雲 伯 落 穂 拾 い


「乗って残そう寝台列車」の一環

先月下旬の朝刊に「トワイライトエクスプレス廃止」の記事が掲載された。「北斗星」や「カシオペア」(ついでに「はまなす」)も再来年春の新幹線函館開業で廃止が既定路線となっている。いよいよ寝台列車も風前の灯となっているが、そんなおり俄然注目を浴びているのが「サンライズ出雲」(と「サンライズ瀬戸」)である。もともと東京と山陰を結ぶため利用率が高かったところへ、出雲大社の「平成の大遷宮」とパワースポットブームで女性の人気が高まり、週末のきっぷが取りにくくなっている。車齢40年前後のブルートレイン客車(24系25型等)と異なり、285系電車は1998年に初走行とまだまだ若く、一見したところは簡単に廃止されそうもなく見える。しかし深夜の客扱いなど、昼行列車と比べコストがかかるため、近頃のブームが過ぎ去り利用率が低下してくると、あっさり廃止ということにもなりかねない。というわけで「乗れる時に乗っておく」または「乗って残そう寝台列車」をスローガンに、今回の旅は「サンライズ出雲」乗車を前提に目的地を定め、旅程を組んだわけである。

さて例によって、浜松を18時37分に出発する、下りひかり481号で旅をスタート。昼間が最も長い時期で、乗車1時間後の湖東地区まで車窓が楽しめる。たばこをくゆらしながら水割りを飲み、ほろ酔い気分でトワイライトセクションを楽しめるなんて、なんという幸福。多幸感を噛みしめながら「きっと、この旅の中でこれ以上の瞬間はないんだろうな」と冷静に分析していた。ひかり481号はさらに西へと歩を進め、すっかりガラガラとなった姫路より先は、前のシートを回転させて足を投げ出した。ちょうど1年ほど前、北陸線の475系のボックスシートでこれをやったら、車掌から「他のお客様の迷惑になりますので」と注意されたっけなと思いつつ、ついついやってしまいたくなる行為である。


かつて与太郎と呼ばれた車掌車を米子で発見


米子・松江間を往復。ウインズ米子にて筆者

岡山で山陰方面の最終列車となる「やくも29号」に乗り継いだ。381系の4両編成で、編成中1両だけつないでいる自由席に乗車した。案の定満員になったが、私の隣に座ったのはなぜか小学生。「ラッキー」これなら窮屈でなく、真ん中の肘掛争いを避けられ、短区間でいなくなるだろうなと、あれこれラッキーな理由を積み上げた。しかし乗り進んでいくにつれ、それは勝手な推測にすぎなかったことを思い知らされた。まず車内改札の時に、その少年の差し出した特急券を覗いたら「岡山→松江」となっていた。「げっ、自分より遠いじゃん」 そして私が酔いにまかせて居眠りをしているすきに、真ん中の肘掛を占領されていた。さらに少年は浅めに越し掛け、これでもかというくらいに股をおっ広げて眠っているもんだから、足元が窮屈で仕方ない。私は全面的に敗北を認め、新見で前の席が空いたのを見て、その席に移動した。

米子到着は少し遅れて23時50分ころ。駅から少し歩く米子全日空ホテルを予約していたので、チェックインするころには日付が替わっていた。そのかわり翌朝は11時のチェックアウトまで、部屋でゴロゴロしていたので、すっきりした気分で米子駅に向かった。ここからレンタカーを借りるため松江に向かう。実はこの時までに境港に戻ることを決めており、本当は米子でクルマを借りる方が効率がいいのだが、レンタカーを出雲市で乗り捨てる都合があり、同じ島根県でレンタルする必要があった(同じ県の営業所どうしなら乗り捨て料無料、違う県の営業所で乗り捨てる場合は距離計算となり、この場合は1万円程度乗り捨て料金がかかる)。なので、わざわざ松江に鈍行で行くのは気が重いが、米子駅ホームに出てみると、今や絶滅危惧種となっている「与太郎」ことヨ8000形車掌車を見つけた。私が撮りテツだった中学生のころ(35年ほど前)は、荷扱いする貨物列車の最後尾には必ずこの車両が付き物だったが、昭和61年に貨物列車への車掌乗務が廃止され、それ以降はほとんど見かけなくなってしまった。懐かしい車掌車に出会えたのは、松江に行くご褒美に思え、ホームから何枚かシャッターを押した。


