7 4 7 惜 別 の 旅 路
スターゲイトホテルに宿泊

全日空のボーイング747、いわゆるジャンボジェットが3月に退役する。中華航空など日本を発着する外国の航空会社は相変わらず747を飛ばすので、これをもって日本の空からジャンボが消えるわけではないが、日航に続いて全日空からも引退するわけで、国内線であの迫力ある機体を見られなくなると思うとちょっと寂しい。鉄道ファンの間では、廃止路線や引退車輛に群がる現象を称して「葬式テツ」というが、航空ファンの間で似たような現象はあるのだろうか?まぁ、そのあたりを検証しに沖縄に行こうと思った。一年で最も寒い時期に、ここのところ毎年沖縄の離島ツアーに出掛けているので、今回もそれを絡めながら旅の計画を立てた。

今度の旅の目的地は石垣島。関西空港から直行便で現地入りするため、スターゲイトホテル関西エアポートに宿泊。朝10時40分発なので、浜松を当日発っても十分間に合うが、ルームチャージ6,500円でタワーホテルに泊まれるならとこっちを選んだ。結果、40階にある広めの部屋があてがわれ、正解だった。曇り空であったが、徐々に明けて行く‘りんくう地帯’の街並みを見ながら至福の時を過ごすことができた。

関空からのフライトは、例によってANAの株主優待券を利用してプレミアムクラスに搭乗。午前中のうちから酒を飲むと、その後ガラクタになると分かっていながら、スーパードライ→プレミアムエビス→赤ワイン→芋焼酎水割りの順に飲み進めて行った。予想通り、石垣空港に着くころにはもうヘロヘロ。それでも移転して新しくなった石垣空港には初めての訪問となるので、空港正面玄関を1枚だけ撮影し、とっとと路線バスに乗り込んだ。バスの運転手さんから1日フリーパスを買い求め、適当な席に座ったところから記憶が定かではない。気が付くとバスは石垣の市街地を走っており、「新空港は町からかなり遠くになったと聞いていたけど、それほどでもないな…」と思ってしまった(実はバスで40分くらいかかる)。そうこうしているうちに今夜の宿であるホテル日航八重山に到着し、慌ててバスを降りた。

部屋に荷物を置いた後、再び路線バスに乗るためホテルを出て北に向かう。ホテル日航八重山は市街地の北端にあるため、少し歩くとのびやかな風景が広がる。八重山病院前というバス停から西回一周線という系統に乗る。文字通り石垣島を3時間かけて一周する路線で、私は途中の川平で下車する予定である。


40階の客室から夜明けの臨空地帯を眺める


石垣空港が新しくなってから初の訪問

バスに乗車した時には青空が広がっていたが、海沿いを走るころには北から次々と雲が流れ込んできた。案の定、川平に到着すると、どんよりとした曇り空になっていた。風光明媚な川平湾は太陽に照らされてこそ、その真価を発揮する。他の観光客は川平湾を見るなり「わー、きれい♪」とか「すごい!」とか言っているが、本物の川平湾はこんなもんじゃないぞと教えてあげたいくらいだった。まぁ、それなりにいい景色なので、アリバイ作りのためにセルフタイマーで記念撮影をしたけどね。

さて、帰りのバスの時刻まで1時間半もある。真冬でも川平湾は夏の景色に見えるのかを検証したいので、このまま日差しが戻るまで待つことにした。展望台のあづまやで、うらめしそうに空を見ていると、北の方から雲の切れ間が広がってきた。「これなら日差しが出そうだ」と思い、期待しながら待つこと40分。一瞬雲の切れ間から日差しがこぼれた。白い砂浜に長く伸びる影。そしてエメラルドグリーンの珊瑚礁。太陽に照らされた川平湾は、真冬でも夏の匂いがした。

納得のいく景色を撮りさえすれば、川平湾にいる意味がなくなる。日差しがあったのは、ほんの数分で、再び曇り空に逆戻り。川平バス停に戻ったが、バスの発車時刻までまだ30分以上ある。しばらくバス停の周りを散策し、時間が過ぎるのを待った。


市街地にあるホテル日航八重山に宿泊


部屋は市街地と逆側なので風景ものびやか


真冬の川平湾にて筆者


一年で最も寒い時期だが夏の匂いがする


空港→ホテルと川平湾の往復で十分元が取れるフリーパス


東バス川平リゾート線の終点クラブメッドにて


帰りの朝に記念撮影スポットでアリバイ工作


夕食は石垣牛のハンバーグ

それにしても北風が強く肌寒い。気温は10度台後半だと思うが、体感上は10度を切っているくらいだと思う。当然、コートやジャンパーなど着てこなかったので、とてもバス停で待っていられる状態ではなかった。そんなところに下りのバスがやってきた。方向幕を見ると川平リゾート線となっている。川平半島先端にあるホテル「クラブメッド」まで行って折り返し、その帰りのバスに乗車するわけだが、幸い1日フリーパスを持っているので、タダで下りのバスにも乗れる。神の助けと思い、道路の反対側に停車中のバスに乗車した。

