森 宮 野 原
雨の朝、373系ホームライナーで旅立つ

今回の「大人の休日倶楽部パス」を使った旅は、2020年1月26日と27日の一泊二日の行程である。偶然にも、ちょうど35年前の1985年1月25日と26日に、私は共通一次試験を浜松医科大学で受けており、その日から「加藤友信 受験ツアー'85」が始まった。

高校3年生で受験生だった当時、せめて大学受験で使う鉄道の旅だけでも楽しもうと思い、共通一次に始まり、静岡大学の入試で終わる一連の受験日程を、有名アーチストののコンサートツアーを模して「受験ツアー'85」と銘打ったのである。そのツアー日程は、前述の浜松での共通一次に始まり、2月8日、9日の京都の立命館大学と同志社大学の受験、1日おいて2月11日の豊橋・愛知大学受験が続き、最後は3月4日に静岡に行くという長丁場だった。

その時に作成したテープ「THE PASSENGER」は、その後デジタル化して未だに旅のお供になっているが、その時の選曲に漏れた曲が、近ごろ脳内でさかんにループしている。1週間前、最後の大学入試センター試験が実施され、来年から大学入試共通テストに変わるというニュースを耳にした時から、この脳内ループが始まった。きっと自分が受けた共通一次の思い出が甦り、その時に流行っていたこの曲を連想したのだろう。その曲の名は「アイ・キャン・ウェイト・フォーエヴァー」、エア・サプライの曲である。

私はこの曲を聞くと、どんより曇った空の彼方から、一筋の光明が差し込む情景をイメージする。おそらく、苦しい受験生の日々を、一筋の光明を希望の光に見立てて、その光に向かって一歩ずつ進んでいくという観念から生まれたのだろう。実は今回の旅でも、そんな情景に出会っている。羽越線の笹川流れで見た日本海の車窓がそれだった。いかにもデビッド・フォスターらしいストリングスアレンジが、その一瞬の車窓の引き立て役として効いていた。


三島駅の駅弁「港あじ鮨」

さて、年が明けると春のダイヤ改正に向けて、同好の士たちから「この列車がなくなる」とか「〇○系が引退する」という話題が聞かれるようになる。例えば今回乗る列車の中でも、185系の踊り子はもう1年大丈夫だが、251系のスーパービュー踊り子の方は引退する…ことが発表されている。また、E4系MAXは、2020年度末で引退する予定だったが、去年の台風19号でE7系、W7系が10編成も使い物にならなくなり、上越新幹線用に投入される予定のE7系を北陸新幹線に回さざるを得なくなった。そのため、E4系の引退を先延ばしする方向で検討中のようで、こちらは天災で辛くも寿命が延びたケースである。一方で、東海道山陽新幹線では、700系の16両編成が引退(西日本のB編成は定期列車より引退)し、ついに日本の列車からシートでタバコが吸える車両が無くなるというトピックがある。こちらの方は、来月以降に喫煙車に乗車しないといけないなと思っている。

まぁそういうわけで、まずは185系の特急踊り子102号に乗車することに。185系は1981年のデビューで、鉄道趣味を始めたばかりの私は、ボディに描かれた緑の斜めの3本線に、ハートをキャッチされた。153系急行型電車を置き換えるための新製だったので、窓は開くし、非リクライニングの転換クロスシートだし(現在はリクライニングシートに改装)、おおよそ特急車両とは言い難いアコモデーションだったが、それを考えると、よく40年近くも走り続けてきたなぁと感慨深い。今回はJR東海エリアの三島駅から、5両付属編成の自由席に乗車するということで、一計を案じた。すなわち、静岡→三島を新幹線の特定特急料金で乗車し、三島→熱海間の自由席特急料金は乗継割引。そして熱海以東は大人の休日倶楽部パスで、特急の自由席は乗り放題。というわけで、浜松からのホームライナーと併せて、最安で特急車両を乗り継いで浜松〜東京を移動するというワザが完成した。日曜日とはいえ、この時期の修善寺発の踊り子は空いており、自由席でも快適だった。

東京までの車内では、三島駅で買った駅弁「港あじ鮨」が旅のお供だったが、上越新幹線では久々に崎陽軒のシウマイ15個入りを賞味した。新幹線でこれを食べるのに、においを気にするあまり、非喫煙者なのに喫煙車両にわざわざ乗っていた人を知っているが、それを考えると、狭いMAXの1階で、何も気にせずシウマイを食べてしまう自分は、非道の極悪人である。まぁ既に、踊り子の自由席でいい具合に酔っぱらっていたので、そんなことを考える暇(いとま)もなかったが…。

