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[ 行方不明 その2 ]
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それは、学童のキャンプでの出来事。 息子の学童では、毎年、夏休みにキャンプへ行く。保護者も参加できるので(というか私が保護者会のキャンプ係なので)、家族みんなで参加した。
キャンプ場の近くには川が流れていて、子供たちは川遊びをする。手の空いている大人は見張りをするわけだが、私はキャンプ係で、その日の夕飯当番でもあったので、あちこちうろうろしていて、川へ様子を見に行ったり、スイカ割りの準備をしたりしていた。
娘はみんなと一緒に川の浅瀬で遊んでいたが、急にママ(私のこと)がいないことに気づいて、一人でバンガローに探しに行ってしまったのだ。
はっと気がつくと娘の姿がなく、他のお母さんが「そういえば小さい子が戻っていく後姿を見たような……」というので、慌てて戻った。
川は二股に分かれていて、岸に近い方は浅く、中州を挟んで奥が深くなっていた。私は運動靴をはいていたので、行きは浅瀬を選び、濡れないように深い方へ行ったりしていたのだが、娘を探すときはとてもそんな余裕はなく、最短距離をじゃぶじゃぶと越えて戻っていった。
バンガローのほうから、別のお母さんがこちらに向かってくるのが見えたので、
「うちの子、そっちに行ってない?」
と大声を張り上げて聞く。
「見かけなかったけど、探してみるよ、名前は?」
「まお。よろしく!」
そのお母さんは、踵を返して、戻っていく。続いて私も追いかける。
昼下がりのキャンプ場は、しーんとしていて、何か不穏な空気をかもし出している。
「まお!」
大声で呼ぶと、「こっちにいたよー」とさっきのおかあさんの声がする。そっちを見ると、べそをかいた娘がいた。
「何やってるの!」
「……」
「ママを探してたみたいよ」
見つけてくれたお母さんが、事情を聞いてくれたようだ。
とにかく、ひと安心で、全身から力が抜けた。 ほんとに一瞬目を離したらこうだ。事故っていうのは、こういう瞬間に起こるんだろうなぁと痛感した。
友達は、親としての経験値が上がったねと言ってくれるが、とにかく寿命が縮まった。白髪がまた増えた気がする。
どうしてうちの子は揃いも揃って、勝手な行動をするのか。 それはひとえに私のしつけがなっていないからでしょうか。
2007/08/28(かようび)
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[ 行方不明 ]
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夏休み直前、日が長くなってきたからと学童のお友達が次々と一人帰りをするようになった。
息子は今まで、私の父が迎えに行ってくれていたのだが、スイミングのある日は一人帰りをしているのだし、明るいうちに帰れば大丈夫だろうと、夏休みになってすぐに息子も一人帰りをするようにした。
その初日のことだ。 いつものように会社から定時に帰り、最寄駅についたのを見計らったように、父から電話が入った。
「涼がまだ帰ってこないんだよ」
「え? どういうこと?」
我が家のある地域は、夕方になると、帰りの音楽が各所で鳴るようになっていて、季節によって時間が微妙に違う。夏場は5時半に鳴る。その音楽を合図に帰るように息子には言ってあった。こちらで帰る時間を決めても、遊んでしまうと時間がわからなくなるので、チャイム代わりの音楽を合図にしようと思ったのだ。
学校から実家までは、子供が普通に歩いて20分くらい。息子はタラタラ歩くので、多めに見積もって30分。 しかし、父から電話があった時点ですでに6時半だった。確かに遅すぎる。なにやってんだ、あのバカ。
一人帰りとは言っても、何人か同じ時間に帰る友達がいるので、その子の家に電話をかけてみたところ、その子はもう在宅で、確かに5時半に一緒に学童を出たという。しかし、そこからが問題で、息子は途中で違う道を行くはずが、みんなと一緒に帰ったというのだ。それは、実家とは反対方向の自分の家の方角だ。 まさか、あれほど「じいじの家に帰るように」と言い聞かせたのに、自分んちに帰ったのか?
とにかく父には家のほうへ行ってもらって、私はまず娘のお迎えだ。それから実家へ向かった。途中でたまたまお巡りさんとすれ違ったので、よっぽど「うちの息子が行方不明なんです」と言おうかと思ったのだが、いやいや早まるなと自制する。
そんで、実家に行ってみたらば、玄関が開いていて(それは、入れ違いで帰ってきたら入れるようにと父がわざと開けて行ってくれたものだが)、中に入ったら息子が一人で居間でテレビを見てるではないか!
「あんた、何やってるの! どこに行ってたの!」
ホッとしたと同時に怒りが湧いてきて、怒鳴りつけた。 息子はキョトンとした顔をして、
「帰ってきただけだよ」
という。そうこうするうちに父も戻ってきて、私は怒るし、父はへとへとになっているしで、息子にも徐々にどうもまずいことをしたようだ、という認識ができてきて、べそをかいた。本人は悪いことをしたという意識はなかったみたいだ。
一緒に帰った友達と、楽しいもんだから、途中まで、あとちょっとだけと思いながら、ぐるーっと遠回りをしたのだ。最終的に帰っていれば問題ないだろうと気楽に考えたわけだ。
まあ、初日にやらかしてくれたおかげで、その後の教訓になったと思えば、結果オーライだけれど、まあ肝の冷えた出来事であった。 父はただでさえ血圧が高いのに、さぞや上がったことだろうと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
そして、第二の行方不明事件が!
つづく……
2007/08/27(げつようび)
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[ 命がけ ]
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暑い。暑くて日記どころじゃないっつの。
こんなに暑い中、仕事で外に出る用事があり、ゾンビのようにでろでろになりながら、駅前を歩いていたらば。
「すいません」
おじいさんに声をかけられた。いやな予感。
「はい、なんでしょう」
「ここへ行きたいんだけど、どう行けばいいのかわからなくて」
……。
自分でも、ある意味すごいと思うの。 この私の「どんな状況でも必ず道をきかれる能力(?)」をどうにかして平和利用できないものか。なんなら金儲けでもいいぞ。
今回はかなり気合が入っていた。 というのも、そのおじいさんは「補聴器センター」とかいう場所に行きたいとのことで、地図を持っていた。その場所は、駅をはさんで真反対にあり、この暑さの中、駅まで戻ってさらに向こう側へ行くのは、年寄りにとって死にに行くようなものだと思いつつ、どうしようもないので、説明を始めたが、補聴器センターに行きたいくらいだから、そのおじいさんは耳が遠いのだ。それもかなり。
「この地図で言うと、今いるのがここで、駅があそこだから、この道をまっすぐ行って、ガードをくぐってから左です!」
と道ばたで大声を張り上げて教えるも、
「ちょっと耳が遠いもんで。あれですか、この向こう側ですか?」
「いえ、ですから! このまままっすぐに…」
「は? ちょっと耳が遠いもんで。この信号を渡ればいいの?」
「違います! ガードを越えて…」
炎天下、道ばたで大声を張り上げて、身振り手振りで説明するワタクシ。
志村けんのおばあちゃんコント「あたしゃ神さまだよ」を久しぶりに思い出したりした昼下がり。
とにかく駅の反対側だということはわかってもらえたようだった。やれやれ。
その日の東京の気温。37度。ここで一句。辞世の句じゃないよ。
人助けも命がけなり炎天下 典子
(季語は炎天下?)
2007/08/22(すいようび)
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