1/47:佐賀県完乗記   2006年3月12日(日)


−あらすじ−

 全線完乗だなんて遠いところにある夢みたいな話も「千里の道も一歩から」。まずは地元固めから・・・と、おとなり佐賀県の鉄道を乗りつぶすことにした。
 すでに完乗済みの「長崎本線」「佐世保線」「鹿児島本線」「甘木鉄道」、そして今日乗車予定の「筑肥線」「唐津線」「松浦鉄道」を乗りつぶせば、佐賀県を走る鉄道は全て乗車したことになる。
 松浦鉄道は遠く国鉄松浦線時代に完乗はしているものの、正確な日付はいつなのか思い出せず、運営会社も変わってしまったことから、再履修もかねて乗車することにした。

 3月も半ばに入りようやく暖かくなってきたと思いきや、この日の天気予報は「くもりときどき雪」。厳冬だったこの冬の寒さが残る3月12日、友人のかめよんさんとともに、佐賀県完乗の旅に出た。



 なお、今回も白地図に鎌田輝男さん制作のフリーソフト「白地図KenMAP ver.8.1」http://www5b.biglobe.ne.jp/~t-kamada/を使用させていただきました。


1.西新7:03発→博多7:17着 普通622C 福岡空港行き(橙色が乗車車両、以下同じ)
←博多
クハ 103
−1514
モハ 102
−1514
クモハ103
−1514
クモハ102
−1513
モハ 103
−1513
クハ 103
−1513
 北カラ

 地元のバス停からバスに乗り、今日は直接博多駅へは向かわずに、西新(にしじん)から筑前前原(ちくぜんまえばる)が最寄り駅というかめさんと同じ列車に乗り合わせて博多駅へと向かう。携帯メールに4号車に乗っていると連絡があったので、4両目(クモハ102−1513)に乗車。2分ほど遅れて到着した福岡空港行きはJR九州の103系1500番台。名前こそ103系とつけられているものの前面は105系、内装は201系といった感じの変わり種電車で、九州では唯一直流区間である筑肥線から福岡市営地下鉄1号線へと乗り入れている。
 車内は日曜の早朝の列車にしては混み合っていたが、かめさんの姿はなかった。とりあえず、前の方へ歩いていくと3両目の4号車に立っていたかめさんと無事に合流。どうやら、「4号車」と「(前から)4両目」を勘違いしてしまったようだ。
 空港へと向かう大きな荷物を抱えた人たちと入れ替わるようにして、博多駅へ降りた。

    


2.博多7:34発→鳥栖8:05着 快速1391M 荒木行き
←鳥栖
クモハ813
−212
サハ 813
−212
クハ 813
−212
クモハ813
−204
サハ 813
−204
クハ 813
−204
 北ミフ

 18きっぷに入鋏のハンコを押してもらいホームへとあがる。8番線にやってきたのはおなじみの813系9両編成だったが、ここで前6両と後ろ3両を切り離し、前6両が快速荒木(あらき)行き後ろ3両が普通熊本行きとなるようだ。車内はかなりすいていて、転換クロスの適当な場所をボックスにして座る。鳥栖までは30分、特に目新しい車窓でもないのでかめさんといろいろ談笑して過ごす。こういうときは同行者がいるといい。

    


3.鳥栖8:13発→佐賀8:37着 普通2833M 佐賀行き
←佐賀
クモハ813
−103
サハ 813
−103
クハ 813
−103
 北ミフ

 鳥栖駅で待っていた佐賀行きも813系。いい電車だけどこればっかりになってしまうのも味気ないなあと、わがままなことを考えながら乗り換える。車内は学生がほとんどで3両でも十分座ることができた。途中駅で降りる人はなく、みんな佐賀まで行くようだ。

    


4.佐賀9:02発→西唐津10:19着 普通5827D 西唐津行き
←西唐津
キハ  40
2068
キハ  47
1510
 北カラ

 佐賀に着くと、3番線にはすでに西唐津行きのディーゼルカーが止まっていた。ホームには反対側から出る博多行きの「白いかもめ」を待つ人が列をなしている。が、こちらの少しばかりくすんだ「白い西唐津行き」にはドアは開いているにもかかわらず乗っている人はほとんどいない。
 一度、改札を出て食料を確保したあと車内に戻ってくると、発車時間が近くなった頃にようやくぽつぽつ席が埋まってきた。

