R E V I S I T A T I O N


伊良湖行きバスは長駆1時間45分の旅路


これまでいろいろな旅をしてきたが、その中でも最も開放的な気分で旅をしたのが1988年7月。三河湾一周という近場の日帰り旅行。そんな取るに足らないような旅がなぜ印象に残っているのか?それは、就職先が内定したという安堵感に包まれ、またお供にした音楽も(今思えば)とびきりのものだったから。今年も梅雨入りし、22年前と同じ季節がやってきた。同じように開放感に満ちた旅になるかどうかは分からないが、近場の気軽な旅をしてみた。

まずは豊橋駅から伊良湖に路線バスで向かう。1988年当時は『伊良湖ライナー』(後の東京乗り入れの高速バスとは異なり、豊橋と伊良湖を国道経由で結ぶ路線バス)という観光バス同然のバスが走っていて、これが開放感を呼ぶ一因だった。しかし今回はごく普通の路線バス。同じ路線をすれ違うバスの中には、当時の伊良湖ライナーを彷彿とさせる良質なシートを持つバスも走っていて、見かけるたびに「羨ましい」と思ってしまう。でも、大雨の予報だった天気は奇跡的に持ち直し、青空が見え始めた。22年前は、梅雨真っ盛りの中で偶然晴れた一日。少なくとも天気だけは当時の雰囲気をなぞれるかもしれない。

「最も開放的な旅」を再現するためには音楽も欠かせない。22年前に聴いたカセットテープをmp3化して携帯電話に収録。聴き始めは、当時と同じ豊橋駅を発車して20分後。これで時代を超えて車窓と音楽がシンクロするはずだったが、経路が変更されてしまったようだ。結局、なかなか当時の気分が味わえず、フラストレーションがたまることとなった。

当時の自分は70年代の洋楽にはまっていて、このテープは80年代(当時の最新ヒット)と70年代の洋楽が混在している。フィービー・スノウの「ドント・レット・ミー・ダウン」から始まり、ヨーロッパ「ファイナル・カウントダウン」→スティーヴ・ウィンウッド「青空のバレリー'87」と続き、まさに70's⇔80'sがごちゃまぜ状態。カセットテープ版なら、A面の最後にスリー・ドッグ・ナイト「オールド・ファッションド・ラブソング」→ジェームステイラー「君の友達」、そしてB面1曲目にアメリカ「名前のない馬」と続くところが涙モノで、このへんが当時マイブームになった所以である。さらに上がり3曲には、ロバータ・フラック「やさしく歌って」→オリビア・ニュートンジョン「そよ風の誘惑」→ビー・ジーズ「メロディ・フェア」と大御所が並び、このあたりでは陶酔感でいっぱいになること請け合いである。梅雨の合間の青空の下、渥美半島の田園地帯をとことこ走る路線バスにお似合いの曲たちだった。

豊橋駅前を出発して1時間45分。バスは終点の伊良湖岬に到着した。22年前はここで高速艇に乗り継いで知多半島を目指したが、今回は伊勢湾フェリーに乗り継いで鳥羽に向かう。さて、伊勢湾フェリーといえば浜松に住む者にとっては馴染み深い交通手段で『海のバイパス』なんて呼ばれ方もされているが、伊勢湾岸自動車道の開通に加えて、例の「高速道路土日1,000円」の影響が大きく利用者が減少、ついに今年9月末で廃止が決定。今日は何かとお世話になった伊勢湾フェリーに別れを告げるための利用でもある…


大雨を覚悟したが奇跡的な梅雨の晴れ間


青々とした田園地帯を行く爽快な旅


伊良湖行き沿線で随一のビューポイント


今年9月末をもって廃止が決まった


伊勢湾フェリーの片道乗船券

伊勢湾フェリーに乗船したのはいつ以来だろうか?おそらく2000年8月の国道42号ツーリングが最後だったように思う。10年も経つと細かい記憶がすっぱりと抜け落ちていて、「船室内はこんな感じだったっけ」と思うほど新鮮な感覚だった。二等船室には桟敷席が数ブロック配置されていて、古き良き船旅が楽しめそうである。


伊良湖港を後に「海のバイパス」を鳥羽へ


桟敷席で伝統的な船旅が楽しめる


しばらく船内を探索していると1つ上の階に特別室があるのに気付いた。何度か伊勢湾フェリーに乗船しているが、特別室には気付かなかった。320円で入室できるとあり、「ここで逃したら一生体験できない」と思い、船内のカウンターで入室券を購入した。船内放送で触れるわけでもなく「知る人ぞ知る」スペースであるので、特別室には先客が2名いるだけだった。


