夏 の 匂 い
〜慰霊の日に沖縄を訪ねて〜

昼間が長い季節。品川まで車窓が楽しめる

沖縄の梅雨明けの平年日は6月23日。まるでそれに合わせたように沖縄の慰霊の日がある。太平洋戦争末期、多くの住民を巻き込んだ沖縄戦が終わったのが1945年6月23日で、今年は67年目となる。折りしも昼間が一番長い時候でもあるので、一度慰霊の日に沖縄を訪ねたいと思っていた。今年の6月23日は土曜日であり、ようやく念願がかなった。

当然、前日は出勤。仕事を早めに切り上げて、16時50分発のこだま666号で浜松を後にした。ここ数年「一番ハマっていることは列車で酒を飲むこと」と宣言している私にとって、実は沖縄に行くよりも浜松→品川の移動の方が楽しみだったりする。シートに落ち着くと、まずは缶ビールを開ける。次の掛川までには飲み干してしまうので、その後はウィスキーの水割り。こうして品川に着くまでには酔っ払いが出来上がる。昔は「新幹線は旅情がなくてイヤだ」と言っていた私も、明るいうちに堂々と酒を飲み、タバコも吸え、目的地まで適度に時間がかかる(つまり酔っ払える)こだま号に最も旅情を感じ、お気に入りになってしまったのは不思議なものだ。

品川から京急で羽田空港に向かい、20時発のANA139便で那覇へひとっ飛び。プレミアムクラスを奢っていたので、こちらもアルコール飲み放題。銀座・小十の重箱を肴にスパークリングワインと芋焼酎の水割りを飲みまくった。酒を飲んでいると時間の経つのが早い。少し居眠りをしており、那覇空港への着陸の衝撃ではっと目覚めた。

路線バスで泊埠頭に移動し、隣接するホテルピースランドにチェックイン。部屋に入って、ようやく落ち着くと、時計の針はてっぺん付近を指していた。

翌朝は、ホテル隣のガソリンスタンドに行くことから始まった。そのスタンドがニコニコレンタカーを扱っており、マーチを6時間借り出した。免責0にしなければレンタル代は2,100円。路線バスで南部戦跡を巡っても、それぐらいかかりそうである。

沖縄の梅雨明け宣言は出ていないようだが、夏空が広がっている(結局、この日が梅雨明けとなった)。亜熱帯の常で、いつ何時天気が悪くなるかもしれぬ。ここは、まずビーチに行ってみようと思い、糸満市の東シナ海に面した「名城ビーチ」に歩を進めた。国道から県道、そして農道と、ナビもなしに知らない道を行く。「そろそろだな…」とハンドルを海側に切ると、簡単に名城ビーチに到着した。しかし、無残にも「立入禁止」の看板が…。ゲートもきっちりカギがかかっており、おまけに門の中には草刈りをしている関係者の姿も…。旅先ではかなり大胆な行動をすることで定評のある私も、この状況で「すみませんね〜」とか言いつつゲートを乗り越える勇気を持ち合わせてはいない。仕方なく「名城ビーチ」の看板の写真を一枚撮って退散した。

「どこかに海に出られる畦道はないものか…」とクルマを流していると、ありましたありました。名城ビーチのゲートから北に1`くらい行ったところに、なんとなく海に出られそうなケモノミチを発見。クルマを置いて、草をかき分けながら進んでいくと、パッと視界が開けた。エメラルドグリーンをした海と珊瑚の砂のビーチがそこにあった。遠くには糸満ハーレーの船が小さく見える。しばらくビーチにたたずんでいると、夏の匂いがした。沖縄は夏本番である。

ビーチを後にし、沖縄本島最南端の喜屋武岬を目指す。手前に具志川城への分かれ道があったので、まずそこから訪ねてみた。国指定史跡となっている具志川城は海岸の絶壁にある。よくこんな所に城を建てたものだと感心するが、三方を海に囲まれ、陸側は石垣が張り巡らされているので、ちょっとやそっとでは攻め落とせないだろう。今では石垣しか残っていないが、そんな想像ができる城跡だった。

