1993年の記録
1993年3月15日(月)夜〜17日(水) 磐越西線・只見線
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線〜名古屋〜急行ちくま<車中泊>〜長野〜信越線〜小諸(懐古園)〜信越線〜豊野〜飯山線〜越後川口〜上越線〜長岡〜信越線〜東三条〜弥彦線〜弥彦(弥彦神社)〜吉田〜越後線〜新潟〜新津〜磐越西線〜郡山<泊>〜会津若松〜只見線〜小出〜浦佐〜新幹線〜高崎〜信越線〜小諸〜小海線〜小淵沢〜中央東線〜甲府〜身延線〜富士〜東海道線〜浜松
(評)急行ちくまの座席で夜を明かした朝、小諸の懐古園は一面の雪で凍てつ
いていた。藤村の長編小説を読破したこともある私としては、懐古園から眺める
千曲川の流れは思い出に残るものとなった。新津からの磐越西線はDD51牽引の50
系レッドトレイン。駅で停車中の車内の静けさは、雪国を走る客車ならではあ
った。翌日の只見線は、この豪雪の中普段通りに鉄道が通っているということに
驚きを覚えた。
1993年4月2日(金)夜〜5日(月) 中国山地落穂拾い
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜特急あさかぜ<車中泊>〜岡山〜伯備線〜備中神代〜芸備線〜備後落合〜木次線〜宍道〜山陰線〜米子〜境線〜境港〜米子〜新見(散策)〜姫新線〜姫路〜ムーンライト九州<車中泊>〜厚狭〜美祢線〜大嶺〜南大嶺〜美祢線〜仙崎〜厚狭〜山陽線〜小郡〜山口線〜益田〜山陰線〜江津〜三江線〜三次〜芸備線〜備後落合〜芸備線〜塩町〜福塩線〜福山〜新幹線〜広島<泊>〜宮島口〜宮島航路〜宮島〜宮島口〜横川〜可部線〜三段峡〜広島〜芸備線〜三次〜広島〜のぞみ〜名古屋〜東海道線〜浜松
(評)Spring Tour '93は山陰と山陽を行ったり来たりの地味な落穂拾いTour
となった。それでも夕暮れの新見市内など、市内を流れる川のほとりで佇みいい
場面はそこかしこにあった。ムーンライト九州明けの美祢市内では、五分咲きの
桜とともにハナモクレンの白さにも心を奪われた。帰りに乗ったのぞみの速さに
は感動。
1993年7月6日(火)夜〜11日(日) 東北ワイド落穂拾い
(キップ)東北ワイド周遊券使用 (行程)浜松〜新幹線〜東京〜上野〜急行八甲田<車中泊>〜北上〜北上線〜横手〜奥羽線〜秋田〜男鹿線〜男鹿〜秋田〜特急たざわ〜盛岡〜快速リアス〜茂市〜岩泉線〜茂市(散策)〜山田線〜釜石<泊>〜急行陸中〜盛岡(散策)〜特急はつかり〜青森〜津軽線〜三厩〜青森〜野辺地〜大湊線〜大湊〜野辺地〜急行八甲田〜八戸<泊>〜八戸線〜久慈〜北リアス線・山田線・南リアス線〜盛〜快速スーパードラゴン〜一ノ関〜大船渡線〜気仙沼〜気仙沼線〜前谷地〜石巻線〜小牛田〜仙台<泊>〜仙山線〜山形〜左沢線〜左沢〜山形〜特急こまくさ〜新庄〜陸羽東線〜小牛田〜石巻線〜女川〜石巻〜仙石線〜仙台〜利府〜仙台〜常磐線〜平(現いわき)<泊>〜磐越東線〜郡山〜やまびこ〜福島〜つばさ〜山形〜特急こまくさ〜秋田〜特急いなほ〜新潟〜あさひ〜東京〜東海道線〜浜松 |
茂市の川辺にて筆者 |
(評)前半の3日くらいは、梅雨時とはいえほとんど快晴であった。夕暮れの 茂市で、列車待ちを利用して付近を流れる川のほとりで佇み「あぁ、旅に出たん だぁ」という想いが湧き起こった。盛岡での列車待ちでぶらぶらした、北上の流 れもよかった。この旅のトワイライトセクションは、海に沈む夕日を車窓の供に した大湊線。また、梅雨空に戻った10日(土)の陸羽東線で、青々とした田園地帯 を走りながら聴いたエリック・クラプトンの「ホーリー・マザー」は今でも梅雨 時になるとその情景が思い浮かんでくるほどである。最終日は東北ワイドの威力 で特急を乗り継いでぐるっと東北を一回りした。 | 左沢線気動車と筆者 |
