山行記録
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日付 1991/10/26〜10/27
山域、山名 -
目的 -
参加者 -
概要 -
経路
10/26
寄(9:30)-(11:00)キャンプ場-(12:30)雨山峠(13:30)-(15:00)ユーシンロッヂ
10/27
ユーシンロッヂ(8:00)-(10:15)玄倉
装備 個人:雨具
共同:
アプローチ 往路:
復路:
駐車 -
宿泊 -
温泉 -
[内容]

秋の登山同行報告


1991.10.28
出浦淑枝

恒例の平山協「秋の登山」が行なわれ、小松からはボランティアとして若本、出浦が参加し、約40名の参加者と共に紅葉にはまだ少し早い丹沢を歩きました。

10/26(土)
8:15 新松田駅集合。話には聞いていたが、参加者名簿を眺めると、親くらいの年齢の方がずらり。常連さん同士、会話がはずんでいるようだ。
9:00 バスに乗り込む。満員バスの中、会話に耳を澄まして、顔と名前を憶えようと試みる。
9:30 寄着。簡単な体操を済せて、いよいよ歩き始める。背負いこを持った若本さんは最後尾に、私は前から10人目につける。舖装道をどんどん歩いていく。夫妻で参加したメンバーと話が弾む。夫君は、妻君に付き合ってやっていると言わんばかりで、態度がでかい。が、先に息が切れてしまうのは夫君の方で、それでも「北岳に比べれば、ちょろですよ」といった類のどこかで聞いたような強がりを言っている。人間だなあ、と思う。
11:00 少し汗ばんだころ、ゲートをくぐり、キャンプ場着。飴など頂く。役得、役得。車で乗り付けた若者が、ラジカセやバーベキューセットを荷下ししているのを見ながら、更に山奥へ踏み込む。
山道に入ると歩く速ざに差が出始め、次第に前と間が開いてしまい、役員としてはセカンドにいる私は対処に悩む。足元の怪しい方の後ろを歩くと、いつこけるか心配で心臓にも悪い。そのうち見通しの効くつづら折の道に出て、ほっとする。こうしてみると、長ーい列だ。参加者も言っていたが、擦れ連う人がいなくて良かった。
12:30 雨山峠下。昼食。大きなさんしょの木があり、みんなで味見、ぴりぴり体験をする。若本さんは洋を気にしている。
13:30 出発。先発隊が張ったフィックスが大変感謝される。もろい花崗岩の斜面をトラバース、湿った梯子や橋をわたる度に、スリルを楽しんでいた。あるおじさまが「こういうところをうまく渡れるかどうかで、娘のころお転婆だったかわかるよ」と言っていたけど、たぶんこんな企画に参加しようと目論むおばさまたちは、例外なくお転婆さんだったとおもう。
峠を越えると、後は下る一方。小雨も降りだし、枯れ葉も滑りやすく、若干緊張。転ぶ人もちらほら。しかし、私には「大丈夫ですか?」と声をかけるくらいしかできず、「大丈夫じやないっすよ」と言われたときは困ってしまった。全然、大丈夫そうに歩いていたのになあ。長い桟道で谷の景色を見ながら立ち止まっていたら、悲鳴が聞こえた。柵の下へ落ちたらしい。すぐに役員が駆け付け、径我もなく、事なきを得た。
15:00 ユーシンロッヂ着。食卓に季節の花など飾られ、6年前に訪れたときよりは小綺麗になっている。でも、相変らず錆ぴれている。
役員食当の手伝いを申し出たが、間にあっているということで、暇に任せてアルコールに走る。元気な参加者のなかには大石山まで出かけた人もあったという。なーんだ、誘ってくれれぱ一緒に行ったのに。コミュニケーションが足りなかったと反省。
18:00 50人分のカレーと豚汁はさすがに豪快だ。山の食卓はいつも賑やかで嬉しい。後片付けを終え、スナックユーシンヘなだれ込む。
21:30 雨音を間きながら消灯。

10/27(日)
5:30 煎餅布団にくるまり、熟睡してしまった。5時過ぎにトイレに起きる人があり、目が覚める。「5:30に炊飯器のスイッチを入れるので、皆さんそのつもりで」と言われていたので、アラームはセットしてあり、みんなその音を待っていたかのようにいっせいに起きだす。布団に寝るとついつい粘ってしまう私とは気合いが違う。雨は依然降り続けている。みんな、今日の行程を心配している。「登りたくない」という意見が大勢を占めていた。雨の中の行動には慣れていないようだった。リーダーの白井さんは、ラジオを熱心に開いていた。
6:30 朝食後、コース変更の発表がある。やはり安全を考えて、玄倉ヘ一路下ることになった。
8:00 出発。身繕いに各人各様の工夫が凝らされ、面白かった。林道をずんずん下る。途中、巨大みみずに何度も出くわし、賑やかな道中となる。
10:15 玄倉着。予想以上に早く着いてしまったので、バスまで1時間半も待ち時間があり、食料の大放出大会になる。本当に山での食への力の入れ様には感心させられる。
12:30 新松田駅で解散。参加者の皆さんから、丁重にお札の挨拶を頂き、恐縮した。ルート変更で塔が岳に登れなかったことを、怒る人が全然いないことには少し驚いた。微力ながら昔さんに喜んでもらえて、とても嬉しかった。親不孝者を白覚している私だが、間接的に孝行したような気分だ。それにしても境さんの人気はなかなかのもので、いくつもの熱い伝言を承ってしまった私は、呆たしてキューピッドになれるでしょうか?


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