クルマに戻って、次は喜屋武岬を目指す。具志川城からは5分もかからなかった。沖縄本島の最南端に位置する喜屋武岬には「平和の塔」が建っている。普段は静かな場所だろうが、今日は慰霊の日。恐らく11時か12時から始まる慰霊祭に向けてお供え物が積まれていた。折りたたみ椅子がずらりと並べられ、地元のお年寄りの方々があづまやで日よけをしている。よそ者があんまり長居してはいけないと思い、平和の塔に手を合わせて、その場を立ち去った。

次なる目的地は平和創造の森公園。ここは生協主催の平和ウォークの出発点となっているらしく、いつもは閑散としているらしいが、この日は盛況だった。とはいっても目ぼしいものがあるわけではなく、少し散策して、すぐクルマに戻った。海岸線を東に向かうと公園のはずれに「魂魄の塔」がある。後から知ったのだが、この魂魄の塔は沖縄初の慰霊碑らしく、ひめゆりの塔や健児の塔といったメジャーな慰霊碑の大先輩にあたる。この日はお参りに来る人で大渋滞。塔の前にはたくさんの献花が置かれていた。

さて、この後はいったん平和祈念公園の前をスルーして、慶座絶壁(ギーザバンタ)に行く予定。国道に出て、さらに東に向かうと大渋滞中。低速で走る、なんちゃらウォークの救援車が行く手を阻んでいるらしい。やっとのことで、走るパイロンを追い越すと、今度は祈念公園の駐車場待ちのクルマで大渋滞。沖縄はクルマ社会であるがゆえに道路が整備されており、都市部の一部を除いて渋滞することはまずないが、一時的に交通が集中すると、クルマ社会であるがゆえにその渋滞がなかなか収まらないのだと思う。それでも、祈念公園の前に差し掛かると、駐車を諦めたクルマが徐々に流れ始めた。結局3`進むのに30分くらいかかり、これでは「なんちゃらウォーク」の人の方が早く着いてしまう。

平和祈念公園を抜けると、普段の沖縄に戻った。海岸沿いにあるゴルフ場の脇をすり抜けて慶座絶壁に到着した。さっきはあれほどいた人やクルマが、この駐車場には全くいなかった。かなりマイナーな観光地だが、散策路は用意されており、階段を下ってみた。ネットでは海岸まで降りられるという情報を得ていたが、途中で行き止まりになっていて残念。隣の平和祈念公園を取材するヘリを見ながら、しばしボケーっとしていた。


まずはビーチへと思ったが残念ながら閉鎖


名城ビーチの北側の浜辺にて筆者


人影のない夏の浜辺。名城ビーチ方向を望む


かつて浜辺の要塞であった具志川城の城門


沖縄本島最南端の喜屋武岬に建つ平和の塔


平和創造の森公園から魂魄の塔を巡る


慶座絶壁(ギーザバンタ)


幼子が思わず泣き叫ぶ再現洞窟

慶座絶壁から平和祈念公園方向にクルマを進めると、三叉路に一人のお巡りさんが立っていた。まともに公園に行っても駐車場がないのは先ほど学習済み。「ここから祈念公園に行けますか?」と尋ねてみた。すると「クルマはダメだけど、歩いてなら行けるよ」との答え。「それじゃ、クルマを置いて歩いて行きますか…」ということになり、路肩に駐車。遠そうに見えた祈念公園までの道のりも、歩いてみたら5分もかからなかった。

さとうきび畑の中を通って平和祈念公園に到着。時折、夏の日差しが照りつけるものの、ほとんど真上から照っているので、影がない不思議な状態。まずは慰霊の日ということで無料開放されている「沖縄県平和祈念資料館」に入場した。

展示は有史から現在まで順を追ってなされていたが、やはりメインは沖縄戦。15分ほどの説明動画を食い入るように見た。米軍上陸直後に捕虜になった住民は、むしろ幸運だったのかもしれない。親からも先生からも、「米軍の捕虜になったら生き地獄の酷い目に遭う」と教えられてきた少年少女たちは、身を隠していた南部の洞穴の中で、米軍からの投降要請に応えず、火炎放射器で焼き殺されていったという…。せめて「内緒の話だが、アメリカの兵隊と丸腰で戦っても勝ち目はないから、そういう場合にはおとなしく降参しとけ」と教えてくれる(いい加減な)大人にひとりでも会っておけば、こんな悲惨なことにはなっていなかったかもしれないと感じた。

