ひ か り 4 4 4 号
指定券売切れのさくら551号で小倉へ

☆時刻表2020年2月号
去年の暮れに2020年3月14日のJRグループダイヤ改正が発表されて以来、小骨が喉に刺さったような感じがずっと続いていた。それは東海道新幹線から700系が引退するけど、山陽新幹線からは果たして引退するのかどうかということ。鉄道に詳しくないマスメディアは、ひかりレールスターやこだまで使われている8両編成の700系がまだ走るので、「山陽新幹線では700系はまだ走る」とJR西日本の発表をそのまま流しているけど、知りたいのはそこじゃない!! B編成と呼ばれている16両編成の700系が引退するのかどうかを知りたいのである。

そんなもやもやを感じている時に、共同通信の2019年12月24日の配信で、近鉄特急が2020年2月1日より座席喫煙を廃止するというニュースが流れてきた。またその関連で、JR西日本が2020年3月13日限りで、喫煙車両がある700系を山陽新幹線の定期列車から引退させる意向だと配信した。ところが、大手新聞社などはこのニュースを後追いせず、なおかつJR西日本のプレスリリースもなかったので、裏がとれず、相変わらずもやもやは続いていた。

年が明け、1月24日に時刻表の2月号が発売された。そこでようやく、山陽新幹線に1往復だけ存在していた700系16両編成のひかり号が、3月のダイヤ改正でN700系に置き換わることの裏付けが取れた。すなわち博多を20時51分に発車する700系のひかり444号は、3月14日以降、ひかり594号としてN700系に変更したうえで、時刻はそのままで運転される。そしてこの日を境に、日本の鉄道から座席で喫煙できる定期列車が消滅する。新橋〜横浜間の鉄道が開業した1872年以来、すべての列車の座席が禁煙という事態はなかったはずなので、歴史的な節目を迎えるわけである。というわけで、時刻表2月号を買った当日に、私はひかり444号の指定席を予約した。


淡路屋「冬の彩り弁当」by車販

☆平成筑豊鉄道
今回の旅のきっぷは、JR西日本の50歳以上限定きっぷ「おとなびWEBパス」を使った。このきっぷは普通車指定席を8列車まで予約可能で、発券するまでは自由に変更できる。そんなわけで、当日の朝にも乗る列車を変更した。結果、新大阪→小倉間は、さくら551号を利用することになり、当日の朝にならないと予約できない1人席(別名=総統シート)を押さえることができた。この席は、考えようによってはグリーン車よりも快適で、車販の弁当やアイスを食べながら、小倉まで至上の時間を過ごせた。

小倉〜行橋間は普通列車で移動し、行橋からは平成筑豊鉄道に乗車。ここ最近、国鉄(JR)から移管された第3セクター鉄道の乗りつぶしを目標にしているので、せっかく北九州まで来たからには乗っていない路線を片付けたい。平成筑豊鉄道は、伊田線、糸田線、田川線の3線区からなる大所帯なので片付けがいがある。まずは、行橋〜田川伊田間の田川線から着手する。

行橋の次の駅は、令和コスタ行橋である。新元号にちなむ初めての駅ということで昨年話題になった。駅舎のデザインはかの水戸岡氏。木材をふんだんに使った彼らしいデザインの駅だった。その後、列車は数分おきに発着を繰り返しながら、徐々に筑豊の炭田地帯に進んでいく。中学生の頃、鉄道趣味に足を踏み入れて以来、日本全国の鉄道路線が何駅と何駅の間を結んでいるかを覚えていったが、最後まで覚えきれなかったのが筑豊地区である。今でこそ単純になってしまったが、かつては稠密なネットワークが張り巡らされ、覚えるのは勿論、ましてや乗りつぶしとなると一苦労だったようである。

そんなことを考えているうちに油須原駅に到着。大きな右カーブの中に駅構内があり、上下線の線路の間隔も広く、ダイナミックな構図である。かつては中線も存在し、長大な貨物列車が交換していたことが想像できる駅だった。その昔に油須原線という路線が計画され、開通までいかずに未成線となったが、そこに観光目的でトロッコを走らせているのをテレビで見たことがある。これに限らず、平成筑豊鉄道沿線は草の根レベルの町おこしが盛んなようである。


