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☆上野駅徒歩5分
2002年7月5日金曜日、その日浜松は湿度が東南アジア並に高く蒸し暑い一日であった。外回りの仕事をしている私は、夕方までに何リットルもの汗をかきドロドロの状態であった。 夜行列車に乗る前にどうしてもひと風呂浴びたい雰囲気である。

少々フライング気味に仕事を終えた私は、浜松駅を18時05分に発車する「こだま428号」に乗車した。一年のうちでも最も日没が遅い今ごろの時期。 浜松での乗車時点では当然のことながら、三島を過ぎるあたりまでは外は明るく夜立ちの旅という実感に乏しい。まして単身赴任と思われるビジネスマンが多い 金曜日の夕方の新幹線である。これから寝台列車に乗って旅を始めることを考えるとミスマッチなビジネスライクな雰囲気であった。

東京駅の雑踏を抜けて山手線ホームから内回りに乗車。蒸し暑い上野駅のコンコースをくぐりぬけてペテストリアンデッキに上ると夜風が心地よかった。そして私は、 事前にインターネットで調べをつけておいた「上野駅徒歩5分」の銭湯「松の湯」の暖簾をくぐった。こんな大都会の真ん中にある銭湯なので、近代的なビルに建て替えられているんじゃないかと想像をしていたが、さにあらず。昭和30年代の雰囲気を残した下町情緒たっぷりの銭湯で、私は一日の汗を流し、ゆったりとした時間を過ごすことができた。

浜松駅では当然まだ明るい空

「松の湯」は下町情緒を醸し出していた
☆シングルデラックスの一夜
松の湯を出て上野駅方向に向かったが、蒸し暑さはあいかわらずで瞬く間に汗まみれになってしまった。再度ペテストリアンデッキを通って上野駅に 向かう。街の灯りにボーっと浮かび上がった駅舎は、東京の北の玄関として数々の上京者を迎えた風格を備えていた。

上野駅の中央改札は旅のムード満点である。その昔、私が鉄道ファンの道に目覚めたころ(昭和50年代)の中央改札の頭上には特急・急行列車の 名前と発車時刻・番線が書かれたホーローの短冊がずらりと並び、それは壮観であった。現在ではそれが電光掲示板へと代わり風情は薄れたが、改札を 抜けてまっすぐ進むと、そのままホームに出るところ(突端式ホームという)などは、ヨーロッパのターミナル駅(行ったことは ないけど・・・)を彷彿とさせる。

目指す15番乗り場には、まだ特急「あけぼの」号は入線していなかった。私は待ち時間を利用して、わんさとアルコールの類を買い込んだのだった・・・

上野駅の伝統の駅舎
21時20分、推進運転(バック)でそろりそろりと特急「あけぼの」号が入線してきた。昔話ばかりで恐縮なのだが、20年ほど前のこの時間帯の 上野駅ホームは寝台特急(ブルートレイン)から夜行急行の雑形客車まで、こんな光景が延々と繰り返されていた。しかし21世紀初めの現在では 「あけぼの」以外では札幌行きの「カシオペア」「北斗星」、東北線の「はくつる」、北陸方面への「北陸」の各寝台特急だけと数えるほどに なってしまった。これは夜行列車が少なくなってしまったことと、客車列車が少なくなってしまったことに起因する。なにはともあれ旅情をそそる貴重な光景を目にしながら、7号車A寝台個室「シングルデラックス」の乗車位置へと歩いて行った。

A寝台1人用個室、通称「シングルデラックス」を一夜の宿にするのは実は2度目である。はじめてこれに乗車したのは1995年。 出雲大社の参拝の帰りに乗った特急「出雲」である。出雲大社に7年も前に参拝しているのにまだ縁遠いのは遺憾であるが、とにかくその時は乗車した 翌朝に出勤せねばならず、早暁4時30分くらいの静岡駅で泣く泣く個室を後にしたことである。というわけで今回2回目の「シングルデラックス」 は長時間満喫できることを念頭に、始発駅から終着駅まで乗り通すことにした。そのため時間的に速い東北線経由の「北斗星」や「はくつる」ではなく、 上越、羽越、奥羽線経由の「あけぼの」をチョイスしたわけである。