15分の上映中にちょうど正午になった。館内放送で1分間の黙祷を依頼され、立ち上がって目を閉じた。スクリーンの音声はちょうど沖縄戦の最後の場面を説明していた…。

スクリーンの先に進むと、当時避難壕となっていた「ガマ」とよばれる自然洞窟が再現されていた。親に連れられていた幼い女の子は、ガマの異様な雰囲気と、展示されていた蝋人形に恐れをなして、入口で「イヤだ、怖い」と泣き叫んでいた。沖縄戦の時は、敵兵に居場所を知られるのを恐れるがあまり、そんな幼子は口封じのため日本兵に殺されたという。凄まじい話である。

ガマのコーナーを過ぎると、アメリカ占領下の街並みが再現されていた。沖縄風の建物に英語の看板。どことなくエキゾチックな感じで、戦争中よりはよっぽどマシだとは思うが、日本であって日本でない沖縄が形成されたのもこの頃か…。そう思うとちょっとやり切れない感じもする。


平和祈念公園から慶座絶壁を望む


祈念公園内にある平和祈念資料館


資料館内では戦後占領下の街並みを再現


資料館展望塔より立ち並ぶ平和の礎を望む


慰霊の日らしくテレビの収録をしていた


魚雷、キャタピラなど当時の兵器も展示


梅雨明け直後の空にさとうきびが映える


お里が知れる大きな風呂で疲れを癒す

資料館を出た後は、ひととおり祈念公園を散策してクルマに戻った。慰霊の日に南部戦跡を巡った総括を述べると、沖縄でのこの日は、本土での8月15日(終戦の日)とちょっと違うなと感じた。終戦の日は(元日本兵の)遺族会の日という感じがするが、沖縄の慰霊の日は、それこそ戦闘員も非戦闘員も敵方までも一緒にして慰霊しましょうという日である。沖縄から出た人、沖縄に残っている人、とにかく今を生きる沖縄出身の全ての人が、地縁・血縁をたどっていけば必ず沖縄戦で命を落とした方々につながっているんじゃないかと思う。だからこそ、沖縄県民の「慰霊の日」に対する思いがどれだけ深いのか、その一端を感じることができた。慰霊の日に沖縄を訪れたことは、それなりに意味があったと思う。

さて、クルマを返してホテルに戻ってくると、厳粛な慰霊ムードとは一変。沖縄戦で敗れ、日本がアメリカに占領された事実の、ある意味では恩恵であるAFN(特に沖縄はFMステレオ放送で聴ける)を聴きながら飲みまくった。


南洋の夏空に浮かぶ全日空機


美栄橋駅から「ゆいレール」で那覇空港へ


これから搭乗する機体を偶然撮影

ホテルピースランドはラブホテルとして建設されたらしく、お風呂がやたらと大きい。それはそれでいいのだが、逆に部屋に窓がほとんどないため、全く眺望がきかない。まぁ、33uのツインルームで、連泊朝食付き9,800円と破格の料金だからヨシとしよう。

翌日は、那覇発12時45分の静岡便まで予定がなかった。ホテルの部屋にはチェックアウト時刻の11時まで居られるのだが、窓のほとんどない部屋にカンヅメでは、どうにも時間がつぶせない。結局、9時半過ぎにチェックアウトし、最寄の美栄橋駅から「ゆいレール」に乗って那覇空港に向かった。

那覇空港ではANAラウンジでボケーっとしていた。改装で喫煙所がなくなってしまったのは残念だが、離着陸便を大きな窓から見られるという美点は変わっていなかった。最初は、ただ飛行機を眺めているだけだったが、梅雨明け2日目の夏空の、鮮烈な青さを残しておかない手はないと、次第に思い始めた。結局、デジカメが大活躍。その中の2枚を掲載したが、夏空が表現できているだろうか?

さて、静岡空港に戻ってくれば相変わらずのどんよりとした梅雨空。ひと足早く夏の匂いを感じられたが、当地ではまだ梅雨空が続く…

到着して初めてゴールドジェットと知った

<終>

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