Spring Tour '11

The Island Hopping


福岡空港国際線から実質的に旅が始まる


3月6日(日)の夜、アイランド・ホッピングを目前に控えた自身の体が変調を来たした。胃けいれんのようにキリキリと腹痛がして、布団の上でもんどり打ち、しまいには脂汗も出てきた。結局その夜は一睡もできず、朝になるのを待って遠州病院の救急外来に駆け込んだ。点滴を打ってもらったら多少腹痛が収まったが、その日は会社を休んだ。普通の神経ならば、こんな体調なのに中1日で海外に出発ということは絶対にしないだろうが、今回の旅はそれこそ「一生モノ」の旅。周囲の「止めておいた方がいいんじゃない」という忠告を振り切り、3月8日(水)の夜、会社から直接旅立った。

体調を崩して以来、アルコールはもちろん、本当にロクなものを口にしていなかった。この日も、朝はおじや、昼はミニどん兵衛、そして夜はハンバーガー1個だった。まぁもとより他人より多めにエネルギーを蓄えているので、こういう食生活が続いてもビクともしないのは確かだが。そうこう考えているうちに、ひかり481号は名古屋に到着し、名鉄のミュースカイで中部空港へ。カウンターで「中部→福岡→グァム→ホノルル→成田→中部」というeチケットを渡し、アイランド・ホッピングがスタートした。


人生初のJALのサクララウンジ


体調を崩して以来初めてビールを飲んだ


満席のためいきなり難行苦行のCO916便

ここのところ福岡県内には毎月のように来ているが、まぁとにかく本土からキューシュー・アイランドへ1回目のホッピング。地下鉄で博多に出て、駅から徒歩2分の博多ターミナルホテルに宿泊。素泊まりながら税込3,700円と破格の値段。しかも全額楽天ポイント払い。国内では無駄な金は使わない主義なんで…

翌朝は、中部空港で買ったきしめんのカップ麺をすすってホテルをチェックアウト。あいかわらずロクなものしか口にしないが、もう慣れっこになってしまった。地下鉄から空港内連絡バスを乗り継ぎ、朝10時過ぎにコンチネンタル航空のチェックインカンターに到着。ここで30分以上にわたって足止めを食らってしまった。というのも福岡→グァムは正常に予約が入っていたものの、グァム→ホノルルはアイランド・ホッパーでなく直行便の予約が入っていたからである。そもそも今回の旅はゴールデンウィークに行くはずだったが、コンチネンタルから「アイランド・ホッパーは欠航になった」という連絡を受け、3月に繰り上げたという経緯がある。その後も、欠航だから直行便にせよという依頼が再三入り、そのたびにANAのお姉さんに頼んでアイランド・ホッパーに再予約を入れてもらっていたのである。今回もその類の話で、なんとかアイランド・ホッパーに予約を入れ直してもらって、事無きを得たというのが真相である。


やっとの思いでグァム国際空港に到着


いかにも南の島の空港っぽい風景


ホテル自室のベランダにて筆者


夕方着かつ早朝出発で海の眺望を満喫できず


いきなり出発が2時間遅れ。体調は回復

福岡空港でのコンチネンタル航空の地上業務がJALに委託されているため、カウンターでJALのラウンジチケットを渡された。足止めを食らってしまったためゆっくりできなかったが、JALのサクララウンジに入ったのは人生初の出来事。調子に乗って生ビールを飲んでしまったが、案の定、機内で腹の調子がおかしくなった。グァム行きのCO916便は満席で、それも団体客の中に座席指定されたため、機内での3時間半は難行苦行だった。生意気なようだが、ここのところ海外へは、ほとんどビジネスクラスに乗っていたので、機中も旅の楽しみのひとつだったが、やっぱりエコノミーでは「早く着いてぇ〜」となってしまうのが辛いところ。現地時間の16時過ぎ、ようやくグァム国際空港に着陸し、ホッと一息ついた。