今回、E4系MAXを選んで乗ったのは、引退の噂があるということ以外に、もうひとつ理由がある。それは、雪が降る時期に、線路脇の融雪用のスプリンクラーの水を、1階の車窓で浴びてみたかったからである。上毛高原を過ぎ大清水トンネルを抜けると、名だたる豪雪地帯である。長いトンネルを抜けるのを今か今かと待ち望んでいたが、いざ抜けてみると線路に雪が全くない。もっといえば、浜松を出るときには雨だったのに、トンネルを抜けたらピーカンである。これでは表と裏があべこべだ。越後湯沢から浦佐にかけて、線路脇にはびっしりとスプリンクラーが並んでいたが、全く稼働するそぶりはない。今年は暖冬で、からだは楽だが、スキー場など、雪があってナンボのところでは大変だろう。

まるでこの時期らしくない、秋の続きのような車窓が続き、新潟に到着。隣りのホームに停まっている特急いなほ7号に乗り換える。いなほに乗ってから新幹線にコートを忘れたのに気づき、大急ぎで改札を逆戻りして、車端の1階席に取りに戻った。無事にコートを救出し、事なきを得たが、これが昔の新潟駅だったら大変である。在来線から新幹線改札を抜けて、階段を駆け上り、ホームの端まで行って戻って、階段を降りて改札を抜けて在来線のホームに戻らないといけない。まぁ間に合わなかっただろう。白新線・羽越線ホームを高架にして、新幹線と同一面とし、乗り換え改札を通じて隣同士にするということは、足腰の弱い人だけでなく、うっかり忘れ物をした人にとっても優しいのだということを感じた。

閑話休題、特急いなほ号の旅の佳境は村上を発車してからである。交直流を切り替えるデッドセクションを通過するが、E653系といえども車内の灯りが消える。夕暮れの時刻にはまだ早いので、あまり目立たないが、確かに天井を見ると非常灯だけしか点いていなかった。ここだけは485系の時代と変わらない。そして、線路は海に近づく。山形県境にかけての景勝地、笹川流れの区間である。昔々、JR東日本のCMで越後寒川駅が取り上げられ、羽越線の良さを再認識して以来、未だに私が好きな鉄道路線の上位を争う存在である。冒頭のくだりも、県境の海に偶然日が差して、エア・サプライを連想するに至った次第である。その笹川流れを抜けると、今回の旅の折り返し点である、あつみ温泉駅に到着する。


伊豆箱根線よりJR線に転線する踊り子号


豪雪地帯でもスプリンクラーは稼働せず


昨秋の台風禍により寿命が延びたE4系MAX


村上を出るとデッドセクションのため消灯


どんより曇った笹川流れに一筋の日が差す


羽越線特急のいなほ号があつみ温泉に到着


あつみ温泉駅にて筆者のアリバイ画像


あつみ温泉駅周辺の散歩で落陽に出会う


相部屋御免のコンパートメント

といっても、あつみ温泉には用はなく、ただ観光列車の快速海里を待ち受けるために下車しただけ。それでも、ただホームで待っているのでは芸がないので、駅前を散歩してみた。天気が回復し、ちょうど日没のタイミングだったので、海側の国道を渡って浜辺に出てみた。冬の日本海とは思えない穏やかな海に太陽が沈んでいく。こういう景色を見ると、旅に出て良かったと思う。

ひとしきり海を眺めた後、駅に戻ってホームで列車を待つ。鶴岡方から新潟色の2両編成の気動車が入線してきた。どうやら快速海里を先に通すらしい。車内はガラガラで、ボックスシートで足を投げ出し放題といった感じ。海里に乗るのが初めてでなければ、予定を変更して、この列車に乗ってしまおうと思うほど魅力的だった。

一方、海里の方は指定席。東京駅で指定券を発券した時から分かっていたことだが、2号車のコンパートメントを指定されている。まぁこれが個室に自分1人だけなら、先ほどのキハ47と同条件だが、当然他の客と相部屋となる。よくいえば昔のTEE(トランス・ヨーロッパ・エクスプレス)的だが、今のご時世で相部屋の個室ってのは、いろいろと気遣いをしなくてなならず窮屈である。まぁそれでも酔っぱらっていたので自分は耐えられたが、相部屋となったもう1人の若者は、私が乗ってくるまでの数十分が耐えられなかったらしく、荷物を置いたまま終着駅の新潟まで帰ってこなかった。ちなみに個室にいた先客は、歳の離れたカップルで、夫婦ではないらしく、女性の方が男性に対して敬語で喋っていた。

さて、コンパートメントにおける私の席は、発売と同時に「えきねっと」で窓側指定で押さえていたので、進行方向の窓側。対する年の離れたカップルは、進行方向とは逆向きに座っている。時折、車掌が沿線の車窓案内をするが、決まってこれから向かう方向の案内をするので、女性の方はそれがお気に召さないらしい。「こっちからは見えないんですけど…」などとブツブツ文句を言っていた。まぁ良いにつけ悪いにつけ、コンパートメントに相部屋という得難い経験をした2時間あまりだった。

