No.2 Hits Of 80's


全米第1位の曲を持っていると、そのミュージシャンは一生その曲で暮らせると言われています。
それほどの名誉をあと一歩のところで逃した最高位2位の曲とその演者。
しかしこれらの曲の中には『名曲』と呼ばれるものが多数存在します。
このコーナーでは80年代に「ビルボード」チャートで最高位2位に甘んじた名曲の数々を紹介していきます・・・

曲 目 リ ス ト (74分MD使用)

曲 名 アーチスト名 演奏時間 最高位年度
1, ロンガー ダン・フォーゲルバーグ 3:17 1980
2, 風立ちぬ クリストファー・クロス 4:29 1980
3, ウーマン ジョン・レノン 3:32 1981
4, 過ぎ去りし日々 ジョージ・ハリスン 3:45 1981
5, ガール・ライク・ユー フォリナー 4:48 1981
6, 翼をひろげて ジャーニー 3:20 1982
7, ロザーナ TOTO 5:32 1982
8, 青春の傷あと ジョン・クーガー 3:40 1982
9, 渚の誓い エア・サプライ 4:55 1983
10, ロックバルーンは99 ネーナ 3:53 1984
11, ハイスクールはダンステリア シンディ・ローパー 3:51 1984
12, ダンシング・イン・ザ・ダーク ブルース・スプリングスティーン 4:03 1984
13, ヒート・イズ・オン グレン・フライ 3:44 1985
14, デンジャー・ゾーン ケニー・ロギンス 3:32 1986
15, サムホエア・アウト・ゼア リンダ・ロンシュタット&ジェームス・イングラム 4:01 1987
16, 急がせないで ジャネット・ジャクソン 4:40 1987
17, セ・ラ・ヴィ ロビー・ネヴィル 4:29 1987
18, シャタード・ドリームス ジョニー・ヘイツ・ジャズ 3:25 1988

