家のイメージを膨らまそう


土地にある程度目星をつけたら、いよいよ建物を具体的にプランニングしていく段階です。
と言っても、家を建てようと思い立ったときにはすでにいくつかの青写真を頭の中に描い
ている事でしょう。その青写真を託す専門家選びからこの章は始めましょう。まず、建築
の専門家には大きく分けて

@設計事務所
Aゼネコン・大工
Bハウスメーカー

などがあります。それぞれ一長一短がありますが概略次のようになります。

@設計事務所:「建築にオリジナリティを求める人」

建築家(自称、他称)と呼ばれる人が主宰する文字通り建築の設計をする事務所です。
ちなみにこのホームページの開設者も自称建築家です。ということで幾分この項が
贔屓目に語られることを予感する人も多いことでしょう。(冷静に)3者の中の位置
づけから言えば、建築物を経済活動はもちろん、一つの文化・芸術としてとらえ、社会
に対する責任感、使命感を帯びて建築を創造することに誇りを持っている、という
ジャンルになるかと思います。そこから出てくる建築は思想があり、オリジナリティ
にあふれています(少なくともウチは)。反面、こだわりの強さが妥協を許さないため、
コストアップにつながってしまうケースもあるようです。その真面目さ、ひたむきさに
共感できる人でないと割高と感じてしまう可能性はあります。ですから建築家に依頼
する場合は、その人となりをよくみきわめ、「この人だったら」といったある種の
惚れ込みが、選択の条件となってくるでしょう。といっても敷居が高いというわけでは
決してありません。建築家は全力でぶつかってきますので、その力を活かすも殺すも
施主次第と言うところでは、知的でスリリングな共同作業を体験できる唯一の選択肢
といえます。

Aゼネコン・大工:「面倒な手続きを嫌い、任せてしまいたい人」

工事施工業者もたいてい組織内に一級建築士事務所を持っているので、設計から施工
まで一貫して請け負ってしまおうというやり方です。この場合、責任の所在が1社
だけではっきりしているので後に瑕疵があった場合、「設計が悪い」とか「工事が悪い」
といったゴタゴタは発生しないので明快だといえます。ただ、設計と施工が同じ組織と
言うこと自体に問題をはらんでいます。工事実行予算の理由から設計変更をする場合、
どこをどう変えるということ無しに内々にやられてしまうケースが後を絶ちません。
例えば設計では上質な仕上げ材を使っていたとしても、実際使われた材料は低級の物
であった場合、素人である施主はそれが低級であるかどうかの判断ができません。
図面通り工事を行っているかどうかをチェックする「設計監理」という業務が曖昧に
なり、施主は「こんなはずではなかった」という結果を招きやすい体質といえます。
ですから、このケースを選択した場合でも、何でも任せっきりにしないで、こまめに
現場をのぞいたりすることが、失敗を未然に防ぐ方法です。公共事業や、海外の工事で
設計施工一貫発注がないのは、上記のようなことが理由の一つになっています。

Bハウスメーカー:「車はマークツーという人」

住宅展示場に足を運ぶ人には、それなりに見栄えのする家があって目移りしてしまう
ことでしょう。実際マーケティングに力を入れているだけあって、家具等で生活スタイル
を演出し、消費者の購入意欲をくすぐるのが巧みです。またマスプロによるローコストで、
比較的安価といえます。瑕疵等の問題についても、Aと同様明快であり、工場生産の
メリットである精度の高さも助け、瑕疵自体発生する可能性はきわめて低いでしょう。
問題点は柔軟な設計ができないということです。これはマスプロダクションの宿命とも
いえますが、いくら「自由設計」と謳っても既成のパーツの組み合わせなので、正確
には「自由選択」というべきでしょう。マークツーにアクセサリをつけ、ご満悦の人
には最適な選択でしょう。@とは対照的なこのケースについては、私は辛辣な意見に
まで言及しそうなのであえて多くを語りません。
とおおまかにそれぞれの専門家の特徴を述べましたが、設計事務所を主宰する私の立場
としては、@が自信を持ってベストであると言ってしまいましょう。というよりも
設計事務所に設計を依頼するケースが今後もっと増えてほしいという希望を含んでいます。
設計事務所だって「Aゼネコン・大工」のように瑕疵責任を持てますし(保険もかけてる)
Bハウスメーカーのように安価で精度の高い仕事をさせます(木造在来工法で30万/坪より)
・・・負け惜しみに聞こえるとつらいです。先に出た車の話を少しさせてください。
最近外車やワゴンブームがよく取り沙汰されますが、それはマークツー(中流意識)
から卒業し、個性派意識の始まりを物語る傾向です。中流意識とは世論という実体の
不明確な幻想に左右され相対的な価値判断をしてしまい、「とりあえず中ぐらい」と
言っておけば差し障りもないし安心できるという、ピラミッド社会を背景とした発想でした。
ところが今の社会情勢はそのピラッミッド自体が崩壊してしまいました。証券疑惑の
「トカゲのしっぽ切り」ならぬ「トカゲの頭切り」が如実に物語っています。それでは
崩れ去った後に新たなヒエラルキーが築かれるのかと言うとそうでもない。実はヒエラルキー
自体がほとんど意味をなさない事に少しずつみんなが気づき始めているのではないか、
といった状況ではないでしょうか。ピラミッドという従うべき構造を失った人たちは
バラバラに離散し、そんな状況下で独自の評価軸・価値観を築き、(世間がどうあろうと)
「私はこれがいい」と自信を持って主張し始めているのではないでしょうか。
「あいつはわがままだ」と中流意識をお持ちの方からはぼやきが聞こえてきそうですが
そんな意見は個性派主義の人の評価軸には乗ってこないのです。そんな人に柔軟に対応の
できる専門家はやっぱり設計事務所しかないのではないでしょうか。こんな事を言って
いると「それは設計事務所の努力不足だ」と一喝されそうですが、その努力の一貫として
ホームページなぞをつくって情報発信していこうという姿勢をご理解ください。