すべてのウインズに設置してほしい映像ホール


いまや観光名所の「ベタ踏み坂」江島大橋


記念馬券のつもりが的中しちゃった

松江でマツダAZワゴン(スズキワゴンRのOEM車)を借り出し、国道9号線で米子に戻る。山陰線と国道9号線は並走している区間が多く、さっき見た風景が続きつまらない。13時ころ米子市内に入り、さっきまで滞在していた米子全日空ホテルを右に見ながら左折。境港に向かう。数キロ北上するとウインズ米子が左手海側にあるので、ちょっと立ち寄ってみた。ウインズには公衆無線LANがあるので、ネットチェックするつもりで立ち寄ったが、鉄火場の雰囲気を味わってしまうと馬券を買わずにはいられない。函館、阪神、東京の三場の第8レースだけ買ってみることにした。普段はIPATで購入するが、馬券を買えば「WINS米子」の文字が入っているので、ハズレてもお土産になる。というわけで最初の函館のレースは記念馬券にすることに決めた。こういう場合はオッズも見ずに馬名が気に入ったものを買うのが常なので、受付でもらった出馬表を眺めた。昨日開幕したブラジルW杯にちなんで、「リベルタドーレス」を選んだ。ご存知の方も多いと思うが、リベルタドーレス杯といえば、南米サッカー・クラブのナンバー1を決める大会である。

映像ホールでまったく期待せずに函館8レースのライブ映像を見ていたら、5番のリベルタドーレスの手応えが良く、4角で先頭の馬をかわす勢い。直線で先頭に立ち、そのままゴールまで押し切った。「当たっちゃった…」 オッズはちょうど5倍で、記念馬券になるはずだった馬券を払い戻し機に突っ込み500円玉が返ってきた。次の阪神は堅いという情報の馬から、馬連総流しをかけたがハズレ。最後の東京は、今度こそ記念馬券を残そうと思い、6番「サンバジーリオ」の単勝馬券を購入した。おそらく「サン・バジーリオ」が本来の切れ目だと思うが、「サンバ・ジーリオ」と読めばブラジルっぽくなる。まぁ柳の下に2匹もドジョウはおらず、「サンバジーリオ」は4着敗退。100円で買ったお土産は持ち帰ることができた。


境港側から見た江島大橋はカーブが特徴


江島大橋の頂上からの下り坂は好眺望


いわゆる「ベタ踏み坂」のイメージである松江側


今も昔も重要港。単なる隠岐への玄関じゃない


境港駅前の水木しげるロード


歴史と風格がある美保関灯台

14時過ぎにウインズ米子を出て再び北上。米子空港の脇を走っていると、ロードノイズが「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマに聞こえる。最近日本各地に設置されている「メロディーロード」のひとつである。そういえば米子空港も別名「鬼太郎空港」と呼ばれている。境港に近づくにつれ水木ワールドが色濃くなってくる。さて境港市街に入る前に、今回のドライブのメインイベントがある。ダイハツ・タントカスタムのCMで一躍有名になった「ベタ踏み坂」の訪問である。実は松江でクルマを借りた時にも、レンタカー屋のお姉さんに「境港に行く」と言ったら「ベタ踏み坂にも行きますか?」と訊かれた。そのくらい観光名所として認知されているところで、現地には立派な案内板も立っていた。まずは境港側にクルマを停めて、坂の具合を観察する。境港と松江の間にある水道を跨ぐ橋で、下を大型船が潜るために頂点が高くなっている。橋の名前は江島大橋。境港から頂点に向かってゆるやかなカーブを描いており、ベタ踏み坂のイメージは松江側に譲るが、見た目はこちらの方が美しい。しばしたたずんだ後、橋を渡る。頂点部分はさすがに高さがあり、下り坂の眺めが素晴らしかった。で、今度は松江側で橋を観察。こちらには専用の駐車場が完備されていて、より観光地化している。望遠で撮影すると「ベタ踏み坂」のイメージそのものの画像が撮れた。両側で写真を撮ったので、すっかりお腹いっぱい。境港へ抜けるため、再び橋を渡る。松江側の方が勾配がきついが、それでもアクセルをベタ踏みすることはなかった。まぁ1人しか乗車していないから当たり前か…。