行橋駅の平成筑豊鉄道乗換口にて筆者


日本初の新元号の駅・令和コスタ行橋


車両基地がある糸田線への乗換駅・金田


栄華を誇った田川後藤寺のアーケード街


3線が乗り入れる田川後藤寺駅

上伊田で右から日田彦山線が合流し、田川伊田に到着。この後向かう田川後藤寺へは日田彦山線でひと駅だが、初乗りなのでおとなしく金田に向かう。金田で糸田線に乗り換え、田川後藤寺へ。折り返しの金田行きの発車まで20分ほどあったので、ちょっと駅前をぶらついてみた。ほどなく銀天街というアーケード街に行き着いた。アーケードがある町といえば、よっぽどの商業集積地というイメージだが、炭鉱があった当時は、後藤寺もそれだけ栄えていたのだろう。

田川後藤寺から金田に戻り、直方行きに乗り換え。直方と田川伊田の区間は、百年以上前の1911年に複線化され、おかげで地方ローカル線らしくない雰囲気となっている。一方直方までの区間は、伸びやかな田園地帯が広がり、浜松よりも田んぼの緑が濃いのが印象的。ひと足早いSpring Tourっぽい車窓を味わうことができた。直方到着は15時59分。2時間半ほどで全線制覇を遂げた。

☆甘木鉄道
直方から桂川までの福北ゆたか線と比べると、同じ筑豊本線でも桂川〜原田間のローカル線ぶりはすごい。かつてはブルートレインも走った線路だが、日中は極端に運行間隔が開く閑散路線である。桂川発16時45分の列車に乗ったが、その前の列車は14時28分発、その前が10時19分発、そしてその前は7時34分発である。2時間ぶりの列車に乗車したが、キハ40の1両編成のボックスシートに、乗客が1人ずつ埋まる程度の混み具合だった。

桂川〜原田間は冷水峠を越えるため、人気のない山岳区間を走る。そのため鹿児島本線が通る原田に到着すると「都会に戻って来た」という感じがする。原田より鹿児島本線の快速列車に乗車し、わずか4分で甘木鉄道の起点・基山に到着。17時37分発の甘木行きに乗車した。浜松では日没後の時刻であるので、初乗りで車窓が見えないのを危惧していた。まぁそこは西国であるので、終点甘木まできっちりと車窓を見ることができて良かった。

甘木鉄道は黒字経営で、今となっては、なぜ廃止転換路線に指定されたのがよく分からない。朝夕15分おき、日中でも30分おきと、高頻度で列車を走らせたり、小郡駅を西鉄に乗り換えしやすいように移動したりと、着々と経営努力をした結果だろう。帰りは甘木から西鉄で帰ろうと予定していたが、博多が目的地ならば、西鉄経由の方が高くて時間がかかる。結局、来た道を逆に戻り、甘木鉄道〜鹿児島本線快速を乗り継いで、博多まで所要1時間ほど。甘木でとんこつラーメンを食べなければ、西鉄の初乗り区間にも乗れたのだが…。

☆ひかり444号
新大阪行きひかり444号は博多を20時51分に発車する。指定券があるので、寒風吹きすさぶホームに上がるのは、発車5分前でも大丈夫である。しかし30分以上前から私はホームでスタンバイ。というのも入線してくる姿を撮りたかったからである。16両編成の新幹線はホームの端から端まで使うので、入線した後ではうまく撮影できないのだ。果たして発車の10分ほど前にひかり444号が入線。夜間であったが上手く撮れた方だと自画自賛した。

さっそく喫煙車両の15号車に乗り込む。長年のヤニに燻された蛍光灯カバーは、ところどころくすんだ色が付いている。喫煙車に乗ってタバコを吸わないのも何なので、禁煙歴2年の私も喫煙車両に乗るときに限ってその禁を破っている。ただしJTの株主優待で貰ったプルームテック・プラスを使っているので、そのまま喫煙常習者に逆戻りということにはならないようだ。というわけで、水割りを飲みながら最初の一服。煙は水蒸気だが、なんとなく普通のタバコを吸っているような気分になる。


