チャレンジ九州2000キロ Vol.2

九州ジグザグ乗り継ぎ



こだま429号で旅は始まる
◇アプローチ◇
◎2000年4月14日(金)天気;晴れ
JR九州の乗りつぶしキャンペーン「チャレンジ九州2000`」の旅は今回2回目である。前回2月の西九州の旅の終了時には、あと夜行2泊、のべ4日間の行程で全てのチェックポイントを回れるだろうという感覚は掴んでいたのだが、実際の乗り継ぎを計画する段になると困難を窮めた。タクシーや高速バスなどを駆使してやっと完成。帰りは全日空のバーゲン運賃期間(どこまで乗っても片道1万円)の指定日に狙いを定めて4月17日とし、逆算して4月14日の金曜日の夜行での出発となった。バーゲン運賃の予約開始は2ヶ月前、つまり西九州の旅が終わってすぐチケットの手配を始めたことになる。この種の旅では異例の早さである。
4月14日金曜日は当然仕事。定時の18時ギリギリまで働いて、浜松駅に向かった。薄暮の浜松駅を18:13に発車する「こだま429号」で旅は始まった。オーディオサービスに耳を傾けると、3月の旅と同じプログラムであった。スピッツの「ロビンソン」を聴きながら車窓に目を向けると沿線の桜は満開を過ぎ、着実に季節が進んだのを感じた。ともあれ、仕事帰りの新幹線の車内でビールの栓を抜くと、ようやく今度の旅に対する期待感が膨らんできた。
京都では18分の待ち合わせ。新幹線ホームから在来線7番ホームに降りると、EF66を先頭にした南宮崎・長崎行きの寝台特急「彗星・あかつき」号が入線していた。彗星4両・あかつき7両の計11両編成である。かつては隆盛を極めた関西発着の寝台特急も、この「彗星・あかつき」号と「なは」号の2往復となってしまった。時代の流れとはいえ寂しい限りである。
20:20京都駅を発車。今宵のベッドは初体験のB個室寝台「ソロ」である。寝台特急の開放寝台に乗ると、揺れや騒音はともかく貴重品が心配で眠りが浅くなるのが常であるが、今夜はその点安心である。プライバシーが保たれている上にオーディオサービスとアラーム時計が付いていて、開放寝台と同額の寝台料金6300円。まさに「乗りドク車輌」といえよう。さっそくオーディオサービスのチャンネルを合わせると、再びスピッツの「ロビンソン」が流れる。新幹線とはプログラム自体は異なるものの、スピッツのベスト盤「リサイクル」を特集しており、この日の夕方から深夜までに都合4回「ロビンソン」を聴き、さすがに飽きてしまった。ベッドの上で「リング」を読んだのだが、なにせ個室で明かす一人の夜。内容のおそろしさは倍増し、33歳になった自分ですら、時折ドアを開けて一息入れた。結局最後まで読み通し、日付が変わった0:20尾道を出発したのを潮に灯りを消した。

彗星号のB寝台個室出入口


B個室寝台「ソロ」の室内

「ソロ」のドアが並ぶ廊下
◎2000年4月15日(土)天気;くもり時々雨
目覚めたのは下関直前の幡生あたり。まだ闇の中の4:30ころであった。室内の備品のアラーム時計の音で起きたのだが、開放寝台ではこうは行かなかっただろう。ともあれ、顔だけ洗ってすぐに下車の準備。関門トンネルを抜けて4:50に門司駅に到着した。
さて、今回の旅の最初のチェックポイント「門司港」に向かわねばならないのだが門司港ゆき上り列車は6:03までない。当初から門司〜門司港間はタクシーを使用する予定であったが、果たして朝5時前に駅前にタクシーが停まっているものだろうか不安であった。改札を抜けて真正面にタクシーの姿があるのを見てホッとした。わりあいアップダウンのある未明の国道3号をタクシーは走り、5:10ころ門司港駅に到着。料金は1400円くらいであった。
◇門司港◇
門司港駅は正面に噴水ができたりしていて若干感じが異なっていたが、九州の鉄道発祥以来の姿のままであった。門司港駅でJR九州の特急自由席乗り放題の「チャレンジ九州フリーきっぷ」を購入する予定であったが、出札窓口は開いておらず仕方なくオレンジカードで戸畑までのきっぷを購入した。改札を抜けて駅名標をバッグに証明写真をセルフタイマーで撮影。この作業をあと17回繰り返さなければならない。長い道程である。

