国鉄急行電車

北陸道越中境PAにクルマを置いて駅へ


越中宮崎駅を北に100m。ヒスイ海岸を訪問

列車で新潟県の上越地方や富山県を通ると、地元の人たちは2年後に迫った北陸新幹線金沢開業を待ち望んでいるのを痛いほど感じ取れる。しかし、私はちょっと複雑な気持ちになる。北陸新幹線の開通=直江津?金沢間の第3セクター化であるからだ。振り返れば、今は無きワイド周遊券を初めて使ったのが北陸であり、その頃は学生だった。青春18きっぷを使って北陸線の鈍行を乗り継いだこともあった。北陸には寝台特急電車を改造し、特急「みちのく」の雰囲気を味わえた419系があり、北陸の鈍行といえばその列車を思い出す。急行型電車の475系や、それを改造した413系も走っていたが、当時の私にとっては「ハズレ」の部類で、ホームで待っていて475系が来るとがっくりしたものである(まだ東海道線に165系の鈍行列車が白昼堂々と 走っていた時代のことである)。そんな475系急行型電車も半世紀の月日が流れ、JRに残る最後の国鉄急行型電車となってしまった。その雄姿が見られるのも、おそらく北陸新幹線開通前夜までとなる。というわけで、かつてのハズレ電車を、わざわざ乗りに行くべく北陸方面へのドライブを敢行した。

金沢のホテルは格安の駐車場なしプランで予約したため、北陸道の越中境PAにクルマを停めて、北陸線の越中宮崎駅へ徒歩移動。一晩クルマを置かせてもらう、せめてもの償いとしてスナックコーナーで「富山ブラック」を注文し、早めの夕食とした。PAから駅までは10分ちょっとの距離で、十分徒歩圏内。早めに駅に着いてしまったので、線路の北側に広がるヒスイ海岸を表敬訪問した。なんでも糸魚川を流れる姫川流域で産出されるヒスイが海まで流され、この一帯の海岸に漂着するためこの名前が付いたとか。まさに玉石混合。姫川でヒスイを採ると罰せられるが、この海岸ならOKとのこと。時間が許せばヒスイを探すのも面白いかも。


境PAのB級グルメ「富山ブラック」

17時18分発の富山行き普通列車で出発。隣の泊に特急を迎えに行く4分間の「ちょい乗り」だったが、お目当ての475系がいきなり来た。夏の前の淡い日差しに照らされて、窓の外はヒスイ海岸。極上のトワイライト・セクションを過ごせそうな雰囲気で、思わずそのまま富山まで乗り通したくなった。17時22分に泊に到着し、無情にも夢の時間は終わった。泊駅は2面3線で、通過退避や折り返し列車を設定できる典型的な「汽車駅」。跨線橋や昭和30〜40年代の標準駅舎が備わり、鉄道が主役の時代の栄華が偲ばれる。その昔は急行停車駅で、12両編成の475系急行「立山」が発着していた。昼行急行列車がJRから消え、泊駅は一部の特急列車が停車する駅となった。かつては大臣が自分の選挙区の駅を急行停車駅に昇格させ、それが問題となって辞 任するほど格式があった「急行電車」。たった2両の列車さえ存在する現在の特急は、かつての急行よりも品格が無くなったと嘆くのは言いすぎだろうか。

18時1分発の特急北越で直江津にワープ。こちらも国鉄型の485系特急電車で、塗り分けとシート以外は原型のまま。急行型電車にわざわざ乗りに来た旅に相応しい列車だった。直江津到着後、途中で抜いてきた鈍行の折り返し列車に乗車する。この列車がお目当ての金沢行き572M。目下のところ475系としては最長の走行区間を走り、所要時間は3時間7分とたっぷり堪能できる。トワイライトブルーに包まれた直江津駅1番線に停車中の475系は青一色のボディカラー。黄昏に完全に同化していた。19時8分に直江津を発車。特急の中でフライングして飲んだものの、ここからは腰を落ち着けて「走る居酒屋」を楽しめる。特に富山までは、ほとんど空気を運ぶ状態が予想され、前席に足を投げ出す「いわゆる昭和の鈍行スタイル」で旅を進められそう である。


箱型駅舎で1面2線の何の変哲もない駅


次の泊まで一駅乗車がいきなり急行型電車


泊駅を発車する475系を跨線橋から撮影


かつての急行停車駅は特急一部停車に

梶屋敷を出てしばらくするとデッドセクションを通過するため、非常灯以外の車内の蛍光灯が消える。最新の電車なら車内が暗くなることは無いが、そこは昭和40年代生まれの悲しいところ。でも、乗客は慣れっこなのか特段の反応はない。糸魚川で多少乗客が増え、新潟・富山の県境へ。この日3度目の越中宮崎を過ぎ、泊で特急を退避するために8分停車。ほぼ垂直のボックスシートに3時間以上座り続ける身にとっては、こういう長時間停車は嬉しい。さっそく喫煙コーナーでタバコに火をつけ、思い切り伸びをした。

富山からの帰宅ラッシュも思ったほどでもなく、そのまま1ボックスを独占したまま倶利伽羅峠越えへ。他の乗客から苦情が来たのか、「前のシートに足を投げ出すと他のお客様にご迷惑が掛かるおそれがありますのでご遠慮ください」という女性車掌による珍アナウンスが入り、「そんなに足が臭かったかなぁ」と姿勢を正した。そうこうするうちに区間随一の峠越えにかかり、モーターの音が高まる。夜汽車の雰囲気漂う車内で走行音に耳を傾けていると、学生時代にここを往来した頃のことを思い出し、胸がキュンとなる。上り坂から下り坂に転じ、津幡を過ぎると街の灯りが目立ち始める。終点金沢には22時15分到着。さすがに北陸の中心ゆえ、まだ宵の口。夜汽車とのギャップに驚いた。


梶屋敷発車直後の車内の様子


デッドセクション通過中の車内


二面三線の長いホームと跨線橋に往時を偲ぶ


折り返し電車を横目に入線する特急北越


黄昏に同化する直江津始発の青い475系


再び泊駅にて。長時間停車は喫煙タイム


3時間超の長旅を終え金沢へ


翌朝は特急はくたかで金沢から魚津まで移動


一部ロング化されるもクロスシートが並ぶ車内


魚津駅は富山地方鉄道との接続駅。小学生時代の憧れだったレッドアロー号がお出迎え


100周年の先は新幹線か…

翌朝は、9時台の特急で越中宮崎に戻る予定だったが、朝早く目覚めたため7時10分のはくたか3号に乗車した。結果、魚津、黒部の両駅で急行型電車の撮影大会となった。特に魚津〜黒部間に乗車した427Mは475系の6両編成。往年の急行に比べ半分の長さであるが、それでも堂々とした編成である。その列車は黒部で折り返して富山方面に向かうので、糸魚川行きを待つ16分の間に向かい側のホームから撮りまくった次第である。というわけで最後の国鉄急行型電車を追跡した旅は大団円。黒部から乗車した電車は近郊型の413系だった。


黒部駅で折り返す6両編成の475系鈍行


越中宮崎に戻る最後の電車は北陸色413系

<おわり>

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