新潟で新幹線に乗り換え、長岡に向かう。長岡駅は長岡城址に建っており、城がここにあったことを示すのは、大げさに言うと地名だけである。新幹線の駅には、こういう例もいくつかあり、例えば三原駅は、石垣の上に駅があってびっくりした。福山駅は辛うじて福山城三の丸に建っており、福山城公園まで所要0分の好アクセスである。まぁとにかく、戊辰戦争での激戦地だった場所であり、お濠や石垣くらいどうにかならなかったものかと思う。その夜は長岡城内に建つ、ホテルニューオータニ長岡に宿泊。


昨秋より運行開始の観光列車「海里」


海里の車内〜1号車は普通の座席


2号車はコンパートメント8室が並ぶ


3号車は売店カウンターとイベントスペース


4号車はダイニングでこの日は無人だった


快速列車ながら特急並みの速さで新潟到着


長岡駅前のニューオータニ宿泊

翌朝は、長岡発7時27分の飯山線直通戸狩野沢温泉駅行き普通列車で出発。飯山線直通と書くと大げさだが、実態はキハ110の1両編成。長岡駅に入ってきた折り返し運転のこの車両も、パンパンの満員だったが、長岡から下るこの列車も通勤・通学時間帯なのでひどい混雑だった。地方の鈍行列車に朝夕に乗るときには、こういうケースもあるので、なるべく早めに並ぶようにしている。今回も7時すぎにはホームにいたので事なきを得た。

上越線内の小千谷までは満員の状態が続いたが、ここで大量下車。車内は落ち着きを取り戻し、次の越後川口から飯山線に入る。飯山線といえば全国屈指の豪雪地帯を走る線区で、今回の計画を練るに当たって、雪見をせんがために、飯山線の鈍行列車をメインにして行程を組んだ。しかし、行けども行けども雪は無い。まぁそれでも、新潟と長野の県境にある、森宮野原まで行けば大丈夫だろうと、高をくくっていた。森宮野原駅といえば、日本の駅における最高積雪を記録した駅で(7.85M 昭和20年2月12日に記録)、いかに暖冬といっても、この時期のこの駅に雪がないなんて考えられなかったからである。

午前9時7分、森宮野原駅に到着。しかしながら積雪と呼ぶべき雪は無かった。ところどころに雪かきをした残雪があるだけ。まぁ、雪のない厳冬期の森宮野原駅も珍しいと、駅舎を見送った。ちなみに今回の旅まで、森宮-野原だと思っていたが、森-宮野原が正しいらしい…。

列車は、信濃川から千曲川に名を変えた大河に沿って進む。森宮野原から30〜40分も走ると、終点の戸狩野沢温泉である。有名なスキー場の名前を2つくっつけた駅にも関わらず雪はなく、そのまま対面ホームの2両編成の気動車に乗り換える。発車して10分ほどで飯山駅に到着。北陸新幹線に乗り換える。

さて、飯山駅で30分ほど乗り換え時間があるので、駅前を散策してみた。当然ながら当地でも雪はなく、スノトレなどを用意していない自分にとてっは好都合である。線路沿いの野沢方に、新しめのお堂があったので立ち寄ってみた。なんでも長野の善光寺にあった先代の仁王像をここに移設したらしい。仁王門と呼ばれていて、乗り換え時間の合間に簡単に見られるので、お勧めである。

飯山駅の新幹線ホームで、雪がないのに水を噴射するスプリンクラーを見て、上越新幹線の雪辱を少しだけ晴らし、新幹線に乗車。東京に到着後、退役間近の251系スーパービュー踊り子7号に乗り継ぐ。185系が現役で走っているので、まだまだ新しい車両だと思っていたが、1990年デビューということで、もう30年生である。おそらく、もう二度と乗れないので、グリーン車に乗車という手もあったが、そこはおときゅうパスの利点を活かして、普通車乗車とした。それでも窓が広く、シートピッチも余裕があるので、普通車で十分だった。この列車も、3月に入れば葬式テツさんが群がるのは必至で、普段通りのスーパービュー踊り子を満喫できるのは今だけである。ご乗車はお早めに…。


キハ110の1両で長岡近郊の通勤通学を捌く


日本最高積雪地点の標柱が立つ森宮野原駅


信濃川から千曲川に名を変えた川とともに


先代の善光寺仁王像のある飯山の仁王門


雪もないのにスプリンクラーが動く飯山駅


退役間近の251系スーパービュー踊り子号

<終>

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