J R 西 日 本 一 気 通 貫 |
ANAクラウンプラザ福岡に前泊 |
|
2012年11月23日(金)、勤労感謝の日。前夜遅くにチェックインしたANAクラウンプラザ福岡に、14時過ぎまでゴロゴロしていた。ANAマイレージクラブのスーパーフライヤーズ特典で、ANA
IHGグループのホテルはレイトチェックアウト15時まで無料。それを活かして、博多出発ぎりぎりまでチェックアウトを遅らしたのだ。なにも博多に来てまでホテルの部屋に長居するのもどうかと思うが、近頃の私の旅のコンセプトは「名所・旧跡めぐりよりも、いかにボケーっとするか」になりつつある。まぁ今回は久々に、発車時刻以降は列車に乗りっぱなしになる「列車乗り継ぎの旅」なので、なおさらである。 ホテルから博多駅まで歩く。双葉山の広告旗が風に揺れている。そういえば大相撲九州場所が、ここ福岡の地で開催中だった。福岡国際センターに行って幕下あたりの取り組みまで見てくれば良かったなと後悔した。そんなことを考えているうちに博多駅到着。改札を抜け新幹線ホームに上がると、既に「のぞみ132号」は入線していた。 「指定された席は何番だったかな?」ときっぷを確認した時に「あっ」と思った。前夜、飛行中にさんざん酒を飲んでいた私は、「明日ここに来るのは面倒だ」と、よせばいいのに直江津までのきっぷを購入。その時に窓口の女性に出したメモが分かりづらかったのか、博多→岡山の「のぞみ」と岡山→新大阪の「ひかり」を別々に発券されていた。岡山ではホームで乗り継ぐだけなので、本当は博多→新大阪を通しで発券し、別々に座席指定をして欲しかったのだ。通しなら何千円か安くなったはず。でも、既に改札を通ってしまったので、特急券の変更は不可。酔っ払っていると、なにかとトラブルが起こるので、特に発券後に窓口で確認する時には念には念を入れないといけないと思った次第である。 |
||
レイトチェックアウト無料で出発までゴロゴロ |
博多14時44分発のぞみ132号で乗継スタート |
なにはともあれ10号車のグリーン車に乗車。三連休といえども、中間時間帯の博多→岡山間は空いていた。同じ車両に私も含めて5人しか座っていない。なんのてらいもなく喫煙コーナーに行けるので、全車禁煙席のN700系でも全く支障がなかった。 とはいっても、席を立ってわざわざタバコを吸いに行くのと、自席で吸えるのでは面倒さが違う。岡山で乗り換えた700系ひかり478号では、やたらとタバコに火を点けた。この列車は新大阪まで各駅停車だが、とにかく駅に着くたびにタバコを吸う“チェーンスモーク状態”。特急券を別切りされたモトは取らないとね(新大阪までのぞみで乗り通していれば、別切りされるわけがないからね)…。 新大阪には日がとっぷり暮れた17時38分に到着。車内放送の乗り換え案内では次の37号が案内されていたが、ゆうゆうと17時45分発の魚津行きサンダーバード35号に間に合った。この列車でも指定の席はグリーン車。それも、新大阪まで乗車した2本の新幹線のグリーン車より豪華な1人用独立シートである。ただし全面禁煙なので、車内での過ごし方は酒をたらふく飲んで、眠くなったら眠るだけである。 |
電動リクライニングのN700系グリーン車に乗車 |
岡山→新大阪は喫煙できる700系ひかりに乗車 |
岡山の乗換は向かい側で楽々 急行型窓側テーブル下の栓抜き JR西日本管内の最東端に到着 京都を発車し、湖西線を走っている途中でさっそく眠くなってきた。この列車は、京都に停車すると次の停車駅は福井で、滋賀県も福井県の嶺南地方も完全無視。私も列車に呼応してしまい、目覚めると福井停車の寸前だった。 |
新大阪→魚津は683系サンダーバードで移動 |
1人用の独立グリーンシートでくつろぐ筆者 |
|
153・165系時代の大垣夜行を思い出す光景 |
直江津駅前のホテルから日本海がチラ見可能 |
|
冬を告げる時雨が降る朝の直江津駅 |
旧国鉄色が復活した妙高号用の183・189系 |
|
田園の向こうにそびえる雪を被った妙高山 |
長野→塩尻で乗車した「しなの12号」を見送る |
|
わずか7分の乗車でも検札があった「あずさ」 |
岡谷駅から乗車した飯田線313系電車 |
|
伊那北駅手前で事故。運転士が現場に走る |
軽自動車が金網を突き破って線路に侵入 |
車排除後微妙にレールが曲がった |
近い山は紅葉、遠い山は積雪。晩秋の伊那谷 |
新しい飯田線の主力213系。この旅の最終列車 |
のんびりと飯田線の旅を楽しんでいた矢先、岡谷を出て30分少々経った田畑駅で事件発生。「この先の踏み切りで緊急ボタンが押されたので、踏み切り前まで行って停車します」と案内があった。果たして現場に到着すると五角形の特殊信号がぐるぐる回っている。運転室に地元の人が歩み寄り、運転士は電車を下りて現場に駆けていった。 事故現場は踏み切りを50bほど過ぎた場所で、軽自動車がフェンスを突き破り線路内に入り込んでしまったらしい。そのクルマは撤去したが、その時にレールを曲げてしまったので、緊急ボタンを押したということだった。結局、現場で1時間半ほどカンヅメになり、列車は曲がったレールの上を最徐行で通過。遅れは回復せず、接続の特急は待たずに出発。乗車中の列車は飯田で運転を打ち切るという憂き目にあった。 飯田で天竜峡行きに乗り継ぎ、天竜峡に到着すると、乗車予定の列車が向かい側のホームで待っていた。飯田線の新しい主力列車213系2両編成である。2扉の転換クロスシート車で、私が初めて四国に渡った時、本州側で最後に乗った列車が、導入ほやほやのこの形式だった。当時は快速「備讃ライナー」として岡山と宇野を結び、宇高連絡船と接続していた花形列車だった。クロスシートがドア間にずらっと並ぶ様に、約四半世紀前を思い出して感傷的になった。 いやいや感傷的になっているヒマなどない。当初予定の列車に乗れたといっても、天竜峡発車時点で55分の遅れ。城西で乗り継ぐ予定の西鹿島行き遠鉄バスとの接続時間は31分で、これでは到底間に合いそうもない。私はさらなる出費を覚悟した。 遅れ回復のため213系は夜の飯田線を最高速度で爆走。温田での10分停車は、逆に対向列車を待たせてすぐ発車。静岡県に入った大嵐では遅れが35分まで回復した。しかし時刻は18時31分。西鹿島行きのバスが始発の水窪町を発車する時刻である。 城西のひとつ先の相月では、バスが18時47分の通過だと分かり、イチかバチか、そこで電車を降りることに決めた。電車の相月到着が18時45分。バスはダイヤ通りに来て乗り継ぎ成功。さぁ、これからは1時間半の夜行バス気分の旅が始まる…。 |
夜の備讃ライナーに乗車した頃を思い出す |
相月で西鹿島行遠鉄バスに乗車し赤電へ |
|
<終> |