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ニューヨークの想い

New York State Of Mind

ルーズベルトAv・ジャクソン・ハイツ駅


その昔「ニューヨークへ行きたいか〜!」を合言葉にしていたクイズ番組があった。ニューヨークはどん詰まりの「上がり」の位置付けなので、私が思うにはアルバカーキあたりが番組の中で一番おもしろいんじゃないかと思うが、いずれにせよ初のニューヨーク旅行を目前にした段階では、かのクイズ番組を思い出さずにはいられなかった。

今回のニューヨーク&クリーブランド旅行の立ち上げは異様に早く、昨年の11月頃である。11月と12月の超割期間中に少しばかり修行をして、次年度ブロンズを目指していた(アップグレード券が2枚追加され、SFC分と合わせて国際線往復Y→Cが可能になる)ところにショッキングなニュースが入ってきた。それまでは早割りGET運賃からでもアップグレード可能だったものが、2005年4月以降はゲットスタンダードというそれまでの倍以上も高い運賃からでないとアップグレードできなくなってしまうのである。救いは2005年3月末までに予約をしたものに関しては従来のルールが適用されるということで、そのためビジネスクラスの特典枠が取りにくいニューヨーク線を10ヶ月前に押さえたわけである。

サラリーマンの方なら分かっていただけると思うが、10ヶ月も前に年休2日を含めて5日間連続の休暇を押さえてしまうのは至難の業で、その間には仕事の面や環境の変化など、いろいろと紆余曲折があった。それを乗り越え、無事に旅行当日の朝を迎えたのは奇跡的だった。


メトロカードは必携。Q33系統のバス


AAカウンターでCO便へのエンドース手続き

2005年9月22日、朝6時過ぎに自宅を出発して遠鉄電車、新幹線、成田エクスプレスを予定通りに乗り継いで行くまでは順調だった。しかし、成田エクスプレスが地上に顔を出した頃「何か忘れているような…」という悪い予感が現実のものになってしまった。「アップグレード券を忘れた!!」…心臓が止まる思いだった。列車は成田空港までノンストップ。もっとも、自宅を出てからどの時点で思い出しても、家には取りに帰る余裕がないというカツカツのスケジュールだった。列車が佐倉を過ぎる頃には覚悟を決め「ニューヨークに行くだけでも素晴らしいことなのだから、たとえエコノミーになっても我慢しよう」と心に決めた。


エンバシー・スイーツ・クリーブランドDT


エンバシー・スイーツのリビングにて筆者


キッチン付だが一人では使いこなせない


ロックの殿堂横に立つ「ロックの発祥地」碑


成田空港の第2ターミナルビルに到着し、チェックインの列が伸びたVカウンターで恐る恐る「アップグレード券を忘れてしまったのですが…」と切り出してみた。すると難なくビジネスクラスへの搭乗が認められ「アップグレード券は後送して下さい、1ヵ月後までに送らない場合はマイルを引き落としますよ」という手続き書類にサインしてチェックインは終わった。後になって考えてみれば、アップグレード券を当日忘れる人なんてゴマンといるだろうし、その度にシーティングをいじっていたら手間がかかって仕方ないだろう。とにかく、この旅のひとつの楽しみを失わずに済んでホッとした。

ライフラットと呼ばれる、水平に倒れる(実のところは少し傾斜があるが)ANAご自慢のNEW STYLE CLUB ANAのシートは快適だった。夜行便は、どれだけ眠れるかで現地での快適さが変わってくるが、睡眠不足も手伝っていくらでも眠ることができた。日本時間でいうと夜8時頃、五大湖の上空で朝を迎え、現地時間の9月22日午前10時30分頃(日本時間午後11時30分)、ニューヨーク・ジョンFケネディ国際空港に到着した。

行程ではニューヨークに滞在せずに、その日のうちにクリーブランド入りして泊まる予定なので、とりあえずラガーディア空港にバスで移動した。ニューヨークの空港バスはチップを取るらしいことが車内に掲示されており、JFK〜LGA間$11の運賃の他に運転手に$2払ってバスを降りた。

ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム


ラガーディア空港に着いたのは11時過ぎ。16時半の出発なのでたっぷり時間がある。翌日の夜、マンハッタンに行くときに路線バスと地下鉄を乗り継ぐ予定なので、時間があれば昼間のうちに地下鉄の駅まで下見をしておきたいと思った。空港のKIOSKみたいな売店で1週間用のメトロカードを購入し、Q33のバスで終点のルーズベルトAv・ジャクソン・ハイツ駅まで行ってみた。ビジネスライクな空港の雰囲気とはがらりと変わり、駅周辺はキムチやシシカバブの香りが漂い、アジアムード満点だった(かなり広いアジアだけど)。空港のATMではどうしても受け付けてくれなかった私のクレジットカードも、こちらのATMではすんなり使えた。空港でぼーっとしているだけでは味わえないニューヨークの一面を味わい、再びラガーディアにバスで戻った。

16:30発のクリーブランド行きAA4875便は、出発時間を過ぎてもいっこうに搭乗合図がかからず、いい加減イライラした頃になって欠航が決まった。17:53発のCO1651便にエンドースされることになり、チェックイン手続きまでは良かったが、セキュリティ・チェックで引っかかった。靴はもちろん身ぐるみを剥がされて、持込荷物も全てチェック。エンドースされた人全員がそのような扱いだったため、搭乗時間に間に合うかどうかヒヤヒヤものだった。飛んでしまえばクリーブランドはあっという間で、予定より2時間近く遅れてホプキンス空港に到着した。


RTA乗り継ぎでホプキンス空港を目指す


空港手前のブルークパーク駅で降ろされる

RTAをクリーブランド市街地のタワーシティで降り、3ブロックほど離れたエンバシー・スイーツ・ホテル・クリーブランド・ダウンタウンに徒歩で向かった。まだ9時前なのにメインストリートは閑散としており、意識過剰かもしれないが危険を感じるほどだった。アメリカの中堅都市は完全なクルマ社会となっており、歩いて10分くらいの距離もタクシー利用の方がいいようだ。

ホテルに着いてみれば、全室スイートルームを誇るホテルらしく、一人では持て余すほどの広さだった。ベッドルームと独立したリビングにプラスして、ウオークイン・クローゼットとダイニング・キッチンが付いており2人以上で宿泊するならリーズナブルである。ただ、ここまで広い部屋なら、シャワールームは独立してほしかったが。


クリーブランド・ホプキンス国際空港


ニューヨークのミレニアム・ヒルトンに連泊

ハリケーン「リタ」の外側の雲がかかったのか、その日の深夜は雷と暴風雨で荒れ模様だった。しかし翌朝には雨が上がり、「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム(ロックの殿堂)」まで歩く頃には青空も見え始めた。クリーブランドのラジオのDJが「ロックン・ロール!」と叫んだことで、ここがロックン・ロール発祥の地となり、ロックの殿堂まで建ってしまった。私のようなロック好きな人間にはたまらない施設で、まる一日いても時間が足りないくらいだった。なんの変哲も無い白いTシャツとジーンズ、赤いキャップが、ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザUSA」のアルバムジャケットで実際に使われたものとして展示されていた。青春時代に胸を熱くしたロックを象徴するものが館内の至る所に飾られていて「お〜!」「あ〜!」の連続だった。あらためて80年代のロックをリアルタイムで体験していて良かったと感じたひとときだった。


角部屋があてがわれ快適な2泊3日だった


サークルライン・フェリーで自由の女神島へ


一度は見たい自由の女神

後ろ髪を引かれる思いでロックの殿堂を後にし、RTAを乗り継いでホプキンス空港に向かった。空港行きだと思って乗った列車が、ひとつ手前のブルークパークという小駅止まりで、車掌から注意される小さなハプニングもあったが、予定通りAA4876便でニューヨークに戻った。ラガーディア空港に着陸する直前の、空から見る摩天楼の夜景は感動的だった。

一度下見をしているだけに、ラガーディア空港から地下鉄への乗り継ぎはスムーズで、乗車した電車の終点がホテルの目の前の「ワールド・トレード・センター」駅と好都合だった。