未明の門司港駅舎

本日最初の列車813系電車
5:19発の813系普通電車で戸畑へ向かう。JR九州の普通列車は転換クロスシートの車が多く居住性が良い。この813系もそうなのだが、あんまり居心地が良すぎて眠ってしまわないか心配である。なにせ戸畑まで27分なのだから・・・。戸畑に到着し「チャレンジ九州フリーきっぷ」を12000円で購入。外に出ると雨が降っていた。予定は徒歩で戸畑渡場に行き若戸渡船で若松に渡るということであったが、駅前のバス停の時刻を見ると、おあつらえ向きに6:10発の若松駅前を通る便があった。雨の中歩くのもおっくうなので、そのバスに乗った。バスは若戸大橋を経由して6:21に若松駅前に到着した。
◇若松◇

若松駅の改札でキップにスタンプを押してもらい、改めてスタート。待っていた列車は新幹線博多開業と同時に導入されたキハ66・67。当時としては画期的な転換クロスシートの普通列車用気動車である。25年を経た現在では相当くたびれてはいるものの居住性は良い。証明写真を撮ってシートに腰を下ろすとさすがに眠くてうつらうつらしてしまった・・・。

若松駅にてキハ66・67
あやうく乗り過ごすところであった・・・。6:52に折尾駅に到着したところで運良く目が覚めた。あわてて鹿児島本線のホームに駆け上がり「西日本新聞」を売店で購入して6:58発の下り快速電車に乗り込んだ。車内で新聞を読んでみると昨晩の「静岡新聞」夕刊と主要ニュースは変わっていなかった。情報にタイムラグがあるのだろうか・・・。香椎で乗り換え7:40発の香椎線気動車に乗車。車内ではやっぱり眠っていた。
◇西戸崎◇

西戸崎では大粒の雨が降っており、証明写真を撮るのに難渋した。帰りの列車のでは、車窓を楽しもうと思い目を見開いた。博多湾とそれに続く海の中道公園までは憶えていたのだが、次の記憶は香椎駅手前に飛んでいた。睡眠不足はかなり深刻である。香椎で鹿児島線に再度乗り換え。2駅めの吉塚で篠栗線に乗り換える。吉塚駅は改修中で、鹿児島線ホームから篠栗線ホームまでえらい歩かされた。9:05発の下り列車はJR後に導入したキハ200。昔は「赤い快速」と名乗っていたアレである。
◇篠栗◇
篠栗でいったん下車して、ホームで証明写真を撮る。ところが撮影を終わっても、今乗ってきたキハ200はホームに止まったまま。本来の計画なら一本列車をおとすところだったが、労せずしてもとの列車に戻ってしまった。こうなると旅の計画を前倒ししよう!!熊本の宿に早く入れるチャンスが到来した。車内で時刻表をめくって、1時間早く宿に入る計画に修正した。
◇田川後藤寺◇
新飯塚で乗り換え、計画より一本前の9:52発の後藤寺線列車に乗車。乗車とともに爆睡し、目覚めると田川後藤寺に着いていた。寝ぼけまなこで証明写真を撮り、まず改札を抜ける。後藤寺バスターミナルまで歩き、時刻表を見ると彦山まで直通するバスは午後までない。後藤寺から列車で彦山に行ってしまうと、もとの計画の列車になってしまうため、ここはどうしても彦山に列車以外の方法で行かねばならない。結局途中の添田ゆき10:25発のバスに乗車した。

