お待たせ、36ぷらす3
福岡空港に到着したスターフライヤー機

7月には県内宿泊のツーリングができたが、8月、9月と緊急事態宣言が発令されたこともあって、日帰りの旅行に急遽変更。県外に泊まるのは6月の池田への旅以来4か月ぶりとなった。なんか昨年よりも状況が悪くなっているのが旅好きにとっては辛いところ。しかしコロナ禍ゆえに逆にいいこともある。昨秋に運行開始して以来、その人気ゆえに簡単にチケットが取れなかったJR九州の看板特急「36ぷらす3」が、乗車当日に簡単に予約可能となっている。たまたま10月18日月曜日に博多から大阪に向けてJR西日本の旅を計画していたが、ものは試しとJR九州のサイトから「36ぷらす3」の予約状況を確認したら、長崎→博多のコースがガラガラ。当日発券できればJR九州の株主優待券が利用可能なので、そのまま予約せずに旅行当日を迎えたのである。

中部国際空港に行くために、名鉄の株主優待券を使い豊橋から快速特急に乗車。神宮前で快速急行に乗り換えるつもりが、遅延のためそれができなくなった。結局15分後のミュースカイが最先着となり、それに乗車した。これが分かっていれば豊橋から中部国際空港まで乗り継ぎミューチケット360円のみで済んでいたが、豊橋→神宮前、神宮前→中部国際空港の2枚のミューチケットを買うはめになりがっくり。まぁコロナ禍であるので席の確保が最優先なのだが。

中部国際空港の「セントレア エアラインラウンジ」でYoutube用の動画を撮影。制限エリア内にある航空会社のラウンジでANAとJALが共同で使用しているのは日本でここだけということなので、興味があったらどうぞ。その後ANAとコードシェアしているスターフライヤー機によって福岡空港へ。ANAの特典航空券で黒塗りの機体の革張シートに乗れるので、旅に広がりが出る。

さて目論見通りほぼ定時に福岡空港に到着したのでひと安心。地下鉄で博多駅に出たら、ここで大仕事をせねばならぬ。まずはJR西日本の窓口。明日利用する博多→新大阪の山陰回りの乗車券と自由席特急券を株主優待5割引で発券してもらう。自分からすれば割と簡単な発券作業のように思うが、思いのほか時間がかかって、ちょっと焦ってきた。次はJR九州のカウンターで前述の36ぷらす3の発券。こちらは見習い嬢が対応したが、横に立つ先輩社員の助けを借りてスムーズにキップが出てきた。そして自動券売機で直後に乗車するかもめ19号(早得7)を発券。何とか間に合った。この旅最大のヤマ場を越えてホームに出ると、ちょうど885系白いかもめが入線してくるところだった。

肥前山口から諫早までの区間に乗ったのはいつ以来だろうか。穏やかな有明海を見ながら「やっぱり鉄道の旅はいいな」と思った。長崎駅には昼下がりに到着。36ぷらす3が発車する17時30分までの時間を使って、久々に長崎観光をする。

長崎バスの長崎市内観光1日乗車券(500円)を購入し、駅前のバス停からまず稲佐山を目指す。長崎には何度も来ているが稲佐山の展望台に登ったのは初めてだった。お決まりのポーズでセルフ撮影し、Youtube用に動画も録画。Youtubeを始めてからやることが2倍になった。長崎バスの前面展望、稲佐山展望台、そして原爆施設関連をまとめて1本に編集しているので、よろしければご覧あれ。


長崎の爆心地に建つ碑


この地点の上空500mで爆発

再び1日乗車券でバスに乗り宝町で乗り継いで平和公園に向かった。平和記念像は1989年2月の大学卒業旅行の時に立ち寄って以来の再訪。卒業旅行で訪れたスポットはその後の30有余年でくまなく再訪したつもりだったが、この平和公園だけが残っていた。次いで当時訪れなかった爆心地公園と原爆資料館にも立ち寄った。長崎での時間はわずか3時間半だったが、濃密な時間を過ごすことができた。

