Evening Tide


グランコート名古屋に前泊。金山から北を望む

昨年の与論島に味をしめて、今年も梅雨明け直後の南西諸島でリゾートライフを楽しむことにした。とはいってもたったの1泊。チェックイン早め、チェックアウト遅めでホテル滞在時間を少しでも伸ばしたいところである。

さて台風8号が列島を縦断し、夕方には台風一過の快晴となった7月11日金曜日。いつもとは趣向を変えて、18時28分発豊橋行きの普通電車で旅立つことにした。浜松止まりの折り返し電車なので、入線時刻に狙いを定めて駅に向かったら、帰宅時間帯にも関わらずあっさり座れた。発車10分以上前に入線するので、当たり前といえば当たり前であるが。311系の転換クロスシートは、浜松以東の横座りシートに比べて旅情があり、帰宅客に混じって一人ウィスキーをチビりチビり。車内の雰囲気から多少浮いていたとしても、私に対して「なんだコイツは」と思うのは隣のお父さんだけである。 豊橋からは名鉄に乗り継ぎ。ここからはミューシートを奢っているので、本格的に飲みテツができる。3月のSpring Tour'14と同じ列車なので、今回は迷わず後ろ向きの展望席を指定した。まだまだ薄明りの残る時間帯なので、3月に乗った時よりも断然車窓が楽しめた。そうこうしているうちに、あっという間に金山。今宵の宿であるANAクラウンプラザ・グランコート名古屋は駅前である。

翌日、中部空港から那覇、そして久米島へと飛行機を乗り継いで、島の空港に到着したのが13時30分。空港前のバス乗り場から町営バスに乗車する。実は久米島行きのJTA211便が延着したので、それを受ける形になる路線バスも乗客を待っての発車かなと高をくくっていたが、定刻ぴったりに入口のドアを閉めるものだからビックリした。まだ、空港預けの荷物がターンテーブルを回っているところなので、路線バスを当てにしていた旅行者の多くは置いてけぼりを食らったと思う。

黄色い小型バスに揺られること40分。ようやく太平洋に面したイーフビーチ・ホテルに到着。チェックイン時刻は14時からとのことなので、ちょうどいい時間に到着できた。ところで、久米島行きのJTA機搭乗中までは快晴だったが、久米島の上だけに雲がかかっている状態で、部屋の窓から見える海もビーチも、くすんだ色になっている。これではロクな写真も撮れないなぁと、部屋でゴロゴロしているとあっという間に夕方になってしまった。これはいかんと思い、水着に着替えてビーチに繰り出すことにした。

イーフビーチは久米島の東側にあり、北東から南西に向けて海岸線が伸びている。というわけで、いくら夕方に出掛けても海に太陽が沈む様は拝めない。それどころか、ホテル建屋の方向に太陽が沈んでいくため、ビーチそのものが影になってしまい、せっかくカメラを持っていっても感動的な画像なんてひとつも撮れない。それならということで、誰が喜ぶのか分からないが(多くの人に不快感を与えるかと思うが)、水着姿の自画像を撮ってみた。ひととおり撮影が済んだら、後は水遊び。ここの浜は遠浅で、なおかつ珊瑚礁であるので、水浴びしようとすると海底のゴツゴツした岩にぶつかり、注意しないとケガをしそうである。おまけに台風の余波なのか、けっこう強い波が来るので、おちおち仰向けに浮かんでいられない。普通は「夕なぎ」って言葉があるとおり、昼と夜の境目は波が小さくなるものだが…。結局、遊泳区域を示すブイのところまで行って、立ち泳ぎをしていたが面白くもなんともなかった。人影が少なく監視員もいないこの浜辺で、下手をすればこのまま溺れ死に、新聞の片隅に「一人旅の中年男性、イーフビーチで行方不明」あるいは「浜松の中年男性、遊泳中に溺死」等の記事が脳裏をちらついた。そういうわけで日が暮れる前におとなしく海から上がることにした。