新飯塚駅にてキハ200

雨に煙る彦山駅は立派な駅舎
添田到着は10:55。結局彦山ゆきの接続のいいバスはなく、タクシーのお世話になることに。掟破りであるが仕方ない。添田のバスターミナルは駅と離れているため、とりあえず駅方面へと歩いた。途中でタクシーの営業所を見つけ彦山まで乗車。同じ町内とはいえ彦山まではけっこうな距離で、15分くらいしか乗車しなかったものの料金は2200円くらいかかった。
◇彦山◇
彦山駅には11:20ころ到着。昔は賑わったらしく普通の改札口とは別に団体改札口らしきものがあった。現在では無人駅で改札口自体が必要無くなっている。駅舎も英彦山神社を模した立派な造りであった。しかし肝心の乗客がいなくては・・・。11:40発の日田ゆき普通列車に乗車したのは私ひとりであった。
雨は上がり青空もわずかだが見え始めた。車窓を彩る菜の花が眩しい。峠を越えて福岡県から大分県に入る。思えば福岡県内は難行苦行の連続であった。ここからは少しは旅気分も味わえるだろう。夜明からは久大本線に乗り入れ日田には12:20着。そろそろ昼飯時であるがホームには駅弁スタンドはなくしばらく我慢。12:36発の由布院ゆき普通列車は学校帰りの高校生で満員であった。発車してしばらくは渓谷の続く車窓に見入っていたが、またも睡魔が襲う。豊後森で停車していたのは憶えているが、目覚めたのは13:50ころ。桜が満開の由布院駅到着間近であった。

九州有数の観光地の玄関駅
◇由布院◇
由布院駅で証明写真を撮ろうとカメラを取り出したら愕然とした。カメラの電池が外れカウンターが0になっているのだ。気を取り直して、念のため今まで撮影しただろう枚数をカラ送りして、写真を撮る。今まで撮った写真がパーなら、もう一度旅をやり直さねばならないが、今度いつ来れるだろうか・・・など、いらぬ事を考え始めた。
まぁとにかく腹が減っては戦は出来ぬ。駅前のソバ屋で遅い昼食を取った。湯布院はさすがに九州有数の観光地。駅前は多くの観光客で混雑していた。

特急ゆふ号が由布院に入線


◇大分◇
由布院からは「チャレンジ九州フリーきっぷ」に威力を発揮してもらい、特急「ゆふ3号」の自由席に乗車する。JR化以後にJR四国からお輿入れしたキハ185の3両編成である。とはいえわずか40分そこそこの乗車では、乗り味を確かめるまでは至らず、15:23大分駅に到着した。
大分では16分の待ち合わせ。さきほどの由布院以外は接続が良すぎて満足に町歩きもできない状態である。15:39発の豊肥線普通列車で宮地へ。またも車内で居眠りし、途中の豊後竹田も記憶に無い。目覚めたのは17時過ぎ。阿蘇外輪山を登っている途中であった。

キハ186の「乗りドク」シート
◇阿蘇◇
宮地では22分の待ち合わせ時間があったので、駅前のコンビニでビールとつまみと明日の朝食を仕入れた。18:14の列車で阿蘇へ2駅移動。さすがに九州、くもり空ながらまだ明るい。照明写真を撮った後、駅前に出ると湯煙が上がっていた。駅前の銭湯のような温泉旅館に入ってみたかったが時間の都合であきらめ、ファミレスで夕食を取ることにした。いつも思うのだが、こういう乗り継ぎの旅をしていると食生活が貧困になってしまい、郷土料理などを食する機会がないのがもどかしい。結局今晩も生姜焼き定食に生ビールである・・・。
ファミレスで小一時間ほどうだうだした後、駅に戻る。ほどなく19:36発熊本ゆき特急列車「あそ6号」が入ってきた。午後に乗車した「ゆふ」と同じキハ185の3両編成である。ゆふは自由席1両に対して、あそは2両。2号車のキハ186も自由席だった。キハ186は、もとキロハ186で半室グリーン車だった車輌である。当然グリーン車のシートもそのまま自由席で、いわゆる「乗りドク」車輌といえよう。
列車は漆黒の闇の中、西へと進んだ。立野のスイッチバックをこなした後は一気に外輪山を駆け下り、熊本平野を快走する。今年3月電化された肥後大津を過ぎ、787系つばめ型特急電車や815系電車などと交換する。ようやく人心地がつき熊本駅には20:38に到着した。
◇三角◇
今日の宿泊地・熊本に到着したのだが、まだ宿には入れない。これから往復2時間かけてチェックポイントの三角を往復するためである。すでに車窓は期待できないので、車内ではもっぱら文庫本を読むことにした。
三角ゆきの列車はキハ31(右の画像参照)。新幹線の転換シートを流用し、2列+1列に並べた車輌である。1列のシートの方に腰を下ろす。誰にも邪魔されずに本が読めるおあつらえ向きの車輌である。
熊本発21:06の列車は21:53に三角に到着。ホームで証明写真を撮って、タバコを一本吸ってすぐにトンボ帰り。21:59に三角を出た列車は22:52に熊本に到着した。ちなみに車内で読んだ文庫本は、種村直樹さんの「ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行」である。

