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[ 拗音 ]
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息子が学校でひらがなの練習をしている。宿題も出る。ノートに同じ字を何度も書かせたり、プリントが配られたりする。
宿題はなるべく学童でやってくるように言っているのだが、なかなか難しい。今はうんていに凝ってるし。 7時過ぎに帰宅して、夕飯の仕度をしながら、宿題も見るのは至難の技。ああ、幽体離脱して、体はご飯を作り、幽体で宿題を見るとかできないものか。離脱した体は動かないのか、だめか。じゃあ影分身の術?NARUTOかよ。だめだってばよ!
で、ある日の宿題は「拗音」。つまり、小さい「ゃゅょ」のことですね。プリントに「ねじれることば」って書いてあって、なんでねじれるんだろうと思っていたが、「拗」というのは、「ねじれる」という意味があるんですって。へー。
「びょういん」「こうちょうせんせい」「あくしゅ」「きゅうきゅうしゃ」など、拗音を使う言葉が羅列されていて、それを見本どおりに書いていく。ちゃっちゃとやるように言いつけて、夕飯の仕度をしていたら、
息子「ママー、〈にゅうめん〉てなにー?」
私 「・・・・・・そうめんがあったかいつゆに入ってるもの」
息子「ふーん」
またしばらくして、
息子「ママー、〈にょいぼう〉ってなにー?」
私 「・・・・・・孫悟空が持っている武器。棒で、伸びたり縮んだりするの」
息子「ふーん」
宿題は大切だ。出されればちゃんとやらせる。しかし、声を大にして言いたい。
子供がわからない単語を無理やり出すなー!
2006/06/24(どようび)
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[ うんてい ]
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そんなアホ息子のマイブームは「うんてい」。
うんていというのは、よく校庭などにある、梯子状の遊具だ。学童が校内にあるので、毎日毎日、暗くなるまで校庭が使い放題なのだ。
一時期はのぼり棒に命を賭けていて、今ではサル並みにするする登れるようになった。
そして今度は、うんてい。 最初はひとつずつ進んでいたらしいが、慣れてくるとひとつ飛ばしをやったりして、何度も往復。たぶん、地面に足がついている時間よりぶら下がっている時間の方が多いかも。ナマケモノかよ。
当然、手にはマメ。マメが出来るほどうんていするってどうよ? 数日後にはマメが破れ、それでも続けて、もう彼のてのひらは7歳児のそれとは思えない。だから、うんていに命賭けてどうする。
そして、負けず嫌いの娘。 学校に連れて行ったら、兄に負けじとはだしでのぼり棒をのぼり始めた。3歳児でのぼり棒にのぼれるんだ・・・しかもかなり上まで平気でのぼっていた。まだ恐怖心とかないのか? やはり兄に似てサルなのか?
2006/06/19(げつようび)
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[ 連絡帳 ]
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保育園までは、連絡帳というのは、親が書いていたが、小学生ともなると、自分で書く。これが読めない。まだ古文書解読のほうが楽だ。ひらがなを習い始めたばかりの子に、連絡事項を書かせるのってどうよ?
