The Northeast Corridor |
12時間半の長旅を終えダレス空港に到着 |
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数えで42歳。いわゆる厄年である。今まで順調にやってこれたことにも、いちいちつまずいてしまうような歳になってしまった。2月のニースでは、左ハンドルのマニュアルシフトに往生し、ホテルを探すのに1時間以上も行ったり来たりしてしまった。それでも時間の浪費だけだったので良かった。8月の広州では、ちょっとした不注意からカメラとMP3プレイヤーのスリに遭い、旅が台無しになってしまった。それでも身体に危害が及ばなかったから良しとせねばならない。そして今回、ワシントンDCとニューヨーク。懲りもせずレンタカーを借り、慣れない右側通行に再度トライする。また日本に比べれば決して安全とは言えないアメリカの大都市の旅である。休暇とはいえ、あまり心身ともに休めそうもないないが、細心の注意で旅を進めることを心に誓った… |
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例によって、ANAのマイレージを使ってワシントンDCへ飛ぶ。考えてみれば今年ほどマイレージを消費した年は無かった。前述のニースへは、昨年末で期限が切れる12万マイルを使ってファーストクラスで往復した。広州へは今年末で期限切れとなるマイルの一部(16,000マイル)を使い、プレミアムエコノミーで往復。そして今回は、有効期限が迫っている残りの8万マイルを使って、ビジネスクラスで往復である。しめて216,000マイルの消費。それでも現在、口座には12万マイル以上あるので、我ながらずいぶんと貯めこんだものである。 飛行機の中はタバコを吸えないこと以外は快適そのもので、ダラダラモード全開だったが、高度が下がりアメリカの大地が見えてくると一気に緊張感が高まった。「イミグレーションでヘンなこと聞かれないだろうか」とか「レンタカーがうまく借りられるだろうか」とか余分な事が気になってくる。そんな私の緊張感とはお構いなしに、ボーイング777-300ERは11月23日午前9時30分過ぎにワシントン・ダレス国際空港に着陸した。 係官の質問が分からずに何度か聞きなおしたこと以外は、懸念してしたイミグレーションも思いのほかスムーズに通過し、送迎レーンからダラーレンタカーのバスに乗った。もうひとつの懸念だったレンタカーの受付も淡々と進んだが、契約書のサインをする段になって驚いた。合計の支払い額が142.49ドル。インターネットを駆使して調べ上げ、乗り捨て料金がかからないダラーレンタカーを選択したのに、ちゃっかり50ドルも乗り捨て料金が追加されていた。こんなことならワシントン市内に近いレーガン空港に返さず、ダレス空港に返しに来れば良かったと思うも後の祭り。抗議をする英語力もなく、しぶしぶ契約書にサインした。 指定されたスバル・フォレスターのハンドルを握ると、10℃前後の気温にも関わらず緊張感で汗が出てきた。予想通りカーナビは付いておらず、ウェブからプリントアウトしたグーグル・マップが唯一の頼りである。まずはワシントン中心部方面へ向かう州道267号線に入る。州道といってもインターステート並みに整備された高速道路で、右端の車線を60マイルほどでゆっくりと走る。20分ほどでワシントン郊外の環状線I-495に合流した。大都市の外側をバイパスする高速道路なので、感謝祭と土曜日に挟まれた半分休みのような今日でも交通量が多い。前後左右すべてに気を配りながら運転していると、ハンドルが汗でベトベトになる。この緊張感から開放されたのはI-95に分岐してからだった。 インターステート95号線はアメリカを南北に連絡する重要な道路のひとつで、フロリダ州マイアミを基点に大西洋岸を北上しメーン州のカナダ国境まで結んでいる。その長大なハイウェイのほんのさわりを10マイルだけ走ってローレルで降りた。 |
大枚はたいてレンタルしたスバル・フォレスター |
ローレルパーク競馬場のクラブハウス |
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競馬場の正面玄関。入場無料が嬉しい |
ガラス張りのメインスタンドより外で観戦 |
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メインスタンドより馬場を見下ろす |
いかにもアメリカの競馬場らしいスタンドバー |
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馬単2着付けの流し馬券 |