あそ6号が熊本駅に到着
◇熊本◇
今夜の宿は、熊本駅から徒歩3分の「ウッドランドホテル」である。23時ころチェックインし、シャワーを浴び、TVでジュビロがジェフに勝ったことを確認してすぐ就寝。昼間あれだけ居眠りしてもすぐに寝付いてしまった。

◎2000年4月16日(日)
天気;晴れ

熊本ウッドランドホテル

八代ゆきワンマン815系電車
明けて4月16日は5:30ころ目覚めた。まだ薄暗いながらも、昨日の雨は上がり青空が見えていた。今日はこの旅の中日。きっと九州を満喫できる一日になるだろう。
ホテルを6:40ころチェックアウトし駅に向かう。熊本駅前は朝市のようなものが開かれており、日曜日の朝とはいえ活気があった。1番ホームから八代ゆき815系電車に乗車し、旅はリスタート。車内ではもっぱらスポーツ新聞を読んでいた。今日行われる競馬のGT「皐月賞」がトップ記事であった。
◇人吉◇
八代で肥薩線の鈍行に乗り換えた。列車はキハ31。例によって進行方向右側の1人掛け転換シートに腰掛けた。日曜日の朝ということもあって、地元の乗客とともに大きな荷物を持った観光客の姿もちらほらしていた。天気は快晴で、球磨川を望む車窓とあいまってようやく「遠くを旅している」という気分になってきた。
人吉到着は9:05。ホームで証明写真を撮ったり、スタンプを押していたりしていたら、あっという間に時間が経ってしまった。9:15ころ駅を出て、人吉産交バスターミナルに向かう。事前に地図で調べたところ、駅前をまっすぐに徒歩3分くらいのところにバスターミナルはあるらしく、その場所に行ってみたのだが、目指す乗り場がない。どうやら、区画整理で移動してしまったらしい。電話ボックスのタウンページで住所を調べるととんでもない場所にあることが解った。時刻は9:25。さぁ困った。間に合わないかもしれない。ほのぼのムードも吹き飛んで、駆け足でバスターミナルに向かった・・・。

人吉駅はお城を模した造り

高速バス「なんぷう」号;宮崎駅
人吉産交バスターミナルに着いた時には、熊本からの高速バスがちょうど到着したところであった。間に合った!!指定された自分の席につくと同時にバスは宮崎に向けて発車。しばらくは息はハァハァ、汗はダラダラといった状態であった。
人吉インターから九州自動車道に入りバスは快調に飛ばす。長いトンネルを抜けると、えびのジャンクション。宮崎方向に進路をとる。こういう高速バスに乗るといつも思うのだが、鉄道はどこを走っているのだろうかと気になる。鉄道側からは高速道路がよく見えるのだが、高速側からは鉄道が発見しにくい。結局見つけられないままに眠気を催し、居眠りしてしまった・・・。目覚めると既に都城を抜け、宮崎の料金所の手前であった。高速を降り、宮崎市内を通って、バスは宮交シティに到着。私以外の乗客は全てバスを降り、車内には私だけが取り残された。運転手さんから、どこまで乗るのか尋ねられ、宮崎駅までであることを告げると、バスは通常のルートをショートカットして約5分で終点宮崎駅に到着した。時計を見ると11:10。14分の早着であった。
◇宮崎◇
宮崎駅は変わった構造で上下線のホームそれぞれに改札口があり、乗り換えの時にはいったん改札を通らなければいけない。ホームで証明写真を撮って、予定より39分早い11:30発宮崎空港行き「にちりん1号」に乗車できた。これなら日南線も一本早い列車に乗車できる。車内で急いで計画の修正にとりかかった。
◇宮崎空港◇
宮崎空港線に乗車するのはこれが2度目である。初乗りは1年前の早春。宮崎空港から九州に入り別府観光港で脱出した旅以来である。宮崎空港には11:39に到着。証明写真を撮り、今乗ってきた列車に戻る。折り返し11:50発宮崎行き普通電車になるからである。

