2/47:大分県完乗記   2006年4月3日(月)


−あらすじ−

 先月の佐賀県完乗に気を良くし次に完乗できそうな県を探していたところ、福岡県と大分県が候補となった。春の18きっぷは残り1回分。福岡県は私鉄中心になることから、18きっぷのオフシーズンでも問題ないと決め、JRでもまだ未乗区間が残っている大分県へと向かうことにした。それに日田彦山線は福岡県部分にも未乗区間が残っているので一石二鳥だ。

 あまり知られていないことだが、大分県は日本で唯一(普通鉄軌道の)私鉄が存在しない、要するにJRしか走っていない県である。(高千穂鉄道が廃止になってしまった宮崎県も現在私鉄は走っていないことになるが、神話高千穂トロッコ鉄道株式会社として復活する動きもあるため微妙なところである)
 そんな大分県に存在する私鉄は普通…でない、鋼索軌道(ケーブルカー)と索道(ロープウェイ)で、いずれも別府市内にあり、岡本製作所が運営する遊園地の別府ワンダーラクテンチへのアクセス用の「別府ラクテンチケーブル」、それから近鉄が運営する「近鉄・別府ロープウェイ」がある。

 全線完乗を目指すなら、索道(ロープウェイやリフト)も乗車対象とすべきだろうが、索道はとりわけリフトの難易度が高く、スキー場にあるものなどはとてもじゃないが乗ったとしても帰ってこれない。そのため鋼索(ケーブルカー)までは乗車対象、索道(特にリフト)は非対象としている人も多い。スキーは1度しかやったことがなく、初級コースでさえ転がり落ちてくるような九州生まれの自分にとってもこれは都合が良く、乗りつぶしに際してはこのルールを採用することにしている。

 いよいよ春本番。桜も満開に近く、天気にも恵まれた2006年4月3日。大分県のJRで未乗区間が残っている日田彦山線と鋼索の別府ラクテンチケーブルを乗りつぶす旅に出かけた。


1.博多7:00発→別府9:26着 特急ソニック3号 大分行き(橙色が乗車車両、以下同じ)
←別府 (博多〜小倉間逆編成)
クロハ882
−6
サハ 883
−206
モハ 883
−206
サハ 883
−6
クモハ883
−6
 北ミフ

 いつものように地元のバス停からバスに乗り、博多駅へとやってきた。ここから18きっぷを使用して別府まで向かうとそれだけで半日は費やしてしまうので、別府まで特急ソニックを利用する。すでに某所で博多〜別府・大分の4枚きっぷをバラで1枚手に入れており適当な窓口で指定券の発行を受けるだけなのだが、今はピーク期ということで4枚きっぷで指定を受けるにも500円の追加料金が必要となる。それなら…と、あと1000円程度追加して(200キロまで1530円)新しくなった883系ソニックのグリーン車を体験してみることにした。

 九州新幹線開業に伴う博多駅リニューアル工事のため旧2番線が1番線となったホームにあがるとすでにビジネススーツに身を固めた人たちがソニックの自由席の乗車口に列をなしていた。一方、グリーン車半室指定席半室の1号車の乗車口にはぼくの他は、初老のおじさんが一人待っているだけだった。JR九州が2枚、4枚きっぷでも少ない出費で利用できるよう促進しているグリーン車も、やはり敷居が高いのだろうか。

 しばらくすると、竹下方からリニューアルされ青く塗り替えられた883系ソニックが5両で入線してきた。車内もリニューアルされており、シートはかなり落ち着いたものになっている。ヘッドレストの形がわずかにかつての883系の面影を残しているようだ。
 結局、グリーン車は博多から乗車した3人だけだった。グリーン車利用の乗客だけが利用できる運転席後ろのパノラマ・キャビンはかぶりつきに最適だ。小倉で進行方向が変わり先頭車となった1号車。別府までパノラマ・キャビンで前面展望を楽しんだ。ここにいると運転士の一挙手一投足までよく分かる。運転席横のモニターには今走っているところや次の通過駅の情報が表示されている。停車駅が近づくと「ピンポーン、停車です。ピンポーン、停車です。…」というのまではっきりと聞こえてきた。

