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♪- にっきちょう -♪

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[ 歩く ]
息子は、小学校へ上がったら、毎日歩いて通学しなければならないので(当然ですが)、少しは歩く練習をしなければならないと思い、時間がある日の朝に、保育園まで歩いていくことにした。

今までも、休みの日に散歩をしたり、ちょっと大きな公園を散策したりしていたので、歩くことに関しては、大して心配していなかった。たまには目先が変わっていいか、くらいの軽い気持ちで言い出したのだったが!

ああそうか、「散歩」と「登校」の違いを教えないといけないのか、ということに思い至った。それだけでも歩いてみてよかった。

歩くことは歩く。それはいい。しかし、問題は歩き方だ。
目的地もあり、到着時間も決まっている場所に向かって歩くという訓練をしたことがないので、いっぺんたりと真っすぐ前を向いて歩きやがらないではないか!
前々日に雪が降ったこともあり、各所にトラップがあることを割り引いても、あまりにもふらふらしすぎだ。お前は千鳥足の酔っ払いオヤジか!というくらいあっちへふらふら〜、こっちへふらふら〜とまさしく糸の切れた凧状態。
「さっさと歩きなさい!」「前を見て!」「まっすぐ歩く!」
もう私は青木さやかだ。「どこみてんのよぅ!」

もう懲りた。こりごりだ。
これを実際の通学路でもやらなくてならないかと思うと、気が遠くなる。近所の上級生が一緒に登校してくれないもんだろうか。(←すでに人任せ)
2006/01/25(すいようび) はれ


[ 「耳なし芳一」と「おいてけ堀」 ]
かつてTBS系列で「まんが日本昔ばなし」を放映していた。それが、再放送の声が多かったのか、昨年の秋頃からまた放映がはじまった。
私が幼いころ見ていたものをイマドキにデジタルリマスターバージョンで流している。(デジタルリマスターってなんだかよくわかんないけど、画像がクリアになったってことか?)

実は、わが家には息子が生まれたときに、ダンナが血迷って買った「まんが日本昔ばなし」のビデオ20巻がどーんとあり、置き場所に困るそれを私は常々苦々しく思っていたわけだけれど、こうなってみると先見の明ありということなのか?それ以来、続編20巻を買えというお知らせが何度も来るんですが。まあ、それは置いといて。

で、自分が子供の頃、そりゃあ恐かった話が、「耳なし芳一」と「おいてけ堀」で、どんだけ恐かったって、夜、トイレに行けなくなるくらい恐かった。
なので、子供たちが見たいと言ったときには、ちょっぴりいじわるな気持ちもあって、「いいよ」と言ったのだった。そして案の定、かなり顔はこわばっていた。そうだろう、そうだろう。そうでなくちゃな。

しかし、大人になった私がみても全然恐くない。恐くないどころか、ちょっと「くすっ」と笑いすらした。あんなに恐かったはずなのに、大人になるとはかくも哀しいことなのだった。
2006/01/10(かようび) はれ


[ 視力検査 ]
もしかしたらと思っていたのだが、やはり就学時検診の視力検査でひっかかった。息子は目が悪いようだ。小さい頃から鉄道の絵本を読み、最近では昆虫に移行したが、図鑑という情報量の多い書籍を朝な夕な読んでいるので、目も悪くなるというものだ。先日はどうしてもと請われて、図書館で『素数ゼミの謎』という本を借りてやった。二桁の足し算もできないくせに、素数ってなんだか分かってるのかよ?「セミ」ってとこに反応したらしい。
ちなみに素数ゼミっていうのは、素数(13年とか17年)の周期で大発生するセミのことで、本に書かれた仮説はたいへん興味深いものだった。(が、息子に理解できたかは不明。つか無理だ)

「眼科で再検査をするように」とお達しがあったので、ダンナに頼んで連れて行ってもらったところ、やっぱり両目とも0.5程度だった。やれやれ。とりあえず、仮性近視の点眼薬をもらったが、いずれ眼鏡になることは免れないようだ。
息子に「どうだった?」と訊くと、

「上から三つ目くらいまでは、ランドルト環の向きが分かったんだけど、それより下は分からなかったよ」

ら、らんどるとかん? それはなんですか?

ランドルト環とは、いわゆる視力検査のCの字のことらしい。へー、あれ、ランドルト環っていうんだ。
つーか、なんでそんなこと知ってるのだ。

「前にトリビアでやってたよ」

ああそうですか。
いや、だから、そんなこと知ってるから目が悪くなるのでは?母は何か育て方を間違ったのでしょうか?