宮崎駅で485系揃い踏み
中央はハウステンボス車
いったん南宮崎まで戻り、昼食を調達。またもコンビニ弁当である。公衆電話で今日のGT「皐月賞」の投票も済ませ一息つく。ホームでたばこに火を付けたのと同時に12:08発快速「日南マリーン」号が入ってくる。愛称つき快速とはいえ車輌は、他の鈍行と共通。車内が混んでいたのでロングシート部分に腰を下ろす。対面の人が弁当を広げていたので、私もロングシートにもかかわらず弁当を広げた。子供の国で何かイベントをしているらしく、大勢の乗客がそこで下車し、本来のローカル列車らしい雰囲気を取り戻した。
日向大束にて日南マリーン号

往年の急行型シートにて筆者
青島付近の「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸線を眺めながら列車は行く。快速とはいっても小駅にも停まりのんびりムード。海岸線を行くかと思えば、山間にも入ってトンネルを抜け再び海岸線へ。車窓の変化に富み楽しい。往年の急行型キハ58のボックスシートをまるまる1つ独占し、足を投げ出して乗り味を楽しんだ。列車交換で停車時間が長ければ、車外に出てタバコに火をつけることができる。この瞬間がローカル列車の旅の醍醐味なんだなぁ。
◇志布志◇
列車は鹿児島県に入り、語感が好きな「大隅夏井」駅付近では再び海岸線をゆく。志布志港に停泊しているカーフェリー「さんふらわー」のお日さまを遠くに眺めると志布志駅に到着。14:27定刻であった。

語感が好きな「大隅夏井」の海
予定より1時間も早く志布志に到着したため、昨日に引き続き宿に早く入れるチャンス到来。駅前のバス乗り場からは都城行きのバスは出ないとタクシーの運転手さんに教えてもらい、徒歩5分離れた志布志バス停に向かう。ところが都城行きのバスは予定していた15:45までない。一瞬、鹿屋・垂水港経由で鹿児島に出ることも考えたがチェックポイントの小林が残っているためリスクが大きすぎ断念。おとなしく1時間あまりバスを待つ事にした。それならば、どこかで「皐月賞」をTV観戦しようと、公共施設やホテルのロビーや電器屋さんを探したが、どこもダメ。ラジオも入らず、結局「皐月賞」は断念した。


志布志線代替の鹿交バス
都城ゆきのバスは定刻より少し遅れて志布志のバス停を出発した。日南線の15:33着の列車で志布志駅に到着しても、バス停を探したりなんだりでこのバスに乗り継げるかどうか解らず、志布志での無為な1時間20分もムダではなかったと、むりやり自分に納得させた。バスは昭和62年3月に廃止された志布志線に沿って走る代替路線である。16時を過ぎ旅のお供は毎度お馴染み福山雅治の「トーキングFM」となる。「フクヤマリッジリング」の計画がまた一歩進行したようだ・・・。