指定された部屋のドアを開け、エアコンのスイッチを「強」に合わせると、ようやく外の蒸し暑さから開放された。上野発車前に車掌さんが検札に回ってきた。 キップのチェックを受け、「青森到着は翌朝10時9分です」との案内ももどかしく部屋のドアを閉め鍵をロックした。これで明日青森に到着するまで 誰にも煩わされることなく一人の時間を楽しめるわけである。

上野駅を定刻の21時45分に発車した列車は次々と大都会のホームをかすめていく。金曜日の夜のホームは帰宅を急ぐ乗客がひしめいており 一様に暑苦しい表情を浮かべている。特に最初の停車駅・大宮では、この列車の出た後、同じホームに帰宅列車が到着するため、窓の外には 帰宅客が長い列を作っていた。その人達とちょうど目が合う位置に列車が停車したため、カーテンを開け放ち、はだけた浴衣姿を晒していた私は 今更カーテンを閉める訳にもいかず、気まずい時間が流れていった。こういう寝台列車の乗車体験記なるものにはよく「優越感を感じた」などという 穿った表現が散見されるが、おそらく窓の外から見れば「動物園の檻の中」みたいな感じだと思ってしまうのだった・・・  

待望のシングルデラックスに乗車

推進運転(バック)で入線

ベッドをセットしたA個室の夜の雰囲気

ソファーをセットした昼間のA個室で筆者
列車は高崎線に入り淡々と歩を進める。発車直後からビールやらバーボンの水割りやらを飲み続けていた私は、このあたりですっかり出来上がっていた。 個室寝台、夜、アルコールと三拍子揃い、私は非日常的な心境に陥っていた。旅に出ると普段の生活では考えもしないことを考えるのだが、 この夜の私はすっかり「後ろ向きモード」に入ってしまった。というのも、「ここまで女の子の多い職場を転々としてきたのに何故まだ独り者で いるのか?」という大命題から入ってしまったため、「あの時あぁしとけば、こうはならなかった」という類の後悔がわき上がっては消え、また わき上がっては消えて、エンドレス状態となってしまったのである。結論は「サインをことごとく見逃し続けた」ということに落ち着いたが、案外その頃は本当に結婚する気がなかったのかもしれぬ・・・    

シングルデラックスはビデオ設備も付く
せっかく、このシングルデラックスにはビデオ放映の設備が付いているにもかかわらず、ビデオはほとんど見なかった。もっぱらヘッドホンステレオ から流れてくる音楽が旅の無聊を慰めてくれた。今宵のために用意したカセットテープは「2nd TWILIGHT SECTION」という雑煮テープ(今風に言えば 「オムニバス」)と角松敏生の「T's Ballad」の二本である。

前者は夏の夕暮れをイメージして作ったものだが、後半部には夜に聴きたい曲を収録している。 例えばジョージ・マイケルの「ワン・モア・トライ」やプリンスの「パープル・レイン」などは、あまりにも今夜の状況にハマリ過ぎていて、ついつい 鼻歌を口にしてしまうほどであった。またラストの曲はビートルズの「ゴールデン・スランバーズ〜キャリー・ザ・ウェイト〜ジ・エンド」のメドレー。 言わずと知れた名作「アビー・ロード」の最後を飾る曲なのであるが、個室で一人で聴いていると実に心にしみる曲調なのである。    

秋田県内のどこかの車窓を背景に
角松敏生の方は、ある女の子にふられた直後に気仙沼だったかで聴いた記憶が鮮明に残っている。ちょうど季節は今ごろで、梅雨の末期であった。三陸海岸へのツアーの添乗の仕事で東北に来ていて、気仙沼泊まりの夜、一日の仕事から解放されたホテルの自室でこの アルバムを聴いたのである。1曲目の「Still I'm In Love With You」からウルウルもので「ふたりが別れてしまう前に・・・」というくだり を角松と一緒に涙声で口ずさんでしまうという、今考えればショボい一夜であった。そんな日常生活では決して思い出すことのない出来事を 思い出してしまうのも、個室寝台、夜、アルコールの3点セットに「T's Ballad」を聴いてしまったからなのかなぁ・・・

列車は、高崎を発車すると翌朝の村上までは停まらない。上越線の各駅も灯りを落とし完全に真っ暗である。窓の外をかすめた駅名標の文字を 「ぬまた」とかろうじて確認できたのをシオに私はベッドに寝転んだ。時間はたぶん日付が変わったくらいじゃなかろうか・・・