バスは半島の先まで行って折り返し、20分後に川平バス停に戻ってきた。その後は途中まで往路と同じコースを逆戻りしていたが、リゾート線という名の通り、途中からは海沿いのリゾートホテルを結んでいく。地元客無視の快速運転で、18時前にホテル日航八重山に到着した。部屋に戻る前に、1階のラウンジで夕食として石垣牛ハンバーグセットを食べた。ウエルカムドリンク・チケットと1,000円のミールクーポンをチェックインの時に貰っていたので、600円の自己負担でけっこう豪華な夕食を食べられた。その後は、市街地の飲み屋に繰り出すことなく、部屋に戻って早寝。昼間から酒を飲むと決まってこうなってしまう。

翌朝は、まだ暗いうちにチェックアウト。ホテルを7時23分に発車する路線バスで空港に向かった。バスの中で夜明けを迎え、浜松に比べると45分くらい日の出が遅い感じである。昨日酔っぱらっていて撮れなかった、空港玄関の撮影スポットで記念撮影し、搭乗ゲートに向かった。那覇へはJTAのボーイング737-500でひとっ飛び。石垣と那覇の間は近いように見えて遠く、羽田〜伊丹間の距離と大差ない。それでいて生活路線であるがゆえ運賃は安く、クラスJを奢ったものの5,500円だった。

那覇空港では2時間半の待ち合わせ時間がある。予約便はボーイング747を使用するANA126便だが、それを待っている間に中部空港や羽田空港行きの出発便案内が入るので複雑な思いをした。ANAのラウンジに入り、PCでひまつぶし。「そうそう、折り返し126便になる機材の到着時刻をしらべなくっちゃ」と思いネットで調べると、羽田からの127便が該当する。那覇到着時刻は11時35分。搭乗口はこれから乗る126便と同じになるはずなので、出発の1時間以上前に搭乗口に向かった。33番ゲートに着くと、高そうなカメラを持った同好の志たちが、既に窓際に陣取っていた。こうしちゃいられないと私も窓際のスペースを確保し、127便の到着を待った。しばらくすると、エンジンが4つある機体が、誘導路をこちらに向かって走ってきた。「セブンフォーセブンだ!」私はひとりごちつつシャッターを切りまくった。必ずしもスマートとはいえないが、大柄な機体はクジラを連想させ、かつてマリンジャンボとして一世を風靡したのも頷ける。そうこうしているうちに機体は停止し、その脇を南西航空リバイバル塗色の737がすり抜けていった。これまたシャッターチャンス。あと2か月あまりは、那覇空港でこういう光景が繰り返されるんだろうなぁと思いつつ、その光景の一部となっている自分がいた。

747撮影会が終わった30分後、ようやく搭乗が許された。プレミアムクラスがあるトップキャビンの空席状態を撮影したいと思い、真っ先に機内に入り、急いでシャッターを切った。少々ピントがボケているが左がその画像である。これで自分が考えていたノルマは全て終了。独立シートである1Kの席で747の惜別の旅路を楽しむだけになった。

往路同様、帰りの便でも真昼間から酒浸りの状態になり、これが全日空の747に搭乗する最後の機会だという意識も薄れていった。再びその意識を強く持ったのは、機内ビデオの合間に流れた747のスペシャルDVD「ANA 747 Forever」のダイジェスト版を見た時である。葉加瀬太郎作曲のANAイメージソング「アナザー・スカイ」のピアノバージョンをバックに、吹雪の新千歳空港に着陸する747スローモーションが映された時に、不覚にも涙をこぼしてしまった。ANAのボーイング747といえば、私が海外に初めて行った時の機材である。また、初めてビジネスクラスに乗ったのもANAの747だった。それ以外にも、JRの完全乗車を目指して千歳をよく利用した頃や、SFCになるための修行時代にも、たびたびお世話になった機材である。国内線のテクノジャンボで、好みでよく予約したのは、こじんまりとしたプライベートな雰囲気が漂う2階席だった。そんな思い出が次々とフラッシュバックして、アルコールが回っていたのもあいまって、強く涙腺を刺激されてしまった。やっぱり747は愛すべき航空機だったんだなとあらためて実感した。

「皆様、当機は最終の着陸態勢に入りました…」 夢のような2時間はあっという間に過ぎ去った。私はリクライニングを戻すと同時に、パストタイムからリアルタイムにスイッチを入れ替えた…。


9時発のJTA便クラスJシートで石垣島を脱出


羽田からお待ちかねの747が飛来してきた


ジャンボはスマートではないが迫力満点


南西航空リバイバル塗装との邂逅


747のトップキャビンにあるプレミアムクラス


那覇からの2時間弱はあっという間であった

<終>

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