展示16 〜 悲しい週末。悲しい万馬券。 〜


日時1998年 11月01日 東京 11R 天皇賞秋GT(芝2000m/良) 12頭立
レース結果
1着 5枠 6番 オフサイドトラップ 柴田善6人気
2着 7枠 10番 ステイゴールド 蛯名4人気
3着 6枠 8番 サンライズフラッグ 安田康5人気
配当
単勝0642.4倍
枠番連勝5-736.8倍
馬番連勝06-10122.1倍 × 200円投資 = 24,420円

 ようやく気持ちの整理がついたので、書くことにしました。いつまでも悲しんでるばかりではいられないので…。
 でも、1998年10月29日、31日、そして11月1日。私はこの3日間を、一生忘れることはないでしょう。

 今回は、競馬の話はあんまり無いです。タイトルからは分からないかもしれないですが、悲しいのは「スズカ」だけではないですので。

 10月29日、忘れもしない木曜の朝。それはあまりに突然のことだった。いつものように出勤支度をしながらFM横浜を聴いていたとき、 そのショッキングなニュースが耳に聞こえたときには、一瞬頭の中が真っ白になったのを覚えている。
 そのニュースとは、「横浜フリューゲルスの横浜マリノスへの合併」。年に数回しかスタジアムへ足を運ばなかったとは言え、 Jの試合がある時はいつもフリューゲルスの試合結果ばかりが気になっていた私。 毎試合スタジアムに足を運ばれるような、いわゆる「サポーター」と呼ばれる人たちから言わせれば「甘い」のかもしれないが、 それでも「フリューゲルスが消える」と聞いた瞬間に受けたショックは、並大抵のものではなかった。 それだけ、私の生活の中にフリューゲルスが入り込み、フリューゲルスが生活の一部になっていた、ということなのかもしれない。

 今考えるとすごい偶然なのだが、合併の発表を聞いたとき、偶然にもその2日後(10/31)の、フリューゲルスのホームゲーム(対C大阪戦)のチケットを、 私はその時点で持っていた。
 合併後の最初の(サポーターが集う)試合。「何か」が起こるのは判りきっていた。 同伴する予定だったメンバーの中に、サッカー観戦が初の女の子もいたので、この(危険な)試合を見に行くのを止めようかとも考えたが、 結局その試合を観戦に行った。この選択は間違いではなかった。試合は7−0で圧勝だったのだから。試合終了のホイッスルまでは、 横浜国際総合競技場のゴール裏で、我を忘れて盛り上がっていた、と思う。あまりハッキリ覚えていないが、 それくらい盛り上がっていたのだろう。

 だが、その後、私はまた一つ、悲しい事実を突き付けられることになる。
 試合終了後、やはり「何か」があった。ゴール裏に約2,000人のサポーターの座り込み。 デーゲームで時間は早かったし、特にその後用事も無かったので、しばらくはその座り込みに参加していた。 そして、1時間…2時間…。サポーターと、球団サイドのやり取りを聞いていて、判ったことが一つ。 「この合併は覆らないな」。昨年清水エスパルスが同じような状況になったときは、 まだ市民、サポーターの入り込む余地はあった。今回もそうなることを信じていたのだが、残念ながら、 今回の「合併」話は、完全に外堀を埋められており、サポーターの入り込む余地が無いのが判った。 いや、サポーターの入り込む余地を無くすために「合併」という形をとった、と言うのが正しいのかもしれないが…。
 それに気がついてあきらめがついた午後7時(試合終了3時間後)、私たちは横浜国際総合競技場を後にしていた。 同じようにそれに(おそらく)気づいていながら、しかし懸命に抵抗を続けていたサポーターの人たちに、申し訳ないという思いを抱きつつも…。

 明けて日曜。天皇賞という秋一番盛り上がるレースがある日なのだが、前日のショックで半分放心状態に近かった、と思う。 GTでありながらWINS横浜に行く気も全く起きず、PATでの消極的な購入となった天皇賞。 「サッカーでショッキングな、しかし大事件があった後だから、サッカーネタ(オフサイドトラップ)がくるかもしれない」なんて、 軽い気持ちで、オフサイドトラップから総流しを買っていた。心の傷は癒えぬまま。 (ちなみに1着はもちろん、2着ステイゴールド、3着サンライズフラッグもサッカー用語かな?(笑))

 そして…。レースでさらに悲劇が。武豊騎手を鞍上に乗せた圧倒的一番人気のサイレンススズカ…誰の目に見ても、 この馬が圧勝するだろうと思えていた…が、3コーナー過ぎに急激に失速する。それは、自身が4歳の頃よく見せていた「逃げバテ」ではなく、 明らかな故障。ここに、希代の逃げ馬の最期の瞬間を、私は見てしまうことになる…。
 結局、レースを勝ったのは、その流していたオフサイドトラップ。万馬券を的中して一瞬は喜びも味わうが、 しばらくするとまた悲しみが喜びを塗りつぶしてしまった。「せめて命は」と祈りもしたものの、 「サイレンススズカ予後不良」の情報を聞いてしまう。決してオフサイドトラップの勝利の価値が下がるわけではない、 万馬券的中の快挙の価値が下がるわけではないのだが、心の中に何かわだかまりが残ってしまう。 「負けるならアクシデントくらいしかないだろう」と思っていながらもスズカ以外の馬券を買っていた、と言うことは、逆に言えば、 「アクシデントを期待してスズカ以外の馬券を買っていた」と言う意味でもあるのだから。

 あれから2ヶ月(書いている今は99年1月)。サイレンススズカは、彼に毎日王冠で敗れたエルコンドルパサーがJCを、 グラスワンダーが有馬記念を勝ったことによって株を上げ、伝説の馬になった。 また、横浜フリューゲルスは、そのC大阪戦を皮切りに結局9連勝し天皇杯を制覇。最強のチームのまま合併(消滅)し、 こちらも伝説のチームとなった。10月末・11月1日におきた悲劇も、今となっては、2ヶ月間の壮大なドラマの、 単なるプロローグであったかのように思えてくる。しかし、そう思えば思うほど、競馬界のエースとJリーグの(現時点での)最強チーム、 この2つを同時に失った悲劇の週末は、私にとってだけでなく、日本にとって大きな損失であったということも、 また思えてしまうものである。
今更だが、あの3日。あの悲劇の週末さえなければ…。

この日の主な
レース結果
サイレンススズカ競走中止、予後不良天皇賞秋
ダンスパートナー・ダンスインザダークの弟エアギャングスター勝利いちょうS


何かありましたら、こちら まで。


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