休みの連絡などは、親が書いて近所の子に託すわけだが、学校からの連絡は、先生が口頭で言った(あるいは黒板に書いた)ものを連絡帳に書き写す。
連絡したい事柄の頭文字を書き、その下に内容を書く。これはどこの小学校でも大体同じらしい。 〈し〉なら宿題、〈れ〉は連絡、〈て〉は手紙・プリント類、〈も〉は持ってくるもの。
で、ある日、「〈し〉おんどく」と書いてあったので、ああ宿題は音読なのね、と思い、「〈て〉2まい」は学校だよりと保護者会のお知らせだった。 ところが、次が「〈も〉おんどく」。
私 「持ってくるものがおんどくって何よ?」
息子「え〜、わかんない」
私 「何か他のものなんじゃないの?」
息子「忘れちゃった」
私 「・・・・・・」
しょうがないので、同じクラスの男の子のママにメールで確認。
ママ友「うちは〈おんがく〉って書いてあるよ。〈おんがく〉って何?楽器?」
逆に訊かれ、余計にわからなくなる。
こういうときは、女の子のママの聞くべき。というわけで、同じクラスの女の子のママに問い合わせてやっとわかった。
答えは「おりがみ」
なーる。って、なぞなぞやってんじゃないっつの。「お」しか合ってないし。 息子に「おりがみだってよ」と言うと、「ああ、そうだった、そうだった」と急に思い出したようだ。・・・だめだこりゃ。
2006/06/15(もくようび)
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[ ハスキーボイスといえば ]
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風邪を引いて咽喉が痛く、声がハスキーになると、つい
「桂銀淑みたい?」
と思ってしまうのが、年齢がばれるのでやめとけとひそかに自分ツッコミをし、せめて中村あゆみにしておけと一瞬考えるが、それすら古いわけで、その連想で中村あゆみは確か名前変えたよなと思い出すのだが、なんと言う名前にしたのだったか皆目思い出せず、いやそれ以前にそもそも知らないのでは?と思い直す。
その間、約5秒。
で、最近のハスキー歌手と言えば誰?
2006/06/12(げつようび)
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[ おもらし ]
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娘が新しい保育園に入って、しばらくは泣くだろうと思っていたが、かなりてこずった。 毎日毎日、保育園につくとしがみついて離れない。むりやり引き剥がすと号泣。 というのを繰り返して、かなり精神的に追い詰められた。私が。娘は私の姿が見えなくなると、いつまでも泣いているわけでもないようで、帰りに迎えに行くとわりとケロッとしていて、拍子抜けをする。 まあ、それは1ヶ月くらいで、泣かなくなって、一安心だったんだけど、問題はおもらし。
新しい保育園で、何がだめってトイレがだめらしいのだ。前の保育園のトイレは教室の横にあって、そのまま入ればよかったんだけど、今度のはちゃんと「トイレ」として分離していて、しかもサンダルに履き替える。個室になっているわけではなく、低い仕切りがあるだけなので、恐いってこともないはずなんだけど、まあ、初めての場所なので臆したらしい。
で、娘は「とにかくぎりぎりまで我慢してまとめてもらす」という方式を編み出し、一日に2〜3回のおもらしをしてしまう。先生に相談したのだが、ここの保育園の教育方針が「強制はしない」ってことなので、むりやり便器に座らせたりしてくれないのだ。「行きたいときに行けばいい」ということらしい。
それにしたって、洗濯するこっちの身にもなってほしい。一日放置してあった(脱いでビニール袋に入れてある)パンツとズボンは臭いし、着替えはなくなるし、もうなんとかしたいと心底思っていた。 家では全くおもらしをしないのだから、新しい環境で不安な気持ちが「おもらし」という行為に出るのはわかる。だからなるべくスキンシップをとるようにして、少しでも早くおもらしがなくなるようにと、毎日それだけを祈って暮らしていた。 保育園の連絡帳にも、毎日毎日そのことばかり書いた。これでもかというくらい書いた。どうも職員会議の議題にもなったようだ。
そんなある日、おもらしをしなかったことがあった。が、よくよく聞くと、トイレにも行っていないという。一日我慢していたらしい。ことここに到って、このままじゃ病気になると先生に訴え、とにかくトイレに行かせるようにとお願いした。しかし、おもらしは続く。本人はあまり苦にしている風はなく、それがいいのか、悪いのか。
