして対面するように座ったのである。おかげで私は組んだ足を降ろせなくなってしまった。少しはそのままでいたが、次第に耐えられなくなって、私は大田駅到着の15分ほど前にオバさんに席を譲った。

大田駅に到着したムグンファ号

韓国の優等列車はすべて客車列車

大田駅前にて筆者

セマウル号らしくない機関車が牽引
D大田にて
日本でいう急行でありながら、167`の距離を2時間ちょっとで結び、相当に俊足なムグンファであった。しかしさすがに、この混雑には辟易とした。
さて、大田には特に目的がなく来てしまったため、とりあえず日本でするように街歩きをすることにした。ソウルでは曇っていたが、こちらでは日差しがあるため余計に暑い。たまらず地下街に逃げ込んだ。大田は名古屋並みの人口であるが、街の雰囲気は静岡クラスである。しかし2年後には地下鉄が開通するため、駅前は目下急ピッチで工事をしていた。
1時間半ほど街をブラブラし、駅に戻った。待合室にはインターネットができるコンピューターが並んでおり、さっそく私もご相伴。自分のHPの掲示板にアクセスし、日本語フォントがないためローマ字で書き込んでみた・・・
Eセマウル号
帰りはお目当ての「セマウル号」に乗車する。ソウル駅の窓口で「残り2席」を運良くゲットした座席は特別席。日本でいうところのグリーン車である。それでも14200ウォン(1420円)なので日本に比べれば格安である。
4分ほど遅れて到着した16時16分発のソウル行き「セマウル号」は、予想に反して、いかつい機関車が牽引していた。これなら先程乗ったムグンファ号の機関車の方が「セマウル」らしい。しかし当然のことながらスピードは変わらず、最高140q/hで突っ走る。
特別席は、先程乗ったムグンファの普通席より静かで落ち着いた雰囲気である。また、ヘッドフォンで音楽も聴ける(ただしクラシックか韓国の歌謡曲だが)。しばらく、その快適な乗り心地を楽しんだ後、食堂車に向かった。
日本では、ほぼ絶滅してしまった食堂車であるが、ここ韓国では健在である。ほとんど全てのセマウル号に連結されている。満員の列車に乗ったので「混んでいるかな?」と思いつつ食堂車に来たが、ガラガラに空いていた。そういえば日本でも、末期のころはこんな感じだったような気がする。気を取り直してメニューを眺め、ビーフカレーとビールを注文した。カレーが7000ウォン、ビールが4000ウォンと食堂車にしては安い。それでも韓国の人には高く感じるのであろう・・・
夕暮れが迫る車窓を眺めながら極上の時間を過ごし、水原を通過したのをしおに席を立った。ムグンファのような列車はゴメンだが、こんな列車なら、また韓国に来て乗ってもいいかなと思った。

セマウル号の指定券。特別席だが14200ウォン(1420円)と格安

セマウル号のサボは当然ハングル文字

グリーン車なみの「特別席」

予想に反してガラガラの食堂車


ビーフカレーとビールで11000ウォン


暑かったからビールが美味い?


大田〜ソウル間を100分で快走して到着
Fソウル市内落穂ひろい
翌朝は、12時のチェックアウトまで、再度独りでソウル市内を回ることにした。セマウル号も発着する韓国東部方面へのターミナル清凉里駅と、長距離高速バスのターミナルに興味を抱いたからである。
8時ころホテルを出発して、今度は明洞駅から地下鉄に乗る。3つ目の東大門駅で乗り換えて、3駅乗車すると清凉里駅である。上野駅を想像して行ったのだが、予想に反して、こじんまりとした駅だった。橋上駅で、まるで私鉄の中間駅のようであった。しかし駅前広場は大きく、何かイベントでも開けそうな感じであった。ホームに降りてみると、セマウル号が引込み線に停まっており、やはりターミナルなんだと感じた。

ソウルのもう一つのターミナル・清凉里駅

清凉里駅にたたずむセマウル号

蚕室オリンピックスタジアムにて筆者
清凉里駅から600ウォンきっぷを握り締めて国電に乗車した。3つめの玉水駅で、地下鉄に改札内で乗り換える。漢江を鉄橋で渡り、4つめの駅が高速バスターミナルである。例によってバスターミナルの出札口には長い列が延び、改めて夏休みの民族大移動を痛感した。
最後に、サッカーファンとして「ここだけは訪れなければ」という思いで、蚕室オリンピックスタジアムに移動した。今回のワールドカップは開かれなかったが、日韓サッカーの歴史を刻んだスタジアムの大きさに感動した。フランスワールドカップの予選で、日本はアウェイながら、このスタジアムで韓国を下した。その試合が日本のワールドカップ初出場に導いたのである。私は大満足でスタジアムを後にした。

[ 完 ]


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