世 界 遺 産 石 見 銀 山


灯りが眩しい午前1時すぎの浜松駅4番ホーム

東海道本線浜松駅4番ホーム、午前1時すぎ。東海道をいくつものブルートレインが駆け抜けていた時から幾歳月、現在では浜松から夜行で西を目指すなら、この時間にこのホームに立つしか選択肢がない。 やがて静岡方に一筋の光が見え、14両編成の大柄な電車が入線してきた。寝台特急「サンライズ瀬戸」号高松行きと、同じく「サンライズ出雲」号出雲市行きの併結列車である。私はホームの外れに停まった14号車のドアから列車に乗車した。指定された席は13号車29番。席といっても個室なので、深夜に乗車しても何の気兼ねも要らない。階段を上ってシングルルームのベッドに腰を下ろし、車掌さんが回ってくるのを待った。

時間つぶしで入った駅南のロイヤルホストで、生ビールとワインのハーフボトルを空け、既にかなり酔っ払っていた。しかし東海道を寝台列車で下るという、滅多にないチャンスを無駄にしてはいけない。ビーフジャーキーをつまみに、ウイスキーの水割りをチビりチビりと飲みながら、いつもとは違う表情の東海道筋の車窓を眺めていた。

名古屋に着いたのをしおに就寝。瞬間移動して、岡山駅到着20分前の「おはよう放送」で起こされた。3時間半しか眠れなかったので、岡山を発車すると二度寝に入る。倉敷到着時に意識が一瞬戻ったものの、あとは1時間後の新見までワープした。さすがにそこからは、うたた寝を自重した・・・

サンライズ出雲は、同区間を走る昼行特急の「やくも」に比べて停車駅が極端に少ない。伯備線で停車する駅は新見だけである。しかし、たびたび行き違いのための運転停車をするのが単線の辛いところ。県境のトンネルを越えた上石見駅でも運転停車。車内放送で中央分水嶺の案内をしていた。観光案内をするところは、この列車がビジネス需要だけではないことを表している。

山陰本線と合流し、米子駅に到着。安来、松江、宍道と、朝9時台は小刻みに停車を繰り返す。東京と山陰要部を直結する列車の面目躍如である。9時58分に終点出雲市駅に到着。家族連れや若い女性の二人連れが、列車を背景に記念撮影をしているのが微笑ましい。

さぁ次は石見銀山へのミニドライブである。出雲市駅南口から徒歩5分ほどのガソリンスタンドにある、ニコニコレンタカーのお店でマーチを借り出した。ちなみに6時間のレンタルで2,100円。ガソリン代を含めても3,000円でお釣りがくるので、まったく公共交通機関を使う気が起きない。

国道9号線を西へと向かい、1時間足らずで大田市街地を抜けた。石見銀山は大田の街中より10`ほど奥に入ったところにあるが、国道9号線を折れる地点から至る所に案内標識があるのでカーナビなしでも楽勝である。で、「石見銀山P↑」という看板を頼りに従って着いた場所が、石見銀山世界遺産センターだった。石見銀山の見所は、実は大森という集落にあるが、そこは昔ながらの鉱山町で駐車場が少なく、観光客のクルマは駐車場の広い世界遺産センターに誘導しているのだ。ここにクルマを駐車した観光客は、路線バスで10分ほどの大森集落に向かうという段取りである。まぁ、そんな魂胆が見え隠れする施設であるので、私は石見銀山の下調べを終えると、とっととクルマに乗り込み世界遺産センターを後にした。


無人のホームに下りサンライズ出雲号が入線


湾曲したガラスが特徴の2階シングルルーム


サンライズエクスプレスのロゴ


まずは世界遺産センターで下調べ

世界遺産に指定されている五百羅漢を横目に見ながら、大森集落に到着。目指すは石見銀山の中で唯一、一般公開されている龍源寺間歩である。大森集落からこの坑道口まで2.5`ほどの距離だが、最初はそこまでクルマで行けると思っていたため、交通整理の人に慌ててクルマを止められて、こっちが面食らった。時間が限られている旅でもあり、クルマを大森に停めて、往復5`の道のりを歩くのは勇気が要る決断だった。が、「なかなかここまで来られるものではない」という考えに押されて、龍源寺間歩への遊歩道に一歩目を踏み出した。

遊歩道は渓谷に沿っており、林間の気持ちの良い道だったが、なにせ急いでいるのでハイキングを楽しむ余裕はなかった。そのうち、大型バス3〜4台ほどに分乗してきたと見られる高齢のツアー客に行く手を阻まれて、一向に前に進まなくなった。痺れを切らした私は、渓谷に点在する飛び石を見つけ、向こう側に渡ろうと考えた。そうすれば舗装道路で、忌々しいこの団体の列を一気にオーバーテイクできる。階段で川面に下りて、恐る恐る飛び石を伝っていくと、案の定、靴の底が滑り、両手両足が川の中に入ってずぶ濡れ。この様子の一部始終を見ていたツアー客の嘲笑を浴びながら、私は痛みを我慢しつつ対岸にたどり着いた。滑った痛みで足が動かなくなり、泣きそうになり、「このまま戻ってしまおうか・・・」とも思った。