しかし難行苦行はこれで終わらなかった。レオパレスリゾートのゴルフコンペがグァムで行われるらしく、イミグレーションは日本人団体の列が何重にも折り返していた。ここを通過するのに1時間弱かかり、ほとほと疲れて到着ロビーに行くと、いるはずのホテルの迎えの人がどこをどう探してもいなかった。仕方なく苦手な英語でホテルに電話し、ホテルのお兄さんをキャッチできたのが18時15分ころ。既に日が暮れていた…。

ホリデイ・リゾート・グァムにチェックインし、外で夕飯を食べるのもかったるいので、近くのABCストアに買い出しに出かけた。機内で調子が悪くなったが、そろそろ腹痛も大丈夫かなと思い、真露のボトル、冷しうどん、プリングルズのサワーオニオン、そしてビーフジャーキーを買い込み部屋に戻った。「さぁ酒盛りだ」と真露の水割りを作っていると、突如キリキリとした腹痛が襲ってきた。酒盛りは当然中止。日本から持ってきた薬を飲んで、多少は痛みがおさまったが、それでもよく眠れないままグァムの一夜は更けていった。夜中にボーっとしながら、「このまま痛みが治まらなかったら、アイランド・ホッピングを中断して、明日の帰国便にのってしまおう」と真剣に考えたほどだった。

明けて3月11日の朝、幸いにも腹痛が治まったので旅を続行することに決定。後から考えると、この時、成田行きの帰国便に搭乗していたら大変な騒ぎに巻き込まれるところだった。昨夜買い込んだ、うどんは諦め、その他の焼酎やつまみはバッグに詰めてワイキキでのお楽しみにした。ホテルのレストランで粥を少しだけ食べて、そのままチェックアウト。グァム空港まで送ってもらい、いよいよアイランド・ホッパーに搭乗ということになる。


チューク国際空港到着直前に見えた島々


珊瑚礁の鑑賞がアイランドホッピングの醍醐味


かつての日本海軍の拠点・トラック諸島到着


当然のようにタラップを使って上陸


同好の士だと思われる異国の人々


機内にとどまることも可能だが大半は降機


チューク国際空港に降りた証拠写真

身体検査と荷物のチェックを終え、10番ゲートの待合室に着くと、信じられないことに出発が2時間遅れるとの表示が出ていた。そんなことならゆっくりホテルで過ごせたのにと思っても後の祭り。先に着いていた異国のバックパッカーの皆さんを見習って、私もベンチに寝転がることにした。この時間がかえって体調を回復する方向に作用し、11時半に搭乗するころにはすっかり元気になっていた。おかげで、この旅の目的であるアイランド・ホッピングがずいぶん楽しいものになった。

アイランド・ホッピング便は、世界中の乗り物好きにとって憧れの的だと思う。なにせグァムからホノルルに行くのに(直行便が毎日飛んでいるにもかかわらず)、5回もミクロネシアの島々に停まっていくんだから。グァム→チューク(トラック諸島)→ポンペイ(ポナペ島)→コスラエ→クワジャリン→マジュロ→ホノルルと、かつて日本の委任統治領だった島を巡っていく。小学生の頃から太平洋戦争に興味を持ち続けている自分にとっては、歴史的な側面からも興味深い路線である。またグァムが北緯13度、ホノルルが北緯21度であるのに対し、路線中最も南のコスラエ空港は北緯5度。赤道近くを通過するということは、当然珊瑚礁に囲まれた島々が機内から見えるわけで、窓の外に広がる風景も楽しみのひとつである。

まずはグァムからチュークへ飛ぶ。機内は同好の士と思われる白人のバックパッカーの皆さんと、ちょいと太り気味のミクロネシアの人たちが半々といったところ。日本とグァムを結ぶ路線や、日本とホノルルを結ぶ路線は、押しも押されぬスーパーリゾート路線だが、グァムとホノルルを結ぶアイランド・ホッパーは紛れもない生活路線だということが分かり、目から鱗が落ちる思い。例えば、東京⇔那覇や東京⇔石垣はリゾート客ばかりだが、那覇→久米島→宮古→多良間→石垣なんていう路線があったなら、島のおばさんとかで席が埋め尽くされるじゃないかなと思ったりした。

