Spring Tour '14

海 辺 の ス ラ ロ ー マ ー


今年のSpring Tourの出発は松阪

今年もSpring Tourの時期がやってきた。今まで何度も旅のページで書いているように、一年のうちで最も大切にしている旅で、年に一度しか「ひとり旅」を許されないとすれば、ウンもスンもなくこの時期を選ぶと思う。今回は久々に南紀を旅することにしたが、もしかしたら特急「くろしお」号から381系が引退してしまうかも…ということも含みつつ、ずいぶん前に計画を立てた。結局この春のダイヤ改正では、381系はそのままお咎めなしということになったが、「乗れる時に早めに乗っておく」というセオリーどおり、今のうちに乗り味を楽しんでおこうと思う。自然振子式の豪快な乗り心地は、紀州の入り組んだ海辺に最も合っている。ソチ五輪では日本選手ふたりとも途中棄権となったスラロームだが、この381系なら世界の鉄道のスラローム競技に大手を振って出場できると思う。


キハ85系は座席間隔が広いと定評があるが…


前面展望を楽しんで、列車は終盤の熊野川

さて、381系に乗るためには南紀に出掛けないといけない。というわけで、アプローチ列車として特急ワイドビュー南紀号に登場願った。浜松からなら、別に前泊しなくても、土曜日の南紀1号に乗車可能であるが、会社帰りに近鉄特急の喫煙車で「飲みテツ」する目論見もあり、松阪で前泊した。で、その南紀1号の指定された座席を見て驚いた。自分では車両の一番後ろで、誰にも気兼ねなくシートを倒し、在来線で最長クラスのシートピッチを堪能しようと想定していた(4号車1番A席)。しかし現場に来たら、よりによって先頭車の一番前の座席で、その席を含めて前から3列までのシートは、還暦過ぎのオバさまグループで占領されていたからである。4号車の後ろ寄りには、空席が目立っていたが、「なるようになれ」という気分で、嵐の中に突入した。

自由席ならば絶対に選ばない場所も、座ってみれば住めば都。「前面展望は七難隠す」ということわざがあるのかどうか(あるわけないが)、隅っこに追いやられている感はなく、車窓を意外なほど堪能できた。その前の夜のこと、近鉄ビスタカーに乗る前に、名鉄パノラマスーパーに乗車した。後ろ向きに座るのを承知で、あえて展望席を指定したところ、夜間であるにもかかわらず意外なほど面白かった。普段、真正面あるいは真後ろの車窓を見ることはほとんどないだけに、たまにこういった席に座ると掛け値なしに面白いということがよく分かった。

冒頭に一年の中で最も大切な旅と書いたが、これは学生時代からそう思っていたことで、春の旅だけ専用のカセットテープを作成して、それぞれの旅に持って行った。昔は10本ほどのテープをケースに入れて旅に持って行ったので、それだけで結構な荷物になったが、今では春夏秋冬いずれのテープもデジタル化して、使い捨てライターほどのデジタルオーディオプレイヤーに収録しているから、ずいぶん楽になった。聞いている音楽自体は、曲順・音質も含めて当時のままだが…。しばらく旅先で聞く音楽について触れていなかったので、今回の旅で聞いて改めて印象に残った曲について書いていこうと思う。

春の旅専用に作成したカセットテープは、主に「Spring Tour Attendants」と題名を付け、vol.1からvol.5と、その派生のシリーズ数本から成り立っている。vol.1は私が21歳の時、九州に初上陸する旅のために作り、1曲目はT-スクエアの「宝島」。九州アイランドを宝島に見立てて最初に収録したのだと思うが、今では私の春の旅のリード・トラックになってしまった。高校のブラスバンド部では、発表から30年近く経た今でも定番の曲でもある。旅先でこの曲を聴くたびに「この曲を選んだ学生の俺、エライ!」と昔の自分を褒めてしまいたくなる。で、次がアース・ウインド&ファイアの「バック・オン・ザ・ロード」。1980年発表のアルバム「フェイセス」に収録されているが、とにかく全編を通して弾きまくっているスティーヴ・ルカサーのギターに惚れて2曲目にしたと思われる。ちなみにシングルカットされた曲は「自由のスパークル」で、この曲もvol.5あたりに入れている。「フェイセス」の中では、「スパークル」のすぐ次が「バック・・・」という曲順だが、この2つの曲調は全く違い、「スパークル」はブラスの使い方が圧巻(特に間奏)。この曲を「宗教音楽みたいで嫌いだ」と言った地元ラジオ局のディレクターがいたが、こんな仰々しいやつも私は結構好きである。3曲目はフリートウッド・マックの「愛のジプシー」。ダミ声の歌姫スティーヴィー・ニックスのリード・ヴォーカルが聴きどころの曲である。ブリッジ部分の盛り上がり方がハンパなくよろしい。とまぁキリがなくなるのでこのへんで止めてとくが、これらの曲を選んだ21歳の私は大したもんだと、もう一度褒めておく。

