日付 | 2003/12/13〜12/14 |
山域、山名 | 富士山 |
目的 | 冬富士 |
パサン、山田、浜田、鈴木、石川三郎、箕西 | |
概要 | 通常この時期の富士山は非常に危険らしいが、天候に恵まれ快適に登れた |
経路 |
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装備 |
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アプローチ |
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駐車 | 馬返し20台(150%) 雪有り |
宿泊 | 佐藤小屋\7,000 |
温泉 | - |
12/13(土) 快晴
富士山測候所のページを見て一喜一鬱しながら土曜になる。
木曜金曜と-10℃程度で雪が降り南西の弱い風だ、
土曜は気温は-20℃まで下がったが北西の弱い風で快晴。
登れてしまうんじゃないかと期待して出発。
馬返しの駐車場は車が一杯で道路に路駐する。
歩き出してからも雪は殆ど無くおNewのプラブーツがもったいない。
5合目に近づいてやっと雪が増えてくる。
佐藤小屋の前は凍結していた。-7℃。
一番奥の部屋を割り当ててもらう。すぐに靴も脱ぎサンダル履きで記念撮影。
いきなり宴会だが明日に備えてお酒は控える。
ベルニナの堀江さん達もテントから出て来てストーブの傍で飲んでいた。
夕食はカレー。パサンさんがネパールから持参した辛味噌漬け(?)を入れると美味しい。
隣は無名山塾の人達だった。
夜は新しい羽毛布団で快適に眠れた。
12/14(日) 快晴
朝は皆5:00出発で朝早くから準備している。
食事の順番を待っていると池田さんがやって来た。
小屋近くにテントを張っていて今日雪上訓練をするとのこと。
外は-10℃だった。
スパッツのゴムが切れかけている。そぉっと着けて事なきを得る。
不要な酒類を小屋で預かってもらって出発。
山田さんも新しいブーツだとのことでアイゼンを調整しつつ歩く。
雪は柔らかく問題は無い。
小屋手前の階段は雪がついて少し怖い。
11月に死亡事故が有ったのは八合目付近との事だが今回は問題ない。
時折、雪を巻き上げて風が吹くが気にせずに歩ける。
パサンさんは借り物の装備が小さくて苦労している様だ。
テーピングテープで何とかしようとしたが、
テープが凍っていて付かなかった。
九合目の小屋ではロープでつながった団体が居た。
途中の人たちは繋がれているだけ、ガイド登山かと思われる。
ここから広いバーンに出る。固い雪の上に30cm程軟らかい雪が乗っている。
頂上直下だけはやや硬い雪面になっている。
頂上は多少風はあるが物陰に入ると穏やかだ、
後で調べると-14℃ 風速8m/sだった。
それでもデジカメも携帯電話も寒さで動作しない。
ミノルタの防水カメラとGPSは機能した。
時間が無いので剣が峰をバックに記念撮影をして下山。
ピックは何とか刺さるが2ピッチはロープを張って降りる。
狛犬様にプロテクションになっていただく。
ロープを使わずに降りていくパーティーは6〜7割程度。
少し降りたところでパサンさんの知り合いに会う。
やはりハードな山に来ると世界は狭い。
雪の斜面を登山道無視でまっすぐ降りるが長い。
やっと小屋にたどり着いたが急いで帰る準備。
パサンさんがネパールから持ってきた旗(?)を小屋の前に張って、お祈りをする。
後は林道をひたすら下る。
雪がなくなると急に足指が痛くなってきた。
パサンさんは「登山靴は五合目まで担いで上がれば良かったね」と言っていた。
あとプラブーツはコブラ製が軽くて良い、窮屈な靴は最悪だと言っていた。
暗くなった頃やっと車に到着。
山田さんが運転してくれるということで、
遠慮しつつビールを頂く。
一口飲めば遠慮など消し飛んでしまい良い気分で渋沢まで。
天候が良く結果的にはラッキーにも新しい装備は余分だった。
また後で聞くとパサンさんは長岡さん達がチューレンヒマールに行った時の
ガイドでも有ったとの事だった。
場所 | Vodafone | docomo |
馬返し | ○ | ○ |
佐藤小屋 | ○ | ○ |
七合目 | ? | ○ |
五合目焼印所跡にて |
無事登頂成功 |
山頂直下の下りは念のためロープを使った。 |
お祈り |