左の機械でバウチャーを買い右で馬券を買う |
決勝線を駆け抜けるサラブレッドたち |
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I-95を降りてからは、ローレル市内を通る国道1号線を北に行ったり、南に行ったり。何せグーグルマップしか持っていないので競馬場を探すのも一苦労である。そうこうしているうちに、ようやく競馬場への取り付け道路を見つけ、12時過ぎに無事ローレルパーク競馬場に到着した。嬉しいことに駐車料も入場料も無料。これで儲けて帰れれば言うことなしだけど…。 既に第1レースは終了していて、第2レースの締め切りも迫っているが、とりあえず競馬場の雰囲気に慣れたい。場内をあちこち見て回り、馬券の買い方や払い戻しの受け方などを探った。馬券の購入方法は、まずバウチャーを購入し、そのバウチャーを自動販売機に入れるという、いささかややこしいやり方だった。世界中どこの競馬場でもマークカードで馬券を買うものだと思っていたが、ここでは直接機械に入力する。ちょっと面食らった。 |
内馬場には噴水も見え伸びやかな場内 |
ターフビジョンも見やすく馬券さえ当たれば満足 |
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ワシントンDCのバスターミナル |
レーガン空港を横目に地下鉄でホテルへ |
連泊したキャピタル・ヒルトン・ホテル |
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4時間余りの旅路のハイライト・摩天楼の眺望 |
憧れだったグレイハウンドでニューヨーク入り |
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全く休憩なしでニューヨーク到着 結局、第2レースも第3レースもケンに徹し、第4レースから馬券を買うことにした。2ドルで買ったレーシング・プログラムを参考に買い目を絞り…といけば格好いいが、ここはアメリカ。英語で書かれているだけ韓国よりもマシだが、やっぱり海外の「競馬新聞」を読み解くのは難しい。結局“PROGRAM
SELECTION”と記されている推奨馬を軸に買うことにした。 |
ポート・オーソリティ・バスターミナル |
秋色に染まるダコタハウス |
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ジョン・レノンが撃たれたのはこの場所か? |
ダコタハウス直近にあるストロベリー・フィールズ |
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第4レースは結局ハズレ。第5レースもまたハズレ。単勝、複勝、馬単、3連単と日本ではめったに買わない賭け式しかないので調子が狂う。第6レースは8頭立てということもあり、人気が被っている2頭の馬単折り返し2点で勝負したが、これも結局ハズレてしまった。ここまではヒモが狂うか、軸を間違え縦目を食らうというパターンだったので、第7レースは4頭の馬単ボックスで勝負することにした。このあたりになると、レースガイドの読み方にも慣れてきて、自分である程度予想が組み立てられるようになってきた。新聞の推奨馬と自分の予想した馬が4頭ともぴったり重なったので、期待を持ってスタートに臨んだ。レースの方はゴール手前で混戦となったが、見事馬券的中。香港、シンガポール、韓国に続いてアメリカでも馬券を的中させることができて満足した(この夏マカオでも競馬観戦しているが1つも当たらなかった…)。 続いて行われた第8レースは、賞金から考えるとメインレースである。ホテルにも寄らずに空港から競馬場に直行しているので、このころになると、かなり疲れていた。この後にあと2つレースが残っているが、当たってもハズレてもこれを最後のレースにしようと心に決めた。前のレースで的中させているため予想にも気合が入る。斤量とレーティングから考えると、これしかなかろうという馬を絞り、その馬から6頭に表裏12点流して馬券を購入した。発走直前、私の軸馬が思いのほか人気が無い様子に悪い予感がしたが、その予感が的中し、レースは人気サイドで決着した。結局42ドルあまり負けて競馬場を後にした。 ローレルパーク競馬場からレーガン空港に向かう道のりも難行苦行である。ボルティモア・ワシントン・パークウエイという愛称が付いている州道295号線は、ワシントンに帰りを急ぐクルマで交通量がかなり多い。それに加えて時差ボケのため眠気とも戦わなければならない。おまけに、高度を下げた太陽が進行方向にあり、逆光で前が見づらい。