太平洋戦争の激戦地と普天間基地


「第一」マークが目印の琉球バスで宿へ


1月17日は、めったに雪が降らない浜松に雪が降りパニックに陥った。まさに冬の底の一週間。こういう時には厳寒の浜松を飛び出して、暖かいところに行くに限る。たまたまその週末の土曜日に沖縄への避寒の旅の予定が入っていた。JALの「スーパー先得」運賃に、誕生月にもらった「クラスJクーポン」を組み合わせ、お得な値段で沖縄へ。長距離のフライトもラクラクである。

中部空港を15時前に発ったので、当然ながら那覇空港到着は夕方になった。今夜の宿であるラグナガーデンへ行くバスは18時02分の発車。浜松では真っ暗な時間であるが、そこは遥か西に位置する沖縄本島。発車してしばらくは十分車窓が楽しめるほどの明るさであった。

バスはまっすぐ国道58号線を行けばいいものを、あっちこっちの通りに寄り道しながら北上する。クルマで直行すればラグナガーデンまで30分程度で行けるが、1時間15分かけて終点の1つ手前の宜野湾市営球場前に到着。これだけ乗っても運賃は550円と安い。ここからは歩いて1〜2分でホテルの入口に着く。

さっそく部屋で泡盛の水割りをいただく。空港のコンビニで900ccの紙パックのやつを買って部屋に持ち込んだが、なかなかカラにならない。翌朝起きてしばらく経ってから気付いたのだが、25度の泡盛を1:1の水割りにすると、ちょうど清酒なみのアルコール度数になる。逆に量は2倍になるので、清酒を1升飲むくらいの勢いがなければ征服は不可能なのである。そんなわけで残り水割り2〜3杯のところで、ベッドで気を失っていた。

翌朝のバイキング会場でも、前夜のアルコール量が計算できていなかったので、いつものようにたらふく皿に盛ったが、いつものように食べられないので、「あれ、風邪でもひいたかな?」と思ったくらいの、ほんとにおバカぶりを発揮してしまった夜だった。


一人旅でも使えるリゾートホテル・ラグナG


2週間後にはベイスターズのキャンプ地


一応オーシャンビュー

とにかく二日酔いの状態で、沖縄2日目にして最終日の行程を開始する。まずは那覇とは逆方面に行くバスで真栄原に向かう。旅行者然とした中年男が、日曜の朝っぱらから那覇とは逆方向のバスに乗車するので、当然ドライバーから「那覇には行かないよ」と声を掛けられた。私は私で目的地の「真栄原」という地名をどう読むのか知らないので、「う、うん、大丈夫です」という怪しい返事になってしまう。まぁ15分後には降車ボタンを押して下車したので、ドライバーさんもホッとしたんじゃないかと思う。

真栄原バス停から、今日唯一の目的地・嘉数高台公園へは1.3`ほどの道のり。当然歩いて向かうことになるが、厳冬の浜松とは異なり、当地は4月くらいの暖かさ。旅の荷物を背負って、冬のジャケットを着て歩くと、汗がどっと噴き出してくる。久々にウォーキングでいい汗をかきつつ、嘉数の丘をよいしょよいしょと登った。

嘉数の戦いは太平洋戦争・沖縄戦の勝敗を左右した激戦地である。京都部隊を中心とした日本軍は、その10倍の兵力にプラスして最新鋭の兵器を持つ米軍に対して激しい抵抗を加え、16日間占領を許さなかったとされている。日本軍の死傷者64,000人に対し、米軍の死傷者も24,000人に上ったとされている。この数字は太平洋戦争で最も激しい戦いだった硫黄島での死傷者(日本軍21,000人うち生存者1,000人、米軍28,000人)に匹敵する。でありながら、数ある沖縄での戦闘のひとつとして歴史に埋もれている状態である。

嘉数の戦いを現在に語り継いでいる遺跡のひとつにトーチカがある。66年の風雨にさらされながら、今でも日本兵が銃眼より機関銃を撃ってきそうな雰囲気である。戦後おそらく占領軍は、このようなトーチカをひとつひとつ破壊して回ったと思うのだが、ここに現存しているのは発見されなかったのか、はたまた米軍の意思によって残されたのかは、現地でうかがい知ることはできなかった。


コンベンションセンターの入口「歓海門」


2日目は普天間方面行きのバスに乗車


嘉数高台公園に上る階段にて筆者


もうすぐ花見の季節。沖縄の緋寒桜


嘉数高台公園のシンボルである展望台


新聞掲載の普天間基地はこのアングル


嘉数は京都隊の死闘の地

嘉数高台公園のシンボルのひとつに、地球をかたどった展望台がある。そこから北の方向を見ると普天間基地が見渡せる。海兵隊はその性格上、沖縄そして日本を守ってくれるとはとても思えず(現に沖縄国際大学へのヘリコプター墜落事故を起こすなど迷惑施設そのものである)、激戦の戦跡より見渡せる位置に存在するのは皮肉といえば皮肉である。いろいろな考え方があると思うが、こうして展望台から眺めてみると、少なくとも人口密集地の普天間からは早急に移設すべきだと感じる。

そうこう考えているうちに帰りの出発時間が気になってきた。公園から徒歩10分ほどの場所にある那覇バスの広栄団地入口バス停で、那覇空港行きのバスを捕まえた。途中経由する国際通りの賑やかさが、本当の沖縄の姿なのだろうか・・・


海側を望めばラグナガーデンホテル


昭和20年4月8日〜24日、日米決戦の地


映画でしか見たことのないトーチカの実物


最寄の広栄団地入口から空港へは直通

<終>

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