中京競馬場から始まる旅@
4 8 5 系 別 れ の 旅 路 |
JR東海に2編成しかない211系0番台 |
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私のホーム競馬場である中京競馬場は、1月、3月、7月、12月にそれぞれ開催される。つまり12月と1月は続けて中京競馬場に行くことになる(私は中京競馬場の1開催に1回は必ず行くことにしている)。せっかくなので、中京競馬場に立ち寄ってから旅を始めるシリーズものをやってみようと思う。第1回は名古屋〜新潟間を走る高速バスを利用して、新潟県に残る絶滅危惧車両485系のお別れ乗車をしようと思う(具体的にいつ走らなくなるかは不明であるが)。それでは、中京競馬場にたどり着く前のプレツアーから話を進めていこうと思う。 2015年12月20日。今年の中京競馬の最終開催日。久々に遠鉄電車の始発に乗った。浜松からは、これまた久々の在来線特別快速で名古屋まで。名古屋駅13番ホームから関西線亀山行き普通電車に乗り込んだ。ぱっと見は静岡地区でよく見る普通の211系。しかし、よくあるロングシートではなく、セミクロスシートが並んだ211系0番台の4両編成。国鉄末期、名古屋地区に快速運用を主体に2編成導入された車両である。導入当初は新幹線カラーの青と白の帯を巻いていたが、JR東海発足後、他の211系と同様の湘南色の帯に変更された。学生時代、帰省や通学で113系ばかり乗っていた自分にとって、ステンレスの211系は憧れの的。特にボックスシートは、113系の切り立った薄っぺらいものに比べると、ずいぶんと豪華に見えたものである。その後、JR東海は211系0番台を増備することなく時は経過し、今となってはJR東海に2編成しかない貴重な車両であり、最古の電車となってしまった。というわけで絶滅危惧種となっている。 |
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113系のボックスより豪華に見えた 名古屋から桑名まで38分間、ボックスを独り占めして重厚なシートを楽しんだ後、桑名で取って返して近鉄特急に乗車。こちらは17分で名古屋駅まで行き、タバコも吸えるので、どうしても三重方面は近鉄特急ばかりになってしまう。名古屋駅では近鉄-名鉄の連絡改札口を通って、豊川稲荷行きの急行を捕まえた。17分で中京競馬場前駅に到着。準ホームの京都競馬場と比べると、中京競馬場は電車を降りてからがちょっと遠く感じる。
さて、この後13時10分に名鉄バスセンターを発車する高速バスに乗らねばならないので、競馬場で観戦できるレースは第1レースから第5レースまでとなっている。昨日の昼休みに、早々にその5レースの買い目を検討しているので、オッズ等は無視。これでどこまでやれるかがこの日の焦点である。以前、冬の中京競馬場に来た時に、寒風吹く屋外で凍えたことがあったので、それ以来ガラスに囲まれたA指定席をなるべく予約しているようにしている。この日もたった5レースしか観ないのにA指定席を確保したが、果たして小春日和の穏やかな日で指定を取った甲斐がなかった。
駅から西へ10分弱歩いた場所に「ラーメンほうとく」という店があった。夕刻だがそこそこお客さんが入っているようなので、ここで夕食を済ますことにした。店員さんに「普通のラーメンっていうと何ですか?」と尋ねたら、「そうですね醤油ラーメンですかね」と言われたので、それを頼むことに。メニューを見ると創作ラーメンに力を入れているようなので身構えたが、わりとあっさりとした醤油ラーメンで、私にとっては好ましかった。お代は税込750円。まぁ悪くはなかった。
翌朝は冬の日本海側らしく天候が悪くなった。暖冬の影響で雪ではなく雨だったが。ホテルを7時半にチェックアウトし、傘を差さずに駅に向かった。新幹線停車駅となった糸魚川駅は、以前の雰囲気とは一変していた。昔のこの駅には思い出がある。1987年の12月、大学3年生だった私は北陸ワイド周遊券を持って、乗り潰しの旅をしていた。ワイド周遊券は特急・急行の自由席が乗り放題となるので、宿に泊まらずに急行の自由席で夜を明かしていた。金沢から急行能登で糸魚川まで来て、日付が変わった深夜の急行きたぐにで戻るというパターンを繰り返した。そこでお世話になったのが糸魚川駅の駅弁。ホタテの入った釜めしが旨かった。その駅弁屋さんは廃業してしまい、今では当時の感動を味わうことができなくなってしまった。
長野駅を通り過ぎ、終点の権藤バス停に定刻に到着。長野インターを降りた時には随分と早着しており、「これなら長電の特急に間に合うかもしれない」と思ったが、それは叶わず。長電を諦めて、次のバスまで1時間半の時間を潰さなければならない。幸い権藤バス停の前はイトーヨーカ堂で、「それならまず昼飯を食べよう」ということになった。せっかく長野にいるので信州蕎麦を食べたい。ヨーカ堂の最上階に和食屋さんがあり、そこでざる蕎麦を頼んだ。味の方は浜松駅の高架下にある「おらが蕎麦」と変わりは無かったが…。
天竜川に沿って南下すること1時間あまり。トンネルとトンネルの間にちらっと見える天竜川の風景は、霧がかかり、幽玄さを感じるモノトーン。車窓を楽しめた分だけ、特急料金を余分に払った甲斐があったが、水窪に到着してからがいけなかった。本当なら18時に到着する予定が、1時間も早く着いてしまったため時間の潰しようがない。せめて水窪図書館が開いていれば時間の潰しようがあったが、この日は運悪く月曜日で休館。深夜の雰囲気が漂う山あいの水窪で、どのように過ごせばいいというのか…。18時30分に「西鹿島駅」の文字を輝かせたバスが来たときには、ようやく人心地がついた気がした。 |
国鉄末期に投入された211系0番台の車内 |
毎度おなじみの中京競馬場の正門エントランス |
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5レースしか観戦しないがA指定席をおごった |
第4レースは障害未勝利戦。バンケットは廃止 |
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第5レースは芝マイル戦で引き込み線の発走 |
第5レースのゴール直後に競馬場を後にした |
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新潟交通の独立3列シート車。梓川SAにて |
定刻より早めに木田バス停に到着 |
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えちごトキめき鉄道の「走ルンです」 |
485系使用の新潟発糸魚川行き快速列車 |
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グリーン料金不要の乗りドク列車にて筆者 |
30年前とは隔世の感がある糸魚川駅 |
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485系に乗るのはこれが最後との思いを込めて |
鉛色の日本海を車窓のともに列車は行く |
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ふたたび春日山駅に到着し列車を見送る |
移転後の春日山駅は素っ気無い感じ |
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木田バス停に5分遅れて長野行きバスが到着 |
妙高高原あたりでは車窓が雪景色となった |
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始発の昭和通りバス停から飯田行きに乗車 |
アルピコ交通のみすずハイウェイバス |
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いかにもりんごっぽい飯田駅に到着 |
天竜川に霧がかかりまるで山水画のよう |
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午後5時というのにすっかり深夜の雰囲気 |
水窪から西鹿島駅行き遠鉄バスで帰途につく |
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<終> |