    


    


2.ラクテンチ下10:00発→ラクテンチ上10:03着 ラクテンチ上行き
←ラクテンチ上
LIGHT
ライト

 あらかじめ地図で確認していたので、ラクテンチの方角となる別府駅西口へとでる。駅からラクテンチへはバスが出ていると時刻表に書いてあったが、路線図を見てもそれらしき路線は見あたらない。地図で見たところ歩いても行けなさそうな距離ではなさそうだったので、気候もいいし歩くことにした。あまりにも遠いなら帰りはタクシーを利用してもいいだろう。
 てくてく歩いていると、途中で山肌に「ワンダーラクテンチ」と書かれている看板が目に入ってきた。黄色と赤の2つのケーブルカーも見えてきて、それを目指して住宅地を抜け歩き続けること約20分。おとぎ話にでてくるお城のようなラクテンチの入口に到着した。

    


 切符売り場で切符を購入。ケーブルカーの乗車券だけ、というのは買うことが出来ず遊園地の入場券とケーブルカーの乗車券がセットになった1000円のとくとくパックBというのを買い求め、改札口に並んだ。周りは小さな子供を連れた家族連ればかり。そんな中で、車両の撮影をしたりするテツなぼく。。。改札口のところには「鋼索鉄道事業免許」が誇らしげに掲げてあり、これが鉄道であることを確かに証明していた。

 ところで、鉄道だというのに駅名標がどこを探しても見あたらない。時刻表やまっぷるなどの道路地図には下の方の駅を「ラクテンチ下(らくてんちした)」駅、上の駅を「ラクテンチ上(らくてんちうえ)」駅と書いてあるが、国土交通省に届けられた正式な駅名は下が「雲泉寺(うんせんじ)」駅で上が「乙原(おとばる)」駅というらしい。

 10時ちょうど。こんなかわいい鉄道でも時刻表の時刻通りに発車。55.8パーミル(‰)のケーブルカーならでは急勾配を上り、途中ちょうど路線の真ん中のところで下りのケーブルカーとすれ違う。子供たちでいっぱいの車内はにぎやかで、後方のすみっこにどうにか乗り込みかぶりついていたが、別府市内とその先の別府湾が綺麗に見渡せ絶景だった。
 そんなラクテンチケーブルの営業キロは0.3キロ(免許には253.5メートルとある)、わずか3分でラクテンチ上(乙原)駅に到着した。

    


 ケーブルカーを降りると、そこはもう遊園地の中。ケーブルカーの乗車券が単体で売られていない理由がよく分かった。

 さて。「別府ワンダーラクテンチ」は、福岡でいうと「だざいふえん」や「かしいかえん」みたいな小さい子供向けの遊園地らしい。ざっと園内の案内板を見渡しても、大人が、ましてやテツが一人で行くところなんか到底なさそうだ。かといって、このまま戻るのもなんだか申し訳ないので、かわいい遊園地を歩いてみることにした。ほとんど満開に近いサクラやあひるレース、ペンギンやロバなどをみてると癒されてきた。

    

    

 行きは黄色いライト号というのに乗ったので、帰りは赤いスター号というのに乗ろうと思い改札へ行くと、黄色いライト号がいた。まだまだお昼前、こんな時間に帰る人などまったくおらず無人のまま下っていった。そして入れ替わり赤いスター号がやって来た。