1993年7月20日(火) 北関東落穂拾い
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜上り大垣夜行<車中仮眠>〜東京〜新宿〜埼京線〜大宮〜川越線〜高麗川〜大宮〜東北線〜小山〜両毛線〜新前橋〜渋川〜吾妻線〜大前〜渋川〜高崎〜八高線〜八王子〜横浜線・相模線〜茅ヶ崎〜東海道線〜浜松
(評)JR全線完乗に向けての北関東地区落穂拾いの旅。大垣夜行明けで、眠気
との闘いであった。梅雨空の下、田園地帯を走る両毛線と八高線、日本で一番短
い鉄道トンネルのある吾妻線などが印象に残った。
1993年8月13日(金)夜〜16日(月) 栃木・茨城・房総落穂拾い
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線〜大垣〜上り大垣夜行<車中泊>〜東京〜総武線・成田線〜成田空港〜成田〜成田線〜我孫子〜常磐線〜水戸〜水郡線〜常陸太田〜日立電鉄〜大甕〜水戸〜水戸線〜小山〜東北線〜宇都宮〜日光線〜日光〜宇都宮〜烏山線〜烏山〜宝積寺〜東北線〜郡山<泊>〜水郡線〜水戸〜鹿島臨海鉄道〜鹿島神宮〜鹿島線〜香取〜成田線〜成田〜成田線〜銚子〜総武線〜成東〜東金線〜大網〜成東〜総武線〜千葉〜内房線〜木更津〜久留里線〜上総亀山〜木更津<泊>〜内房線〜安房鴨川〜外房線〜蘇我〜京葉線〜西船橋〜武蔵野線〜西国分寺〜中央線〜立川〜青梅線〜奥多摩〜立川〜中央東線〜石和温泉〜路線バス〜善光寺〜身延線〜富士〜東海道線〜浜松
(評)お盆時期ということで関東方面に向かうのに、また浜松を宵の内になっ
てから出発するというのにわざわざ18キップを1枚使って大垣まで上り大垣夜行
を迎えに行った。首尾よく座席を確保し、車内は満員というのにぐっすりと眠れ
た。常磐線では415系ダブルデッカーに試乗し、乗り継ぎの多さに閉口しながら
もこの旅最遠の郡山に宿泊した。翌日のトウィライトセクションは久留里線で、
終点の上総亀山付近では日本の田舎の夏休みを感じた。その夜泊った木更津では
花火大会が行われており、ホテルの屋上から観賞させてもらった。最終日は房総
半島をぐるり一周した後、今度は武蔵野線で東京を大回りで半周。中央東線の石
和温泉で電車を降りたのは、石和温泉〜酒折間を未乗区間として残しておくため
である。
1993年8月20日(金)〜21日(土) 関西落穂拾い
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜豊橋〜名鉄〜新名古屋〜名神高速バス〜大阪<泊>〜東海道線・山陽線〜兵庫〜和田岬支線〜兵庫〜山陽線〜姫路〜播但線〜和田山〜山陰線〜福知山〜福知山線〜大阪〜新快速〜加古川〜加古川線〜谷川〜福知山線〜大阪〜東海道線〜浜松
(評)JR西日本の完乗を目指し、仕事を早退けして大阪に前泊した。というの
も朝と夕方にしか運行しない和田岬支線に乗るためである。無事乗車した後はホ
ッとして、その後はオマケみたいなものであった。兵庫県内を大回り、小回りで
2周し、これでJR西日本管内は全て制覇した。
1993年9月22日(水)夜〜27日(月) 北海道ワイド落穂拾い
(キップ)北海道ニューワイド周遊券使用
(行程)浜松〜こだま〜東京〜上野〜特急ゆうづる<車中泊>〜青森〜海峡線〜木古内〜江差線〜江差(散策)〜江差線〜函館〜はこだてエクスプレス〜東室蘭<泊>〜室蘭線〜室蘭(散策)〜特急すずらん〜南千歳〜特急スーパーとかち〜新夕張〜夕張〜新夕張〜特急おおぞら〜札幌〜特急スーパーホワイトアロー〜岩見沢〜室蘭線〜苫小牧〜日高線〜様似〜苫小牧〜千歳線〜札幌〜特急おおぞら<車中泊>〜釧路〜快速はなさき〜根室(散策)〜釧路〜釧網線〜網走<泊>〜特急オホーツク〜滝川〜路線バス〜新十津川〜札沼線〜札幌〜特急ライラック〜砂川〜上砂川〜砂川〜深川<泊>〜深名線〜名寄〜快速なよろ〜旭川〜特急ライラック〜深川〜留萌線〜増毛〜深川〜特急ライラック〜新千歳空港〜日本航空〜名古屋空港〜連絡バス〜名古屋〜こだま〜浜松