松阪を発車後、音楽を聴いていい気分になり、そのうち居眠りを始めてしまった。ぱっと目を開けると、列車は梅ケ谷を通過するところだった。紀勢線では、ここからがひとつのハイライト。急カーブをこなし、いくつもトンネルを抜けて、荷坂峠をぐんぐん下っていく。左側の車窓に海がちらりと見えると紀伊長島に到着。ここからは概ね海辺を行く。といっても本格的な海は、熊野市を発車後の七里御浜までお預け。その七里御浜も波打ち際の防風林にさえぎられて、ちらちらと海が見える程度。そうこうしているうちに熊野川を渡って新宮に到着。ここで、ようやく占領状態が解けてほっとした。七里御浜で海辺の写真を撮ろうとしたが、ロクなものが撮れなかったので、新宮を過ぎた王子ヶ浜で再チャレンジ。全国的には七里御浜の方が有名なので、王子ヶ浜の画像も「特急南紀号の車窓に広がる七里御浜(イメージ)」みたいな感じでキャプチャが付くんだろうなと、くだらない妄想をしていた。まぁこんな2時間40分の旅路を終えて、終点紀伊勝浦に無事到着した。

このあとの日程は、太地、串本と途中下車して、串本15時21分発のくろしお28号を捕まえる予定。まずは南紀1号に接続している普通列車に乗り換える。ひと昔前なら紀勢線南部は165系の最後のコロニーだったが、今では横座りの105系が行き来しており、ある意味それが私を紀勢線から遠ざけている理由でもあった。まぁ今回は特急をできるかぎり利用するので、紀伊勝浦と串本の間しか普通列車には乗らないが…。ワンマン仕様の105系にふた駅7分間乗車して太地に着いた。

太地駅前に小型のバスが停まっていた。行先を見ると「くじら館」を経由するようだ。12時10分発とすぐに発車するので、後先を考えずにそのバスに飛び乗った。その「くじら館」の正式名称は「太地町立くじらの博物館」。バスで10分足らずの海岸にあった。旅に出る前から、くじらの博物館は立ち寄り先の候補だったので、スムーズに運ばれてきたのはいいが、帰りのバスの時刻を見て愕然とした。14時18分発のバスは、町内の道路工事のため、串本でくろしお28号に間に合う普通列車に接続する保障をしかねると書かれていた。となるとその前のバスの発車時刻は12時52分。残り30分ちょっとしか時間がない。くじらの博物館の入場料1,300円は、わずか30分の滞在では正直痛かったが、「ここに来るのも一生に一度かも」と思い直しゲートをくぐった。館内はくじらの標本やら写真やらの展示が中心で、とても1,300円がリーズナブルとは思えなかった。しかし館外エリアでは1時間おきにイルカかクジラのショーを行っており、料金設定に納得した。ちょうどクジラのショーが終わるところで、時間があれば1時間後のイルカショーでも見て「まぁ良かったね」となるところだが、そうはいかない。急いでクジラショーの画像を何枚か押さえて、なんとかホームページに掲載する体を整えた。ショーが終わってしまえば、くじらの博物館に居る意味がなくなってしまい、すぐに出口に急いだ。海岸端に鎮座していた捕鯨船を横目に見ながらてくてく歩き、くじら浜桟橋前から来た時と同じバスに乗り、再び太地駅に運ばれた。