    

 9時02分。2両のディーゼルカーはゆっくりと発車した。鍋島、久保田と停車し唐津線へと入り、車窓はすっかり佐賀平野らしいクリークが流れる田園地帯が続き、多久(たく)を過ぎて笹原峠をトンネルで抜けるとちょっとした山間といった感じになる。
 そういえば、九州は駅名標に「○○県○○市」と駅の所在地が書かれているものがまだまだ数多く残っていて嬉しくなるが、古びた木製の駅名標の「東松浦郡厳木(きゅうらぎ)町」や「東松浦郡相知(おうち)町」と書かれていたところに上から真新しい「唐津市」と印刷されたシールのようなものが貼ってあるのをみると、単に駅名標を新しく立てるだけのお金がないのかもしれない。

 そんな合併で広くなった唐津市を中心部へ向かって走り、右から筑肥線(東線)が近づき筑肥線(東線)だけにある和多田駅のところでいっしょになったあと、高架を併走し唐津へと到着する。そして唐津から一駅、終点西唐津は駅の先に車庫があるため線路はまだ続いていて、行き止まりの駅という感じはしなかった。

    


5.西唐津10:30発→唐津10:33着 普通332C 筑前前原行き
←唐津
クモハ102
−1513
モハ 103
−1513
クハ 103
−1513
 北カラ

 駅前を少し散策し(横断歩道を渡って戻っただけ)ホームに入ると車庫から103系が短い3両編成でやってきた。がらがらの車内に乗り込み車号をみると「クハ103−1513」とある。あれ?と思いもしかして…、と前の方に歩いていくと果たして先頭の車両は今朝西新から4両目として乗った「クモハ102−1513」だった。ぼくたちが佐賀周りで唐津にやってくる間に、こいつも福岡空港から戻ってきていたわけだ。相方(残り3両)の1514はどうしたんだろうと思っていると、ホームの向かいにある待避線で作業員の人たちに丁寧に手洗いで洗車されていた。
 そんな運命の再会を果たした1513(E13編成)だったが、乗車するのは一駅。3分ほどで唐津に到着する。

    

 唐津に到着し、伊万里行きを待っていると向かいのホームに唐津止めの筑肥線の列車が到着した。折り返し、博多・福岡空港方面へと行くのかと思ったら怪しげな方向幕(行き先)を表示して、博多の方へと去っていった。

 その列車の方向幕に書かれていた文字は、「回送(各停)」

 乗車できない「回送」に各停もなにもあったもんじゃないような気もするが、同行者のかめさんによれば「回送(快速)」というのも存在するらしい。回送でも他の列車の邪魔にならないように各駅に停車しながら回送していくのと、途中停まらずに快速で回送していくのとあるのだろうか。何にしても謎な方向幕だ。

    


6.唐津11:05発→伊万里11:57着 普通2529D 伊万里行き
←伊万里
キハ 125
−4
 北カラ

 伊万里行きの普通列車は発車5分ほど前に西唐津から回送されてきた。西唐津の先にある車庫からやってきたのだろうが、どうせなら回送じゃなくて営業してくれれば西唐津から乗れたのに、と思う。
 やってきたのはキハ125形と呼ばれる黄色いディーゼルカー。最近の車両にしては珍しく窓の下に小さなテーブルがついていた。そんなテーブルのついたわずかに存在するボックス席に腰を下ろすと、ローカルムードたっぷりだ。

    


 キハ125形の加速は非常によく、すいすいと走っていく。筑肥線はかつては博多から伊万里まで一本の路線だったが、唐津市内で大規模な線路の敷き直しが行われ唐津線とともに整理されたような形になり、唐津と山本の間で分断されたような形になってしまった。そのため、西唐津から博多へ向かう方の筑肥線を東線、山本から伊万里へ向かう方を西線と呼ぶ(こともある)。そんなわけで、伊万里行きは山本までは唐津線を走りそこから筑肥線(西線)へと入るが、しばらくは唐津線と筑肥線(西線)はぴったりと寄り添って走る。そして唐津線の方だけにしかない本牟田部(ほんむたべ)を過ぎてからようやく唐津線をオーバークロスする形で跨いで、伊万里を目指して西へと向かう。
 それにしても、たった2軒しか家がなく集落とも呼べないほどの所に駅があったりして、実にローカルなところを走る。