(評)さすがに北海道ともなると、全線完乗の落穂拾いもニューワイド周遊券
を使わないとシンドイ。今はなき583系電車寝台特急のゆうづるの下段は広々と
しておりぐっすり眠れた。江差の散策で、既に初冬の雰囲気の北海道に震えた。
函館からのはこだてエクスプレスは当時新車のノースレインボーエクスプレスを
使用しておりリッチな車内を楽しんだ。翌日の室蘭散策では、伝統ある駅舎を丘
から見下ろし、その後は乗りつぶしに精を出した。夜行の特急おおぞらで釧路に
向かい、乗り継いで降り立った根室ではオホーツク海を眺めながらぼんやりして
いた。日本の最東端の東根室駅を表敬訪問し、釧路に戻ってこの日のハイライト
釧網線へと歩を進めた。車内でしこたま酔っ払い翌日は気分が悪かった。久々に
青空を望めた特急オホーツクから札沼線へと路線バスでつなぎ、札沼線の車窓か
らはまるで絵葉書のような風景が広がった。この日のトワイライトセクションは
、今はなき上砂川支線。終着の上砂川は静寂に包まれており、時が止まったよう
であった。翌日は早起きして5:10発の深名線に乗車。この線も現在は廃止されて
いる。その後の留萌線の増毛到着前には青々とした日本海が望まれた。増毛から
は片道コースの帰り道となり、少ししんみりしながらも新千歳空港を飛び立つ機
中から「また北海道に来るからな」と心に誓った。
1993年11月20日(土)夜〜21日(日) 急行津軽お別れ乗車
(キップ)ハートランドフリーきっぷ使用
(行程)浜松〜こだま〜静岡〜東海道線〜東京〜上野〜急行津軽<車中泊>〜青森〜特急はつかり〜盛岡〜やまびこ〜東京〜東海道線〜浜松
(評)この年の12月から臨時列車に格下げされ、その後廃止された伝統の夜行
急行津軽のお別れ乗車に出掛けた。しばらく前から485系から583系に運用が変更
されており、急行きたぐにの座席で鍛えた自分としては、あのボックスシートで
眠るということは簡単だった。津軽は往年の九州夜行急行を彷彿とさせる「夜走
って、昼また走る」という感じで、このまま消し去ってしまうのは惜しい気がし
た。青森からは、これも定期運用から外されていった583系はつかりで、昼行運
用の583系の乗り味も確かめられた。
1993年12月21日(火) ガーラ湯沢
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜上り大垣夜行<車中仮眠>〜東京〜上野〜東北線・高崎線・上越線〜越後湯沢〜シャトルガーラ〜ガーラ湯沢〜とき〜越後湯沢〜上越線・高崎線・東北線〜上野〜東京〜東海道線〜浜松
(評)スキーのためでなく、冬期だけ開業する越後湯沢〜ガーラ湯沢間の完乗
を目指して18キップで往復した。ガーラ湯沢駅は、博多南駅のように1面1線の小
駅だと想像していたが、予想に反して結構しっかりした駅だった。
1993年12月28日(火)夜〜29日(水) 20系客車寝台試乗
(キップ)青春18キップ使用
(行程)浜松〜東海道線〜名古屋〜のぞみ〜新大阪〜臨時急行雲仙<車中泊>〜博多〜鹿児島線・山陽線・東海道線〜浜松
(評)20系寝台客車も体験乗車は今のうちにと「旅と鉄道」に載っており、年
末の多客期のみ運転の臨時急行「雲仙」に乗った。夢であったオハネフ22の後部
展望室で流れる夜景に長い時間見入っていた。肝心の寝台は幅52センチの上に3
段のため窮屈でなかなか眠れなかったが・・・。帰りは18キップで鈍行を乗り継
ぎ浜松に戻ってきた。