四 十 年 の 刻 | なぜか小松空港から旅は始まる |
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私にとって40年前の1979年は、現在まで続く趣味の扉を開いた重要な年である。そのなかでも1979年12月26日は、旧国鉄の乗りつぶし企画である「チャレンジ20,000キロ」に参加し、最初の線区である清水港線を完乗した日である。もはや廃止されて何十年も経つ線区だが、DD13が貨物列車と客車をいっぺんに牽引する「混合列車」が走る線区として有名だった。オハ35みたいな旧型客車に揺られて三保駅に到着し、そのまま三保の松原で当時流行っていた「いい日旅立ち」を、富士山に向かって仲間と一緒に唄ったのを鮮明に覚えている。
ちょうど40年前ということで、近頃その1979年の秋から初冬にかけての日々をよく思い出す。10月からSBSラジオでポピュラーベストテンという番組が始まり、それまで歌謡曲ばかり聞いていた私に洋楽への扉を開いた。1979年の12月ころになるとジンギスカンの「めざせモスクワ」が好きになり、中学校からの帰り道によく口ずさんでいた。当時は「めざせモスクワ」というタイトルだから、1980年のモスクワ五輪を目指す選手の歌かなと純粋に思っていた。そのモスクワ五輪には、日本選手団がボイコットで行かれなくなって、冷戦下の世界情勢の現実を中学生ながらに感じ取ったように思う。そんな40年前の日々が、愛おしくも懐かしく感じる。 閑話休題。1979年12月26日から数えてちょうど40年後、私は尾道への旅に出発した。夕暮れの尾道水道見たさに計画したが、当日は西から天気が崩れて、今にも雨が降り出しそうである。尾道に行くなら、浜松駅から新幹線で西に向かって出発するのが普通だが、私は上りの新幹線に乗車した。これから羽田から小松まで飛ぼうという算段である。こんな旅程になったのは理由があった…。 | ||
既に旅のコーナーには何度も登場しているが、来年1月下旬には、またまた「大人の休日倶楽部パス」を使う旅を計画している。このきっぷは利用当日に買えないので、あらかじめ買っておく必要がある。まぁそれでも浜松駅で買えれば問題ないが、このきっぷはJR東日本の窓口でしか買えないので、利用前1か月以内に必ず関東方面に出掛ける必要がある。そこで今回、品川駅で発券してから羽田空港に行き、小松まで飛んだ後に、JR西日本の株主優待券を利用して尾道に行こうと目論んだわけである。
12月26日といえば年末年始の帰省ラッシュには、まだ早い。うまくいけばアップグレードポイントを使って、プレミアムクラスで小松に行けるかなと思っていたが甘かった。プレミアムクラスは早々に満席となり、おまけに普通席も満席、挙句の果てには羽田空港のセキュリティチェックも大混雑。プレミアム会員専用の優先レーンに並んだにもかかわらず、列に並んでから30分以上かかって、ようやくラウンジへ抜けることができた。 羽田を発つときには雨が降っていなかったが、小松空港には氷雨が降っていた。例年なら雪も積もっていようかという時期なので、今年はまだマシである。小松空港から小型のハイブリッドバスで小松駅まで運ばれて、JRのきっぷ売り場へ。株主優待券を使って、尾道までの乗車券、特急券を発券した。せっかく半額になるので、小松から新大阪まで乗車するサンダーバード22号は、グリーン車に乗ることにした。681系・683系のグリーン車は、1列+2列のアブレストでゆったりとしており、グリーン車に乗る価値がある。 |
小松バスのハイブリッド車で小松駅に到着 |
株主優待の有効利用でグリーン車に乗車 |
車窓には雨に煙る尾道大橋 念願の尾道水道の夜景 40年前の三保旅行では、帰りにグリーン車に乗った。グリーン車に乗るのはこの時が初めてだった。まだ消費税が導入されていないころなので、グリーン車に乗ると通行税が取られた時代である。といっても普通列車のグリーン車で、距離も100キロ以内なので、グリーン券自体が千円もしなかったと思うが…。
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さくら561号で指定された席にびっくり |
尾道駅からまっ黄色の113系が遠ざかる |
今朝は晴れた!向島ドックの夜明け |
「さびしんぼう」でも観た尾道の渡船 |
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グリーンヒルホテル尾道に宿泊 |
改装され新しくなった尾道駅の駅舎 |
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おのみちバスで新尾道駅に向かう |
旅の折り返し点・新尾道駅にて筆者 |
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同じ700系でもまだ活躍するレールスター |
粟生駅を発車する加古川線103系 |
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北条鉄道の終点・北条町駅ホームにて |
北条町駅前から出る神姫バス姫路駅行き |
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阪神9300系のクロスシートで梅田へ |
今年初めての700系16連・のぞみ374号 |
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