 終点伊万里はかつて国鉄時代に訪れた頃の面影はなく、JRの方はどん詰まりになっていて図らずも終端駅っぽくなっていた。駅名標が伊万里焼なのが伊万里らしい。



    


7.伊万里12:36発→たびら平戸口13:42着 普通347D 佐世保行き
←たびら平戸口
MR−104

 伊万里駅は、JRとMR(松浦鉄道)の線路が道路によって完全に分断されていた。その道路の両側に双方の駅舎があるのだが、道路には横断歩道や信号はなく、お互いの駅舎を行き来するには2階へとあがって自由通路を通って行くような形になる。エレベーターもあるが毎日利用するにはちょっと不便な気もする。地元の人たちはどうなんだろう。

 松浦鉄道の駅事務所で、MRフリーきっぷという一日乗車券を購入。平日買うと2000円だが、今日は日曜日なので1700円。駅員さんに欲しい旨を告げると「自動券売機で買ってくれ」と言われたが、券売機のはおそらく感熱紙のものだろう。どうせなら記念に残したいので駅員さんに頼んで常備券タイプのものを発行してもらった。
 寒いので散策はやめにして、待合室で待っていると有田行きに続いて佐世保行きもやってきた。MRー100形というJRもキハ120形として導入した軽快ディーゼルカーだ。さっき乗ってきた伊万里行きのキハ125形もキハ120形の兄弟車なので、それともよく似ている。

    

 たびら平戸口へは、伊万里回りで車で行くことも多かったので、国道204号線に沿って走る松浦鉄道の車窓は見慣れたものだ。そんな見慣れた景色の中にも松浦鉄道になってからできた駅も多く、国鉄時代からあった駅もほとんどが駅舎が壊されトイレだけが残されていたり、無人駅になったため入場券がいらないからだろうか民家の勝手口とホームが繋がっていたりして、遠い国鉄松浦線時代の記憶との比較が面白かった。
 そして、1時間後。日本(本土)最西端の駅たびら平戸口へと到着した。国鉄の頃は文句なしに日本最西端の駅だったたびら平戸口駅も、現在では真の日本最西端の座を沖縄のゆいレール那覇空港駅に譲ってしまったが、跨線橋などはなく一般の旅客でも線路上を歩いて向かいのホームに渡る作りは昔(国鉄の頃)と変わらずそこにあった。

    


 たびら平戸口駅では、訪問証明書(200円)や硬券の入場券(160円)が売られていたので買い求めると、駅員さんから「(入場券の)日付はどうしますか?」と返ってきた。

 入場券のたぐいはいつも訪問記念に買っているので、「今日のでお願いします」と答える。すると「自分で入れてみますか?」とDATING MACHINEというかなり古めかしい日付を入れる機械を差し出してくれた。当然のことながらやったことがないのでやり方を教えてもらい、自分で日付をいれてみる。やや斜めにはなったりしたがより一層記念に残る物となり、思いがけないサービスに大変感激した。


8.たびら平戸口14:47発→佐世保16:07着 普通7353D 早岐行き
←佐世保
MR−125

 短い滞在時間だったが、次の列車でたびら平戸口をあとにする。やってきたのはさきほどと同じMR−100形だが、こちらはJR佐世保線の早岐まで乗り入れる列車だった。しかしながら、JRへの乗り入れもこの旅の一週間後のダイヤ改正(2006年3月18日実施)で休止されることになるという。

 寂しい話題が続いてしまったが、佐世保に到着する直前に今なお日本一なところを通る。中佐世保駅(佐世保の2つ手前)と佐世保中央駅(佐世保の1つ手前)との間はわずか200メートルしか離れておらず、これは日本一短い駅間だということだ。とはいえ、これはあまり大々的には宣伝されていないので、知らないままに通り過ぎていく人も多いだろう。

    


 どうせなら早岐まで乗ってみたかったのだが、お腹がすいてしまってどうしようもないので、佐世保で途中下車して構内にあったそばスタンドののれんをくぐることにした。お昼の時間にほとんど売れてしまったのだろうか、売り切れになっているメニューがやけに多かった。