逆光の中の吉都線気動車
もとの大隅駅は鉄道公園になっていたが、バスの車窓からは、その他の鉄道の跡らしきものは発見できなかった。ただ、沿線の田圃に咲き乱れるレンゲの花が太陽に映えてきれいだった。
◇小林◇
西都城でバスを降り、都城まで一駅だけ特急「きりしま10号」に乗車する。「チャレンジ九州フリーきっぷ」の威力がまた発揮された。
都城駅前のコンビニで今夜の夕食と缶ビールとつまみを仕入れて、18:00発吉松行き吉都線気動車に乗り込む。さすがに南九州。18時を過ぎても太陽はなかなか勢いを落とさない。缶ビールを片手に好きな音楽を聴きながら暮れゆく車窓を眺める。この旅のトワイライトセクションはここなんだなぁと思いながら、少し前の過去と、少し先の未来のことを考えていた。
小林には18:48着。列車交換のため8分の停車。その間に証明写真を撮り、タバコを一本吸った。小林発車は18:56。さすがにあたりはとっぷり暮れて、車窓をあきらめ再び文庫本のページをめくることにした。
吉松では3分の待ち合わせで19:41発の隼人行き鈍行に乗り換え、隼人でも3分の待ち合わせで20:36発の西鹿児島行き鈍行電車に乗り継ぐ。接続のいいのも考え物で、ゆっくりタバコを吸うヒマが無い。日豊線717系電車の中で偶然チューニングしたNHK−FMの番組は早見優さんがDJで70年代洋楽を流しており「アローン・アゲイン」などを聴きながら心を和ませた。
◇西鹿児島◇
西鹿児島で、今日最後の証明写真を撮り終えてホッと一息。これで残る証明写真は明日の枕崎だけとなった。あいかわらずカメラのフィルムの状態が気にかかるが、既に「失敗した時はその時」と開き直っている。21:32発の指宿枕崎線の気動車に乗り込む。日曜の夜とはいえ結構な混雑で、鹿児島市域を外れるまでは立ちんぼとなってしまった。石油備蓄基地があることで有名な喜入町の中名という小駅までは、西鹿児島から38分。十分通勤圏内である。時折海沿いを走るものの雄大な桜島は望めず、ただ漁り火のみが錦江湾を照らしていた。
今日の宿となる「喜入シーメンズクラブ」の最寄り駅中名で下車。あらかじめ地図をもらっているため迷う事はないが、見ず知らずの小さな駅に夜に着いて、灯りのない道を歩くのは少々心細い。駅を出る時につけたタバコを吸い終える頃、目指す宿に到着した。時計をみると22:20を示していた。

717系電車が西鹿児島に到着

喜入シーメンズクラブの玄関
◎2000年4月17日(月)天気:晴れ
今朝は4時半起きせねばならないことが解っていたのに、昨晩は結構夜更かしをしてしまった。というのも「皐月賞」の結果が気になっていたからである。結局、私が本命予想していた「ラガーレグルス」はゲートから一歩も出られずに落馬・競走中止。ガックリきてしまった。
まぁ、とにかく部屋で朝食を摂り、早暁5:20宿を後にした。少しひんやりするものの今日も快晴で幸先が良い。中名を5:43発の下り気動車は、快速「なのはな」用の黄色いキハ200の4両編成。当然ガラガラなので、転換クロスシートを逆に倒して4席独占して足を投げ出す。
南九州の日の出は遅く、前之浜を出た5:50ころようやく錦江湾から太陽が昇ってくる。日常生活では、海から昇る朝日はなかなか拝めないので、その神々しい情景をデジカメに収めた。

早朝の中名駅。小さな駅である
6:12に指宿駅に到着して、いったん改札を出る。キップをオレンジカードで買い直すためである。「チャレンジ九州フリーきっぷ」は昨日で効力が無くなり、今日はその都度キップを買わねばならない。駅には通学をする高校生がわんさとたむろしている。まだ6時過ぎというのに、毎日この時間に駅に来なければならないというのは他人ながら大変だと思った。
枕崎行き5323D列車は指宿駅を6:29に発車した。この列車がこの旅での「九州最終列車」になる。キハ58の2両編成で、最後の列車としての格、雰囲気とも申し分ない。車内は例にもれず通学の高校生で満員ながら、私のいるボックスシートには1人も寄り付かない。日本全国共通の高校生の心理である。
列車は、日本最南端の駅である西大山にも停車していく。毎日通学している者にとってはなんでもない日常であるが、一介の旅行者にとっては一大イベントである。以前訪れた時と同じ、開聞岳を背にした雄大な風景が広がる。旅の終わりを実感する一幕でもあった。