翌朝は窓の外が明るくて、自然に目覚めてしまった。カーテンを閉めずに寝てしまったためである。時間を確認すると4時20分。曇り空ながらやけに明るい。 緯度が高くなったので日の出の時刻も早まっているのである。「今どのへんを走っているんだろう」とうつろな頭で車窓を眺めていると、 やがて列車のスピードが落ちて駅に停まった。駅の名前は「村上」。私が寝ている間に列車は新潟県を通過して山形県に入っていた。 「こんなに早い時間に停まっても意味ないじゃんねぇ」と思いかけたが、列車がホームに着くとパラパラと乗客が降りて行った。 次の余目、その次の酒田でも早朝にもかかわらず、かなりの乗客が降りていく。比較的に交通機関に恵まれない庄内地方に住んでいる人達にとっては、 この特急「あけぼの」号が東京と地元を直結する大事な足であることを改めて実感した。眠い目をこすりながらだったが・・・   

特急「あけぼの」青森行き

12時間以上走って青森駅に到着

上野発の夜行列車を降りた時から・・・
酒田発車後再び眠りに落ち、二度寝から目覚めると秋田の手前であった。実は5月末に仕事で秋田、能代、本荘を 訪れていて、この辺の景色は馴染みがある。その時は並行する国道7号線をレンタカーで何度も往復したのだが、時折すれ違う羽越線の 電車を眺めては「あぁ乗りたいなぁ」と思ったものである。それにしても、その思いがこれほどまで早く実現するとは思ってもみなかった。 

雄物川の鉄橋を渡り、ほどなく秋田に到着した。6時52分着で5分間の停車である。朝食はここで購入しないと、あとは車内販売しかなくなる ため、朝もはよからホームを駆け回り「こまち弁当」なる幕の内弁当を購入した。「もう少し寝たいなぁ」 という気持ちもあったが、朝飯をベッドで食べるのは気がひけるので、ソファにセットし直した。これでシングルデラックスは昼の装いとなり、ヨーロッパのコンパートメント的な 雰囲気となった。   
☆青森、そして函館へ
20代半ばからのある時期、7月の声を聞くと決まって東北を旅していた頃があった。その時によく聴いた曲がエリック・クラプトンの「ホリー・マザー」 とエリック・カルメンの「オール・バイ・マイ・セルフ」である。日常これらの曲を耳にすると、曇り空の下一面に広がる東北の田園地帯を思い浮かべてしまうのだが、 今日は、イメージではなく本物の曇り空の東北の田園地帯を眺めながら聴いている。こういう瞬間に「あぁ旅に出て良かった」と強く感じる。

列車は県境の峠を越えて本州のどん詰まり、青森県に入る。こういう長距離を走る列車に乗っていると、どうも早めに列車を降りる支度をしたくなる。 弘前到着9時23分で、終着駅まではまだ45分くらい時間があるのだが、もうすっかり準備が整ってしまった。上野駅発車から12時間半、定刻どおり「あけぼの」は 青森駅のホームに滑り込んだ。

函館へは青函トンネルを経由する特急「はつかり1号」で向かう。「あけぼの」と「はつかり1号」の待ち合わせ時間は37分だが「あけぼの」到着時点で 既に「はつかり1号」の自由席乗車口の前には行列が出来ていた。青森と函館を最速の1時間51分で結ぶこの列車の人気は高く、まさに現代の 「青函連絡船」である。特にこの日は青森空港や三沢空港の飛行機が霧のため出発できなくなり、札幌方面へ向かう乗客が列車に流れて超満員だった。 盛岡始発の「はつかり」であるが、青森でかなりの乗客が入れ替わり、なんとか席を確保した(指定席を用意すべきだと感じたが・・・)。 席さえ確保すれば、あとは眠るに限る。単調な青函トンネルを中心とした車窓でもあるし、海とは逆側の席に座ってしまったし・・・

現在の「青函連絡船」はつかり

競馬場へ函館市電でガタゴトと・・・

函館競馬場の正面玄関
函館は冷たい雨が降っていた。気温は20度にも満たないんじゃなかろうか。駅の売店で競馬新聞を買い、市電乗り場に向かう。 函館駅から函館競馬場のアクセスのメインは市電である。しかし午後一番のこの時間でも、競馬場へ向かう乗客は意外なほど少ない。 やはりこの冷たい雨のせいだろうか・・・それともマーケットが小さいためだろうか?