そんなことを考えているうちに、トラック諸島に近づき、ボーイング737-800は徐々に高度を落とし始めた。すると窓の外には、珊瑚礁を従えた小島が点在し、思わずカメラを向けた。「あ〜私の恋はぁ〜南のぉ〜風に乗って走るわぁ〜」と、普段口にすることのない往年のヒット曲を思わず口ずさむ。「み・な・み・のぉ」の3連符の部分がいいなぁと思う。絶好調である…

チューク国際空港に到着。機内にとどまることもできるが、そんなことでは何のためにアイランド・ホッパーに乗っているのか意味不明。ここで降りる人も、まだ乗って行く人も、ほとんどがタラップを降りて機外に出た。まぁ外に出ても空港の外に出られるわけではないので、トラック諸島の気候を体感するだけだが、それでも「はるばる来たなぁ」と実感する。空港の看板をバックに証拠写真を撮り、タバコを吸っていると、すぐに飛行機からお呼びがかかる段取りである。

続いてポナペへ。ここでも同じような時間を過ごしたのだが、コスラエへの搭乗待ちの時刻が、日本時間で3月11日14時46分。忌まわしい東北地方太平洋沖地震の発生時刻だった。その後の大津波によって多くの死者・行方不明者が出て、被災者は未だに不便な生活を強いられている。お亡くなりになった方のご冥福を祈るとともに、被災された方にお見舞い申し上げます。

さて、続いてコスラエに飛ぶ。いつものように降機しようとすると待ったがかかり、搭乗員が荷物チェックをしていく。グァムから来ても、ホノルルから来ても3つ目の島であるので、ちょうど真ん中。結局、最後まで降機は許されず、夕暮れの中、次のクワジャリンへ向けて飛び立った。

ボーイング737がポンペイ国際空港に到着


かつて日本の委任統治領だったポナペ島


他島と似たような空港建物だが少しずつ異なる


日本で大震災があった同時刻のポンペイ空港


日が沈む頃、コスラエ国際空港に着陸


荷物チェックのためコスラエ空港に降りられず


クワジャリン空港は軍事施設のため、端から降りられないことを覚悟していたが、何やら機内が落ち着かない。そのうち機内放送が入り、マジュロまで行くと言っていた隣のお姉さんが、舌打ちをしながらそそくさと荷物をまとめて降りて行った。かわりにどやどやと白人の人たちが乗り込んできて、私を日本人と見るや「earthquake」だの「tsunami」だの怖い単語をいっぱいしゃべってきた。この人たちの言っていることを総合すると、今日日本で大地震が起こって大津波が発生し、東京でもひどいことになっているらしい。「住んでいるところはどこだ?」と訊かれたので、「東京から西へ150マイルのところだ」と言うと、「なぁ〜んだ」みたいな顔をして、「地震が起こったのは東北みたいだよ」てなことを言って、それ以上話しかけてこなかった。逆に自分にとっては、それ以降の沈黙が不安の種だったのだけど…


アストン・ワイキキ・サークルホテル


水平線に太陽が沈んでいく


米軍施設のため降機不可のクワジャリン空港


13時過ぎにワイキキのホテルにチェックイン


自室よりカラカウア通り動物園方面を望む


クヒオビーチの風景に心が和む


日没直後、ホテルのベランダでたたずむ筆者


かがり火、ロイヤルハワイアン、そしてビーチ

クワジャリンを飛び立つと、予想通りマジュロに寄らずにホノルルに直行。機内食が出てきたが、既にホノルル時刻の午前2時過ぎだったので丁重に辞退した。その後、寝たり起きたりを繰り返し、4列シートの夜行バスを思わせる難行苦行の末、午前5時半ころホノルル空港に到着。空港の外に出ると、空気がひんやりしていたのが意外だった。

