展示08 〜 「お昼のダジャレ」激走の果てに。 〜


日時1996年 10月13日 東京 10R 秋嶺S(ダ1400m/稍重) 14頭立
レース結果
1着 1枠 1番 ベニノコバン 江田5人気
2着 4枠 5番 ミホロイヤル 坂本14人気
3着 7枠 12番 アイアムザウィナー 横山賀2人気
11着 4枠 6番 ベルグネーヴィ 水野11人気
配当
単勝0113.1倍
枠番連勝1-4116.7倍 × 500円投資 = 58,350円
馬番連勝01-05452.7倍

 「今日はいるドブルボン?」 全てはこの一言から始まりました。

 この年の異動により、私は某Sビルに配属になりました。そのビルには、会社の同期で私の競馬(&万馬券)の偉大なる先輩たるT氏が。 で、職場(フロア)は違うものの、いつも昼食を共にしていました。ところが、 T氏はビルの9階、私が14階。お互いに相手がいるかどうかを確認してから食堂(15階)に行く必要がありましたので (この頃の仕事は外出&出張が多かったですので)、毎日、昼の11時頃になると、 どちらからともなく、「今日のお昼はいるの?」「いるよ」という電子メールが9階←→14階の間で飛び交っていました。

 で、とある日に、そのT氏からの確認メールに来た文字が、最初に書いた「今日、いるドブルボン?」。 競馬ファンなら一度はやった事がある(ない?)、語尾を馬の名前に置き換えた文章がきました。 今から考えると他愛も無い事ですが、これがなんと半年近く続きました。ちなみに、最後のメールは、年末の有馬記念直前。 T氏から来た「じゃあ、これで(このシリーズも)おしまいねルブリッジ」。この期待?に応えてか、そのマイネルブリッジは、 有馬記念でシンガリ人気ながら3着と大健闘しました。 このマイネルブリッジもそうなんですが、いつの日から「お昼のダジャレシリーズ」と名付けられたこのメールのやり取りで挙げられた馬は、 何故か好走するという不思議なジンクスが生まれていました。そしてこの集大成が、この秋嶺Sでした。

 秋嶺Sをさかのぼる事数日前。いつものように届いたメールには「今日は何食べるグネーヴィ?」 それまでは、種牡馬や過去の名馬、せいぜい現役のオープン馬クラスの名前が多かったのですが、 その日T氏から届いたメールには、なんと当時条件馬でチェックしていないと名前も知らないような「ベルグネーヴィ」の名前が。 それだけに、逆に印象に強く残ったのを覚えています。

 そして、運命の日、秋嶺S。この日の出走メンバーの中にベルグネーヴィの名前を見つけた私は、 とっさにこの事を思い出し、軸にしました。しかし、このとき11番人気のベルグネーヴィ、馬連で買うのは余りにも無謀なので、 枠連で買ったのですけれど。同枠にいたミホロイヤルは14番人気、つまり最低人気でしたが、 1頭よりは2頭。戦力になる事を信じて…。

 そしてレース。この「戦力になって欲しい」と思っていた最低人気のミホロイヤルが強い強い。公営から中央入りして4戦目だったのですが、 よほど(公営時代に走り慣れた)左回りに相性が良かったのか、最終コーナーを廻った後メンバー中最速の物凄い末脚で一気に先頭争いへ。 惜しくもベニノコバンを差せず勝ちは逃しましたが首差2着。晴れて「代用」が連対し、枠連で万馬券のGETとなりました。 T氏が数日前に挙げてくれたから、そしてそのベルグネーヴィの同枠にミホロイヤルがいてくれたから取れた万馬券。 116倍と、万馬券としては自身最低配当でしたが、この日は周りに感謝の気持ちでいっぱいでした。 (ちなみに軸にしたベルグネーヴィは11番人気11着。人気どおりでした(笑))

 最後に余談ですが、このベニノコバン、ミホロイヤル、ベルグネーヴィの3頭ですが、何と翌年の同じ秋嶺Sで再戦し、 岡部騎手を背にミホロイヤルがまた2着に食い込みました。そしてミホロイヤルは数ヶ月後、中央成績20数戦で連対は秋嶺Sの2度のみ、 という輝かしい(?)珍記録を持って、地方に転出していきました。それを追うように、ベニノコバンも南関東へ。 そして…。最後まで中央に残っていたベルグネーヴィは、春風Sを2年連続2着、というこちらも珍記録を打ち立てた後、 98年春の欅Sで競走中止、残念ながら予後不良となってしまいました。もう2度と顔をあわせる事の無くなってしまった3頭ですが、 「秋嶺S」のレース名と共に、いつまでも私の心の中に残り続けているでしょう、きっと。

 その中でも特に、このレースを取れるきっかけになってくれたベルグネーヴィよありがとう。そして安らかに…。

この日の主な
レース結果
アーサーズフェイムの兄・マックスウィンザー勝利嵐山S
後の菊花賞馬ダンスインザダーク、トライアルを快勝京都新聞杯


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