 乗る前に車両の写真を取っていると、黄色いジャンパーを着た運転士(操縦士というのだろうか?)の人が話しかけてきた。どこから来たのか尋ねられたので福岡から来て、鉄道の乗りつぶしをやっていると答えたら、なんと「中を見ていくかい」といわれた。
 運転室は関係者以外立入禁止の表示が掲げてありお願いしてもそうそう許してもらえるものでもないだろう、そんな願ってもみないできごとに、言葉に甘え運転室の中を見せていただくことにした。
 中はモーターが2つ、それから大きな車輪のようなものがありこれが各車両とワイヤーで繋がっていて、片方を引っ張って登ると、もう片方が降りていくという形で運転されるのが鋼索鉄道(ケーブルカー)だ。車内には、緊急用に備えて女性のスタッフが乗務しているが、運転しているのはこの頂上の運転室にある運転士。邪魔にならないように遠くから見守っていると、「そんなところからじゃ見えんやろ。もっとこっちにきな」とすぐ脇まで呼んでくれた。ケーブルカーの運転というのは初めてみたが、左手にマスコン、右手にブレーキ(足下に非常ブレーキ)があり、スピードメーターまで付いているその様はまさに鉄道そのものだ。
 昭和4年製の機械がいまだに現役で動いていることやブレーキには万全を期してあり(下りケーブルカーをおろすときにワイヤーの回転率が通常の130%になったら、重りが落ちて非常ブレーキがかかるようになっているらしい)安全な乗り物であるということを誇らしげに話してくれた。この仕事を本当に楽しんでいる気がして、こっちまで嬉しくなってしまう。
 運転室に呼ばれて運転を見せていただいたため赤いスター号は行ってしまい、再びやって来たのは黄色いライト号。帰りは赤い方に乗りたい旨を伝えると、こういうテツはよく訪れるのだろう、全てを分かっているらしくもうひと運転見せていただいた。
 そして、希望の赤い方がやって来た。お礼を言って乗り込もうとすると、「またおいで」と笑顔でいってくれた。正直遊園地に足を踏み入れたときは「こんなところ(ラクテンチケーブル)は最初で最後だろう」と思っていたが、ぜひもう一度訪れようと思う。

 だた。最後に付け加えられた「そのときは、もうこれも自動化されているかもしれんね」と寂しそうな姿が心に残った。

    


3.ラクテンチ上11:02発→ラクテンチ下11:05着 ◆臨時 ラクテンチ下行き
←ラクテンチ下
STAR
スター

 希望の赤いスター号で下る。今日は春休み期間ということですでにダイヤ通りの時刻ではなく臨時扱いにして随時発車しているようだ。そんなピストン運用ならこれはぼくの貸切だろうと思ったら、老夫婦が一組乗ってきた。ちょっとサクラでも見に来てもう帰るところなのだろう。

    


−.ラクテンチ11:19(11:23)発→別府駅11:31(11:35)着 亀の井バス [15]別府駅行き

 別府駅前では路線図に載ってなく乗車できなかったが、こちらはすぐ目の前にバス停があった。バス停には大きく別府駅行き乗り場と書いてあり、間違いなさそうだ。バスは4分ほど遅れてやって来た。別府駅まではどういうルートを通るのだろうと思ったら、別府駅の東側にある北浜(バスセンター)の方を通って、駅の東口へと到着した。こちらの方が駅の表玄関と言った感じでバスの本数も多い。到着がここということはラクテンチ行きもこちらから発車なのだろう、西口からは乗車出来ないのも納得だ。

    


4.別府11:46発→大分12:01着 普通639M 大分行き
←大分
クハ 411
−209
モハ 414
−109
モハ 415
−109
クハ 411
−109
 分オイ

 別府駅で18きっぷに5個目の入鋏のハンコを押してもらう。ホームにあがるとすぐに大分行きの普通列車がやってきた。車内はボックスは全て埋まっていたが、他は空席も目立つ程度の乗車率。海沿いの綺麗なところを走り、15分で大分に到着する。

    


5.大分12:09発→由布院13:17着 普通4842D 由布院行き
←由布院
キハ 220
−1501
 分ホウ

 大分ではすぐの乗り換えで由布院行きに乗り換える。真っ赤なキハ220形はキハ200形を単行にしたような感じで、車内はロングシートが並んでいるが全て埋まって立ち客もいる乗車率。単行ワンマン列車は運転席のすぐ横が絶好のかぶりつき席なのだが、そこは先客がいるので後ろのかぶりつきを楽しむことにした。駅ごとに乗客が減っていき、すぐに着席できた。すでに乗ったことのある区間なので、リラックスして列車の揺れに身を任せていると、小野屋(おのや)という駅で特急との行き違いのため10分ほど停車するとの案内があった。

    