さて、空港からワイキキビーチまで移動しなければいけない。連れがいれば迷わずタクシーで行くところだが、バックパッカーの一人旅なので、そんな贅沢は許されない。均一2ドル50セントの路線バスで市内に移動することに決めた。ところが、6時半ころからバス停で待ち続けたが、いくら待ってもバスは来ない。「もうどにでもなれ」と自暴自棄になった8時半過ぎに、ようやくバス停にワイキキ行きのバスが入ってきた。詳しいことは分からないが、日本の大地震でハワイにも津波警報が出て、そのためバスが止まっていたようである。

9時半ころ、ワイキキの市街地でバスを降り、ワイキキショッピングプラザの地下でマフィンを食べた。昨日は、ホテルで粥を食べた後は、機内でハンバーガー1個とサンドイッチ1個を食べただけ。相変わらず断食道場のような生活である。水分もロクに摂れていなかったので、アップルジュースをごくごくと飲み干し、ようやく人心地がついた。こんな時間ではホテルにチェックインできないので、隣のDFSギャラリアに移動し、VISAのホノルルカードラウンジ(実態はJGCのラウンジだったが)で2時間ちょっとダラダラさせてもらった。日本人の多いワイキキでも、日本人率が極度に高いところなので、みんな大地震のニュース番組に目が釘付けである。ホノルル空港からの帰国便が全てキャンセルになったらしく、カウンターで相談している人も、相談を受けているお姉さんも必死の形相だったのが印象的だった。

13時を回り、そろそろ頃あいかなと思い、ラウンジを出発。歩いてアストン・ワイキキ・サークルホテルに移動した。カラカウア通りを東へ歩いていると、よくもこんなに日本人がいるもんだと感心した。10分ほど歩いてホテルのカウンターに到着。汗だくになりながら「May I Check In ?」と尋ねると、どうぞどうぞと歓迎された。9階の自室に着くと、評判通りの180度オーシャンビューの部屋。これまでの疲れが一気に吹き飛ぶほどの感動だった。さっそくグァムから運んできた真露のボトルを開け、薄い水割りを作った。昼飯がわりにビーフジャーキーとプリングルズを食べ、ボケーっと海を眺めていると、あっという間にサンセットの時間に。きっちり海に沈んでいく太陽を見たのは、いつ以来だろうか…? やがて、カラカウア通りにかがり火が灯され、クヒオビーチでは恒例のバーベキュータイム。昼間から飲んでいるので、自分はノーサンキュー。そのままベッドで眠りに落ちた。

現地時間の朝3時に目覚め、それからずーっとNHKを見ていた。ひっきりなしに緊急地震速報が発令され、戦時中の空襲警報みたいな感じだった。場所はホノルルのホテルの一室。なんか今度の旅は、ことごとく太平洋戦争にリンクしているなぁと思った。

ホテルを朝7時過ぎにチェックアウトし、クヒオ通りのバス停から路線バスでホノルル空港へ。今日は成田行きのUA879便が飛ぶようで、不安の種がひとつ減った。UAラウンジのレッドカーペットクラブで、シリアルとトーストの朝食を摂り、機中の人となった。UAのエコノミーシートはやっぱり狭く、またしても「早く着け、早く着け」と念仏のように唱えるも、それで早く着くはずがない。一転、成田で乗り継いだ名古屋行きのボンバルディア機では、夕暮れのやわらかな雰囲気が満ち溢れ、もうちょっと乗っていたくなるような幸せな気分でいっぱいだった。だから旅はやめられない。

早朝、ロイヤルハワイアンの向うに豪華客船


日中とは雰囲気が違う朝のカラカウア通り


早朝のクヒオビーチはサーファーズパラダイス


ザ・バスで1時間かけてホノルル空港へ


ホノルル空港のレッドカーペットクラブ


UA879便で9時間の難行苦行。混乱の日本へ

<The End>

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