そんな三重苦を抱えながらクルマを運転していた。30分くらい走ってワシントン近郊のジャンクションに差し掛かる。何の疑いも無く「ワシントン」の看板の方向にクルマを進めると、いつの間にか高速を降りてしまった。「しまった間違えた」と思ったが後の祭り。ニューヨーク・アヴェニューというワシントン市内でも有数の目抜き通りを走るハメになり、ひどい渋滞に引っ掛かってしまった。合衆国議会議事堂のすぐ横をトンネルで抜け、ようやく予定していたI-395に合流した。エライところを走ってしまった。 レンタカーを借りたら燃料を満タンにして返すのが常識で、私も重々承知していたが、ワシントン市内では舞い上がっていてそれどころではなく、高速道路上には日本のようにサービスエリアがあるわけもなく、結局満タンにできないままレーガン空港に着いてしまった。返却時に係りのオジサンから「満タンじゃないじゃないか」と言われたが、言葉に不自由な日本人旅行者ゆえ7ドルの追加で勘弁してもらった。何はともあれ事故も無くレンタカーを返すことができ、ひとつ肩の荷が下りた。 地下鉄を乗り継いで、ファラガット・ノース駅で降り、少し道に迷いながらもキャピトル・ヒルトンに到着した。チェックインがスムーズに行けば、まだ救われるのだが、何せ厄年の旅行ゆえ一筋縄では収まらない。フロントのお姉さんがペラペラとまくし立て、聞き取れた単語を総合すると「あなたはタワーフロアを予約したが、部屋の準備が出来ていないので10階のラウンジでカギを貰って」ということだった。いや正確に言えば、10階のラウンジのお姉さんにやさしい英語で説明してもらって、ようやくそのことが理解できた。とにかく待つしかないわけだが、ラウンジアクセスOKとなれば話は別。ちょうどハッピーアワーの時間であり、ビールとオツマミで腹を満たし、夕飯代が浮いてしまった。ただし、これにはオチがあり、チェックアウトの時にビール代をしっかり請求されてしまった。アルコール有料だったら始めから言ってよ…。 翌朝は7時過ぎに部屋を出て、地下鉄でユニオン・ステーションへ。グレイハウンドでニューヨークに行くため、駅から10分ほど北にあるバスターミナルへと歩を進めた。ニューヨーク行きのバスブースには8時発のバスを待つ人の行列が伸びていた。結局あと4〜5人のところで「はい、ここからは30分後のバスでヨロシク」と言われガックリ。それでも続行便を仕立てたのか10分ほど後にはバスに乗るように言われ、8時15分頃発車した。お客を乗せたまま構内で給油したところを見ると本当に急遽仕立てたのだろう。 昨日、目をつり上げて走ったボルティモア・ワシントン・パークウェイも、他人の運転で走ってみると、沿道を飾る紅葉に目を奪われる。昨日は美しい紅葉を愛でる余裕も無いほど肩に力が入っていたと思うと、やっぱり旅はバスや電車に限るなと思う。ボルティモア市内で工事渋滞したものの、それ以外はあらかた順調にバスは北上した。 ニューヨークへの日帰り往復に、なぜ時間のかかるグレイハウンドを選択したのか。それは、片道20ドルという安さのためもあるが、それよりもビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」の一節 “I'm taking a Grayhound on the Hudson River line” に憧れていたからである。ニュージャージー・ターンパイクを快走し、最初は豆粒のように見えていた摩天楼が徐々に大きくなってくる。「さぁいよいよハドソン川を渡ってニューヨークだ」と思った瞬間、バスは河底トンネルに入った。「これじゃサギだぁぁ〜」という思いもむなしく、トンネルを抜けてバスはニューヨーク・ポートオーソリティ・バスターミナルに到着した。 |
「イマジン」の歌詞の一節が刻まれていた |
イマジンのモザイクに花が手向けられていた |
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セントラルパークから見たダコタハウス |
セントラルパークの真ん中にある“The Lake” |
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“Autumn In New York”を彷彿とさせる |
クラシカルな馬車が良く似合う |
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“The Mall”は記念撮影の名所のひとつ |
ニューヨークの雑踏そばにリスが生息 |
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日本で言うところのあずまやが丘の上に |