寝台列車の個室でくつろぐ寝覚めの筆者


午前10時前、終点出雲市駅に到着


大森集落にはない石見銀山世界遺産センター


2.5`離れた龍源寺間歩への第一歩


向こう岸に渡ろうとしてコケた場所


龍源寺間歩の坑道入口と石碑



本坑から脇にも掘り進めていた



立入禁止だが本坑は続いている


石見銀山資料館所蔵の銀鉱石


大型バス数台分のツアー客が行く手を塞いだ


江戸時代のノミの跡も残る龍源寺間歩の坑道


間歩からの帰り道はハイキング気分で歩けた


世界遺産に指定されている大森代官所跡


石見銀山資料館として公開中の代官所跡


資料館裏手にある庭園も地味ながら見所


代官所跡から眺めた大森の街並み


国道9号線の道の駅「キララ多伎」にて


キララ多伎の下はロングビーチが広がる


マーチを借りたのは初めてだがまぁまぁ良い

川でコケて15分後、なんとか無事に(?)龍源寺間歩までたどり着くことができた。世界遺産である石見銀山を象徴するような場所で、これを見ないと石見銀山に来た意味がない場所ではあるが、正直あまり面白いものではない。江戸時代、銀の採掘のためノミを使った跡が、至る所に残っているが、だからどうなのという感じが否めない。結局、足早に坑道を駆け抜けて、石見銀山の最大の見所が終了。また2.5`の道のりを歩いて帰るハメになる。

帰りの遊歩道は、往路とは一転してガラガラに空いていて、ハイキング気分で歩くことができた。やわらかな日差しに紅葉が照らされて、まさに錦秋という雰囲気だった。そんなこんなでクルマに1時間ぶりで戻り、次の世界遺産指定史跡の大森代官所跡に向かった。

江戸時代、ここ大森銀山は幕府にとって最重要な土地であり、谷あいの小さな集落に立派な代官所を設置していた。それがこの代官所跡であり、現在は石見銀山資料館となっている。建物裏側にある石庭がなかなかのもので、この建物の重要性を物語っているようである。資料館自体は、古書や民具・武具を中心とした展示であり退屈なものだったが、銀山のお膝元らしく、銀鉱石をはじめ内外で産出された鉱石の展示が興味深かった。以上で、石見銀山の観光を終了。今朝来た道を戻ることになる。


出雲市駅に戻り「スーパーおき」で新山口へ


念願だったオリジナル塗装の100系に乗車


同じ塗り分けの371系とともに引退

来る時に見掛け、ちょっといいなと思った海沿いの道の駅「キララ多伎」に立ち寄った以外は、淡々と国道9号線をドライブした。マーチを借りたのは初めてだったが、日産のクルマらしく、中身は外見ほどチャラチャラしているわけではなく好感が持てた。結局、合計100`ちょっと走ってクルマを返却。免責保険を掛けなかったので、事故がなくて何よりだった。

出雲市駅に戻り、小1時間ほど列車を待って、15時28分発のスーパーおき5号に乗車。2両編成のミニ編成ながら、遠く新山口まで向かう。途中の出雲市からでも終点まで3時間半もかかるので、せっかく設置した喫煙室を潰したのはつくづく惜しいと思った。

さて、列車に乗ってしまえばこっちのもの。秋の日はつるべ落としで、既にトワイライトセクション。ビール〜ハイボール〜ウイスキーの水割りとつなぎながら、夕暮れの山陰線西部、漆黒の山口線の車窓を楽しんだ。睡眠不足と歩き疲れで、さすがに3時間半飲み続けるのは難しく、途中で居眠りしてしまうのも列車の旅の醍醐味である。

新山口からは、この旅のハイライト、100系こだまに乗車する。嬉しいことに、この日のこだま762号はデビュー当時のオリジナル塗装。スマートな先頭車のデザインに、この塗り分けがマッチしていて惚れ惚れする。その先頭車の車内に入ると、過去の旅で何度か触れているようにグリーン車から転用したシートが並んでいる。これで自由席。なおかつタバコが吸える。夢のような列車である。

その100系新幹線も、塗り分けが同じ小田急直通の371系とともに来春に引退する。さらに初代のぞみの300系も引退するということで、2012年3月のダイヤ改正直前はかなり混乱しそうである。おそらく私が次に山陽新幹線に乗車する時が、100系とのお別れ乗車となるはずである。やっぱり混乱する前にお別れを済ましておくのが賢明なのだろうか・・・。あーでもない、こーでもないと考える私に構うことなく、100系こだまは、夜の山陽路を駆け抜けていく・・・


毎度お馴染み中古グリーン席の2&2シートにて


最新型の新幹線と比べてもカッコ良さでは上


新倉敷でN700系ひかりに抜かれる100系こだま


岡山駅到着21時35分。実質的には旅の終焉

<おしまい>

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