ガタゴト15分くらい乗車して、函館競馬場の正門前に電車が着いた。他のJRAの競馬場と比べるとこじんまりとしていて、 「かなりローカルムードが漂っているな」というのが第一印象である。入場料100円を払って中に入ると、いきなりパドックがある。雨が降っているため馬を眺める観客は数えるほどしかいない。私もデジカメを構えて一枚だけ画像を残し、早々にスタンドに逃げ込んだ。7月とは思えない肌寒さで観客はほとんどが長袖。オジサンたちは春先に着るヤッケなどを羽織っている人が多かった。屋根付きの自由席スタンドである2階席に陣取り一息つく。ゴール前100bの地点なのだが、ここがスタンドの一番はじである。したがって他の競馬場と比べるとかなりこじんまりとした競馬場である。しかしコース自体は芝が1周1600bと、右回り左回りを除けば中京競馬場と同じ広さである。スタンドも空いていて、他の競馬場では黒山の人だかりとなるゴール板前の外ラチのところも、雨を避けてか人は少ない。余裕でゴールシーンをデジカメに収めることができた。

雨がそぼ降るパドック

空いていたのでゴールシーンも余裕で写せた
☆ 収 支 一 覧 表
レースNo 投資 回収 収支 累計
函館8R 2,500 0 -2,500 -2,500
函館9R 3,000 1,400 -1,600 -4,100
函館10R 2,000 0 -2,000 -6,100
福島10R 3,000 0 -3,000 -9,100
阪神10R 3,000 0 -3,000 -12,100
函館11R 5,000 2,250 -2,750 -14,850
福島11R 3,000 11,400 +8,400 -6,450
阪神11R 2,000 0 -2,000 -8,450
函館12R 10,000 24,500 +14,500 +6,050
福島12R 5,000 9,000 +4,000 +10,050
合 計 38,500 48,550 +10,050
競馬場に到着した時にちょうど第7レースが発走したため、第8レースから予想を始める。雨の競馬ということで、どうしても重馬場巧者に目が行ってしまうが、実際はそれほど馬場が荒れているわけではなく、ことごとく予想を外していく。第9レースや第11レースなどは馬券を的中させたが、いわゆる「取りガミ」で、投資を回収できずマイナスが膨らんでいく。天気が悪いため気持ちもどんどん沈んでいき、小倉競馬場での悪夢を連想させた・・・(←)
(←)函館のメインレースを終えた時点でマイナスが1万5千円近くなり「こりゃ今日はダメだ」と諦めかけた途端に、福島メインの4頭馬連BOXがひっかかって22.8倍の馬券を的中。マイナスを半分以上取り返した。こうなるとイチかバチかの勝負をかけてマイナスを取り返そうと思い、函館と福島の最終レースで一点勝負に賭けた。いわゆる「倍率ドン、さらに倍」の世界である。函館はB-Hの馬連とワイドを5000円ずつ、福島はAトーワトレジャーの単勝に5000円を突っ込んだ。
函館競馬場のターフをバックに
閑散としたスタンドで久々に大声を出した。最後は「そのままぁ〜、そのままぁ〜」の声が通じて見事全て馬券が的中。馬連は3倍、ワイドは1.9倍、福島の単勝は1.8倍とそれぞれ堅く収まった。結果トータルプラス1万円になり大逆転を果たした。これほどうまくいった最終レースは記憶にないほどで(大概は穴が出て外れて終わる)、大満足のうちに函館競馬場を後にした。

競馬場の前の市電乗り場から駅と逆方向の電車に乗車。終点の湯の川からバスで空港に出ようという算段である。湯の川電停最寄りのバス停で、空港行きのバスの時刻を見ると、5分ほど前に出たばかり。しかしこの雨で道路は渋滞し、おまけにバスは大混乱の競馬場の前を通ってくる。きっとバスはまだ通過していないと考え、しばらくバス停で待ってみることにした。しかし5分経っても10分経ってもバスは来ないまま。「もしかしたら時間どおりに通過したかも・・・」と弱気の虫が疼きだし、しかたなくタクシーを拾って空港に向かうことにした。タクシーに乗って、行き先を告げていると、窓の外を「函館空港」という行き先を掲げたバスが通り過ぎていった。いくら競馬で1万儲けていても、バス代とタクシー代の差額何百円が惜しいものである。それを知ってか知らずか、タクシーの運転手さんは鼻歌まじりに空港までの道を飛ばしていった・・・  

<おしまい>


雨の函館空港で旅を終えた

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