7:ひめゆりの塔(戦争)

 沖縄では、太平洋戦争の際に日本で唯一地上戦が行われた。読谷から上陸してきた米軍は、北方面と南方面に別れて進軍を続けた。島の北方面は日本軍が配置されていなかったことから、抵抗もなく占領し、島民は捕虜として収容されることとなった。しかし、南方面は日本軍が徹底的な抗戦を続け、島の南に避難していた住民を巻き込んだ悲劇が繰り広げられることになる。ひめゆりの塔はそんな沖縄戦の悲惨さを象徴する戦跡である。
 太平洋戦争中に女学生が従軍看護婦として動員されて結成されたのがひめゆり部隊であった。1945年3月に、女学生約220名と教員18名が南風原陸軍病院に配置され、看護死体処理の仕事に従事した。しかし、日本軍の敗走により、ひめゆり部隊にも解散命令が出た。この解散命令後、女学生のほとんどが命を絶つことになった。
 ひめゆり平和祈念資料館は、沖縄戦の色々な資料が残る。証言集は胸が熱くなり涙がこぼれる。


関係した曲:平和の琉歌


沖縄MAPを表示