セントラルパークを訪れたアリバイに… |
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鮮やかな銀杏と高層ビルを背景に馬車が行く |
公園の最南端に位置する“The Pond” |
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ご存知エンパイアステートビル ノンストップ便といっても、ニューヨークまで休憩なしで走るとは思ってもいなかった。労務管理はどうなっているんだろうと思う反面、アメリカ人運転手のタフさに感心した。それが4時間の長旅を終えてバスを降りたときに感じたことだった。さぁニューヨークの滞在時間は3時間ちょっと。ぼやぼやしているヒマはない。先を急ごう… |
寒いにもかかわらず池の周りに多くの人が |
ニューヨークの玄関のひとつペン・ステーション |
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出発ボードを見上げる人で大混雑 |
車窓を過ぎゆくニュージャージーの夕暮れ |
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ゆったりとしたリージョナル・トレインの車内 |
アムトラック伝統のステンレス製客車 |
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かつて私が憧れていたメトロ・ライナーという列車が走り、今ではアセラ・エクスプレスという速達列車が走るアムトラックの北東回廊線(The Northeast Corridor)に乗車する。日本でHISなんかに頼めば16,000円もするニューヨーク〜ワシントン間をネットで60ドルで予約していたが、自動販売機で無事にチケットを発券できた。乗車した列車は、リージョナル・トレインというアムトラック伝統のステンレス製在来客車だが、座席はゆったりとしており快適だった。ただし定員制の自由席なので、改札が開くと同時に殺到する乗客の混乱ぶりは目も当てられなかったが…
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4時間近くかけてようやくワシントンDCに到着 |
都会の街角で遊ぶ野生のリス |
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地下鉄でウエスト・フォールズ・チャーチ駅へ |
ワシントン・フライヤーのバスでダレス空港へ |
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ニューヨークを出発するとすぐに日は沈み、あとは闇夜を突っ走るだけである。もともと出発が10分ほど遅れていたが、ワシントンに向かうにつれて遅れは拡大し、ユニオン・ステーション到着は30分遅れの19時55分だった。グレイハウンドは定刻どおりに走り、アムトラックは遅れるという日本とは正反対の交通事情だった。 さて、ハードなニューヨーク往復を終え部屋に戻ると、ライティングデスクに置いたはずのパソコンのACアダプタが消えている。おそらくチェックアウトしたものと勘違いして、ルーム係りが片付けてしまったのだろう。朝、部屋を出るときに盗まれたらいけないと思い、パソコンだけバッグにしまったのが裏目に出た格好である。すぐに電話でフロントに伝えるも、ルーム係りやら、どこやらに何回もたらい回しにされて要領を得ない。最後にはレンタル・パソコンを持ってボーイが部屋を訪ねてくる始末。10年分くらいの英語を喋って、何とかこちらの意図を理解してもらったが、今度は待てど暮らせど折り返しの電話が来ない。とうとう痺れを切らして10階のラウンジに駆け込んだ。さすがにラウンジのお姉さんは、私の困惑を感じ取り、いろいろなところに連絡してくれたが、結局見つからなかった。このことさえなければ「まぁいい旅行だったな」と思えたはずが、最後の最後で「あちゃ〜、厄年の旅行ってやつは…」とミソがついてしまった。 翌朝、チェックアウトの時にわざとフロントのお姉さんに「Good bye」と別れを言ったのは、ちょっと大人げなかったと反省。地下鉄とバスを乗り継いでワシントン・ダレス空港に戻り、NH1便のチェックインを終え、ようやく「身体だけは無事に日本に戻れそうだ」と一息ついた。 |
いろいろあった旅もここまで来れば一安心 |
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<おしまい> |