せっかく境港に来たので「ベタ踏み坂」だけでなく、水木しげるロードや港にも立ち寄り、15時ごろ次の目的地である美保関に向けて再びハンドルを握った。境港から島根半島に渡る橋には、先ほどの江島大橋のほかに境水道大橋がある。今度は境水道大橋を渡るが、こちらの方が断然歴史のある橋で、たぶん勾配もこちらの方がきつい。開通当初から重要な橋梁で、観光名所としては江島大橋の先輩格でもあるが、件のダイハツのCM以降はちょっと影が薄い。橋の北詰で東の方向に曲がり、あとは美保関まで一本道。北前船が通っていた古い港町はパスして、一気に美保関灯台を目指した。島根半島の東端にあたる地蔵埼に立つ灯台は、日本初の登録有形文化財の灯台として有名である。山陰最古の灯台で、石造なので歴史と風格を兼ね備えている。灯台をまじまじと眺めた後は、岬周辺を散策した。遊歩道を歩いていると、鳥居だけで社のない神社を見かけた。これが「地の御前」で、鳥居の先の日本海には「沖の御前」がぽっかりと浮かぶ。いずれも美保神社の飛地境内だとされている。それにしても梅雨の合間の快晴で、太陽を背にしているため海の青さが目に染みる。地蔵埼に打ち寄せる波頭の白さが際立つ深い青だった。


地蔵崎「地の御前」の先には日本海が広がる


荒波が岩にぶつかり白い波しぶきが上がる


レンタカーはワゴンRのOEM「AZワゴン」


駐車場より門前町を抜け階段を登り仁王門へ


奥山方広寺に似た雰囲気の一畑薬師本堂


上りサンライズ出雲号の始発駅・出雲市駅

美保関地蔵埼を出発すると今回のドライブも終盤戦。サンライズ出雲の始発駅である出雲市駅を目指すこととなる。県道2号線〜国道431号線と中海・宍道湖の北岸をひたすら西に向かうルートをとる。直接出雲市に行くには、まだ時間的に余裕があるので、どこかに立ち寄ることができる。普通なら松江城下の散策か出雲大社の参拝となるが、その2か所には何度か訪れているので、初めての場所に行きたい。ここまでのドライブもほとんどが初めて訪問した場所だった。というわけで一畑電鉄の社名の由来である一畑薬師に行くことに決めた。道すがら松江市街地に突っ込み、城下町特有の鉤形の通りに右往左往。どこで曲がったらいいのか分からず苦労した。美保関から出雲に抜けるのに、まっすぐ行ける道があればどんなにスムーズかと思った。宍道湖畔に出ると、常に湖が左手にあるためルートとしては易しくなる。10数キロ走ると一畑薬師右折の案内が出て、それにしたがって右折。県道を北上しドライブウェイ(中央線のない狭い道路)を走って、門前の駐車場に17時前に到着した。

まだ日が高いのに一畑薬師はひっそりとしていた。夕方でも土曜日の出雲大社なら参拝客で一杯だろうに、こちらは中年のカップル1組と家族連れ1組くらいしか見かけなかった。静かな方が一人旅の身にとってはありがたいのだが、それでも限度というものがある。あまりの人出のなさに憐れみを感じ、門前のお土産屋で名物のおせんべいを買い求めたほどである。それにしても奥山の方広寺と雰囲気が似ている。門前の商店街、階段を登ったところにある仁王門、そして山を背景にした本殿。どこもかしこも方広寺とそっくりだった。さて、レンタカーの返却時間も迫っているので長居は無用。そそくさと参拝した後、駐車場に戻りハンドルを握った。