錦江湾に朝日が昇る

指宿駅にてキハ200気動車

九州内最終列車のキハ58

日本最南端の駅・西大山に進入

どんづまりの枕崎駅にて筆者
◇枕崎◇
枕崎到着は7:38。乗り合わせていた高校生は、駅前のバス乗り場から各校行きのバスに乗っていってしまい、瞬く間に閑散としてしまった。最後の証明写真を撮り、とりあえずは「チャレンジ九州2000`」もパーフェクトとなった。
枕崎からは11時の鹿児島空港行き連絡バスに乗車すれば間に合うので、かなりの自由な時間がある。とりあえずブラブラと散策するよりは、目的を絞って歩こうと思い市役所に向かった。開庁したばかりの市役所の商工観光課で散策地図などをもらい計画を練った。
まずは、市内を一望できる展望台に行こうと思い「片平山展望台」に登った。枕崎港や、その他の市街地が一望できる場所で一息ついた。ほほにあたる風が心地よかった。
次の目的地を漁港周辺に定め、テクテクと歩き出した。「枕崎お魚センター」に到着すると、普段の運動不足の悪弊がここに出て、もう歩く気がしなくなってしまった。ここを、この旅のターニングポイントにしよう!!名物の「さつまあげ」を購入し、カツオ一本釣り漁船が置かれている公園で一服した後、汗をふきふき駅へ戻るため歩きはじめた・・・。

市内を一望する片平山展望台

枕崎お魚センターの円形水槽

カツオ一本釣り漁船と
お魚センター
◇リターン◇
予定より1時間早い10:00発の鹿児島空港行きバスで枕崎を後にした。加世田経由のバスであったので、既に廃止された鹿児島交通鉄道線跡に沿ってバスは走る。昨日の志布志線の跡よりも鉄道敷であったらしい場所が容易に見つけられ、車窓は飽きなかった。加世田には立派な鉄道公園もあり、鹿児島交通で使用していたらしいSLも展示されていた。
加世田を出たバスは次第に峠道に入っていき、20分くらい走った後、突然桜島をバックにした錦江湾と鹿児島市内が眼下に広がった。バスは指宿有料道路に入り、そのまま九州自動車道へと歩を進めた。
鹿児島空港はインターを降りてすぐの場所にあり、これなら南九州の各都市からアクセスが容易であると感じた。鹿児島空港到着は11:45。13:50のフライトまではまだ2時間以上もあり、昼食を摂ってもまだ時間には、だいぶ余裕があった。とりあえず展望デッキに出てみることにした。東京からのジャンボジェットが着陸したかと思えば、種子島へ向けてYS-11が飛び立ち、喜界島に向けてわずか36人乗りのサーブ製プロペラ機も離陸していく。まるで飛行機の見本市のような様相で時の経つのを忘れて見入っていた。そんな中、名古屋から全日空のエアバスA321が飛来し、折り返し名古屋行き358便になることが解っていたので出発ゲートへと向かった。
さすがに2時間以上も前にチェックインした甲斐があり、機内では窓際のシートがあてがわれた。快晴の空の下、鹿児島空港を飛び立つ。霧島連峰が眼下に広がったかと思うと、次の瞬間には都城盆地、そして宮崎のロングビーチが展開する。視界が良いため足摺岬や室戸岬、そして潮岬も拝めることができ、結局名古屋空港まで視線は窓の外に釘付けであった。
名古屋空港には5分遅れの15:10にランディングした。時間があえばサクッと新幹線で帰るつもりであったが、名鉄電車を使ってもほとんど所要時間は変わらないため、いつものとおり西春駅から名鉄犬山線、本線を経由して帰った。浜松到着は17:58。日本全国変わらない高校生の帰宅ラッシュと重なっていた。
◇おまけ◇
帰ってすぐ、証明写真を撮ったフィルムをプリントに出した。プリントの結果は・・・
・・・門司港駅の写真が半分感光していたものの、奇跡的に自分の顔と駅名標は判別でき、他の写真はパーフェクトだった。晴れて「チャレンジ九州2000`」のパーフェクト賞に応募することができた。

<おわり>


鹿児島空港直通バスで枕崎を出る

A321使用の全日空358便

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