本 家 は 知 ら ん け ど |
岡山駅直結の岡山全日空ホテル |
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私の部屋の書棚には、徳大寺有恒さんと種村直樹さんの著作がずらりと並んでいる。いずれも私が中学生だったころからのファンで、私の人生にかなりの影響を及ぼした方々である。今回の旅の途中、坂出駅からレンタカーを借りるために送迎のクルマに乗っているときに、たまたま流れていたカーラジオから、お二人の訃報に接した。いずれは、こんな時が来るとは思っていたが、まさか旅の空でお二人の訃報を聞くとは思ってもいなかったため衝撃を受けた。そもそも、こうして鉄道を中心とした旅の模様をホームページに上げるのも、中学のころより種村さんの書き物を愛読していたからであり、ちょっと変わったレンタカーを借りてドライブ・インプレッションみたいなものを書くのも、「間違いだらけのクルマえらび」を毎年読み続けていたからにほかならない。今年は私の尊敬する松岡直也さんも亡くなっており、一時代の終焉を感じざるを得ない年になっている。 というわけで、いきなり坂出での話しに飛んでしまったが、今回の旅の目的地は、以前から「東洋のマチュピチュ」と呼ばれていた愛媛県新居浜市の別子銅山である。マチュピチュといえば南米ペルーのアンデス山中にある空中都市の跡であるが、実際に行ったことはまだない。本家の方を知らないまま、東洋の分家に行って、その模様を書き綴るのもどうかと思うが、まぁ写真でしか見たことのないマチュピチュ遺跡を思い浮かべながら「東洋のマチュピチュ」を見物してこようと思う。 例によって金曜日の夕刻、浜松を18時37分に出発するひかり481号で旅をスタートさせた。今回は終点の岡山まで乗車するということもあってグリーン車をおごった。ゆったりとしたシートを深く倒して、ウィスキーの水割りを飲む瞬間が、場合によっては一連の旅の中で最も「旅に出たんだ」感が強いのかもしれない。2時間半あまりの優雅な旅の果てに終点岡山に到着。今夜の宿は、駅西口からペテストリアンデッキで直結している岡山全日空ホテルなので、ずいぶん気が楽である。高層階をリクエストしていたので、部屋からの夜景を期待していたが、北向きの部屋であったので、山側の田舎の景色が広がるだけで街の灯りが乏しかった。朝食込みで1万円ちょっとの部屋代なので、あんまり贅沢を言える身分ではないのだけどね…。多少酔っていたこともあり、何をするわけでもなく早寝をしてしまい、旅の一日目は終了となった。 |
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最上階20階のレストランで朝食ビュッフェ |
岡山市内の北に広がる山々が見える |
翌朝は12時ころチェックアウトの予定だったので、部屋でのんびりしていた。9時半ころ、部屋のすぐ上の階にあるレストランで朝食をとった。最上階にあるスカイレストランで、夜は値の張るフランス料理を提供しているようだ。そういうこともあって、かなり高級なしつらえだった。南側の窓側の席に通され、眼下に広がる岡山駅を眺めながら、がっつりと朝食を食べまくった。博多方面から新幹線が2本同時に入線してくる珍しい瞬間も見ることができた(1本は本線上を走る列車、もう1本は岡山始発の列車が留置線から回送されているところ)。いずれにせよ手軽に豪華さが味わえてトクした気分だった。 さて、ずいぶんと時間があるなと思っていても、時間を持て余すことなくチェエクアウトの時刻になった。ホテルを出て目の前の岡山駅まで歩き、12時12分発の快速マリンライナー29号に乗車。前にも書いたかもしれないが、岡山から四国に初めて渡ったときは、まだ「備讃ライナー」と呼ばれていた列車に乗って終点は宇野。当時は新車の213系のアコモデーションに惚れ惚れした。宇野からは宇高連絡船で1時間かけて高松に向かった。20数年が経過した現在は、列車は京阪神の新快速でも活躍する223系に変わり、宇高連絡船は瀬戸大橋を経由する本四備讃線に変遷した。岡山から乗車したランドセル姿の小学生が、瀬戸内海を越境して坂出以遠に帰宅するのを見て、時代の移り変わりを感じざるを得なかった。 |
生野菜と果物以外は全て揃えてみた朝食 |
高松道の豊浜SAにてレンタカーのデミオ |
マリンライナー29号で四国入り |
道の駅や温泉もあるマイントピア別子・端出場 |
鉱山鉄道跡の線路を利用し観光鉄道化 |