このままでは、早晩、東京電力のCMの男の子みたいになること間違いなし。今でもちょっと似てるだけに否定しきれない。
こうなったら、私が鈴木京香になるしかないか!(←解決の方向がまるで違う。)
2006/01/08(にちようび) はれ


[ 昆虫生活 ]
当初の目論見どおり、いやそれ以上に読むのに時間のかかる「ファーブル昆虫記」。
巨大な幼虫のカラー写真とか見ないで済むのはありがたいが、いかんせん文字ばかりなので、情報量が多い。
何がかなしくて、ふん虫(ふんころがしの総称)の固有名詞を覚えないとならないのか。長い名称もそらで言える。イスパニアダイコクコガネとかミノタウロスセンチコガネとかな。
一口にふんころがしと言っても、ふんをころがさないものもある。また、自分の食料にするふんとたまごを産みつけるふんは違うらしい。たまごを産みつけるふんは栄養の多いふんがいいらしい。なるほど。
いや、だからそんなこと知ったからって何になるのよ。

面白いことは面白いが、すでに減りつつある脳細胞を、実生活に全く役に立たないふん虫の名前やその生態を覚えることに使ってもよいものか。悩むところである。

息子には、目が悪くなるから昆虫図鑑は起きているときに机の上に置いて一人で読むようにとお達しを出したので、暇があるとパラパラめくって読んでいる。ちらっと見るとかみきりむしの項を読んでいたので

「じぃじは昔かみきりむしの幼虫を食べたことがあるんだよ」

と教えてやると、びっくりして実家に帰ったときに父にいろいろ訊いていた。しかし、訊ねる内容が「なにかみきりの幼虫を食べたの?」とか「何の木についていたの?」などかなり詳しく専門的なので、父もたじたじだ。薪に使う木の名前やそこについていたカミキリムシの幼虫の種類まで知らないっつーの。燃料や食料をいちいち観察する余裕はあの時代にはなかろう。

また、カイコの本も読んでいたので、

「ばあばはヤママユの糸で作った着物を持ってるんだよ」

とこれまた教えてやると、「みたいみたい」と騒いだ。ちょろい。
ちなみに、ヤママユというのは、ヤママユ蛾のことで、野生のカイコみたいなもんだ。繭はモスグリーン。これを集めて、絹糸を紡いで反物を作り、それを着物に仕立てる。野生なのでその繭は貴重だ。また、繭に色がついているので、その自然の色を利用するため、染付けはしない。色無地みたいな仕上がりになる。

カイコの本を読むまで、ヤママユの存在もその繭から糸を紡いで着物を作ることも知らなかった。というか興味がなかったんだな。母が「ヤママユの着物を持っている」と言っても「ふーん」としか思わなかった。
思わぬところで知識を深めてしまった。息子が昆虫好きにならなかったら、知ることもなかった話だ。息子から得た情報で母の着物の価値を知るとは。

世の中よくできている。
2006/01/04(すいようび) はれ


[ 謹賀新年 ]
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年は、年女です。もうやぶれかぶれという気持ちでいっぱいです。
「36歳」というのが、なんだかガツンとくるですね。どこがどうとは言えないんだけど、「あぁ・・・!」とため息をつきたくなるのはなぜでしょう。

あんまり考えないようにしよう。うん。

今年は、年明け早々、初詣に行った。近所の神社だけども。

これには理由があって、大晦日に、「今日は特別」ということで、子供たちに「夜更かしオッケー」と伝えた。そうは言っても途中で沈没するに違いないと踏んでいたところ、全然寝やしない。
それでも娘は10時半には寝たんだけど、息子はどうも徹夜をするつもりらしい。

「起きてていいんだよね?」

と念を押す。約束した手前、だめとも言えず。だんなと3人でトランプなどをして過ごす。
紅白も終り、とうとう年が明けた。息子の目はまだぱっちりだ。まあ、起きててもいいんだけど、元日はダンナの実家に年始の挨拶に行くので、明け方に沈没されてもそうそう寝かしてもいられない。

そこで思いついたのが、初詣だ。自治会の掲示板に近所の神社が初詣をやるとのお知らせが貼ってあった。普段は神主もいないような小さな神社だけど、けっこう古いようで、氏子も多く夏祭りはそれなりに盛り上がる。そこそこ由緒ある神社らしいのだ。
息子に訊くと「行く!」というので、風呂上りでパジャマを着ていたのを、もう一度着替えて、タイツもはき、帽子にマフラーを巻いて、もこもこに着膨れて出かけた。着替えてる時から、息子の目はきらっきら光って「夜中の外ってどうなってるの?」などと聞いてくる。何を期待しているのか。普通に暗いだけだって。夜中に外に出たことなんかないから、ものすごいことを想像しているのか。
「帰ってきたら寝るんだよ」と約束をして家を出る。

神社に着くと、鳥居の左右に提灯がぶら下げてあり、簡易の受付が設けられていた。そこで記帳をすると、らくがんみたいなお菓子をくれた。
それから境内へ行き、ここは奮発して(?)一人100円をどーんと賽銭箱に投げ入れる。それから、帰ろうとすると、詰め所みたいなところで甘酒をふるまっているというではないか。ありがたく頂戴する。息子も雰囲気につられて、一口二口飲む。
隣ではお神酒もふるまっていて、どうぞどうぞと勧められるまま、それも一杯いただく。お祓いも済ませてあるというお神酒は、夜の冷気でキンキンに冷えていた。どうせなら熱燗がよかったなぁと不謹慎なことを考えつつ、ほろ酔い気分で家路についた。

平和といえば平和な元旦。今年も子供に振り回される予感のする幕開けだ。
2006/01/01(にちようび) はれ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:くくみ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]