ひと足早いSpring Tourっぽい車窓


元大関魁皇の銅像が立つ直方駅


暮れなずむ原田駅に到着した筑豊線列車


甘木鉄道大原信号場から見えた夕陽


国鉄急行色に塗装されたAR300形気動車


甘木鉄道の終点・甘木駅の駅舎


林家のラーメンと半チャーハン



喫煙マークもあとわずか


喫煙車廃止まで禁煙を解く

ひかり444号は福山と姫路に停車するが、のぞみ号並みのスピードで夜の山陽路を爆走する。かつて喫煙していたころは、必ず700系で運用されるこの列車を重宝していた。なんといっても遅い時間帯の列車なので、心置きなく酒を飲むことができる。

新岩国を通過し、広島まであとわずかとなったころ、イヤホンからチャーリー・セクストンの「ホールド・ミー」が流れてきた。この曲は、2012年春に退役した100系新幹線や371系、あるいは119系のお別れ乗車の時によく聞いていて、いわば引退車両のテーマ曲みたいになっていた。今回も700系新幹線のお通夜乗車ということで、この曲を聞いてみた。ちょうどギターソロの盛り上がる部分で、広島到着時の新幹線のチャイム「あ〜あ日本のどこかに…」が被って、なんかいい感じだった。

その後も酒を飲み進み、プルームテックもスパスパやって、心置きなく700系喫煙車の居心地を楽しんだ。本当に気分のいい時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。長いトンネルを抜け、大阪の街の灯りが近づくと終点新大阪。3月8日に予定されている、東海道の方の葬儀に出席できるかどうか分からないが、とりあえずお通夜には出席できて良かった。

☆若桜鉄道
翌2月6日の朝は冷え込んだ。新大阪を7時30分発のスーパーはくと1号に乗車し、まずは若桜鉄道の乗り換え駅である郡家を目指す。上郡から智頭急行線に乗り入れ、ちょうど中ほどの大原で本格的な雪となった。あとは行けども行けども、車窓は白ベースのモノトーンだった。10時02分に郡家に到着し、向かいのホームに停まっていた若桜鉄道の気動車に乗り換え。車内のクロスシートには木製の大型テーブルが据え付けられていて、これはどこかで見たような観光車両だなと思った。後で調べてみると「八頭号」という愛称が付いていて、デザインはやはり水戸岡氏。木材多めの彼らしい観光列車だった。

沿線の途中で停車する、スズキのバイク「ハヤブサ」とのコラボレーションで有名な隼駅も雪の中。この雪ではバイクで訪れるのはほとんど無理。春になればまたこの駅にライダーが戻ってくるのだろう。そうこうしているうちに、郡家から30分で終点若桜に到着。この2日間で第3セクターの初乗りを3社こなし、かなりの達成感があった。

雪さえなければ入場券を買って、若桜駅の構内をめぐるつもりだったが、この雪のため萎えてしまった。それでも、若桜鉄道の宝であるC12 167号を道端から覗いてみたが、雪中行軍のため靴の中まで濡れてしまい早々に退散。給水塔やターンテーブルなどもチラ見した程度で、なんのために若桜駅まで来たのか分からない。結局、郡家に折り返す46分間の大半を待合室で過ごしたのだった。

さて、予定では若桜発11時23分の列車で鳥取に出て、山陰線、伯備線を経由して新幹線で帰るつもりだった。しかし突然雪が降ったので、どこかでトラブルが発生するやもしれず、大事をとって、これまで無事に通って来た道を戻ることにした。おとなびWEBパスでは、発券後の指定席の追加ができないので、自動的にスーパーはくとの自由席で帰ることになった。そのため座席を確保するために、横殴りの雪が降るホームで30分ほど列車を待った。結果論ではあるが、列車が入線してからでも十分窓側のシートに座れたが…。

終点の京都でひかり号に乗り継いで、浜松には17時過ぎに到着。さぁ次の旅はお待ちかねのSpring Tour。2月20日からの予定なので、今回のようにいきなり寒波が来ないといいのだが…。春を先取りするような旅になることを祈っている。


700系16連の最後の定期列車ひかり444号


新大阪の常宿になりそうなコロナホテル


スーパーはくと1号は郡家の雪原に消えた


この雪ではバイクで来れそうもない隼駅


車窓はただひたすら白かったとしかいえない


若桜駅に到着したWT3000形「八頭号」


若桜駅構内で動態保存されるC12 167号


登録有形文化財に指定されている若桜駅舎

<終>

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