摩天楼が一望できる意外なビューポイント


あこがれのヤンキー・スタジアムで野球観戦


5番レフト、ヒデキ・マツイ


松井の第1打席はフォアボール

毎度のことながらホテルのチェックインには骨が折れる。全神経を集中してヒアリングするものの、だんだん相手の英語についていけなくなり、ついつい適当に返事をしてしまう。こちらが確認のために発した「ボーナスポイント?」という言葉が、相手はそれを選択したと受け取ったようで、楽しみにしていたゴールド特典の「朝食無料」がパーになったことを2日目の朝に気付いた。それでもフロントのオバサマは、ゴールド・ステータスの東洋人に気を利かしてくれたようで、部屋に入ってみると角部屋のジュニア・スイートだった。

翌朝は、ヤンキースタジアムでのメジャーリーグ観戦がメインだが、その前に自由の女神を見に行くことにした。当初はバッテリー・パークから遠望するだけでいいかなと思っていたが、自由の女神はあまりに小さく、サークルライン・フェリーに乗船することにした。JFK空港から出て以来、日本人とは会わない時間を過ごしてきたが、さすがに大観光地に向かうフェリー乗り場では、あちこちから日本語が聞こえた。靴を脱いだりベルトを外したりしないとNGとなる、空港並みの厳しいセキュリティチェックを通過し、短い船旅を楽しむ。遠ざかる摩天楼と近づく自由の女神を交互に見やり、意外なところにNYのビューポイントがあるものだと感心した。15分ほどで島に到着し、クリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」を口ずさみながら、自由の女神を一周した。初秋の穏やかな日和の下、さわやかな散歩道だった。

再びバッテリーパークに戻り、ボウリング・グリーン駅より地下鉄4ラインで一路北上する。急行運転だったが、161Stヤンキースタジアム駅まではたっぷり30分くらいかかった。いよいよ念願のメジャーリーグ観戦だが、まずはチケットマスターのWEB上の予約を、窓口でペーパーチケットに交換しなければならない。駅から球場を半周して窓口を見つけ、本当に予約されているのか半信半疑だったチケットを無事入手した。隣接する入場ゲートから観客席に入る。シートは3塁側のダッグアウト上の1階席で、2階席が上に被さっている部分だった。手数料込みで$60なら十分すぎるほどの席である。試合開始直前だったが、とりあえずビールとホットドッグだけは確保した。

ニューヨーク・ヤンキース対トロント・ブルージェイズ戦なのでアメリカ・カナダ両国の国歌斉唱がありプレイボール。1回表にいきなりブルージェイズがチャンスを握り、松井のタイムリーエラーなどで4点を先制。1回裏にアレックス・ロドリゲスの2ランで追撃するも、2回表にブルージェイズに3点を追加され、試合序盤でヤンキースは劣勢に立たされた。


1回表のエラーでこころなしか小さく見えた


ジーターはファンの絶大な人気を誇る


チャンス到来でスタンドは一気に盛り上がる


松井最後の打席は空振り三振


いかにもニューヨークっぽいタイムズスクエア


グランド・ゼロには相変わらず観光客が


ここに立つと9・11のことを思い出す


グランド・ゼロに日が落ちていく

松井のエラーの場面は、3塁側の内野席からだとファウルフライに見え、落球した時も「なんで、そんなに騒ぐの?」という感じだった。実際には、無死満塁の場面で2塁走者の生還まで許し、この試合のひとつのターニングポイントになってしまった。この試合の松井の打席は、1回に四球で出塁、3回、5回はいずれも外野フライ、7回にはライトオーバーのシングルヒットを放つも得点には絡まず、最終回の打席では三振。松井にとってはイマイチさえない試合だった。

試合の方は、ここのところのヤンキース快進撃の立役者スモールがリリーフで好投し、締まった試合となった。6回にヤンキースが1点を返した場面では、ヤンキースファンも盛り上がり「Go!Go!ヤンキース」の大合唱。特にジーターの打席で最高潮に達し、さすがはヤンキース人気1選手だけのことはある。まぁ私もその熱気にやられて、背番号「2」のTシャツをお土産に買ったクチであるが…。