夕方とはいえ、盛夏の土曜日。沖縄の名の知れた浜辺なら賑わっていてもよさそうなものだが、遠くで若者の嬌声が聞こえるくらいで人影はまばら。どことなく9月の浜辺を思わせる雰囲気である。そこで私の脳裏をかすめた音楽は、松岡直也&ウィシングの「Evening Tide」。日本で二番目に売れたインスト・アルバムと言われる名盤「九月の風」の掉尾を飾る曲である。ビッグバンドであるウィシング時代ならではの重厚なストリングスが、メロウな曲調にぴたっとハマっているが、私が好きなのはサビの部分のギターソロ。ソリッドな音色で、いわゆる「泣きのフレーズ」を奏でている。おそらく弾いているのは和田アキラ氏。私の一番のお気に入りであるアルバム「Long For The East」に収録されている「この道の果てに」を弾いているのも 彼である。さて、昨年の与論島では朝食後にナベサダさんの「モーニング・アイランド」が浮かんだが、対照的な感じで今年は夕刻に松岡直也さんの「イブニング・タイド」。両雄が奇しくも南の島のテーマに浮上するなんて、ちょっと出来過ぎである。

さて、いつまでも無人の海を見ていても仕方ないので、部屋に戻ることにする。一応Tシャツだけは着たが、水着のまま部屋に戻ってそのままシャワーを浴びられるのは、ビーチサイドのホテルに泊まった特権である。風呂上りは、いよいよ部屋飲みの時間。海に沈む夕日は見られなかったが、海から昇る月を見ることができた。多少酔っぱらっていたが、月の光が海を照らすという構図は美しく、カメラを持ってベランダに出た。ところが、いくら撮ってもピンボケの写真ばかり。翌朝気が付いたが、エアコンでキンキンに冷えた室内の気温・湿度と、外の気温・湿度の差が大きすぎてカメラのレンズが結露していたためボケてしまったらしい。まぁ多少なりとも雰囲気を伝えたいので、サイズを小さくして下に掲載してみた。ちなみにこの日はちょうど満月だった。


7月12日は満月。ビーチを照らす


久米島空港からの足は町営のコミュニティバス


古いけどリゾート感があるイーフビーチホテル


チェックイン直後はどんよりとした曇り空


水着に着替えてビーチで遊ぶ夕べ


部屋のベランダから日の出前のビーチを望む


プールサイドバーベキューも楽しめる「サバニ」


CP重視も朝食くらいはレストランで

翌13日は朝から快晴だった。日の出前に目覚め(といっても当地は日の出時刻が1時間近く遅いが)、きっちり海から昇る太陽を拝むことができた。日の出とともに蝉しぐれが大きくなり、久米島は既に真夏なんだと改めて思った。1時間ほど部屋でメールやネットをチェックした後、待望の朝食を摂りに館内のレストラン「サバニ」に行った。いつものことであるが、旅に出るとまともな食事をしないのが常で、金曜の夜は飲みながらかわきものを食べて終わり。昨日の朝は菓子パン2個、昼食は10時前に朝食として提供された機内食。昨夜はやっぱり飲みながらのかわきもので、いい加減にしないと胃腸がおかしくなりそうである。昨夕もレストランの屋外テラスでバーベキューを横目に見ながら、うらめしい思いで部屋に戻ったものである 。というわけでレストラン「サバニ」での朝食。普通のバイキングだったが、なにせ久々のまともな食事。おいしくいただいた。ジーマーミ豆腐や海ぶどうといった沖縄ならではの食材もあったので、そちらもありがたくいただいた。

せっかくの天気なので、朝食後にビーチを散策することにした。レストランからテラスに出ると、むわっとした重苦しい空気に押され、同時にメガネがあっという間に曇った。これでは昨夜いい写真が撮れなかったのも無理はない。テラスには昨夜の名残りのバーベキューセットが置かれ、リゾートホテルっぽくプールが2つある。プールの向こうには、ビーチとの境目に生垣があり、生垣の切れ目の階段を下りるとイーフビーチがある。ビーチ正面にはサーフボードが2枚立てかけられていて、光線の具合と相まってイイ感じに夏の写真が撮れるという仕組みである。いかにも夏という画像は、当サイトでも必要であるので、何度かシャッターを切った。

部屋に戻ってだらだらしていたら、あっという間に帰りのバスの時刻になってしまった。9時半過ぎにチェックアウトし、9時46分の町営バスでイーフビーチ・ホテルを後にした。乗客は観光客ばかり。往路のバスと同じ経路を戻るものと思っていたら、奥武島の橋を渡った。この橋の上から見た久米島南部の海岸線は絶景で、今回の旅のベストショットが撮れた。この奥武島の先には有名な「はての浜」があるが、そこには船で渡るしかなく今回も見送りとなった。奥武島を往復した後、バスは東海岸から西海岸への峠を越え、ホテルを出発してから40分後に久米島空港に到着した。搭乗便出発時間の1時間ほど前なので、ちょっと早すぎるきらいもあるが、ギリギリよりは断然良い。

