追憶の記〜南紀117 | 春旅第2弾は名鉄特急の一般車でスタート |
|
今から40年も前の話になるが、国鉄117系電車の登場は衝撃的だった。大阪地区の新快速の置き換え用として製造されたこの電車は、流線形で前照灯が4個あり、特急電車のような四角い列車種別表示器が付いていた。車内もオール転換クロスシートで居心地がよく、阪急電車を意識した木目調の化粧板に高級感を感じた。当時の新快速は在来線特急より速く走っており、こんなすごい電車に乗車券だけで乗れる関西の人がうらやましかった。当時、中学生で鉄道趣味にはまっていた私にとって、この117系はヒーローだった。 それから3年、高校生になった私は、鉄道趣味の熱は多少冷めていた。しかし街中の高校に通学していたので、名古屋地区に投入され、快速電車として浜松に乗り入れてくる117系を、普段から目にするようになっていた。高校1年の文化祭だったか、クラスで映画を撮ることになり、ラストは名古屋に旅立つ恋人との別れのシーン。浜松駅の在来線ホームでロケをして、恋人たちを分かつ列車がこの117系だった。当時は「なぜ新幹線じゃないの」と思ったが、新幹線ホームではロケが許可されなかったのだろう。 その後、国鉄民営化でJR東海に移管された117系は、コーポレートカラーのオレンジ帯をまとって、あいかわらず快速電車で使用されていた。しかし最高速度が110Km/hと低いことが、名鉄とのスピード競争に不利に働いた。また、2扉でラッシュ時に乗降に手間取ることが嫌われ、次第に閑職に追いやられることとなった。そして、とうとう2013年3月のダイヤ改正で定期運用を外れ、その後も活躍の場を与えられず、翌年にはJR東海の117系は全廃となった。定期列車引退前の2月に、私は米原まで117系に乗りに行っており、「Goodnight Series 117」でその時の画像を公開している。俗に引退直前の車両や、廃線になる線区に押し掛けることを「葬式鉄」といい、あまり気持ちのいい行為ではないが、大好きな117系だけは例外である。今春のダイヤ改正で、紀勢線の117系が新車の227系に置き換えられるということで、早春の紀州路に旅立つことにした。 | ||
名駅広小路口よもだそばの朝定食 ビスタカーの2階席を指名買い 昔の乗貸車っぽいハイバックシート 今回の旅は、今年2度目のSpring Tourでもあるが、春旅に南紀一周するのは過去に何度もあり、去年もこの時期に南紀に来ている。その中でも思い出深いのは1999年2月の旅である。当時の私は、1997年3月に沖縄に行って以来、まるまる2年間にわたって旅に出られないでいた。1997年7月に、入社以来の観光部門から畑違いの保険部門に異動となった。その時の私は、無理やり保険を売りつける仕事に嫌気がさし、すっかりうつ病になってしまった。特に長野オリンピックがあった1998年2月ころがひどく、4月にはとうとう営業から外され、裏方の内勤職となった。内勤になったことで、生命保険のことを学ぶ機会が増え、そのうち第1分野と呼ばれる死亡保険を、コンサルティングしながら売るようになった。保険をがむしゃらに売り歩くのではなく、コンサルティングしたうえで、お客さんに納得して契約してもらうという売り方が性に合ったらしく、そこそこの成績を残すようになってきた。その時期が1999年の2月で、ようやく2年ぶりにひとり旅を再開する気になったのである。ただし、カメラを持たず旅に出たので、ホームページにはその旅の詳細は残っていない。
|
ハイブリッドのノンステップバスにリニューアル |
伊勢神宮内宮の別宮「滝原宮」で小休止 |
紀北町の海山バスターミナルにて筆者 |
熊野市駅前のバス停に新宮行きが到着 |
|
新熊野大橋を渡り三重県から和歌山県へ |
朝の浜松から地べたをはって夕刻新宮入り |
|
くろしお36号を新宮駅北側の踏切より撮影 |
北陸から嫁入り後すっかり馴染んだ289系 |
|
南紀で最後の日々を過ごす青緑色117系 |
ドア横がロングシートに改造されセミクロスに |
|
シートモケットもそのままの転クロにて筆者 |
終点和歌山に到着し残り3日となった117系 |
|
<終> |