そして、月末の集金時の明細に「おむつ 300円」と書いてあり、とうとうおむつをはくことになったのか?! とびっくりして先生に聞いたところ、そうではなく、床にこぼれたおしっこをふき取るのに使ったということだった。貯めてからもらすので、雑巾じゃ間に合わないのかもしれない。それにしたって、おむつって・・・。 いつかは直るとわかっていても、渦中にあると非常につらい。とうとうだんなが娘にむかって静かにこう宣言した。
「どうしてももらすというなら、それはしょうがない。だから保育園にいる間はおむつをはきなさい」
うちのダンナはこうと決めたらゼッタイに実行するタイプ。それは娘にもわかっている。「明日、おもらしをしていたら、一緒におむつを買いに行こう」とまで約束させられて、いよいよ逃げ場のなくなった娘は、あっさりトイレへ行くようになった。よっぽどおむつが嫌だったようだ。
その日以来、おもらしは一度もない。彼女もきっかけを待っていたのかもしれないと思ったりした。
この話には、後日談がある。 ある日お迎えに行くと、娘が保育園のズボンをはいている。着替えは山盛り用意してあるので、おかしいなと思っていたら、先生がぴゅ〜っととんできて、
「今日、たくさん水遊びをして、替えのズボンを全部濡らしちゃったんですよ。ええ、おもらしとかじゃ全然なくて。水なんです!」
とこっちが何も聞く前に力説。 よっぽど恐いお母さんだと思われたんだろうなとちょっと苦笑。
2006/06/07(すいようび)
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[ 似てる ]
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前述の祖父は、私の父方の祖父なので、私の母とは一滴も血がつながっていないはずなのだが、この祖父と母がとても良く似ている。
上げていけばキリがないが、最近では、「孫相手に容赦ない」という共通項が浮かび上がった。
祖父は、勝負事に関しては「負けてやる」という思想のない人で、弟が小さい頃はよくこてんぱんに負かされて部屋の隅で泣いていた。 そして現在、母が私の息子相手にオセロをやって、勝っていた。私たち夫婦は負けてやったり、勝っても僅差という感じにセーブしているわけだが、母は全力投球。めったにやらないオセロで、力の入れ加減がわからなかったにしても、「負けてやれよ」というのが私の感想だ。
本当に祖父と母は似ている。
2006/06/03(どようび)
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[ ロシア語 ]
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ロシア語の同時通訳者だった米原万里さんが亡くなった。 彼女のエッセイは時に痛快で、時に膝が抜けるほどくだらなく、また同時通訳という職業の面白さやたいへんさが余すところなく書かれていてとても面白かった。
一時、TBSのブロードキャスターというニュース番組(バラエティ?)にコメンテーターとして出演していたが、他のコメンテーターが当り障りのないことを言うのに対して、米原さんは歯に衣着せぬ物言いで、それも見ていて痛快だった。
さて、私には4年前に亡くなった祖父がいる。この祖父が、まあ伝説に事欠かない人物で、いろいろ逸話があるわけだが、若い頃、東京外語大でロシア語を専攻していた(らしい)。 本人がそういうんだから、そうなんだろうが、証人がいるわけでもなく、祖父の話は話半分に聞いておかないと、結構だまされる。うそつきというわけではないが、ホラを吹く。 同じ時期に、中央大学にも在学していて、のちに弁護士になったのだから、二足のわらじをはいていたことになるが、あの祖父がそんなに勤勉だったとは思えないのだ。
まあそれはそれとして。 なぜ祖父がロシア語を習おうかと思ったかというと、子供のときに樺太に住んでいて、近所にロシア人も住んでいたからという理由らしい。 私が子供の頃に何度も聞いた話があって、ロシア人の家に遊びに行き、ドア(と言っても戦前なので引き戸)をガラガラっと開けて、ロシア語で「こんにちわ」だか「ごめんください」だかというのだそうだ。
祖父「戸をガラガラっとずらしながら言うからロシアの挨拶は〈ズラーステ〉と言うんだ」
ウソだ。瞬間的に思ったね。そんなダジャレなわけないだろう、と。
しかし、後年、米原さんのエッセイで「ロシア語の〈こんにちは〉は日本語の〈ズロース一丁〉に限りなく近い」という記述を読み、祖父の言ったのもあながち間違っていたわけでもなかったのかと反省した。
とか言うと、祖父があの世で図に乗るので、あまり褒めるのもどうか。
2006/06/01(もくようび)
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