さて、坂出でレンタカーを借りて高速を西へと向かう。旧マツダレンタカーであるタイムズカーレンタルを利用したので、クルマはデミオだった。このクルマのエンジンはピックアップが良くて気持ちがいい。1人乗車なら、高速の加速車線で、本線を走っているクルマを追い抜けるほどである。さて、坂出から新居浜までは、途中で豊浜SAで15分ほどの休憩を入れても1時間ほどで到着した。まず目指すはの、四国山地の麓にある道の駅マイントピア別子である。 マイントピア別子は大きく分けて2つのエリアからなる観光スポットで、今から向かうのが道の駅を併設している端出場地区。こちらには温泉施設や観光鉄道も走っていて娯楽要素が強い。で、もうひとつが東平地区で、こちらが山肌に残るレンガ造りの遺構のさまから「東洋のマチュピチュ」といわれているところである。見たいのは後者の方だが、通り道にある端出場地区も寄らないわけにはいかない。温泉にも入らず、もとの鉱山鉄道のレールを利用した鉱山観光列車にも乗らなかったが、そこから見えた明治45年竣工の旧水力発電所跡は、なかなか趣があった。青々とした針葉樹に囲まれ、山懐に抱かれたレンガ造りの三角屋根の建物は、暦年の風雪をくぐり抜けた様子が見てとれ、威厳すら感じられた。 さぁここからが佳境である。端出場地区から東平地区へは10数`の道のりだが、そのうち半分はクルマの離合が困難な山道である。端出場の施設の掲示にも「運転に自信のない方は送迎バスをどうぞ」と書かれていた。もとより社会人1年目の天竜勤務で鍛えた自分にとっては、そんな脅しのような掲示には目もくれなかったが、実際その悪路を走ってみると佐久間・水窪の山道とは異なる事情があった。地元の山道は過疎地であるゆえ、行き交うクルマも少なく、いわば「孤独のランナー」状態。対向車が来たとしてもブラインドコーナーで出会わない限りは、割と余裕を持って離合可能である。一方こちらは、観光シーズンの土曜日ということもあって、すぐに5〜6台の車列となってしまう。その車列どうしが離合しようとすると、退避スペースに車列が入りきらずに、にっちもさっちも行かないような状況になってしまう。結局、地元では起こり得ないような、片方が崖、片方が壁の細いカーブをバックするという、ドライバーにとっては地獄のような状況が簡単に発生するのである。 幸いバックしなければならないような状況はなかったが、レンタカーゆえ、たとえ小さな傷をつけることも許されず、神経がすり減った。件の送迎バスがヘアピンカーブで対向してきた時には、これはちょっとアウトかもと思った次第である。 |
明治の時代に完成した旧水力発電所跡 |
離合困難な細道を上り山また山の東平地区 |
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二次元では表現しにくいが見下ろしたところ |
東平のメインスポット・貯鉱庫跡にて筆者 |
物資を荷揚げした旧インクライン 旧保安本部は現マイン工房 東平に到着すると、ずいぶん山を登ってきたことが分かる。山の合間から遠く新居浜市街がかすんで見えた。まずは東平の最も有名な遺構である貯鉱庫跡を見るため、階段を下った。この階段もインクラインの跡で、荷物を載せた小ぶりのケーブルカーが上下していたところである。で、その貯鉱庫を見上げてみると、山城の石垣を連想してしまった。天主台が現存する城のうちで最も標高の高いところにあるのが岡山県の備中松山城だが、その城までの勾配のきつい山道と、ぱっと開けた場所に「どうやってこんな大掛かりなものをこんな山奥に建てたのか」という驚きが、2つの遺跡を結びつけたのである。 |
どことなく備中松山城の石垣を思わせる |
索道停車場跡を見上げたところ |
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赤レンガ造りの索道停車場跡 |
東平の中心部で下界とを結ぶ駅の役割を担う |
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展望台より東平地区を一望。紅葉の盛りだった |
ホテルクレメント高松で竹鶴のロックを飲む |
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頭端式の高松駅。夜はガラスドームが輝く |
改札から段差なくホームに行けるのが欧州風 |
今や貴重な存在の寝台特急 席についてメニューを見ると、地元オークラアクトのパガニーニほど値付けが高くないのでひと安心。NHKの朝ドラの影響で人気になっている、ニッカの「竹鶴ピュアモルト」がショットで800円となっていったのでロックをオーダー。当てに「おつまみプレート」1,033円を追加した。窓の外は高松港から屋島あたりが見えるオーシャンビューの席で、昼間から夕暮れ時ならば絶景といった感じだろうが、夜景も悪くはない。舐めるようにウィスキーをちびちびとやり、21時前まで追加オーダーをすることなく粘った。テーブルチャージがどの程度いくのか分からずに入ったが、チェックしてみると2,262円というあまりの安さにびっくり。SFCで支払ったため、若干割り引きされているようだった。 |
9番線に向かうと既に列車が乗客を迎えていた |
21時26分に高松を発車し早暁の静岡で下車 |
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<終> |