太地駅に着いたものの、今度の下り列車はくだんの14時29分発となる。無人駅となった太地駅で、ただぼさーっとしているのも癪なので、紀伊勝浦に戻ることにした。券売機で切符を買っていると、駅舎内にある元の出札窓口(今は観光案内所)に女性客が現れ「すみませーん、くじらの博物館の割引券くださーい」と大声を出していた。この声を聞いた瞬間、思わず「えぇっ」と独り言以上の声で叫んでしまい、その後何もなかったかのように振る舞うのに骨が折れた。あとで調べると公式ホームページからも割引券がダウンロードでき、割引額は100円とのこと。太地から紀伊勝浦までのきっぷ代が180円。片道きっぷ代の半額は助かったのにと、せこいと思いつつ大いに後悔した。


七里御浜でいい絵が撮れず王子ヶ浜で代用


かつて165系が活躍していた場も今は横座り


無人化された太地駅だが、特急も停まる


くじらの博物館の巨大な屋内展示


シロナガスクジラの骨格標本とショーエリア


並んで立つとクジラがいかに巨大か分かる


クジラショー実演中。家族連れは大喜び


ショーが終わり餌をねだるクジラたち


捕鯨船第一京丸は展示にむけて準備中


海辺のスラローマー381系と筆者/白浜駅にて


ラーメンの右が「めはり寿司」

紀伊勝浦に戻り、まずは昼食。駅前商店街の一角に、店頭に「まぐろ丼」の幟がはためいていた食堂があった。ショーケースのメニューを吟味していると、店の親父さんから「どうぞ」と声を掛けられた。あまりにもいいタイミングだったので、そのまま店に入ることにした。メニューを見ると、南紀名物の「めはり寿司」が載っていたのでラーメンと一緒に注文。ラーメンの方は正直あんまり美味くなかったが、めはり寿司は久々だったのでちょっと嬉しかった。また、めはり寿司は500円ながら一食分くらいのボリュームがあり、ラーメンと一緒では量を持て余すくらいだった。新宮から串本あたりで、昼食にめはり寿司を食べる機会があったなら、ぜひ他のものを注文せずにめはり寿司一本で行くことをお勧めする次第である。

店を出たのが14時過ぎで、くろしお28号の指定席を串本から紀伊勝浦に乗変していたら、その列車の出発時刻まで、あまり時間が残されていないのに気が付いた。結局、駅周辺で時間をつぶし、串本から潮岬の往復は自動的に諦めることになった。紀伊勝浦駅を起点に見立てると3時間弱あったのに、結局行けたのは滞在30分のくじら館のみ。列車旅行は、かように非効率なものである。

さぁお待ちかねの381系。もしかすると最後になるかもしれない381系であるので、紀伊勝浦14時47分発のくろしお28号ではグリーン席をおごった。20年ほど前までは「スーパーくろしお号」として紀勢線の一番の花形車両だったが、1996年にオーシャンアローが登場し、一昨年のダイヤ改正では後継車両の287系もデビューしてしまったので、パノラマグリーン車もすっかり日陰の存在になってしまった。実際、紀伊勝浦から和歌山までの3時間に、この車両に乗ってきたのは私も含めて5人ほど。しかし車内は1列+2列のゆったり仕様で、0系新幹線2&2シート(元グリーン席)の再生利用である座席は、当時同様好ましい座り心地を保っている。まぁとにかく最初にデビューした「しなの」用の381系は全車退役してしまったので、二男の「くろしお」用車両も先が知れている。せいぜい豪快な乗り心地を楽しみたいと思う。


自然振子式列車のカーブ通過。傾きが分かる


「オール・バイ・マイセルフ」が似合う早春の夕景


パノラマグリーン車を堪能した3時間が終了


和歌山から徳島へは南海フェリーで船の旅


フェリー船体の撮影にひと苦労

それにしても特急南紀同様、列車に乗ると睡魔が襲ってくるとはどういうことか。せっかくお目当ての列車に乗ったのに、水割りをひと口飲むと居眠りを始めてしまった。30分ほど、うつらうつらして、正気に戻ったのは串本を過ぎてからだった。ここからの紀勢線は見応えがある。入り組んだ海岸線に沿って、線路が右へ左へ急カーブ。カーブ進入からひと呼吸おいて車体が内側に傾き、直線に戻ると正立する。木曽路に381系が走り始めた頃には、この独特の乗り味に気分を害する乗客が続出し、エチケット袋が手放せない列車だった。しかし近頃ではそんな話はあまり聞かない。車体が同じならば、線路が改良されたか、昔の人に比べて現代の人が、そういう乗り物に慣れたかのどちらかだろう。昭和47年に列車に乗っていた人たちは、子供の頃には自家用車に乗るのは稀だったと思うが、現代では赤ん坊の頃から、クルマに乗るのに慣れている。いかに381系といえども、クルマで交差点を曲がるGに比べたら大したことはないので、人間が進化(?)したと考えるがどうだろう…