7回裏の、いかにもメジャーリーグらしい「Take Me Out To The Ball Game」の大合唱を楽しみにしていたが、場内に最初に流れたのは別の曲だった。ハリケーン「カトリーナ」による犠牲者を追悼するため「God Bless America」を合唱、続いて「Take Me Out To The Ball Game」という段取りだった。プレイボール前の国歌斉唱と合わせると4曲目で、もうお腹いっぱいである。

終盤7回以降もヤンキースがチャンスを作るもののホームベースが遠く、9回ブルージェイズのストッパー、バティスタに締めくくられてゲームセット。レッドソックスとプレーオフ進出を争っていたヤンキースにとっては痛い一敗となった。

試合終了直後の地下鉄の駅は大混雑が予想されたので、もう一駅マンハッタン寄りの149Stグランド・コンコースまで歩き、4ラインに乗車した。夕暮れが近づいているものの、せっかくニューヨークに来たのだからニューヨークらしいところに寄っておこうと思った。まずはセントラルパークに行ってみたいと思い、59St駅で乗り換え、2つ目の57St/7Avで降りた。地上に出てみると方向感覚がなくなってしまい、迷子になるのが怖かったのでセントラルパークは諦めた。ただし、その界隈は歩行者天国になっていたため露店が並び、人出も多く、ニューヨークに来て以来もっとも楽しげな雰囲気を味わえた。

その後、地下鉄Qラインで2駅下り、42Stタイムズスクエア周辺を歩いてみたが、57St以上のトキメキは得られなかった。おとなしくホテルに戻ることに決め、長い地下道を歩いて、42Stポート・オーソリティ駅から地下鉄Aラインで帰ってきた。さて、ミレニアム・ヒルトンの正面玄関のまん前は「グランド・ゼロ」で、夕暮れにもかかわらずたくさんの観光客が訪れていた。その人たちを横目に自室に戻り、西側のカーテンを開けると、ちょうどグランド・ゼロの向こうに太陽が落ちていくところだった。ニューヨークはここからナイト・セクション。その夜はハドソン川に映る夜景を見ながらバーボンをちびりちびり。ビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」やスティングの「イングリッシュ・マン・イン・ニューヨーク」が良く似合った。クライマックスは季節外れの花火大会。大輪の花がビルの合間に見え隠れした。


時ならぬ花火大会を部屋から見物


ニューヨークの地下鉄を使いこなした3日間


代替バスからエアトレインに乗り継ぎ


各ターミナルを結ぶエアトレイン


ブリティッシュ・エアウェイズのテラスラウンジ

明けて9月25日(日)。ホテル裏のブロードウェイ・ナッソーStより地下鉄Aラインで帰途に就いた。停車する駅の柱という柱すべてに貼り紙がしてあるのでイヤでも気付くのだが、JFK空港へのエアトレインの乗換駅であるハワード・ビーチ方面がこの週末に全線運休となり、ロッカウェイBlvdで降りて代替バスに乗らなければならない。30分ちょっとでその駅に着き、ホームに降りると案内係のオバチャンがいて、代替バスに誘導していた。アメリカらしくない細やかなサービスだったが、地下鉄車両を撮影する最初で最後のチャンスである自分にとっては、撮影中も何か見張られている感じで気持ちよくなかった。

バスが空港までそのまま乗り入れてくれれば御の字なのだが、そういう訳にもいかず、きっちりエアトレインの接続駅ハワード・ビーチで降ろされた。エアトレインは地下鉄同様、メトロカードで自動改札を通過するパターンなのだが、乗り放題系のカードは使えず、もう1枚メトロカードを購入するハメになった。空港内のターミナル間で利用する分には無料だが、地下鉄の駅からの利用は$5かかる。距離から考えると、ずいぶんイイ値段である。それでもロウアー・マンハッタンからはJFK空港への交通機関の比較では、地下鉄+エアトレインが最安で、時間も読みやすいのだけれど…。

JFK空港第7ターミナルのチェックインカウンターで、ニューヨークに着いて以来はじめて日本語で会話ができた。逆にいえば旅の終焉を感じる瞬間でもある。出国手続きの後、ブリティッシュ・エアウェイズのテラス・ラウンジで、ニューヨークでのいろいろな出来事を想いながら、旅の終わり特有の哀愁に身をゆだねた。

<おしまい>

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