 大分で忙しかったので改めてこの列車の写真を撮って、ついでに改札の外にも出てみた。小野屋駅は木造の古い建物にもかかわらず事務室には駅員もいて乗車券発行用だろうかパソコンも設置してあった。駅から外に出てみれば、木造駅舎とは切っても切り離せない丸いポストもそこにあった。

    

 大分で慌てて乗り換えずとも次の列車で来てもよかったのだが、ここ由布院にはどうしても試しておきたいものあった。それは駅のホームにある足湯。無料というわけではなくどうやら足湯券(160円)というのが必要らしい。一度駅を出ると、駅前から一直線延びる道沿いにはおみやげ物屋が立ち並び通りには馬車が闊歩し、いかにも観光地という趣だ。目の前には豊後富士と呼ばれる由布岳が綺麗に見えた。

 足湯券は、駅のコンコースの一角で売られていた。足湯券というのは便宜上の呼び名で括弧書きで書かれていて、正式名称は由布院駅入場券というようだ。なるほど駅のホームにあるから入場券をかねているのかと一人納得した。しかしながら普通のきっぷ(18きっぷも含む)を持っている人も足湯を利用するには足湯券(入場券)がいることになる。こういう観光地の記念行事に文句をつける者などはいないだろうが、その申し訳用にか足湯券には「ゆふいん驛」と印刷された特製のタオルが付いてくる。足湯券そのものも絵はがきになっており、これなら普通のきっぷを持っている人も納得だろう。

    

 ちょっとばかりぬるい足湯だったが、今日は気候がいいのでちょうどいい。駅には「赤い220形」「緑のキハ58系トロッコ列車、TOROQ」「黄色いキハ125形」が停まっており、テツにはたまらない目の保養になった。足湯には葦簀(よしず)で囲まれた女性専用もあるので、足をさらすのはちょっと…という女性にもお勧めできそうだ。もっともみな見晴らしのいい開放型の共用(混浴?)部分に入っているような感じだったが。

    


6.由布院13:59発→夜明16:01着 普通1856D 久留米行き
←夜明
キハ 125
−7
キハ 125
−10
 分ホウ

 由布院から乗車した久留米行きは大分が始発で、久大本線に上り下り各一本ずつ存在する全区間を走り通すロングラン列車だ。そんなロングランだからだろうか、途中でものすごい休憩をしたりする。それが豊後森駅。14時32分に到着し、15時16分の発車まで44分も停車する。停車後すぐに後発のゆふ4号が追い越していき、またすぐ後に行き違いの大分行きも発車する。何のための停車なのかよく分からないが、これだけあると駅から少し離れたところまで足を伸ばせるから少し歩いてみることにした。
 到着前に見かけた、駅本屋と反対に広がるだだっぴろいところにあった廃墟が気になっていたので行ってみる。そこはかつての機関庫で、錆付いた転車台と扇形の車庫がいまなお残されていた。

    

 再び徒歩で戻ってきても発車まではまだ10分以上もあった。普通の用務客でも乗り通している人がいて、みなかなり退屈そうにしていた。
 豊後森を出ると長く停まっても2分程度といたって普通の運転で、筑後川や国道210号線と並んで走っていく。九州の小京都、日田を過ぎて2駅、日田彦山線への乗換駅となる夜明(よあけ)で降りる。

    

 夜明はぼくの好きな駅の一つで、筑後川沿いで道路からも階段を登って行くような作りになっており、そのたたずまいというか雰囲気がすごく気に入っている。もちろん赤い丸ポストも健在だ。その夜明駅には旅ノートがあり、ちゃんと管理人の人がいて管理されている。心ない人によって持ち去られたりもしたようだが、管理人さんによってバックナンバーのいくつかはコピーされたものが置かれており、去年の11月に始まった最新号はちゃんとそこに置かれていた。
 中を見ると、稚内から一筆書きの旅をしていて明日肥前山口でゴールを迎えるという人、30泊オール駅寝の旅をしている人、普通に訪れた家族連れや原鶴温泉に泊まる予定だという女性グループ、毎日の利用者で書き込みを楽しみに読んでいる人などその他多数の書き込みがあり、強者から一般人に至るまで幅広く愛されている駅だということが分かって嬉しかった。
 もちろん記念に自分も書き込んだ。それにしてもこの旅ノートはおもしろく、乗り換え時間は40分以上あるがこれを読んでいるだけで終わってしまいそうなので、ある程度のところで切り上げ駅前を散策してみた。