久米島空港は島の北西端にある海に面した空港である。おそらく岩礁を埋め立てて滑走路を造ったと思われる。夕日で有名なシンリ浜は空港と目と鼻の先で、何年か前に夕日を背景に久米島空港に着陸する737をシンリ浜から撮影し、年賀状に使った覚えがある。その時は春先の夕刻だったが、今回は真夏のお昼前。季節と時間帯が違うとまったく別の場所に見える。ターミナルビル2階の屋外にある展望デッキに上がってみると、白く光る真夏の滑走路が眩しい。夏の旅は視覚に飛び込んでくる景色のコントラストが強く、秋冬の旅よりも脳裏にはっきりと刻み込まれるような気がする。しばらく屋外にいると首筋を汗が流れ落ちるのを感じ、熱射病になりそうだったので慌てて屋内に駆け込んだ。

セキュリティゲートを抜けて搭乗ラウンジへ。しばらくぼけーっと滑走路を眺めていると本土の空港では見られない青と黄色の機体が着陸した。折り返し那覇空港行きとなる琉球エアコミューターのボンバルディア機(ダッシュエイト)である。那覇空港と離島を1日に何度も往復する働き者で、最後列は通路なしの横5列のシートが並ぶ39名定員の観光バスのような飛行機である。ブリッジが付かないので、那覇などの大きな空港では、搭乗口まで必ずバス移動となり、久米島空港のような離島では歩いて搭乗せねばならない。そのうち搭乗案内があり、例によって機体まで歩いて移動。ドアの裏に付いている階段を上って搭乗する。離陸後もあまり高度を上げることはなく、すぐにシートベルト着用サインが消えるので、デジカメで滞在していた島を撮影できる。空から見た久米島は、珊瑚礁に囲まれ、エメラルドグリーンの海が美しい南の島だった。

久米島から那覇空港に到着すると、都会に戻ってきた雰囲気で、なんとなく現実に引き戻された感じになる。そのうえ、搭乗する羽田行きANA126便がディレイしており、搭乗ゲートの前は人、人、人の波である。近隣ゲートから出発する成田行きや新千歳行きも軒並みディレイで、その混乱に拍車をかけていた。予定より15分後に機内に案内されたが、今度は乗客全員揃っているにも関わらず、なかなかドアクローズしない。やっとドアが閉まったら、プッシュバックが始まらない。機体が動いたなと思ったら、誘導路で延々と待たされる。通常なら帰りの飛行機は「いくら遅れても大丈夫」というスケジュールを立てているが、今回は遠州地方特有の風習「初盆の盆義理回り」を夕刻からこなさないといけないので、品川発16時10分のひかりにどうしても間に合わせないといけない。30分遅れくらいなら大丈夫なように予定を立てていたが、あそこで止まり、ここで止まりを繰り返しているうちに45分くらいディレイしてしまった。こうなってくると気が気ではない。そんな私のイライラをよそに、ようやくトリプルセブンは那覇空港を離陸した。

巡航高度に達すると、例によって機長の挨拶がアナウンスされた。まず出発の遅れをわび、その後に「最高速度でできる限り遅れを取り戻す」と宣言して挨拶は終わった。「本当に遅れを取り戻すのかね?」とアナウンスを聞いた時には半信半疑だったが、この飛行機の機長は有言実行タイプ。熊野灘から遠州灘へとかかる太平洋上で時速629マイル(1,012Km/h)を出した(機内上映の航路マップによる)。35,000フィートの高高度でジェット気流の恩恵を受けたとはいえ、これまでに飛行機に乗って時速1,000キロを超えたのは初めてである。音速が1,225キロであるので、ソニックブームの影響を考えればトリプルセブンの限界ぎりぎりでぶっ飛ばす感じだろう。まぁとにかく、この有言実行型機長のおかげで、新幹線に間に合い、18時には同期のお宅を訪問することができた。リゾート気分から、おごそかな雰囲気に戻すのが大変だったが…。


建物東側(ビーチ側)にプールが2つある


ビーチにサーフボード。いかにもな夏の画像


イーフビーチホテルの客室。安楽椅子がgood


町営バスがホテル玄関までお出迎え


車窓は夏景色。奥武島に渡るバスの車内より


海に面した久米島空港。真夏の滑走路


飛来したRACのボンバルディア機が折り返す


空から見た久米島。画像奥のビーチに滞在

<終>

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