太陽が西に傾き、飲みテツするには最適な時間になった。列車の揺れに身を任せながら、夕暮れに似合う音楽を聴く。特急南紀の段で述べた「Spring Tour Attendants」は、後半部分(昔の表現でいうとB面)に、そういう雰囲気の曲を並べている。特に秀逸なのが、グローヴァー・ワシントンJr.の「ワインライト」。グローヴァー自身のサキソフォンもさることながら、ギターのエリック・ゲイル、ベースのマーカス・ミラー、ドラムスのスティーヴ・ガッドの繰り出すリズムが素晴らしい。で、時折聞こえてくるリチャード・ティーのフェンダー・ローズが、その時代のフュージョンの華やかさを表しているようで好ましい。バックを固めている面々が、それぞれリーダー・アルバムをリリースできる実力を持ったアーティストでありながら、ち ゃんとサックスを引き立てているのが凄い。高校に入学したての頃、ワイングラスのジャケット写真が放送室に無造作に置かれていて、「これは中学とは違う」と大人の雰囲気を感じとったエピソードもあり、私にとってはなじみ深い「ワインライト」。この曲を聴くといい感じに酔っぱらえる。

ワインライトが終わった後も、シームレスで曲は続く。エリック・クラプトンの「ビハインド・ザ・マスク」、REOスピードワゴンの「キープ・オン・ラビン・ユー」と続き、マイケル・ボルトンの曲で佳境を迎える。オリジナルはオーティス・レディングが唄っている「ドッグ・オブ・ベイ」である。マイケル・ボルトンの渋い声もさることながら、間奏のギターソロがカッコよすぎる。この曲がビルボードで最高位11位にランクされたのが、このテープを作った1988年の初めであるので、おそらく「一目惚れ」でテープのクライマックス部分に入れたのだと思う。自分を褒めるのもなんだが、当時21歳だった自分の音楽を見る目の確かさに感心してしまう。そして最後はパット・メセニーの「ラスト・トレイン・ホーム」で綺麗に締める 。ご存じの方もいるかもしれないが、この曲はSLのドラフト音みたいなハイハット、踏切のようなピアノなど、実際の音を使わずに、楽器で列車のSEを奏でている。春旅のお供に最適な曲を集めた、このテープの掉尾を飾るに相応しい曲である。

くろしお28号は白浜駅で特に意味もなく7分間停車する。こういう長時間停車はスモーカーにとっては非常に助かる。JR東海では駅の構内は全く吸えないが、西日本にはホームに喫煙所があるので、停車時間を利用してタバコを吸った。白浜を出れば、和歌山までは1時間20分。特に意識をせずにタバコが我慢できる距離である。白浜発車後、紀伊田辺を過ぎた後、再び列車は海岸線とともに行く。エリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」がどんぴしゃではまる車窓が広がる。薄曇りの空のもと、おぼろげな西日が鉛色の海を照らす。ウイスキーの水割りを飲みながら、壮大なバラードを聴いていると「あぁ、また今年もSpring Tourに出ることができた」と感慨が深まる。

紀伊田辺から複線区間で、海南あたりの海岸線には工業地帯も広がり、近畿都市圏に入ったことを感じる。そうこうするうちに和歌山駅に到着し、私はここで下車する。ちょっと贅沢なグリーン車も、3時間にわたってここまでしゃぶり尽くせばモトを取っただろう。さて、和歌山駅前から和歌山港へはバス移動。もともとの計画はJRで和歌山市駅に行き、南海線に乗り継いで和歌山港に行こうと思っていたが、バスで行った方が早く着くのに気付き、予定を改めた。で、和歌山港フェリーターミナルに18時半前に着いたが、結局乗船は出航時刻の15分前ということで、18時55分まで手持無沙汰だった。そのうち南海線からの乗り継ぎ客もフェリー乗り場に到着し、50名ほどの徒歩客とともに南海フェリーに乗船した。