再び長崎駅に戻ってきたのは夕暮れ迫る17時15分ごろ。すでに36ぷらす3はホームに入線していた。乗客よりも、もてなすスタッフと見学の人の方が多い状態で、あらためてこのような列車の持つパフォーマンスを実感した。指定した座席は最後尾6号車の2人掛け。空いている時には隣の席に荷物が置けるので、1人席よりも2人席の方が居心地が良い。なお6号車は桟敷で靴を脱いで過ごすしつらえだった。

長崎駅を発車する際には、わざわざ速度を落として見送りのスタッフと手を振り合えるようにしていた。実際の様子は右の動画をご参照のこと。さて発車からしばらくすると日が暮れて車窓が望めなくなり、なんとなく手持無沙汰となる。というわけで席を離れて3号車のビュッフェにお邪魔する。787系が登場した時には在来線特急に久々に設置されたビュッフェが大いに話題となった。私も1992年12月に特急つばめに乗車し、ビュッフェの雰囲気を味わったが、その後時代の流れによりビュッフェが営業されなくなり、代わりに普通車のシートが設置された。そのため取り残された形となった天井の楕円形のドームが異彩を放っていた。今回、787系の1編成が36ぷらす3に改造されるにあたって、もともとのビュッフェ車両が再びビュッフェとして使われることになった。というわけで楕円形のドームが元の役割どおりのお洒落な感じに復帰している。こちらも右の動画で撮影しているので、興味があったらどうぞ。

そのビュッフェで「五島手延うどん“七椿”ミニうどん」「“36ぷらす3”オリジナル 黒い鶏カレー」「季節の日本酒飲みくらべセット 〜3種のお酒+3種のおつまみ〜」を購入。ビュッフェでは食事をする雰囲気にないので、隣の4号車マルチカーに移り、ちびちびと日本酒を味わいながらうどんをすすった。この五島うどんはおそらく冷凍食品を車内で温めているのだろうが絶品だった。450円と値段も手ごろなのでおすすめである。


黒鶏カレーと五島うどん


HAMA BARで買ったお酒セット

日頃飲み慣れていない日本酒を飲んですっかりほろ酔い。自席に戻ってしばらくすると、車内放送が入った。「次の肥前浜駅でしばらく停車します。発車時刻は・・・」長時間の運転停車を活用してイベントタイムがあるようだ。さっそく下車すると駅舎が「HAMA BAR」という飲み屋になっていた。入店するとカウンターに日本酒のボトルがずらりと並んでいる。車内に持ちこめるとのことで「鹿島の3銘柄利き酒セット」をすすめられた。カウンター越しのお姐さんの言うがままに銘柄を指定し、上の画像のようなセットが出来上がった。その模様も動画にあるので必見である。てなことをやっているうちに出発時間が迫る。ぎりぎりで自席に戻る。「お待たせ、36ぷらす3」

その後佐賀駅で長時間停車があったが、もうすっかり酔っぱらっていたので車両から外に出ることなく漫然と過ごした。それから博多までの1時間は記憶が曖昧である。鹿児島線に合流する鳥栖で運転停車したのかどうか?とか・・・。居眠りはしていないのに不思議なことである。そしてて21時過ぎに定刻で博多駅に到着。特急かもめ号なら2時間もかからない距離を、3時間半以上かけてゆっくり走る36ぷらす3。今度はぜひ違うルートで乗車したいものである。


