今回は奈良県・吉野を散歩してみましょう
ご存じの通り吉野は櫻で聞こえた名所ですが、古代から中世まで数々の歴史舞台に登場し、今でも当時の面影を残す歴史散歩には最適の地です。古く、役小角(役の行者)が此処で蔵王権現を感得し、櫻の木に其れを彫り祀ったところから櫻に縁のある由来になっています。
時代は下り、近江大津京にて天智天皇が病に伏し、皇位継承問題が発生した時、実弟である大海人皇子は身の危険を感じ、妃の鵜野讃良皇女(天智天皇の子・後の持統天皇)と共に吉野に姿を消し、宮滝に離宮を構えたと言われている。
天智天皇が没し大友皇子が即位(弘文天皇)した後、大海人皇子は此処吉野より挙兵し壬申の乱’が勃発、やがて勝利をおさめ日本歴史上特筆すべき天武・持統朝の中央集権国家が成立していくのである。それにしても此の壬申の乱’は天智と天武が兄弟、天武の妃が天智の皇女、大友皇子の妻が天武の娘、という兄弟・叔父と甥・親子という血を血で争う骨肉の戦い、となっており現代では考えられない権力闘争であることも特筆すべきであろう。後、天武天皇は皇子を伴って吉野を訪れ、兄弟が争うことなくお互い協力するよう誓いを立てさせるが、こののち数々の悲劇が生じているのも皮肉なものである。

吉野といえば櫻ですが、櫻で思い出すのは西行法師でしょう。西行は元武士で、平清盛とも旧知の仲だったが自家の内紛が原因で二十三才で出家した?といわれており、そののち日本を代表する歌僧として名を馳せる。
願わくば 花の下にて 春死なむ 此の如月の 望月の頃
日本人の櫻に寄せる想いは此の歌に尽きると思います。



奥千本裏手・西行庵跡

その他、吉野を巡っては南北朝時代、後醍醐天皇の建武の親政時、南朝方の本拠地であったことを偲ばれる数多くの遺跡もあり櫻の季節は言うに及ばず、紅葉の名所’としても一度は訪れてみたい所です。


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