320円で特別室を初体験


船室内の様子。カウンター脇階段で特別室へ


トップキャビンに位置する特別室の様子


特別室専用デッキにて筆者


特別室は2部屋あり、こちらはデッキ側


伊良湖行きフェリーとのすれ違い

特別室は通路部分をはさんで2室に分かれていて、前面展望に優れた前よりの部屋と、専用デッキのある後ろよりの部屋がある。前者はトップキャビンというやつで、グリーン車並みにリクライニングするペアシートと、ソファーシートが配されている。後者はどちらかというと家族・グループ向けで、丸テーブルを囲んだ4つの丸型アームチェア中心の配置だった。専用デッキに出てみると潮風が心地よい。デッキを独り占めにして松岡直也のラテンサウンドを聴いていると、一足早い夏の旅の気分が盛り上がってきた。

伊良湖と鳥羽を同時出発した伊勢湾フェリーが、12時20分頃擦れ違うと、海上の旅は後半。遥か彼方にかすかに見えていた鳥羽の街並みが徐々に近づき、深い入り江へと進行する。やがてミキモト真珠島や鳥羽水族館が見えてくると船内は接岸準備のため騒々しくなる。伊良湖出航から55分、鳥羽港に到着し「さよなら伊勢湾フェリー」の旅は終幕となった。

フェリー乗り場から直近の近鉄電車の駅は中之郷。駅名標にはかっこ書きで「鳥羽水族館前」となっている。このことからも分かるように、この駅とフェリーのりば、鳥羽水族館とは目と鼻の先にある。しかし伊勢湾フェリーのホームページ上では、鉄道のアクセスは鳥羽駅からとなっており、徒歩15分と掲載されている。まぁ所詮フェリー会社は徒歩客を相手にしないものだが、ちょっと不可解である。

中之郷よりいったん賢島に行くため、近鉄の普通電車に乗車する。普通電車は1時間に2本程度の運行であるので、特急銀座とはいえ、普通電車に乗車するのにとりわけ不便を感じるようなダイヤではない。14時前には賢島駅に到着し、そのまま志摩観光ホテルの無料送迎バスに乗り込んだ。

志摩観光ホテルは、いわゆるクラシックホテルの範疇に属する。最も古い木造棟は1937年に叡山ホテルとして開業したもので、戦時中に鈴鹿海軍将校集会所として移築された。これを戦後になってこの地に再移築したもので、設計は村野藤吾氏。賢島を中心とした近鉄による奥志摩観光の拠点となっている。いわゆる本格的なリゾートホテルであり、庭園に鎮座する大ソテツが昭和30年代の雰囲気を醸し出している。それは、当地が新婚旅行のメッカだったことを物語っているようだ。

さて、少しでもリゾートホテルの気分を味わおうと思い、2階のラウンジに足を運んだ。1階のフレンチ・レストラン「ラ・メール クラッシック」の方は、ランチメニューでも庶民には手が出せないような値段。とてもじゃないがお付き合いできないので、それよりはマシなラウンジ「アミー」でビールを飲むことにした。窓の外に広がる英虞湾の風景をつまみにビールを飲んでいると、つかの間のリゾート気分を味わうことができた。

30〜40分ボケーっと窓の外を見ながら心の洗濯をした後は、ホテルの敷地を探索。正面入口の真向かいのドアから階段を下りていくとホテル専用桟橋を発見。人の気配を感じた小さな蟹たちが岩の陰にそそくさと逃げていった。ひとしきり海辺でたたずんだ後は庭園めぐり。温室があったり、ガーデンプールがあったりと敷地は広大だった。梅雨時のこの時間なので宿泊客もまばら。ほとんど庭園を独り占めして大満足だった。

そのまま「駅への近道」ルートを通って賢島駅へ。ここからは私鉄最長特急の賢島発京都行きのビスタカーに乗車。JRでは絶滅した昼行在来線の喫煙車を確保し、3時間にわたって「走る居酒屋」の住人になることができた。夕暮れの車窓を見ながら飲むほどに酔っていく列車の旅は至上の幸せである…。

<おしまい>


相対速度で60Km/h。アッという間に遠ざかる


鳥羽が見え短い船旅も終わりに近づく


鳥羽港は島と入江に囲まれた天然の良港


鳥羽水族館に隣接しているフェリー乗り場


「東京方面」という文字が海のバイパスの誇り


鳥羽水族館を横目に近鉄電車に乗車


志摩観光ホテルクラシックの木造部分


庭園の大ソテツがリゾートっぽい


専用桟橋への階段に蟹発見


英虞湾を見ながらラウンジでビール


静かな入り江にあるホテル専用の桟橋


私鉄最長の特急列車に乗車


ビスタカーといえばこの画像


リゾートホテルらしくガーデンプールがある


賢島駅の設計もホテル同様村野東吾氏


特急と普通列車が交互に発車する賢島駅


登場以来30年以上経ても色あせない列車


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