コ メ ン ト

@ロンガー ; ダン・フォーゲルバーグ (1980年)
1980年代初頭は、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人向けロック)の全盛期で、この頃から洋楽を聴き始めた中学生の私は背伸びをして大人になった気分でAORを聴いていた。三つ子の魂ではないが、今でもやっぱりAOR系の音楽が一番好きである。さて、ダン・フォーゲルバーグのロンガーであるが、そんなAOR全盛時代にチャートを上昇したが、70年代の生き残りともいうべきピンク・フロイドの「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」とクィーンの「愛という名の欲望」に阻まれて1位獲得はならなかった。
A風立ちぬ ; クリストファー・クロス (1980年)
フラミンゴのジャケットが印象的なアルバム「南から来た男」でデビューした彼のファースト・シングルカット曲。長く覆面歌手として君臨していたため、いざ顔を出してみたらがっくりしてファンが減った(?)彼であった。さて、この曲は新人とは思えないほど音が作り込まれており、特に後半部のパーカッションとコーラスの絶妙なハーモニーは今聴いても古さを感じさせない。この曲はブロンディの「コール・ミー」に1位を阻まれた。
Bウーマン ; ジョン・レノン (1981年)
1980年に発表された「ダブル・ファンタジー」からのシングル・カット。ジョン・レノンはこのアルバムを発表後暗殺されたのだが、最初のシングルの「スターティング・オーバー」は堂々第1位に輝いた。だが「ウーマン」はREOスピードワゴンの「キープ・オン・ラビング・ユー」とブロンディの「ラプチュア」に阻まれて2位どまり。スターティング・オーバーよりもこちらの方が好きという向きも多いことだろう・・・
C過ぎ去りし日々 ; ジョージ・ハリスン (1981年)
暗殺されたジョン・レノンを悼んで作られたジョージ・ハリソンの曲。その彼も2001年11月29日、脳腫瘍で帰らぬ人になってしまった。「あの時代は良かったな」とジョージはジョンに天国で語りかけていることだろう。この曲は、この年の代表的なヒット曲キム・カーンズの「ベティ・デービスの瞳」に1位を阻まれた。
Dガール・ライク・ユー ; フォリナー (1981年)
10週連続で第2位を記録した、まさに「キング・オブ・ナンバー2」ともいうべき曲である。これというのも怪物的なヒット曲オリビア・ニュートンジョンの「フィジカル」がその間ずっと1位に居座っていたからである。当時のTOP10番組でフィジカルの1位にはいい加減飽き飽きして、この曲が1位にならないものかと願ったものである。ちなみにこの時期の第3位はアース、ウィンド&ファイアの「レッツ・グルーヴ」で1981年の年末から1982年の年始という一番レコードが売れる時期のチャートはこの順位が延々と変わらなかったことを覚えている。
E翼をひろげて ; ジャーニー (1982年)
原題は「Open Arms」。数々のジャーニーの曲の中でも最も人気のある曲のひとつである。前年発表された大ヒットアルバム「エスケイプ」からのカット曲で、相乗効果で「エスケイプ」も再び赤丸急上昇したという逸話が残っている。Jガイルズ・バンドの「墜ちた天使」とジョーン・ジェット&ブラック・ハーツの「アイ・ラブ・ロックン・ロール」に1位を阻まれたため、私はこの後ジョーン・ジェットの曲は全て拒否するようになった。
Fロザーナ ; TOTO (1982年)
グラミー賞を何部門も受賞した彼らの代表的アルバム「TOTO W」からの最初のシングル・カットで、後に全米1位になった「アフリカ」よりもTOTOらしい一曲である。とにかくジェフ・ポーカロの刻む変拍子がカッコイイ。またホーンセクションを多用したのも従来になかった特徴である。この曲はヒューマン・リーグの「愛の残り火」とサバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」に1位を阻まれた。
G青春の傷あと ; ジョン・クーガー (1982年)
映画「ロッキー3」のテーマ曲であるサバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」に阻まれてとうとう1位になり損ねた名曲である。彼のしわがれたボーカルとギターのリフが耳に残る。
H渚の誓い ; エア・サプライ (1983年)
毎年、夏の終わりに聴きたくなる1983年初秋のヒット曲。エア・サプライの曲の中では1・2位を争うお気に入りの曲である。ボニー・タイラーの「愛の翳り」と1位を争って敗れた格好だが、どちらの曲も原題、曲調とも仰々しく「大袈裟対決」と当時は言われていた。
Iロックバルーンは99 ; ネーナ (1984年)
ドイツのミュージシャン初の全米第1位を狙ったが、バン・ヘイレンの「ジャンプ」に惜しくもその座を阻まれた。歌詞はドイツ語で何を歌っているのかさっぱり分からないが早春の雰囲気を醸し出す名曲である。。
Jハイスクールはダンステリア ; シンディ・ローパー (1984年)
この曲もバン・ヘイレンの「ジャンプ」に1位を阻まれた。彼女のデビューシングルであるが、最初アルバムジャケットを見た時「へんなオネエチャンがでてきたもんだ・・・」という印象が残っている。しかし格好に似合わず音楽的には正統派で、後に「タイム・アフター・タイム」というバラードで全米1位を獲得した。
Kダンシング・イン・ザ・ダーク ; ブルース・スプリングスティーン (1984年)
アメリカ音楽界の「ボス」的な彼の曲で、ストレートなロックを聴かせてくれる。「21世紀に残したい80's Hits」にも収録したが、1984年のヒットといえばこの曲を連想するほど思い入れが強い。この曲はデュラン・デュランの「リフレックス」とプリンスの「ビートに抱かれて」に1位を阻まれた。
Lヒート・イズ・オン ; グレン・フライ (1985年)
映画「ビバリーヒルズ・コップ」のテーマ曲。またNBAの「マイアミ・ヒート」のホームコートでも応援歌として流れている。元イーグルスの中枢メンバーである彼は、この後映画のテーマ曲も手がけるようになった。サクソホンの印象的なリフが耳に残る。この曲はREOスピードワゴンの「涙のフィーリング」に1位を阻まれたのだが、こっちも名曲である。
Mデンジャー・ゾーン ; ケニー・ロギンス (1986年)
映画「トップ・ガン」の挿入歌で、この映画のサントラからはベルリンの「愛は吐息のように」が全米第1位を獲得した。この曲を聴くと映画の一場面を思い出すほど映像と曲がマッチしており、やはり映画のMTV化が顕著だったころの作品である。ピーター・ガブリエルの「スレッジ・ハンマー」が1位に君臨していたため最高位は2位にとどまった。
Nサムホエア・アウト・ゼア;リンダ・ロンシュタット&ジェームス・イングラム (1987年)
1987年当時、大物同士のデュエット曲が大ブームになっていたが、この曲はその中でも成功している部類に入るだろう。リンダ・ロンシュタットの切なげなボーカルが印象深い。また間奏のギター・ソロも曲の盛り上げに一役買っている。この曲はヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「ジェイコブズ・ラダー」に1位を阻まれている。
O急がせないで ; ジャネット・ジャクソン (1987年)
このページの姉妹ページである「21世紀に残したい80's Hits」にも収録されている。この曲辺りからジャネット・ジャクソンは「マイケルの妹」というレッテルから脱皮できたと思う。しっとりとした彼女のボーカルが心を和ませる名曲である。クラブ・ヌーヴォーの「リーン・オン・ミー」に惜しくも1位を阻まれている。
Pセ・ラ・ヴィ ; ロビー・ネヴィル (1987年)
80年代にも数々の一発屋が登場したが、彼もその一人。ニューウェーブの流れを汲むカッコイイ曲調である。ボーカルに絡むホーンセクションも聴きどころのひとつ。この曲はグレゴリー・アボットの「シェイク・ユー・ダウン」とビリー・ヴェラ&ザ・ビーターズの「アット・ディス・モーメント」という同じような一発屋に1位を阻まれた。
Qシャタード・ドリームス ; ジョニー・ヘイツ・ジャズ (1988年)
直訳すると「ジョニーはジャズが嫌いだ」という変な名前のアーチストの一曲。覚えやすいメロディーラインを持つ曲で、当時は鼻歌でよく歌ったものである。グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーンの「エニシング・フォー・ユー」とジョージ・マイケルの「ワン・モア・トライ」という今でも歌い継がれている曲に阻まれて1位獲得はならなかった。

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