 夜明駅は国道から少し離れており、時折駅前の一般道をもの凄いスピードで車が走っていく他は実に静かなところだ。駅前にはこじんまりとした商店があり、ここで乗車券をお買い求めくださいとの看板があった。売られる切符は簡易乗車券というものらしいが、夜明駅の発行というのは非常に貴重だ。さっそく店内にはいるとおばあさんが店番をしていた。大分県完乗の記念にと、大分を出て最初の福岡県駅である宝珠山(ほうしゅやま)まで求めることにする。さすがに駅名が書かれたものではなかったが、普通のJR九州の駅で押して貰える入鋏印が押されそこから220円区間という紙製の切符だった。ハンコのインクがとても綺麗であまり買い求める人がいないのだろうか。それでも、ちゃんと日付が4月3日になっていた。あたりまえのことかもしれないが。

    


7.夜明16:44発→田川後藤寺17:45(17:48)着 普通974D 田川後藤寺行き
←田川後藤寺
キハ 125
−23
 分ホウ

 やがて何の案内もない無人の駅に、単行のキハ125形がやって来た。田川後藤寺行きでこれに乗車すれば日田彦山線、そして大分県も完乗だ。
 乗り込むと意外にも乗車率は良く立席での乗車となったので、一番前にかぶりついていく。前面から見てると日田彦山線は踏切が警報機も遮断機もないようなものが多い気がする。そして大分県最後の駅となる大鶴に到着。ここで学生が多数降りていった。県が変わるのでここまでが通学範囲なのだろう。それから一駅、県境にしてはわりと平坦なところを走り、宝珠山へと到着した。駅名標を見ると「福岡県朝倉郡東峰村(とうほうむら)」と書かれていて、県が変わったということを実感できる。やはり駅名標に駅の所在地が書かれているといい。

    

 宝珠山をでると、県境は越えたというのにとたんに山間に入る。軽快ディーゼルカーのキハ125系にとっても難所らしく、いままで聞いたこともないようなエンジン音を響かせて頑張って登っていく。やがてエンジン音が静かになった。頑張って登った分をくだり、平野になるとだんだん住宅が増えていく。田川後藤寺には3分ほど遅れて到着した。


8.田川後藤寺17:48(17:50)発→新飯塚18:09着 普通1558D 新飯塚行き
←新飯塚
キハ  40
8103
 北チク

 田川後藤寺到着時点で新飯塚行きの発車時間を過ぎていたが、接続列車になっているのだろう、しっかり待って全員が乗り換え終えたところで発車した。ダイヤにはゆとりがあるのだろうか、終点新飯塚に到着する頃にはすっかり定時に戻っていた。

    


9.新飯塚18:13発→博多18:57着 快速4659H 博多行き
←博多
クハ 816
−1014
クモハ817
−1014
クハ 816
−18
クモハ817
−18
 北ミフ

 新飯塚ではすぐ発車する普通列車が停まっていたが見送ることにする。なぜならこの3分後に快速がやってくるからだ。快速が込んでいたら、次の飯塚で普通を追い越すだろうから乗り換えてもいいだろうと考えていたら、何のことはない、快速もがらがらだった。木製の転換クロスに座布団のような感じでシートが敷かれた座席にゆっくり座って、博多へと戻ってきた。

 2006年春の18きっぷもこれで終了。どの旅もほぼ予定通りにいき、JR九州の未乗区間もいよいよあと宮崎空港線の1.4kmを残すのみとなった。

 1ヶ月に渡って付き合ってきたこの春の18きっぷ。最後に博多駅の下車印を押してもらう。昼間はあんなに暖かかったのに日が落ちてだいぶ寒くなって来たようだ。足早にバス停へと向かい、帰宅の途についた。

    




<2/47:大分県完乗記・おわり>



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