和歌山と徳島を2時間ちょっとで結ぶ短距離航路ながら、フェリーの船内は割と充実していた。トップキャビンはグリーン船室で、続いて桟敷席(カーペット敷き)が左右3区画ずつあって、その後ろは案内所と、その向かいに自販機&ゲームコーナー。さらに椅子席とPCスペースがあり、無料で無線LANが利用できる。そしてトイレとドライバールームがあって、ドアの外には喫煙コーナーを兼ねたデッキがあった。まぁ要するに夜行便でも使えそうな船で、確かに24時間運航をしているので午前2時台に出航する便もある。無線LANが利用できるのは便利だと思ったが、スマホの所有率が多い昨今では、想定以上に回線利用者が増加し、そのため速度が遅く、たびたび切断されてしまいイライラさせられた。おかげで、本でも読んでヒ マをつぶそうと思っていた2時間少々の運航時間も、あっという間に時が流れたが…

21時を過ぎると、進行方向に徳島の町灯が見えてきて、定刻21時20分より少し前に船を降りることができた。連絡バスの接続時間が5分と短く、乗り継げるのだろうかと心配したが杞憂に終わった。フェリーからバスに乗り継ぐ乗客は、徒歩客の中でもかなり少数派らしく、すべての乗客が着席できた。バスは定刻通り徳島港を発車し、夜の町を爆走。ものの15〜6分で徳島駅に到着した。この日の夜は老舗の阿波観光ホテルに泊まった。

翌朝、部屋に届けられた徳島新聞に目を通していると、思わず目を見張ってしまうような記事が載っていた。JR四国の一般型ディーゼルカーであるキハ32を、新幹線0系風に改造した列車が、本日3月9日に徳島駅でお披露目されるという。前夜、神戸行きの高速バスが徳島駅を出発する10時まで何をしようかと、ああでもない、こうでもないと考えていた私にとってはまさに朗報だった。9時45分にお披露目会開始となっていたので、その10分前に徳島駅に着くようにすればいい。となると、徳島駅の北側一帯に広がる旧徳島城を訪問するのが最適。時間的な制約もあるので、駅から近い「鷲の門」と「旧徳島城表御殿庭園」あたりを見ることに決め、9時にホテルをチェックアウトした。

鷲の門と庭園を駆け足で巡り、一応徳島来訪のアリバイを作り、そそくさと徳島駅に移動した。駅の正面玄関には行列ができており、駅ビルのショッピングモールの開店待ちかなと思ったが、さにあらず。全員がお披露目会の車内入場整理券の配布を待つ人であった。行列の人数は2〜300人ほどだったろうか、とにかく凄いことになっていた。私は、車体だけカメラに収めればよいので、その行列には加わらず、券売機で駅の入場券を買い、行列をかき分けて改札を通過した。

果たして、0系新幹線風キハ32は4番線の向こうの留置線に、1500形気動車と鼻面を揃えて停車していた。どうも撮りづらいなぁと思っていると、1番線に転線するために鳴門方向に動き出した。こうしちゃいられないと、再び跨線橋を駆け上り1番線へ。ホームの先端には撮りテツさんも進出しないらしく、ここで件の列車が入線してくるのを待った。で、入線時に撮った画像が、このページの下から3番目右の人影が写りこんでいないやつである。ちなみに列車が入線した後に撮ると、下から2番目左のような感じになり、まぁこれも当日の混乱が如実に現れていて価値がある。改造した鼻先の丸みが強調されているのが、その左隣のもので、最下段左の画像にあるように、車内には昔懐かしい0系普通車の転換シートも設置されていた。これだけ 撮影できればお腹いっぱいで、お披露目会開始の9時45分を前に改札を出て、高速バス乗り場に向かった。バスが発車すれば浜松まで一直線。わずか5時間弱の旅路が残されているだけである…。


桟敷に抵抗感のある乗客向けの椅子席


昔ながらの船旅といえば桟敷席。家族にも人気


和歌山を出航して2時間。徳島の灯が見えてきた


徳島城跡のシンボル鷲の門(焼失により復元)


旧徳島城表御殿庭園と徳島城博物館


博物館側からの枯山水。背景のビルが興ざめ


1500形気動車と並んだ連結面側の0系もどき


0系の特徴をよく捉えている丸みを帯びた車体


撮りテツさんに混じってにわか撮りテツになる


テールランプ部分の造形は凝っていると思う


0系の廃車再生品と思われる転換シートも設置


朝10時の新神戸行き高速バスで徳島を脱出

<終>

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