宍道湖に暮れる夕日

一畑薬師から30〜40分で出雲市に着きレンタカーを返却。いよいよ今回の旅の中で、最後にして最大の目玉であるサンライズ出雲に乗車する。嬉しくなって発車30分も前にホームに出たが、発着する2番線には先発のやくも30号が停車していた。それでも、やくもが出て行った後、それほど時間をかけずにサンライズ出雲号が入線してきた。昔から寝台列車は始発駅に余裕を持って入線していたが、伝統の山陰夜行の流れを汲むサンライズ出雲号も、発車10数分前にはホームに据え付けられ好ましい。喫煙6号車の7番の部屋が指定されていたので、嬉々として乗り込んだ。何度かサンライズに乗車しているが、1階席になったのは初めて。2階席と比較して、メリットは座った時の肩のスペースに余裕があり、窮屈さを感じないこと。2階席は部屋の上部がラウンドしているため、スペースは1階席に比べると狭くなる。逆にデメリットは車窓の見晴らしが悪い(特に高架部分)ことと、電灯をつけないと昼間でも薄暗いこと。2階席は窓までラウンドしているので、部屋が明るいのである。


西出雲の車庫から回送され入線する285系


空が白み始めたころ浜名湖第三鉄橋を渡る


サンライズ出雲号は浜松を轟然と通過し天竜川鉄橋へ。この時期には珍しく富士山も望めた


金谷の大カーブを曲がるころ、いよいよ日の出の時刻が近づく。くっきりと富士山のシルエットが望めたので思わずシャッターを切る


朝日が眩しい島田・六合・藤枝と続く直線区間


午前5時前の静岡駅1番線。撮りテツOKの光量

定刻の18時55分、列車は出雲市駅を出発した。しばらく走ると、最初の見どころである宍道湖岸に出る。ちょうど夕日が湖の彼方に沈んでいく時刻で、有名な宍道湖の夕日を見届けることができた。松江を過ぎても、米子を過ぎても、夏至近くの薄明はなかなかしぶとく、発車から1時間以上にわたって車窓を楽しむことができた。それとともに晩酌のピッチも上がり、伯耆大山で山陰線から伯備線に入るころには既にいい感じで酔っぱらっていた。伯備線沿線は雲伯の大動脈を貫く山陰線に比べて明かりが少なく、日が落ちてしまうと車窓が無くなってしまう。酔った身にはこれが辛く、21時になるかならないかのところで、ついにギブアップ。明かりを消してベッドに倒れこんだ。

岡山や大阪で車内放送によって眠りを少々妨げられたものの(大阪の発車時刻は0時34分。そこまで車内放送をするとは…)、目覚めたのは3時をすぎたあたり。4時38分着の静岡で下車するため、ちょうどいい時間である。しばらくどこを走っているのか分からなかったので、FMラジオの電波状態で調べてみた。すると80.7MHzがとれた。FM愛知である。そのうち大きな駅を通過し、岡崎駅だと判明した。3時半過ぎに豊橋駅にいったん停車して、いよいよ静岡県に入る。この辺から夜が白みはじめ、浜名湖の鉄橋を渡るころには茜色の空が北東方向に広がっていた。轟然と浜松を通過したのが4時を少し回ったあたり。「静岡まで30分ちょっとで着くなんて、在来線といえど、さすが電車特急!」と思っていたが、4時25分ころ菊川を通過し、「ん?」となった。新幹線並みの速度で走らないと静岡に定刻に到着しない=遅れているということにようやく気付いた。トンネルを抜けて金谷を通過。大井川鉄橋に向かう大カーブで、この時期には珍しく、右手車窓に富士山のシルエットが流れた。藤枝の手前で太陽が昇り、静岡に到着したのは定刻15分遅れの4時50分過ぎだった。上りのサンライズ出雲・瀬戸号は、県内では撮影困難な列車だが、夏至直前のこの時期は静岡駅のホームで、昼間の列車のように撮影できる。松坂屋をバックにホームにたたずむ285系はかなりのレア画像で、朝っぱらからかなりのカタルシスを得られた。私の旅に似合わぬハッピーエンドであった。
<終>

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