 次の列車までは少し時間があるので、駅の構内を歩いていると「日本最西端佐世保駅 JR」と書かれた木製の看板や、なんだかどこかで見たことのあるような形をした「貧乏が去る像」というのがあった。「貧乏が去る像」は下の貧乏神に触ったあと上のサルに触ると貧乏が去る(サル)そうだ。せっかくなので指示に従って触っておくことにしよう。

    


9.佐世保16:56発→早岐17:09着 普通247D 長崎行き
←早岐
キハ  66
キハ  67
 崎サキ

 佐世保から早岐まで乗車した普通列車は、シーサイドライナーカラーに塗られたキハ66系だった。車内はワンマン対応の機器が設置されている以外は、登場当時そのままの転換クロスシートが並んでいる。

    


10.早岐17:15発→有田17:27着 普通2942M 鳥栖行き
←有田
クモハ817
−29
クハ 816
−29
 崎サキ

 早岐で待っていたのは817系。木製の転換クロスシートに座布団がついたような特徴のあるシートや、西日本の新快速のようにドア横に補助椅子があったりして、黒い前面と木の暖かみが感じられる車内の対比がおもしろい。

    


11.有田17:49発→伊万里18:12着 普通839D 伊万里行き
←伊万里
MR−201

 有田は伊万里とは正反対で一つの改札口をはさんで両側にJRと松浦鉄道の窓口があるような形になっていて、駅舎こそ新しい建物に建て変わっていたが、構内は昔のままだった。
 伊万里行きのMR−200形というバスみたいな車両に揺られて伊万里に到着、これにて佐賀県を走る鉄道を全線完乗した。

    


12.伊万里18:42発→唐津19:31着 普通2536D 西唐津行き
←唐津
キハ 125
−5
 北カラ

 伊万里から乗った唐津行きは朝と同じキハ125形。景色はそのときに堪能しているし、何よりあたりもすっかり暗くなってしまい街灯もほとんど見えない車窓は真っ暗で何も見ることができないので、ちょっと寝ることにした。気がつくと鬼塚で、唐津まではあと一駅というところにきていた。和多田駅のところで博多の方からやってきた筑肥線(東線)の快速「からつライナー」と横並びになる。向こうは電車。少し差をつけられる感じにはなったが、6両編成の「からつライナー」のいちばん後ろの車両と並んで唐津駅にすべり込んだ。



13.唐津19:38発→筑前前原20:24着 普通332C 筑前前原行き
←筑前前原
クモハ102
−1513
モハ 103
−1513
クハ 103
−1513
 北カラ

 唐津駅で待っていた3両の電車は103系。もしかしてまた朝のと同じだったりして・・・、と冗談交じりに言っていたら、本当に同じ車両(クモハ102−1513)だった。電車の運用というのはほぼ決まっているだろうが、別にそれに合わせて行程を組んだわけでもないから、むしろすごい確率の偶然と言えるかもしれない。

    

 筑前前原で同行者のかめさんと別れる。同じ1枚の18きっぷを使っているため一度一緒に改札を出なければならいないので、出るついでに下車印を押してもらうようにお願いすると、若い駅員さんから「東京の方から来られたんですか?」と聞かれた。
 ぼくの18きっぷにはこの春訪れた九州各駅の下車印が押されているので、遠くから来たのだろうと思われたらしい。「いえいえ、福岡です。まず九州の乗りつぶしをやっているところで・・・」と答えると「ご苦労様です」だなんて言われてしまった。


14.筑前前原20:27発→姪浜20:45着 普通596C 福岡空港行き
←姪浜
1526 1126 1026 1125 1025 1525
 福岡市交通局

 たった3分しかなかったが、改札を出て入って再びホームにもどると20時27分の列車はまだ停車していた。福岡空港行きなのでこの列車で西新まで帰れるが、18きっぷが利用できるのはJR九州の姪浜まで。ということで、姪浜で下車。せっかくなのでここでも下車印をお願いすると、JRの物はないらしい。「駅の名前が書いてあるスタンプならなんでもいいですよ」と言うと「姪  浜」というハンコを押してくれた。

    


15.姪浜20:53発→西新20:59着 普通073946 福岡空港行き
←西新
1518 1118 1018 1117 1017 1517

 券売機で西新までの切符を買い、発車時間の迫っていた福岡空港行きに乗車。室見、藤崎と停車して西新へと戻ってきた。




<1/47:佐賀県完乗記・おわり>


ホームページに戻る