「白いかもめ」に乗るのは初めてかも


長崎バスの1日乗車券で稲佐山へ


稲佐山山頂展望台にて筆者


西日の方角に長崎っぽい島影


1989年2月以来、実に32年ぶりに再訪


爆心地の碑横に浦上天主堂遺壁が立つ


長崎原爆資料館入口の螺旋通路


「がんばくん」「らんばちゃん」もいた


デビュー当時のビュッフェが復活。787系D&S列車「36ぷらす3」をご案内


漆黒のメタリック塗装がかっこいい


肥前浜駅停車中の様子はまるで夜行列車


博多駅が目の前のブラッサム博多中央


スーパーおき2号で秋の山口線を堪能

その夜は博多駅前のJR九州ホテル ブラッサム博多中央に宿泊。翌朝は7時54分発の、のぞみ10号に乗車した。JR西日本の株主優待を利用する時には決まって指定席を買っていたので、朝の博多→小倉間の自由席の事情は勝手が違っていた。まぁとはいえ小倉を過ぎると車内は落ち着きを取り戻し、博多からわずか30分少々で新山口に到着した。

新山口からはキハ187系2両編成のスーパーおき2号に乗車。山口線に乗るのはSLやまぐち号に乗車した2017年10月以来。その時も感じたが、山口線の沿線は日本の秋を象徴するものが揃っていて好ましい。で、やっぱり聞きたくなるのはビリー・ジョエルのアルバム「ソングズ・イン・ジ・アティック」と、ジャーニーのアルバム「ライブエナジー」。いずれも1981年にリリースされたライブの名盤で、秋晴れの澄み渡った青空の下で聞きたい曲たちである。

左手の車窓に津和野城址や赤鳥居が並ぶ太皷谷稲成神社が見えてくると津和野。どちらにも行ったような気がするが、いつ行ったのかと問われると記憶が定かではない。津和野で大量下車すると見ていたが車内の様子は変わらず、大半の乗客が山陰地方に行くのだと分かる。そして多くは出雲市まで降りなかった。山陰線に入ると、今までゆっくり走っていた特急が猛然とスピードを出す。赤い石州瓦と青い日本海の対比を見ながら海岸線を快走。浜田、江津、大田市と地方都市に停車しながら終点の米子を目指す。


石州瓦の赤と青い海の対比が美しい


山陰線西部は日本海に沿って走る

スーパーおき2号にとっては途中停車駅ながら、これから乗車する特急やくも号にとっては始発駅の出雲市で下車。特に自由席に乗るときにはなるべく始発駅で乗り換えるのが鉄則である。神無月ということは出雲では神有月。出雲で降りながら出雲神社に寄らないのは何事かと怒られそうだが、これから乗るやくも18号でどうしても座りたいシートがある。それゆえ駅の外に出ることなく、自由席の看板が下がるホームで24分の待ち合わせ。前から3番目で待っていたが、前の2人はお連れさんのようで、私が確保したいシートはお好みでないだろう。そのシートとは1車両に2席だけある1人席である。国鉄型の381系電車を21世紀仕様にするためシートピッチを広げる改造をしたが、その時381系特有のエアコンダクトが邪魔になる席ができて、その席だけ窓側にシートがない1人席となった。特に自由席に乗るときには、このシートを確保すると隣に乗客が来ないので快適である。果たして苦も無くその1人席を確保できた。

その1人席の難点は車窓が見づらいことだが、なかなかどうして上り列車なら十分な眺望を確保できていると思う。通路側の席から流れる車窓を録画するのはピントが合わず大変だったが、Youtubeにやくも乗車の様子をアップしている。ぜひご覧あれ。

さて最後の国鉄特急型電車として君臨している381系特急やくも号も、いよいよ置き換えられるとのプレスリリースがあった。リニューアルを重ねているとはいえ、車歴は40年以上であり、よくここまで引っ張ってきたという感もある。リリースによると2023年から2024年にかけて新製車両にするとのこと。381系が引退する前に一度下りのパノラマグリーン車で自然振子の豪快な前面展望を眺めたいものである。

381系にまつわるさまざまなことを思い浮かべるうちに、険しい中国山地を越え穏やかな山陽地方の平野に車窓が変わった。山陽本線を全力で走るベテランの姿は感涙を誘う。年を重ねすっかり涙もろくなってしまったようだ・・・。

国鉄型特急381系もいよいよ終焉が近づく

<終>

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