小山山岳会 長岡です。
4/20〜5/11 ネパール メラ ピーク(6473m) に行きましたが、
残念ながらサクセスにはなりませんでした。以下概要を報告します。
1975年に 峰渓倶楽部のメンバーとして
チュウ-レン ヒマール(7371m)に行って以来実に28年ぶりのネパールで、
どのように変わっているか楽しみでした。
変わっていたのは空港が綺麗になり、車、バイクが増えた、
大半の人が腕時計をしている、
ほんの少しゆとりがある人はラジオを持っている
(昭和30年前半の日本のTVと同じ感覚 ?)等で、
相変わらず道ばたには種々雑多のゴミが捨てて有り街は汚い、
道路には大きな穴が開き、舗装がいい加減な為埃がすごい、
カーストも残っている等は変わっていないように思えました。
4/21 飛行機で降りたルクラのロッジに、
見たような顔のシェルパがいたので声をかけたら、
なんとあのチュウ-レン ヒマールのパサンというシェルパだったのです。
向こうも私の顔を覚えていて、当時のなつかしい話をしました。
彼は10年前にエベレストに登り、56才の今は、
シェルパ ガイドやエージェンシの幾つかの役員を
している顔役のようで、mail addressも持っていました
(今は主立ったシェルパはmail addressを持ち、
世界の顧客と日夜連絡しているようです。もちろんシェルパがパソコンを
使えるわけが無く、パソコンが使えるネパール人が、
各シェルパのmail addressを幾つか持ち、mailの代行をしています)
カトマンズの街にはインタネットが20ルピ-(32円)
で使えるカフェが至る所に有りました。
4月中旬に入り、午後からは曇りのパターンが続き、
それでも4/21の週は晴天で、帰ってくるパーティはサクセス、
ルートも非常にイージィと話をしていました。4/30に5800mのハイキャンプ
からアタックしましたが、連日の降雪でラッセルが大変
(約20人の4パーティがいましたが、他パーティは非常に遅く、
なぜか我々が先頭をきってラッセルしました。これはメラピークは簡単な
山との認識で、バリバリの精鋭パーティは来なく、どちらかというと高年、
ヨロヨロパーティか、初心者でシェルパに全て頼り切っている
ヒヨッコパーティのどちらかでした)、最後まで残ったシェルパ、
オーストリア人、竹沢先生(二人パーティの60才の相棒)の3人が
ヒドンクレバスに落ちる(腰程度)、ガスって来、ホワイトアウトの中、
ルートが判り辛い等10時から約30分様子を見ましたが
状況は悪くなる一方で、泣く泣く約6250m、あと1.5〜2時間あたりで断念しました。
その後も天気が悪く、4月後半、5月前半のパーティは
ほとんど登れなかったと思います。
ネパール全体の天気も悪かったそうです。非常に残念でした。
どこの山に行ってもそうですが、
早朝から行動するパーティは常に日本人で、ラッセル等馬鹿を見ます。
竹沢先生とビスタリ-に行きましょうと話をしていましたが、
他パーティがあまりにも遅く、後ろから付いて行くには、
日が暮れてしまうので、やむなく二人でセッセルしました。
メラ ピークは天気さえよければ、目をつぶっていても(例え)登れる山で、
山スキーで行動するには最高のようでした。
以上
登山報告書